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9 彼を呼ぶ
しおりを挟むご機嫌な結菜の傍ら、黒いスポーツ向けのデジタル時計に視線を向けた陽翔は、ぽつりと言葉をこぼした。
「………18時、か。そろそろ帰宅した方がいいか?」
「そう、ですね」
携帯の画面に映る時計を見つめながら、結菜はそっと息を吐いた。
(もっとこの時間が続けばいいのにだなんて、烏滸がましいことを考えては行けませんね)
ゆっくりと鞄にスマートフォンをしまっていると、考え込んでいた陽翔がヘッドホンを少しだけ触りながら結菜を真っ直ぐと見つめてきた。
「今日も夕食は1人か?」
「え、あ、………はい。そう、なりますね」
スマートフォンのカレンダーを出して確認しながら、結菜は今日も家に誰も帰らないことを認識する。
「父は夜遅くまでお仕事で病院で寝泊まりするでしょうし、母はどうせいませんし、兄は………帰ってこないかと」
「じゃあ、夕飯食いに行こう」
「え………?」
想像もしていなかった提案に、結菜は純粋に驚いた。驚きを繕う間もなく、彼は結菜の手を握る。
「は、え、あ………」
「ふっ、………驚いてるキミって珍しいな」
「あぅっ、」
ふわっと無駄に良い顔で微笑まれて、結菜は口をぱくぱくさせた。
本当に、彼は顔も無駄に良すぎるのだ。
「行こう、ゆな」
手を引いて歩き出した彼についていくために、結菜はゆっくりと足を踏み出す。結菜の鞄はいつの間にか彼の手に握られていて、結菜の腕には今日とってもらった真っ白なくまさんだけが残っている。
「えっと、その………つ、月城さん?」
「陽翔。もしくはお好きなニックネーム」
「あの、どこに、」
「………………」
黒いローファーを迷いなく進める彼は、どこに向かっているのか分からない。
(これは、お名前を言うまでいろいろ答えてもらえないパターンでしょうか)
彼の横顔を見つめながら、結菜は少し考え込む。
癖っ毛気味なミルクティーブロンドに切長の氷色の瞳、鼻筋は真っ直ぐと高くて、肌の色は真っ白で毛穴なんて見えない。
“陽翔”と呼ぶのはなんか違う気がした。
少し思考の渦に入った瞬間、結菜の視界には目の前の光景とは違うものが見える。
『ゆな!』
記憶の奥深くにある少年が結菜を呼ぶ。
アルコールのツンとした匂いに包まれた病室の奥、青い空と黄緑の芝生がよく見える大きな窓をバックにして、逆光で真っ黒に見える少年がベッドに座っている。彼は痛々しいほどに沢山の点滴の刺さっていない方の腕で、結菜に向かって大きく振る。
「………はる、くん」
無意識のうちにぽつりと呟いて、結菜は急いで口元に手を当てる。
「っ!」
しかし、結菜は次の瞬間に不思議なものを見た。
結菜が見た彼は、結菜の想像した嫌そうな顔ではなかった。
それどころか、彼が触れている銀のイヤーカフがついている耳を赤くして顔をくしゃっと歪め、泣きそうでいて嬉しそうな表情をしていた。
よく、分からない。
それが彼の不思議な表情を見た結菜の感想だった。
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