青いライオン

クロエ

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出会い

名前

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俺は自分の名前が嫌いだ。
だから、名前を呼ばれるのも嫌い。
先生に呼ばれるのも、クラスのヤツに呼ばれるのも大嫌い。
みんなは俺のことをホズミって呼ぶ。
漢字で書くと、「八月一日」。
すっごくヘンな名前。
だから同じ名字の人と会ったことない。
珍しいんだって。
みんな俺の名前を最初は読めない。
先生だって読めなかった。

名前のことで、よく低学年の時にイジメられた。
誕生日が十二月なのもあって、クラスのヤツらはこぞって俺をバカにした。
寒いのか暑いのかどっちかにしろよってさ。意味わかんねえよ。
その度に、俺は顔を真っ赤にして必死で言い返していた。
何でこんな名字なのって、お母さんにも当たってしまった。
お母さんはいつも、ごめんね、ごめんねって言って、台所で静かに泣いてた。
それを見た俺も大声でわんわん泣いたりなんかして。
俺もバカだったんだ。
別にお母さんが悪いわけでもないのに。
あの時は泣いてたりしたけど、今では泣いたりなんかしない。
言わせておけばいいんだ。どうぞご勝手にって感じで。
こんな態度が災いしてか、友達もいなかったような気がする。
浮いてるって言うのかな。
なんか、一人だけ交われない、黒色の絵の具みたいな。
ソイツがいるだけで、他の色の調和を消してしまうような。乱してしまうような。

悠斗だけが友達だった。親友だった。
悠斗だけは、俺のことを「慶次」って呼ぶ。
俺は自分の名前が嫌いだ。
なんだよケイジって。
ケイだけならまだかっこよかったのに。
そういえば、下の名前のことでも何かいろいろ言われたんだっけ。
そうだ、あの時。二年生の時の、授業参観の日。
確か誰かのお母さんが財布を学校のどこかに落としたって騒いでて。
その頃はやっていた刑事アニメの真似事をして一躍人気者になっていた俺は、調子にのってそこでも刑事になったんだ。
ただ名前がかぶってるってだけで、別にみんな俺のことなんて対して気にしてなかったようなんだけど。
ただの俺の勘違いだったわけなんだけど。
バカな俺はフンっと鼻を鳴らして、取って付けたような推理をして、得意げに「お前が犯人だ!」って適当な女子を指さしたんだ。
あれ?推理って刑事がやることだっけ?
まあいいや。
それからその女の子は違う違うって首をぶんぶん振り回しながら泣いちゃって。
そしたら例のお母さん、財布は自分の上着のポケットに入ってたってバツが悪そうに言い出したんだ。
あの時は心底ムカついた。
あのお母さんにももちろんムカムカしたけど、適当なこといって刑事ヅラしてた自分がものすごく恥ずかしくなった。
ただ俺が赤っ恥かいただけなんだよ。
周りを見てみると、クラスメイトの視線は凍えるように冷たかった。
顔が真っ青になって、背中にいっぱい変な汗が吹き出た。
その日の夜、お母さんに連れられて、冤罪になった女の子の家へ謝りに行った。
玄関から出てきた女の子のお母さんは、チラッと俺を一瞥して、軽蔑するような視線で俺を射抜いた。
俺は本当に大変なことをしてしまったんだ。
そこで事の重大さにやっと気づいた。
俺のお母さんは、あの子のお母さんに何回も頭を下げてた。
あの子のお母さんは、パーマがかかったくるくるの頭を振り乱しながら早口で何かを喋ってた。
あの子が二階から覗いているのが遠目で見えたけど、クスクス笑っているみたいで何だかゾッとした。

その次の日から、俺は上の名前と下の名前でイジメられるようになった。
「目立ちたがり屋の嘘つきケイジ」とか何とか言われてたな。
学校では必死に涙を堪えてたけど、家に帰った途端にダムは決壊した。
毎日お母さんに当たってた。
何でこんな名前にしたのって。
俺がイジメられるのはお母さんのせいだって。
今ではそんなことないんだけど。
クラスに友達はいないし、学校では孤独で寂しい少年だった。
家ではひどい癇癪持ちの、手の焼ける泣き虫だった。
そんなヤツになっちまったんだ、人間と関わることに臆病になって、だけどやっぱりどこかで吹っ切れちまって、ある日突然何を言われても何も感じなくなった。
感情を隠すのがひどく上手になった。
だから、今でも俺は悠斗がいなくなればいつでも一人ぼっちになる。
別に、それでもいいと思ってる。
人間は、所詮一人で生きてるんだ。
誰もいなくたって、食べ物さえあれば生きていけるんだ。
悠斗はすごく大切だけど、もし、もし仮に明日悠斗が死んでしまっても、すごく寂しいけれど、それだけなんだ。
次の日からは、俺は何事もなかったかのように生きていくんだと思う。
こんな俺は薄情だろうか。
きっと、そうなんだろう。
時々、お母さんとお父さんの声が隣の部屋から聞こえてくる。
どうしてこんな子供になってしまったんだろうって。
どうしてこんなに喋ろうとしないのって。
それは、傷つかないために、極力一人で生きていこうって決めたからなんだ。
だから、悠斗以外の人間にはいつも透明なガラスのようなものが見えるんだ。
これが何なのかは分からないんだけど、きっと、心のキョリってやつなんだと思う。
別にお母さんとお父さんを責めるわけじゃないんだけど、俺がこんな風になってしまったのは、やっぱり名前のせいだと思うんだよ。
でももう恨んでなんかいない。むしろ感謝してる。
こんな名前だったから、こんなにはやくから人のホンショウってのに気づくことが出来たんだ。
人とは関わらない方が楽に生きていけるって、知ることが出来たんだ。
なのに、何だろう。自分で言うのもなんだけど、すごくひねくれてるなあ。
まあ、これが俺なんだけど。

俺は自分の名前が嫌いだ。
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