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終章 満ち足りた世界

舞踏会~王子達と聖女達~

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 バートランドの元へ歩き出そうとしたエルシーは、一人の貴公子とばったり顔を合わせた。
 藍色の髪に黒い瞳、セルザム王国第三王子のシミオンだった。今日は王子らしく立派な服装をしている。
 彼は美しい顔立ちに少しうれいのある微笑を浮かべてエルシーに挨拶あいさつした。

「一曲お願いできますか、エルシー嬢」
「はい、もちろんですわ」

 二人は大広間の中央に踊り出る。
 こうして彼と共に踊るのは奇妙な感じだった。
 本来なら彼と結ばれていたはずとルビィが言ったものの、「アイリーン様のため」と言っては何かと突っかかってきた彼だった。
 ヴィクトリーヌの影響から解放されてからは、人が変わったように感じのいい青年になり、エルシーを助けてくれた。

「色々助けてくださってありがとうございます。お姉様と和解できたのも、貴方が協力してくださったおかげですわ」
「大したことではありません。過去の非礼のつぐないになれば良いのですが。私は祖国へ帰ることになりましたから」
「まぁ、これからはずっとセルザムでお暮しになるの?」
「はい、当分グリーンフィールドに来ることはないでしょう」

 シミオンは静かに微笑んだ。

「……それでいいのですか?」
「えぇ、貴女の幸せを祈っています」
「きっと幸せになりますわ。貴方にも良い方が現れるといいですわね」
「……そう願います」

 そっと目を伏せ、シミオンはつぶやいた。
 そうして、運命の恋は始まることもなく終わりを告げた。
 だが、きっと彼にも、故郷で別の運命が待っていることだろう。
 


「エルシー!」

 駆け寄ってきたのは、黒髪の可愛らしい顔立ちの少女。
 今日は鮮やかなオレンジ色のドレスを身にまとい、綺麗に化粧をしている。
 宮廷にあっても生き生きした表情の豊かさは失われていない。

「もー、緊張したよ!聖女の演説、上手くできたかな?」
「えぇ、菜々美も聖女らしくなってきたわ」
「よかった、ずっと特訓で大変だったんだよ!町でお話しするのとは違うからね」

 菜々美のつやつやした黒い髪とは対照的な輝く金髪の貴公子が歩み寄ってきた。
 今日は見事な礼服に身を包み、一国の王太子らしい出で立ちであった。
 周囲の令嬢達も憧れの眼差しで見つめている。

 エルシーは淑女らしく腰をかがめた。

「菜々美は本当によく頑張ったからな」

 菜々美の頭に手を置いて、アルフレッドが微笑む。

「エルシーも今夜は楽しんでいって欲しい」
「ありがとうございます。お二人共今夜はとても素敵ですわ」
「あはは、転ばないようにするので精一杯だけどね。殿下のために頑張って慣れるよ。エルシーはダンスの申し込みが多すぎて大変じゃない?それじゃ、殿下。エルシーと踊ってきたら?あたしは伯爵に稽古けいこの成果を見てもらわなきゃいけないし。もうあたしは殿下と踊ったからね、遠慮はいらないよ!」

 菜々美は夕日のような裳裾をひるがして、金褐色の髪の貴公子の元へ急いだ。

「あんなに急いで、つまずかなければいいんだが」

 心配そうにつぶやくアルフレッド。エルシーはくすくす笑った。

「菜々美はどこにいても元気ね」
「あぁ、彼女ならきっと王家の一員として頑張ってくれる。実際、物覚えが早いと大司教も……いや、今は貴女のお相手を努めよう」
「まぁ、わたくしでよろしいのですか?」

 すました顔で尋ねるエルシーに、アルフレッドは微笑んだ。

「貴女に対して失礼な振る舞いはできない。お相手頂けるのを光栄に思うよ。実際、貴女ほどに美しい令嬢もなかなかいないからな。いずれ伯爵となるのだし、これから結婚の申し込みが殺到することだろう」
「結婚できるのは一人だけですもの、一人の方に申し込まれればそれで良いのですわ」

 エルシーは静かに言った。
 アルフレッドも頷いた。

「今は私と踊ってもらえるか?」
「はい、お願いいたします」

 エルシーはアルフレッドと共に中央に進み出た。
 踊っている紳士と淑女の中に、菜々美とセドリックがいた。
 踊りの名手であるセドリックはたくみに菜々美をリードしつつ、ときおり試すように歩調をゆるめたりしている。菜々美はステップを気にしながらも、エルシーやアルフレッドに近づくと笑いかけて来る。間違えそうになったのか、伯爵が何かささやいて、菜々美が慌てた様子を見せる。

 バートランドも何人かの令嬢と踊っていた。
 若き勇者もまた、宮廷の淑女達の注目の的だった。
 エルシーと目が合うたびに、照れたような困ったような顔をするのが、エルシーにはおかしかった。

 大司教は穏やかな表情で、踊る人々を見守っている。

 レジナルドとチェスターも踊っていた。
 宮廷魔術師は、魔法好きの伯爵令嬢と踊り終え、ドレスの染みに悩んでいた男爵令嬢と踊り始めたところだ。二人共踊りは得意ではないらしく、時々ステップを間違えたりしたが、楽しそうだった。

「彼らにも踊りに参加しておけと言っておいた。王宮勤めをするのなら、面倒でも人脈作りは必要だからな」
「皆喜びますわ。わたくしと一緒に活動していた時から、知り合いになりたい方がたくさんいらっしゃいましたもの」

 チェスターは難なく踊りをこなしていた。相手の令嬢は、最近社交界に出たばかりの準男爵家の令嬢だ。可憐な容姿の若い令嬢は、金色の巻き毛を揺らしながら、輝くような目でダンスのパートナーを見上げている。
 ダンスが終わった後も、彼女の夢見るような瞳はチェスターを追っていた。

 その視線に気付いているのかいないのか、彼はそちらの方には目を向けず黒髪の貴婦人を踊りに誘う。
 チェスターよりいくつか年上の子爵未亡人は、大人の色香のただよう仕草で彼の誘いに応じた。

「ほう、あいつもこれから厄介事に巻き込まれそうだな」

 アルフレッドは楽しそうに言った。
 エルシーはチェスターの弁護をする。

「チェスターさんなら、悪いようにはしないでしょう」
「だからこそ、だね。異性関係をもつれさせないためには、冷たく振舞うことも必要だよ」

 踊り終えたセドリックが歩きながらエルシーに囁いた。
 菜々美はぐったりと椅子に座り込む。
 彼女に飲み物を渡し、伯爵は楽しそうに踊る人々を観察している。

「伯爵家の人々は、魔法に関心があるからね。レジナルドにとってはいい後援者こうえんしゃになるよ。令嬢の方は、彼自身にも興味がありそうだね。男爵令嬢はレジナルドとはいい友人になりつつあるが、彼が爵位を得たら、両親の方は縁談を持ち込んで来るだろう」
「へー……」

 菜々美はまだ息を切らしていた。

「あの準男爵家の令嬢は、今日はずっとチェスターに注目しているね。家の者は気に入らないだろうが、あれで中々根性のある娘だから、どうなるかな。未亡人の方は、悪い女性ではないけれど、一癖も二癖もある方だよ。恋人とは最近別れたことだし、そろそろ新しい恋をしたいんじゃないかな」

 ようやく落ち着いた菜々美は、良い香りのする茶を飲み干し、口を開いた。

「新しい情報がたくさん入って結構だね。面白いことは面白いけどさ」
「では、とっておきの情報をお話ししましょうか。王太子殿下が異国の黒髪の淑女と―――」
「待ったー!あたしのことはいいんだってば!」

 菜々美は狼狽うろたえて伯爵の言葉をさえぎる。

「何を言う気だ」

 アルフレッドは踊りを終えて菜々美の元に戻ってきた。

「いえ、無粋ぶすいなことは申しません。どうぞ、お二人でお話の続きをお創り下さい」

 セドリックは一礼すると、優雅な足取りで二人の元を離れた。
 美しい青い瞳が興味深げに紳士淑女の群れを眺める。

「さて、これから始まるお話は―――」
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