聖女ヒロイン、逆ハー詐欺にあう

秋風遥

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第九章 籠の鳥が羽ばたく時

思いがけない訪問客

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 翌朝、朝食を済ませた後、来客の訪問が伝えられた。

「ロッドフォード帝国より、皇帝陛下の使者がお目通りを求めております」

 エルシーは軽く眉をひそめた。
 ロッドフォード皇帝コーネリアスは、かつての義姉アイリーンの新しい婚約者である。
 義姉はすでに帝国に向かい、婚礼の準備をしている。

 皇帝がエルシーに好意的だとはとても言えない。
 アイリーンには彼女が婚約解消する以前から大変執心しゅうしんで、エルシーのことはいつも悪く言っていたと聞く。
 はっきり言ってろくな用ではないだろうと思うが……。

(断るわけにはいかないでしょうね)

 領主代行のティモシーは、夫人と共に新しく建てられた別館に住んでおり、現在は執務中であろう。
 溜息をついて、エルシーは使者の案内を頼み、客間へ向った。
 バートランドを護衛として呼び、ルビィにも隠れてついてきてもらう。

 案内されて部屋に入ってきたのは、藍色の髪に黒い瞳の繊細な美貌の若者。
 かつて公爵家で会った、シミオン子爵であった。

「お久しぶりです、エルシー嬢」

 丁寧にお辞儀をする彼には、かつてのような敵意は感じられない。
 取りかれた様子がすっかり消え、むしろ感じの良い青年に見える。
 エルシーは驚いて言った。

「貴方でしたの?前とはまるで違う人のように見えますわ」

 シミオンは美しい顔にうれいに満ちた微笑を浮かべた。

「かつての無礼をおびいたします。以前の自分を思い出すとお恥ずかしい限りです。何故あのように貴女を敵視していたのか、自分でも不思議に思うのです」
「全てお姉様のためではなくて?」
「あぁ……えぇ、アイリーン様のことですね」

 シミオンの顔に複雑な表情が浮かぶ。エルシーは首をかしげた。

(婚約破棄終了で用済みになったため、ヴィクトリーヌの干渉がなくなって正気に返ったのでしょう。もうエルシーには悪意を持っていません。アイリーンへの過剰かじょう崇拝すうはい感情も無くなったようです)

 ルビィがこっそり解説した。

「今日は、アイリーン様の願いにより参上いたしました。貴女に贈り物があるそうです」

 シミオンは、細長い箱を差し出した。
 上等の赤いビロードでおおわれた箱の中に、金色に輝く鎖をつけた、見事な首飾りが入っていた。
 中央に大きな宝石がはまっている。その透明な煌めきの中に、炎のような赤い筋が走っていた。

「お姉様が、これをわたくしに?」
「はい、アイリーン様は貴女が姿を消したと知った時からずっと、貴女の行方を捜しておられました。貴女の身を案じ、その無事をずっと祈っておられました」

 エルシーは感慨深く宝石を眺めていた。
 義姉が自分の身を案じていてくれていた。嬉しい気持ちを噛みしめる。

(へぇ、どんな宝石ですか?)

 ルビィは姿を消したまま、近づいてきた。
 その顔が険しくなる。

「その石を捨てなさい!今すぐに!」
「えっ!?」

 ルビィの緊迫感に満ちた叫びが部屋中に響き、エルシーは彼女を振りかえった。
 シミオンはどこから声が聞こえたのかと、辺りを見回した。
 バートランドが素早く首飾りをエルシーの手からひったくると、窓から無人の庭に投げ捨てた。

「何を!?」
「伏せろ!!」

 驚くシミオンに声を掛け、バートランドはエルシーをかばうように腕を回して床に伏せた。
 轟音ごうおんが響き、壊れた窓枠が飛び、部屋中に粉塵ふんじんが舞う。
 爆発が収まった時、バートランドはエルシーを助け起こしつつ、ゆっくりと身を起こした。
 庭から飛び込んだ煙と破片で部屋は黒く汚れ、あちこちに傷がついていた。

 シミオンは茫然ぼうぜんと部屋の中に立ち尽くしていた。
 飛び散った破片で顔が汚れ、わずかに血を流しているが、何が起こったのかわからない様子だ。

「何のつもりだ!?」

 バートランドはエルシーを背後に隠して、怒りを込めてシミオンを問い詰めた。
 廊下から、使用人達が駆けつける音が聞こえて来る。

「シミオン様、これは本当にお姉様からの贈り物なのですか?」

 エルシーは驚きから立ち直り、シミオンに問う。
 彼はうつむき、思い出すようにゆっくりと語る。

「……アイリーン様からの贈り物だといって、皇帝陛下御自身から託さたくされました。アイリーン様からは直接お話はうかがっておりません」
(皇帝は完全に黒ですね)

 ルビィが囁いた。

(お姉様のことは信じるわ)

 エルシーは強く思う。
 部屋に兵士と使用人達が飛び込んでくる。

「お嬢様!ご無事ですか!?」
「わたくしはこれから帝国へ行きます。今回の件について、他言は無用です」

 バートランドもシミオンも驚愕きょうがくした。

「危険です!これはきっと皇帝の……」

 慌てて止めようとするシミオンにエルシーは毅然きぜんとして告げる。

「この件が公になれば、国同士の問題になります。そうなれば、お姉様のお気持ちを知る機会が失われます」

 エルシーは今、救国の聖女として認められた存在である。その聖女が暗殺されるところであった。
 事件が表沙汰おもてざたになれば、帝国全体がグリーンフィールド王国の敵となってしまう。
 皇帝の婚約者であり「贈り物」の送り主であるアイリーンは、聖女暗殺未遂みすいの主犯として罪を問われる立場になる。

「お姉様にお会いして本当のお気持ちを確かめます。そして、望まれるのであれば、共に国に帰ります」

 皇帝との結婚は本当にアイリーンの望んだことなのか。もしも、未だにブライアンを想っていて、一連の事件……王家をあなどり、エルシーを害しようとする勢力とは違う存在であるのなら、アイリーンを救出しなければならない。例え周囲がアイリーンのために行動した結果であっても、それが彼女を苦しめるのなら、このまま事件の中心に放置しておくわけにはいかないのだ。

 勿論もちろん、これだけの出来事を全ての人に黙っておくわけにもいかない。
 エルシーは事件の詳細を記した手紙を王太子あてに送り、すぐに帝国へ向けて出発することにした。

「シミオン様、お取次ぎをお願いできますか?」

 シミオンは表情を引き締めて答えた。

「仕方ありません。アイリーン様にお会いできるよう、助力いたしましょう。しかし、帝国は貴女にとって敵地にも等しい場所です。くれぐれもご用心なさってください」

 本心からエルシーを案じる様子を見せるシミオンに微笑して、エルシーはバートランドを振りかえった。

「さっきも貴方に助けてもらったわ。ありがとう、今回はまた危険な旅になりそうだけど……」

 申し訳なさそうなエルシーに笑いかけてバートランドは力強く言った。

「もちろん、俺は一緒に行くよ。万が一戦いになっても俺一人で敵を全部片づけるから」
(彼なら本当にやりますね)

 ルビィの呟き。
 エルシーは笑って彼をいさめた。

「できる限り、戦いは避けないといけないわ。問題が大きくなると国中の人に迷惑がかかってしまうもの。だけど、どうしても戦わなければならない時はお願いするわね」

 代行夫妻に後事を託し、エルシーは馬車に乗りこんで帝国を目指した。
 シミオンとバートランドは馬に乗って随行ずいこうする。他にも侍女一人が同行し、数名の騎士が護衛につく。できるだけ争いを避けたいので、護衛も最小限だ。だが、バートランドさえいれば、どんな敵にも負けないだろう……ヴィクトリーヌは別として。

 エルシーは祈るように道の先を見つめていた。
 ルビィも姿を消したまま馬車の中でエルシーのそばにいた。

(間に合うといいのだけど……)
(奴の具現化は近いでしょう。アイリーンを奴から切り離してその力を弱めます)

 明るい朝の光の中を馬車は走っていく。
 帝国でどのような運命が待ち受けているのか―――。

 何があっても、自分の道を切り開く。聖女の意思を載せて、馬車は真っすぐに駆けてゆく。
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