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第三章 淑女の願い事は砕かれる(過去編)

ヒロイン退場

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 エルシーは一人、 公爵家の大きな門をくぐり、五年間過ごした屋敷を後にした。
 着ているものは、古い灰色のドレス。母が 公爵家へ嫁ぐ前に着ていたものだ。
 持ち物は小さな かばん一つ。今はこれが、エルシーの全財産だった。

 教会から戻った後、母が病の床についた。
 エルシーは、閉じ込められた部屋を抜け出しては、母に会い、必死に声を掛けたり、小さな希望を叶えたりしたが、結局長い間わずらうことも無く、母は天に召された。

 エルシーを なぐさめる者は誰もいなかったが、悲しみに打ちひしがれた彼女は、そんなことにも気づかなかった。
 そして、母の が明けた日、 公爵は、エルシーに 公爵家から出ていくように命じた。
 エルシーは反論もせず従った。母がいない以上、この家にいる理由は無かった。



 すっかり涙の乾いたすみれ色の瞳で、無情な美しい屋敷を眺めるエルシー。
 不安と期待で胸を一杯にして母と二人でこの家に来たのは、もう遠い昔のことだった。

(もう、できるだけのことはしたわ)

 冷たい春先の風に薄桃色の髪をなびかせて、かつての 男爵令嬢は一人きりで 公爵家を去った。



 街道筋の小さな町で、小さなパンを一つだけ買い、飲み物は井戸水ですませ、街道へ歩いていく。
 馬車に乗る金は無い。あまり遠くまで行くことはできない。
 領地は没収され、故郷にも帰れない。帰ったとしても、領民達が自分を歓迎してくれることはないのかもしれない。

 歩き始めてどれくらい経っただろう。エルシーは疲れ切った顔で、 かばんを下に降ろして道端の石に腰かけた。
 これから、どのようにして生きていくか。
 故郷には戻れず、町で暮らすにしても、平民出身の使用人にさえ嫌われていた自分には、まともに生活することも許されないだろう。 噂のせいで結婚相手も見つかるまい。

 やはり、修道院に入るしかないと思った。今はもう誰も止める者はいない。
  公爵領の外で最も近い修道院の場所はもう調べてあった。後はそこまで歩いて行く。

 冷たい早春の風が、 容赦無ようしゃなく体を冷やしていく。上に 羽織はおった薄いマントは、あまり風を防ぐ役には立たなかった。



 立派な 淑女しゅくじょになると決心していたのに、こんな形で貴族社会から追い出されることになってしまった。母にも、亡き父と先祖達、領民の皆にも申し訳ない。

 アイリーンは幸福だろうか。自分がもっと上手くブライアンとの仲を取り持つことができれば、二人は結婚できていただろうか。

 最後に渡した手紙をアイリーンは読んだのか。読まずに捨ててしまったのか。それとも、手紙を読んでもなお、自分とブライアンを許せないほど憎んでいたのか。

 ……あるいは、ブライアンを意識しているというのは、自分の思い違いで、本当はアイリーン自身も最初からブライアンと婚約解消したかったのだろうか。結局自分は余計なことをしただけだったのか……。



 答えの出ない疑問を追うことに疲れ、薄雲のたなびく青い空を見上げる。
 キラキラと光の しずくが降りかかる。
 目を見開くエルシーの前に、小さな可愛らしい妖精が現れた。

 鮮やかなエメラルドグリーンの瞳に、紅玉のようなつやつやした長い赤い髪。 とがった耳に、十歳ほどの少女のような幼い顔立ち。
 彼女は、真っすぐエルシーに向かって飛んできた。

「聖女やりませんか~?」
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