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第三章 淑女の願い事は砕かれる(過去編)
アイリーンの婚約者
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暖かな日差しが降り注ぐ午後の庭園。
心地よい風が色とりどりの花びらを揺らす。公爵家自慢の薔薇が見事に咲き乱れるその日、親しい社交界の人々を招いてお茶会が開かれていた。
招待された紳士淑女達は競って華やかな衣装を身に着け、満開の薔薇を褒めそやし、香り高い紅茶と上等なお菓子を堪能してた。
中でも最も賑やかな一団は、公爵令嬢アイリーンとその取り巻きの人々だった。
身にまとった紫色のドレスは、派手さを抑えたデザインで、優雅に巻いた銀色の髪の先端まで隙の無い見事な装い。同年代の令嬢達の中でもアイリーンは最も洗練された高貴な淑女であった。
取り巻く令息令嬢達の賛辞に埋もれつつも、アイリーンは気高い淑女らしい態度を崩さなかった。
「アイリーン!」
アイリーンは、わずかに眉をひそめた。
駆け寄ってきたのは、稀に見る美青年だった。
つやつやした栗色の髪に、美しいはしばみ色の瞳。絶妙な配置に整えられた美しい顔立ち。動作は洗練され、美麗な服装が良く似合っていた。
「ブライアン。人前でそのような大声で呼ぶものではなくてよ」
「えー、久しぶりに会ったのに、嬉しくないの?」
「まずは礼節をわきまえてくださいませ」
つんとした表情で冷淡に諫めるアイリーン。
くすくすと周囲の令嬢達が笑う。
ブライアンは一向に気にかけず、にこやかにアイリーンに語り掛けた。
「やっとこの国に帰ってきたよ。向こうでもアイリーンほどの美人は見かけなかったな」
「お世辞は結構ですわ。あちらではどのような勉強をなさいましたの?」
「うーん。あれこれ詰め込んだような気はするけど、ほとんど忘れちゃったなぁ」
アイリーンが大きく眉を吊り上げた。
「外国留学の成果は無いようですわね。相変わらずですこと」
軽蔑したように取り巻き令嬢が呟くと、貴公子の一人は、
「僕らのアイリーンをあの愚か者から救出しよう」と言って、数人の紳士淑女でアイリーンを取り囲み、ブライアンから引き離してしまった。
放り出されたブライアンは、一人の令嬢に目を止めた。
椅子に座ってぼんやり薔薇を眺めていた、薄桃色の髪の令嬢は、青紫の瞳をブライアンの方へ向ける。
「やあ、君が僕の未来の妹だね」
エルシーは彼が義姉の婚約者、侯爵家の子息であるブライアンだと気づいた。
椅子から立ち上がり、淑女の礼を取る。
「初めまして、ブライアン様。クロフォード男爵家の長女、エルシーと申します」
「あぁ、アイリーンから君の事は聞いてるよ。ところで……」
ブライアンは、エルシーを鑑定でもするように眺めた。
「そのドレス、似合ってないね。何故そんなものを選んだのかい?」
悪意の無い純粋な疑問。だがそれは、エルシーの心に深く突き刺さった。
(私が選んだのではないわ)
落ち込みつつ、エルシーは改めて自分のドレスを見下ろした。
暗い紺色の絹地。生地こそ上等だが、全体的に装飾は少なく、いささか古風なデザインだった。公爵家の人々は流行を追うことには批判的である。
大人びた顔立ちで威厳のあるアイリーンには、そうしたドレスがよく似合ったが、エルシーには似合っていなかった。
他の令嬢は、いつも華やかな流行の衣装を身に着けている。
エルシーは、自分もそのような服装がしたいと思っていたが、使用人達はいつもエルシーの希望は聞かずに、用意した衣装を機械的に着せていた。
「着られるだけありがたいと思わなくてはなりませんよ」
エルシーの不満を母はそう諫めていた。
公爵家に養ってもらっている連れ子の立場で、義姉のアイリーンよりも派手な服装をするわけにはいかない。
それはもちろんエルシーもわかっている。それでも、晴れやかな衣装を競うように披露する令嬢達の前に、似合わない地味な衣装で現れることは十五の少女には辛い事だった。
そんなエルシーの内面には気づかず、ブライアンは優雅に微笑んだ。
「我々のように美しく生まれた者には、己の容姿を磨き、人の目を楽しませる義務があるんだ。君は、自分が美人だという自覚はあるのかい?」
「もちろんですわ」
あっさりとエルシーは肯定した。
いつも鏡に映る自分を見て、どうすればもっと美しく魅力的に見えるか、毎日研究しているのだ。
だからといって、決して己惚れているわけではない。
美しいだけでは人に好かれないことはよくわかっている。
「ならば結構。もっと美しくなるための方法なら、いくらでも教えてあげよう」
「お願いします」
服装を選べないなら、他の部分で努力するしかない。
そう思ってエルシーは謙虚にブライアンの忠告に耳を傾けることにした。
明るい光の下、赤やピンク、白、オレンジやクリーム色の薔薇が競うように咲き乱れ、柔らかな風が優しく吹き抜ける。
エルシーはふと、いつも夢見ていた光景に似ていると感じた。
花に囲まれた美しい庭園で、美しい貴公子と並んで座る。しかし……。
(全くときめかないわ)
相手が義姉の婚約者、しかも、
「君のように柔らかい髪だと、枝毛ができやすいから気を付けるんだよ。洗ったら髪はよく乾かして……」
得意げに髪の手入れについて論じている相手に、ときめきなど感じられるものではない。
(現実って、こんなもの?)
ふとエルシーは、気になって尋ねてみた。
「お姉様の所へ行かなくてよろしいのですか?」
義姉の婚約者と長い間一緒にいれば、誤解を招くことにもなりかねない。
ブライアンは肩を竦めて言った。
「あぁ、他の人と話してる時に邪魔すると怒られるからね」
アイリーンを囲む人は、一向に減る気配も無い。入れ替わり立ち代わり、たくさんの人が彼女を囲んでいる。淑女達はアイリーンを褒めそやし、紳士達は飲み物を取ってきたりして奉仕に努め、懸命にご機嫌取りをしている。
「待っていても駄目だと思いますわ。お姉様もお疲れではないでしょうか」
時折、アイリーンがブライアンの方へちらちら視線を向けているのにエルシーは気づいた。
(本当は、邪魔して欲しいのではないかしら)
「うーん、アイリーンは他の男と話してる方が楽しいんじゃないかな。いつも僕にはお小言ばかり言ってるしね」
「わたくしも、ブライアン様のお相手ばかりしているわけにはいきませんわ」
「そうかい?誰も君には話しかけて来ないじゃないか」
再び心に突き刺さる発言。
人気のあるアイリーンに嫌われているので、エルシーには誰も近づかない。
だが、ブライアンに対し、エルシーは悪印象を持たなかった。
確かに賢くはない……己の美を磨くことにばかり熱心である。社交界では気が利かないと非難されるだろうが、率直な発言には悪意が無い。それだけでも、他の人よりましだと思った。
(私も強くなったわね……)
「そうだ、これ、外国で手に入れたものだけどさ。髪や肌に塗るといいよ。昨日、アイリーンにも贈っておいたんだ」
ブライアンが差し出したのは、繊細なカットの施された小瓶。豊かな香りを漂わせる薔薇の香油。
「ありがとうございます。ご親切、感謝致しますわ」
「うん、未来の妹に対する贈り物だからね。でも、僕に恋したらいけないよ。僕にはアイリーンがいるからね」
「ご心配には及びませんわ!」
エルシーは、つい力を込めて断言してしまった。
ブライアンは気にした様子も無く「喉が渇いたな」と言って、飲み物を取りに行った。
周囲の淑女達はうっとりと彼の美貌に見とれている……が、話しかけてくる者はいなかった。
「見るだけでいい」ということなのかもしれない。
話していて面白いという相手ではない……「美」についての話は参考になるが。
特に、彼の冗談は辺り全体を凍結させる勢いで寒かった。通りすがりの令嬢が凍り付くほどに。
一人残され、薔薇の花を眺めるエルシーに、近づく者がいた。
心地よい風が色とりどりの花びらを揺らす。公爵家自慢の薔薇が見事に咲き乱れるその日、親しい社交界の人々を招いてお茶会が開かれていた。
招待された紳士淑女達は競って華やかな衣装を身に着け、満開の薔薇を褒めそやし、香り高い紅茶と上等なお菓子を堪能してた。
中でも最も賑やかな一団は、公爵令嬢アイリーンとその取り巻きの人々だった。
身にまとった紫色のドレスは、派手さを抑えたデザインで、優雅に巻いた銀色の髪の先端まで隙の無い見事な装い。同年代の令嬢達の中でもアイリーンは最も洗練された高貴な淑女であった。
取り巻く令息令嬢達の賛辞に埋もれつつも、アイリーンは気高い淑女らしい態度を崩さなかった。
「アイリーン!」
アイリーンは、わずかに眉をひそめた。
駆け寄ってきたのは、稀に見る美青年だった。
つやつやした栗色の髪に、美しいはしばみ色の瞳。絶妙な配置に整えられた美しい顔立ち。動作は洗練され、美麗な服装が良く似合っていた。
「ブライアン。人前でそのような大声で呼ぶものではなくてよ」
「えー、久しぶりに会ったのに、嬉しくないの?」
「まずは礼節をわきまえてくださいませ」
つんとした表情で冷淡に諫めるアイリーン。
くすくすと周囲の令嬢達が笑う。
ブライアンは一向に気にかけず、にこやかにアイリーンに語り掛けた。
「やっとこの国に帰ってきたよ。向こうでもアイリーンほどの美人は見かけなかったな」
「お世辞は結構ですわ。あちらではどのような勉強をなさいましたの?」
「うーん。あれこれ詰め込んだような気はするけど、ほとんど忘れちゃったなぁ」
アイリーンが大きく眉を吊り上げた。
「外国留学の成果は無いようですわね。相変わらずですこと」
軽蔑したように取り巻き令嬢が呟くと、貴公子の一人は、
「僕らのアイリーンをあの愚か者から救出しよう」と言って、数人の紳士淑女でアイリーンを取り囲み、ブライアンから引き離してしまった。
放り出されたブライアンは、一人の令嬢に目を止めた。
椅子に座ってぼんやり薔薇を眺めていた、薄桃色の髪の令嬢は、青紫の瞳をブライアンの方へ向ける。
「やあ、君が僕の未来の妹だね」
エルシーは彼が義姉の婚約者、侯爵家の子息であるブライアンだと気づいた。
椅子から立ち上がり、淑女の礼を取る。
「初めまして、ブライアン様。クロフォード男爵家の長女、エルシーと申します」
「あぁ、アイリーンから君の事は聞いてるよ。ところで……」
ブライアンは、エルシーを鑑定でもするように眺めた。
「そのドレス、似合ってないね。何故そんなものを選んだのかい?」
悪意の無い純粋な疑問。だがそれは、エルシーの心に深く突き刺さった。
(私が選んだのではないわ)
落ち込みつつ、エルシーは改めて自分のドレスを見下ろした。
暗い紺色の絹地。生地こそ上等だが、全体的に装飾は少なく、いささか古風なデザインだった。公爵家の人々は流行を追うことには批判的である。
大人びた顔立ちで威厳のあるアイリーンには、そうしたドレスがよく似合ったが、エルシーには似合っていなかった。
他の令嬢は、いつも華やかな流行の衣装を身に着けている。
エルシーは、自分もそのような服装がしたいと思っていたが、使用人達はいつもエルシーの希望は聞かずに、用意した衣装を機械的に着せていた。
「着られるだけありがたいと思わなくてはなりませんよ」
エルシーの不満を母はそう諫めていた。
公爵家に養ってもらっている連れ子の立場で、義姉のアイリーンよりも派手な服装をするわけにはいかない。
それはもちろんエルシーもわかっている。それでも、晴れやかな衣装を競うように披露する令嬢達の前に、似合わない地味な衣装で現れることは十五の少女には辛い事だった。
そんなエルシーの内面には気づかず、ブライアンは優雅に微笑んだ。
「我々のように美しく生まれた者には、己の容姿を磨き、人の目を楽しませる義務があるんだ。君は、自分が美人だという自覚はあるのかい?」
「もちろんですわ」
あっさりとエルシーは肯定した。
いつも鏡に映る自分を見て、どうすればもっと美しく魅力的に見えるか、毎日研究しているのだ。
だからといって、決して己惚れているわけではない。
美しいだけでは人に好かれないことはよくわかっている。
「ならば結構。もっと美しくなるための方法なら、いくらでも教えてあげよう」
「お願いします」
服装を選べないなら、他の部分で努力するしかない。
そう思ってエルシーは謙虚にブライアンの忠告に耳を傾けることにした。
明るい光の下、赤やピンク、白、オレンジやクリーム色の薔薇が競うように咲き乱れ、柔らかな風が優しく吹き抜ける。
エルシーはふと、いつも夢見ていた光景に似ていると感じた。
花に囲まれた美しい庭園で、美しい貴公子と並んで座る。しかし……。
(全くときめかないわ)
相手が義姉の婚約者、しかも、
「君のように柔らかい髪だと、枝毛ができやすいから気を付けるんだよ。洗ったら髪はよく乾かして……」
得意げに髪の手入れについて論じている相手に、ときめきなど感じられるものではない。
(現実って、こんなもの?)
ふとエルシーは、気になって尋ねてみた。
「お姉様の所へ行かなくてよろしいのですか?」
義姉の婚約者と長い間一緒にいれば、誤解を招くことにもなりかねない。
ブライアンは肩を竦めて言った。
「あぁ、他の人と話してる時に邪魔すると怒られるからね」
アイリーンを囲む人は、一向に減る気配も無い。入れ替わり立ち代わり、たくさんの人が彼女を囲んでいる。淑女達はアイリーンを褒めそやし、紳士達は飲み物を取ってきたりして奉仕に努め、懸命にご機嫌取りをしている。
「待っていても駄目だと思いますわ。お姉様もお疲れではないでしょうか」
時折、アイリーンがブライアンの方へちらちら視線を向けているのにエルシーは気づいた。
(本当は、邪魔して欲しいのではないかしら)
「うーん、アイリーンは他の男と話してる方が楽しいんじゃないかな。いつも僕にはお小言ばかり言ってるしね」
「わたくしも、ブライアン様のお相手ばかりしているわけにはいきませんわ」
「そうかい?誰も君には話しかけて来ないじゃないか」
再び心に突き刺さる発言。
人気のあるアイリーンに嫌われているので、エルシーには誰も近づかない。
だが、ブライアンに対し、エルシーは悪印象を持たなかった。
確かに賢くはない……己の美を磨くことにばかり熱心である。社交界では気が利かないと非難されるだろうが、率直な発言には悪意が無い。それだけでも、他の人よりましだと思った。
(私も強くなったわね……)
「そうだ、これ、外国で手に入れたものだけどさ。髪や肌に塗るといいよ。昨日、アイリーンにも贈っておいたんだ」
ブライアンが差し出したのは、繊細なカットの施された小瓶。豊かな香りを漂わせる薔薇の香油。
「ありがとうございます。ご親切、感謝致しますわ」
「うん、未来の妹に対する贈り物だからね。でも、僕に恋したらいけないよ。僕にはアイリーンがいるからね」
「ご心配には及びませんわ!」
エルシーは、つい力を込めて断言してしまった。
ブライアンは気にした様子も無く「喉が渇いたな」と言って、飲み物を取りに行った。
周囲の淑女達はうっとりと彼の美貌に見とれている……が、話しかけてくる者はいなかった。
「見るだけでいい」ということなのかもしれない。
話していて面白いという相手ではない……「美」についての話は参考になるが。
特に、彼の冗談は辺り全体を凍結させる勢いで寒かった。通りすがりの令嬢が凍り付くほどに。
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