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第三章 淑女の願い事は砕かれる(過去編)

公爵家の人々

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 太陽がまぶしく輝く秋の日。
 金色に けむる光の中で、 豪奢ごうしゃな馬車が色とりどりの花の揺れる道を走っていた。

 馬車の中には、新調の旅行服に身を包んだ母と娘が座っていた。

「さあ、これからは新しいお父様とお姉様と一緒に暮らすのですよ。 淑女しゅくじょらしく、きちんとご 挨拶あいさつしましょうね」
「はい、お母様」

 エルシーは ふるえる声を抑えて、できるかぎりしっかりと答えた。
 新しい家族ができるとわくわくしていたのは、昨夜までのこと。
 今は、不安と緊張でいっぱいになっていた。

 朝、家の前に止まっていたのは、エルシーの予想以上に豪華な馬車だった。
 いつも使っていた古い馬車と違い、ほとんど揺れを感じず快適に走る。
 極上の布地で おおわれたふかふかの座席に座って、エルシーは外を眺めながら、公爵家の人々に想いを馳せた。



 母の再婚相手である、エインズワース公爵ジェームズ。
 貴族社会でも有数の名家の主で、政界でも実力者と言われている。
 母の話では、無口で不器用だが、立派な 紳士しんしだということだ。

 父を始め、屋敷中の人々に大切にされているという長女、アイリーン。
 エルシーより三歳年上の少女だが、既に 完璧かんぺきな 淑女しゅくじょだと評判である。
  たぐいまれな 美貌びぼうと才気に恵まれ、気品に あふれた令嬢だという。

 このような優れた人々と上手くやっていけるだろうか?
 エルシーは自信が持てなかった。

 家庭教師が雇えず、多忙な母から教わったことだけでは、とても公爵家の人々とは肩を並べることはできないのはわかっていた。
 とんでもない 野蛮やばん人だと思われたら、どうしよう?母まで悪く言われるかもしれない。

 そんな不安を母に告げたら、

「心配いりませんよ。公爵家の方で貴女を立派な 淑女しゅくじょに育ててくださいます」

 と、母は微笑んで答えた。

「こちらの事情をお話しした上で結婚することになったのですから、皆様を信頼して素直に学べば良いのです」

 確かに母と自分を新しい家族として迎えてくれる人達なのだ。
 母の言う通り、素直に信じて学んでいこう。

「わかりましたわ、お母様。あまりびくびくしては失礼ですものね」

 エルシーは表情を引き締めて、きちんと座り直した。
 母だって、立派な貴婦人である。その母の娘に相応しい振る舞いをしよう。

「エインズワース公爵家は確かに王国屈指くっしの名家です。でも、クロフォード男爵家も誇るに足る家だということを忘れないで。ご先祖様は誰にも負けない立派な方だったのですよ」
「バージル様とローズマリー様のことね!もちろん忘れないわ、お母様!」

 軽やかに走る馬車は、野山や森を越え、やがて公爵家の領内へ入っていった。
 美しく整った道、立派な屋敷や小綺麗な家が立ち並ぶ通り。大都会と呼ぶに相応しい街。その中を走り抜けて、馬車は公爵家へと向かっていく。

 エルシーは大きく息を吸い込むと、もう何があってもおどおどしたりしないと固く決意した。



 門番付きの立派な門をくぐった後、長い時間をかけて、ようやく公爵家の屋敷にたどり着いた。

 物語に出てくるような美しい館を前に、エルシーは声もなく たたずんでいた。
 再び気おくれがしてきたが、ぐっと 臆病おくびょうな気持ちを飲み込み、エルシーは屋敷の内部に足を踏み入れた。

 館の内部は、外観の見事さから思い描いていたよりももっと、 豪華絢爛ごうかけんらんな美しい世界だった。
 床は鏡のように光り輝き、 き詰められた 絨毯じゅうたんは上を歩くのが勿体ないほど柔らかく目の詰まった見事な 敷物しきものである。

 エルシーは男爵家の り切れて色あせた 絨毯じゅうたんを思い出し、公爵家の人々が見たらどう思うだろうかと考えた。
 その時、 絨毯じゅうたんの上の肖像画が心に浮かんだ。初代男爵の恐れを知らない目と、夫人の落ち着いた目を。

 エルシーは背筋を伸ばし、真っすぐに前を見据えた。
 例え相手が国王であろうと、貴族の娘がうろたえたりしてはならない。
 男爵家もまた立派な家であるということを証明しよう。

 公爵家の人々も、非の打ち所がない 紳士淑女しんししゅくじょであるなら、 闇雲やみくもに身分が低い者を さげすんだりはすまい。



 案内役のメイドが、扉の前で母とエルシーの到着を告げた。
 重々しい当主の声に応えて、ゆっくりと扉が開く。

 広い部屋の中央に二つの人影が見えた。エルシーは頭を下げ、声を掛けられるのを待った。

「只今到着いたしました」

 落ち着いた母の声。

「うむ、よく来た、ミュリエル。疲れてはいないか」
「お気遣いありがとうございます。わたくしも娘も大事ありません」
「その方が、貴女の娘か」
「はい、こちらが娘のエルシーでございます」

 母の声に応え、エルシーは小腰を かがめて 挨拶あいさつをした。

「クロフォード男爵の長女、エルシーでございます。エインズワース公爵家の皆様、よろしくお願いします」

 立派な調度の整った部屋の中央に、公爵とその娘と見られる、一際豪華な服装をした人々がいた。
 周囲を使用人達が取り囲んでいる。

 中年紳士しんしの方がエインズワース公爵ジェームズであろう。
 小さな黒い ひげを生やし、 いかめしい顔をした男性だ。
 エルシーを見下ろす顔は無機質で、何の感情も読み取れない。

 その隣にいたのは、非常に美しい気品に満ちた少女だった。すらりとして背が高く、夜空に輝く月を思わせる銀色の髪は先端がカールしており、冬の空のような美しい青の切れ長の瞳は、冷静にエルシーを見詰めていた。

 公爵家の長女アイリーンだと、言われるまでもなく理解した。
 義妹に応える声は、透き通る氷のように冷たい。エルシーの心を凍えさせるかのようだった。

「失礼いたします。わたくしは、当家にお仕えしおります、マティルダと申す者でございます。ジェームズ様よりお嬢様の教育を任されております」

 アイリーンの かたわらに控えていたきつい顔立ちの侍女が、エルシーの方を見た。
 その突き刺さるような視線に、エルシーは何か失礼なことをしたのかと戸惑った。

「貴女はこれから当家の一員として、相応の教育を受けていただきます。公爵家の家名に泥を ることの無いよう、厳しく指導いたします」

 マティルダはそこまで言ったところで、声と視線を一層鋭くした。

「最初に申し上げておきますが、公爵夫人を母に持ったからと言って、貴女が公爵令嬢になるわけではありません。お間違いの無いよう」
「承知しております」

 何故そんな当たり前のことを言うのかとエルシーはいぶかしんだ。

 母が再婚しても子の苗字は変わらない。
 母が公爵夫人になっても、エルシーの身分は男爵令嬢のままだ。もちろん、エルシーもそんなことは知っている。

「貴女とアイリーン様とはご身分が違います。くれぐれも、馴れ馴れしい振る舞いは控えてくださいませ」

 アイリーンは、既にエルシーのことを忘れたかのように視線を らしている。氷の彫像のような、取り付く島も無い態度。
 気が付けば、周囲にいるメイドや召使たちも敵意の こもった冷たい表情をしている。

 それでは、自分を歓迎してくれる人は一人もいないのか。
 エルシーは動揺を押し隠して、 挨拶あいさつを終えると、部屋を退出した。



 閉じた扉の外で大きく息を吐く。

「……エルシー」

 母が心配そうに見ていた。
 エルシーは笑顔を作って、

「ちょっと驚いたわ。でも、私が結婚するわけではないのですもの」

 精一杯明るく答えた。

 母は少し微笑むと、優しく尋ねた。

「贈り物はいいの?頑張って作ったのでしょう?」

 エルシーは小さな包みを取り出すと、中身を取り出した。
  繊細せんさいな模様の手編みのレース飾り。

 新しい姉のアイリーンのために編んだものだ。
 年の近い彼女なら、仲良しになれるかもしれないと期待していた。
 だが、先程の冷たい態度に、渡す勇気はすっかりなくなってしまった。

 それに、彼女はもっと上等なレース細工を身に着けていた。
 一流の職人が織り上げたに違いない、見事なレース。

 十歳の子にしては大したものと母は めてくれたが、アイリーンのレースの前ではいかにもみすぼらしく見える。

「もう渡せないわ」
「そう?勿体ないわね」
「それなら、お母様にあげるわ」

 母はレースを受け取りながら、気づかわしげに応えた。

「ありがとう。……ねぇ、本当は誰も悪い人ではないのよ」
「はい。お母様が選んだ方ですものね…………」

 だが、どう考えてみても、エルシーにはこれからの生活が幸福なものになるとは思えなかった。
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