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第二章 聖女様は逃亡中

鍵は記憶の中に?

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 昨日の きりが嘘のように晴れ、今日は朝から清々しい晴天が顔を出した。
 もっともこの深い森の中では、日の光も切れ切れに降り注ぐのみであったが。

 一通り片づけを終え、ナナミとルビィは一息吐いて、お茶の用意をした。
 ハーブティーの香りがふんわりと ただよう。

「疲れが取れる薬草を使ってみたわ」
「はー、疲れましたねぇ」

 大げさに溜息をついてルビィが自分用の小さなティーカップを持ち上げた。
 最も、彼女が運べるのはごく軽いものだけなので、それほど役に立ってはいないのだが、とにかく量が多すぎた。

「片付いたところで、聞きたいことがあるわ」
「はい。その姿に戻った以上、知らないままではいられませんね」

 今のナナミの姿……ふわふわの薄桃色の髪に青紫の瞳の美しい少女。元の姿とはあまりにも違う。
 ルビィは来るべきものが来たというように軽く吐息をついて語り始めた。

「まず、貴女の本当の名前を教えましょう」
「『ナナミ』ではないのね?」
「それは、前の聖女の名前です。ゲームと同じで、彼女は異世界から……この世界がゲームとして存在していた所から召喚されました」
「私の名前は?」
「男爵令嬢エルシー・クロフォード。それが、本来の貴女の名です」
「…………」
「『エルシー』はピンク髪に可愛い容姿と、『悪役令嬢物』の悪役ヒロインのような外見をしています。だからこそ、奴に目を付けられることになってしまったのでしょう」

 前の聖女同様、エルシーもまた自分の住む世界から姿を消した。
 自らの意思で、名も姿も捨てて世界を救う使命を背負ったエルシー。
 それは彼女が既に何もかも失い、未来に絶望していたことを示している。

 悪役令嬢の断罪を警戒していたルビィ。
 エルシーの身に起こったことは、悪役令嬢と関係があるのだろうか。
 ナナミ……いや、エルシーは自分が元の世界から去った原因について、ルビィに聞くことにした。



「婚約 破棄はき?」

 ルビィの説明を聞いて、ナナミ=エルシーは不思議そうな顔をする。

「そうですよ。義理の姉の婚約者を略奪しようとして追放。もちろん、濡《ぬ》れ衣ですけどね」
「当たり前でしょう。婚約者のいる人なんて嫌よ。それなのに、なぜそうなったの?」
「悪役令嬢物は補正が強力ですからね。シナリオに逆らえなかったんでしょう」

 ヒロインの敵―――「異世界荒らし」。
 目を付けた世界を悪役令嬢の世界に改変し、ヒロインを排除して悪役令嬢による支配を確立する。
 そうして、いくつもの世界を乗っ取ってきた。

 ちなみに「異世界荒らし」とは、他の世界を荒らす者の総称で、「彼女」の固有名詞ではない。

「名を口にするのは、存在を認めたということです。この世界の住人の口からその名前が出るほど、世界との繋がりができ、具現化する可能性は高まります。奴が直接この世界に乗り込んで来るのを避けるために、その名前を口に出さないようにしなければいけません」
「わかったわ」
「『異世界荒らし』はエルシーの義理の姉アイリーンを り代として、この世界に干渉しています。『悪役令嬢物』の主人公っぽい設定の人物に取り くのが奴の手口です」

 それっぽい設定……釣り目美人や、ライバル女キャラ、ヒロインより身分の高いお嬢様、特に公爵令嬢。ヒロインの姉など。
 悪役令嬢そのものではなくても、「異世界荒らし」が好む人物像である。
 エルシーは心を落ち着かせるため、ティーカップを口に運ぶ。

「悪役令嬢が婚約 破棄はきイベント後に立場逆転、またはイベント回避してヒロイン断罪。それが『悪役令嬢物』のテンプレですから」
「それで、『異世界荒らし』の干渉を疑ったのね」
「はい。断罪イベントの続きだと思ったので。 憶測おくそくではなく、実際に追放までされていますから」
「まだ私は狙われてるのね。それなら、聖女になってから今まで何も起きなかったのは何故かしら」

 ルビィは緑色の瞳を またたかかせて、言った。

「おそらく、敵は消えた前の聖女と戻ってきた新しい聖女が別人だと気づいていなかったのです。同一人物だと思わせるため、姿も元の聖女と同じにしたわけですから」
「…………」
「記憶を消したままにしておいたのは、貴女が『エルシー』だと気づかれないようにするためでもあります。消したはずの聖女が戻ってきたのを見て、奴はこう思ったでしょう。『シナリオの強制力が働いた』と」

 悪役令嬢が恐れる「シナリオの強制力」。何をしても婚約 破棄はきされる運命は変わらないと思い込むのは、「悪役令嬢物」で定番の流れである。それを逆手にとって、女神は「異世界荒らし」の干渉を退けた。

「強制力のせいで、奴はシナリオ終了まで手出しができないと思い込む。あのまま王太子と貴女が結婚できていれば、奴を追い払うことができたはずです」

 ヒロインがハイスペイケメンと幸せな結婚をすれば、「悪役令嬢の守護神」を名乗る敵には大打撃になる。そうして、ヒロイン側の勝利に終わった戦いもあった。

「逆ハー 詐欺さぎなど起こらなければね。でも、何も起きないはずはないんです。奴はまだ諦めたわけではありませんから」

 ルビィは 溜息ためいきを吐いた。
 エルシーはゆっくりと言った。

「気になることがあるわ」

 先程の王太子の言動を思い出す。

「王太子殿下の様子を見ると、本命が令嬢という感じではないわね」
「ヒロインより野蛮な『悪役令嬢』はあまりいませんからね。ヒロインより上品な 淑女しゅくじょというのが、悪役令嬢の強味ですから」
「それなら、なぜこんなことになったのかしら………」

 エルシーとルビィは考え込んだ。
 結局、その辺りの謎はまだ解けないようだ。
 だが、何者かの悪意が身近に迫っているのを感じる。

「チェスターさんの忠告も気になるんだけど…………」
「『あまり人前に顔出さない方がいい』ということですか。しばらく隠れて暮らすことにしましょう」
「『エルシー』の身に何があったのかしら」
「知りたいですか?」
「何も知らないままでは、危険なのではないかしら。私の過去に原因があるのかもしれないし」

 ルビィはしばし思案したが、

「今なら聖女の力で記憶を戻せるかもしれませんね」と答えた。

 そう言いつつも、深刻な表情で告げる。

「ただし、それは貴女自身が捨てた記憶です。聖女になる前の貴女が不幸であったのは確実ですね。それでも思い出すつもりですか」
「…………」

 エルシーには、前の自分が不幸だったのはわかっていた。
 だが…………。

「昔のままの私じゃないわ。聖女の仕事をしてきて、自信もついている。その記憶だけが私の全てじゃない」

 エルシーは決然と告げる。

「思い出すわ、私の過去を!」
「そうですね、では…………」

 ルビィがエルシーの額に手を当てた。
 エルシーは願う。

(私の……エルシー・クロフォードの記憶を戻して)

 火花のように、映像がよぎる。
 流れるように風景が現れては去ってゆく。

 古ぼけた小さな屋敷の中。温かさと安らぎ。
  豪奢ごうしゃな邸宅の中。寂しさと不安。

 優しい微笑みを浮かべる しとやかな女性。
 冷たい眼差しの気高い美しい少女。
 何故か間の抜けた印象を与える光り輝くような美男子。

 消えては現れる面影。

 エルシーは手を伸ばす。
 瞬間、 まぶしい光が辺りを染め、何も見えなくなった。
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