バケモノ姫の○○騒動

長野 雪

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バケモノ姫の嫁入り騒動

4.悲運の王女は不意に歌う

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 ボタニカが血相変えて飛び込んで来た時、リカッロ王子はレ・セゾンへ向かわせる部下と最終打ち合わせの最中だった。

「リカッロ様! 失礼します!」
「お前の焦った声は聞き飽きた。そろそろ、報告の時ぐらい落ち着いたらどうだ?」
「この数日、落ち着いて話せるような報告などないでしょう。いや、違います、ユーディリア姫が―――」
「……あぁ、忘れてた。そういや、あれから顔見てねぇな」

 肩を軽くもみほぐしたリカッロは、ハルベルトを入れた牢でのことを思い出した。

「んで、どうした? 泣きまくって調度品でも壊しまくってるとかだったら、焦るのも納得してやるぜ」
「―――歌ってるんです!」
「あぁ?」

 副官の声に、リカッロは呆れたような声を出した。

「バルコニーの手すりに座って、鎮魂歌を歌ってるんです。城内で働いているセクリア人の間に動揺が広がっていまして……」
「止めりゃいいじゃねぇか」
「それが、部屋に内側から鍵がかかっていまして、それに、下手に手出しをすると、飛び降りてしまわれるのではないかと……」
「鍵開けて、こっそり近づいて、引きずり落とせ」
「その、鍵が開かないんです。鍵はあるんですが、回りません。鍵が間違っているわけではありません。内側から何をやったのか知りませんが」
「あぁ、もういい。オレが行けばいいんだろ。まったく面倒臭ぇ。……あの姫様の様子によっちゃ、使者の口上も変わってくる、また後で話を詰めよう」

 使者役の部下が頷くのを確認して、リカッロは大股で部屋を出て行った。目指すのはもちろん、ユーディリアがいる三階だ。

「ボタニカ、昨日のルートは使えるか?」
「隣の部屋のバルコニーから移るんですか? 可能ですが、ユーディリア姫には気づかれますよ」
「飛び降りそうなヤツには説得するのが常道なんだろ?」
「リカッロ様が行くと、後ろから押し兼ねないのが心配なんですが」
「まぁ、時と場合によるけどな。……ん?」

 三階に上がる階段に足を掛けた時、リカッロはその歌声を聴いた。

「これか?」
「えぇ、これです」
「ここでこれだけ聞こえるってことは、外にも響いてるんだろうな」
「だから問題だと言ってるんです」

 今流れている鎮魂歌は、『修道女タリフの瞑想』というポピュラーなもので、リカッロも知っている曲だ。彼自身、何度も聞いたことがある歌だったが―――

「これは……」
「お上手なんですよ。だから、こう、胸を打つというか」

 ボタニカの言う通りだった。その旋律はもちろんのこと、声量、声の抑揚について、文句のない出来だった。

「……お前はそこで待ってろ」

 ボタニカを廊下に立たせ、リカッロは音を立てずにドアを開けると、中へするりと身をすべらせた。

(まったく、何を考えてやがる?)

 無人の部屋を突っ切った彼は、バルコニーに出る直前で足を止めた。歌声はすぐ近くにある。さて、このまま姿を見せていいものか、と逡巡した。

(まぁ、飛び降りられたら、その時は、その時だ)

 はぁ、と息をついて、バルコニーに出たリカッロは、自分の目を疑った。
 手すりに優雅に腰掛けた彼女は、誰に聴かせるわけでもなく、一心不乱に歌っていた。左手で胸の前に拳をつくり、軽く持ち上げた右手はその旋律に合わせて上下している。
 だが、リカッロが自分の目を疑ったのは、風に煽られながらも平然とするその様子ではなかった。
 青空を見上げて歌うその横顔が、全く別人のものに見えたのだ。さっきまで結い上げられていた金色の髪が、まるで空を泳ぐように揺らめいていることや、深緑のドレスに着替えていることが原因ではない。別に瞳の色が変わったわけでもなく、顔形は変わっていない。雰囲気としか言い表しようがないが、少なくともリカッロには、目の前で歌っている女性が、ユーディリア姫でないと感じられた。

(何を、バカなことを)

 リカッロは、頭を軽く振って、その妙な考えを追いやった。
 彼女は彼の存在に気が付いていないのか、ひたすら無心に鎮魂歌を空に送っている。
 声をかけようとしたリカッロは、その歌がもうすぐ終わると気づいて、口を閉じた。少し待つだけでいいなら、無駄な刺激は避けたい。
 ユーディリアは、その細い身体から出ているとは信じられないぐらいに、朗々と喉を震わせる。
 そして、余韻を残し、歌が終わった。
 空を見上げていた視線が、リカッロの方に向けられた。その顔は、先ほどまでの別人の様相など感じられない、確かに『ユーディリア姫』だった。

「リカッロ殿下。何かご用でしょうか?」
「お前こそ、何してる」

 相手の平然とした様子に感じた苛立ちが、つい、声に乗って出てしまう。それを感じ取ったのか、ユーディリアは軽く頭を傾けて「歌っていただけですが」と答えた。

「歌ってただけ、ねぇ。……とりあえず、部屋に戻れ。そんなとこで歌ってるから、素直なオレの部下が、お前が飛び降りるんじゃないかと報告する羽目になる」

 リカッロの言葉は、ユーディリアにとって本当に予想外だったのだろう。「言われてみれば、そう見えるかもしれませんね」と納得した声を上げるが、手すりから降りる様子はない。

「どうした? オレは戻れと言ったはずだが」
「えぇと、まだ戻りたくない、と言ったら、どうされます?」

 リカッロは鉄錆色の髪をがしがしと乱暴に掻くと、返事はせずにバルコニーの手すりの上に立った。そして、そのまま、ユーディリアのいるバルコニーへと飛び移った。

「まぁ、先程も、そんな風にしていらっしゃったのですね」

 無言のままリカッロは、手すりに座るユーディリアの腰に手を回すと、抱きしめるように手すりから引きずり落とした。

「実力行使ですか?」

 ユーディリアの手首を強く掴むと、彼はその手を引いたまま室内へと足を踏み入れる。副官が鍵が開かないと言っていたドアを目にし、眉間にしわを寄せた。

「お前、どこでそんな手を覚えやがった」

 ユーディリアは掴まれた手を払いのけようとしたが、かえって力を込められて顔をしかめた。

「以前、王妃様に夫婦ゲンカの方法を教えていただきました」

 もちろん、大嘘だ。この方法を教えてくれたのはリッキーだった。リボンをドアの鍵フックの部分に引っかけて、フックが上がらないように下に引っ張る。そしてそのリボンの端を寝台の足にくくりつけて重石にしていた。

『フックに紐をひっかけるのにコツが必要ですが、自分はこういうのは得意ですから』

 というのはリッキーの言だ。
 こうして捕まってしまった以上、もう歌うことはできないだろう。そう思ってユーディリアはそのリボンを外したかったのだが、リカッロは手首を放してくれる様子はない。

『助けが必要か?』

 覗き込んで来た将軍に、ユーディリアは首を横に振った。

「あの、手を放していただけませんか?」

 声をかけると、何事か考えていたリカッロはギロリと彼女を睨みつけた。そして手首を力任せに引っ張り、閉ざされたドアに彼女を押し付けた。
 困惑するが恐怖を見せないユーディリアに、リカッロは両手を頭の上に組ませ、それを右手で押し付けた。さらに足の間に膝を割り込ませ、スカートを縫いとめるように動きを封じる。残った左手は華奢な顎に添えられた。

「いいか、一度しか言わねぇからよく聞け」

 リカッロの黒い瞳が、まっすぐにユーディリアを射抜いた。

「オレの言うことを大人しく聞くなら、それなりにちゃんと扱ってやる。―――逆らうな」

 ことさら最後の言葉をドスのきいた声で強調したが、身動きひとつできない彼女は、目を丸くして驚く様子は見せても、恐怖らしきものは感じていないようだった。

「……何を見ている?」

 目の前の海の色をした瞳が、自分の目からやや逸れている気がして問いかける。

「顔の傷跡を見ていましたわ。鋭利な刃物で負った傷のようですけど、どのぐらい前のものなのかしら、と」

 そのマイペースな発言に、リカッロの瞳に不機嫌な輝きが灯る。だが、どうやら「逆らうな」という言葉に従っているのか、すぐさま返答が来たことに、少しだけ波立った心を抑えることができた。

「さっきは、なんで歌っていた?」
「追悼の祈りを歌に代えていただけです」
「国王夫妻のか?」
「いいえ、今回のことで命を落とした方全員のために。……本当に国王夫妻はお亡くなりになっていたんですね」

 古傷を見ていた視線が、自然と下がる。
 リカッロは、あれはオレのせいじゃない、と言おうとして―――止めた。あそこまで追い込んだのは他ならぬ自分だし、何より過ぎたことを掘り返すのも女々しい。
 従順な様子を見せている今のうちに、何か確認しておくことはないかと考えを巡らせ、ふと、セクリア王家で一人残ったハルベルトのことを思い出した。

「そういえば、あの王子、お前のことを『バケモノ』と言っていたな?」

 今まで抵抗らしい抵抗のなかったユーディリアが、明らかに体を硬くした。

「神秘の国レ・セゾンの話は有名だ。素直に考えれば、お前も何か―――」
「無能だからこそ、ここにいるんです。そんなものがあれば、わたしは国から出ることもできませんから」

 リカッロは左手に力を込め、うつむこうとするユーディリアの顎を、くい、と上に持ち上げた。
 海の色をした瞳に、動揺の色があるのを確認した彼は口角を持ち上げた。

「無能……ねぇ。それならどうしてアイツはお前を『バケモノ』呼ばわりしたんだ? お前も何か持ってんだろ? 全部話せよ」
「ですから、わたしは無能ですと申し上げました。お姉様やお父様のような能力があれば、わたしはここにはおりません。異能を持つ王族は外には出さない慣わしですから」

 ユーディリアの右目から、涙が一筋、こぼれ落ちた。その様子に嘘はないと見てとったか、リカッロは彼女を解放し、寝台の方へとその身体を押しやった。

「――いいだろう。今後はくれぐれもでしゃばった行動をするなよ」

 腰に佩いたサーベルをすらり、と抜き放ち、リカッロはドアの鍵にくくりつけられていたリボンをスパリと切った。
 今度はあっさりと開いたドアの向こうに、心配そうな副官の姿が見える。
 リカッロは一度も振り向かず、ドアを閉めた。
 寝台の脇で茫然と立ち尽くしていたユーディリアは、副官のものと共にその足音が遠ざかるのを確認してから、大きく息を吐いた。
 そして、のろのろとした動作で、切られてしまったリボンを回収する。

『ねぇ、だいじょーぶ?』

 ベリンダが覗き込むようにして声をかけるが、返事のないまま、手にしたリボンを鏡台の上に置いた。そして、鏡台の前の小さなイスに、すとん、と落ちるように腰掛ける。

『ねぇ、ユーリったら』

 ユーディリアは自分の胸にそっと手を添える。

「う……」
『う?』
「うわぁー……。何あれ、何あれ、怖かったー……」

 心臓がばくんばくんと沸き立っている。

「手が震えて止まらないわ。あの迫力なに? 怖いし、近いし、腰ぬけるかと思った……」

 かぼそく震えた声で、心境を吐露する。声を出していないと平静を保てる自信がなかった。

「ねぇ、リッキー。あの王子って何歳ぐらいなの?」
『確か、ハルベルト王子より一つ年上の、二十四歳だったと思います。はい』
「何それ、信じられない。たった一歳違いなの?」
『踏んできた場数が違うんじゃろ。ハルベルトはろくに苦労もないボンボンのようじゃしのぅ』

 将軍はユーディリアの頭を軽く撫でる。感触はないが、その気配りはありがたい。

「あぁ、もう。これからどんな顔して、あの王子と話せばいいのよ?」
『別に今までと変わらんじゃろ。逆らわない程度にな』
「絶対にまだ疑ってるわよ。わたしに異能があるんじゃないかって。それに、逆らうなって、何もするなってことなの?」
『まぁ、さっきの歌は、結構影響があったということじゃろうて。じゃが、悲運の王女を演じるにはちょうど良かったかもしれん』
「悲運の王女か……。そうね、疑われている以上は、大人しくしなきゃ。……だけど」
『だけど?』

 今度はベリンダがよしよし、と頭を撫でに来た。

「……正直、怒りが抑えられないのよね」

 そうだ。許してなるものか。こんなことになった原因の、あの男を。
 鏡の中の自分を睨みつけるようにしたユーディリアの瞳が、ぎらりと剣呑な輝きを帯びた。
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