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バケモノ姫の嫁入り騒動
2.侵略者は不敵に招き入れる
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馬車が止まり、御者席に座っていたドニーが素早い動きで馬車のドアを開ける。さすがにこの馬車を扱い慣れているだけあって、軋むような音を一つも立てずにスムーズにドアが開いた。
先に外へ出たのは侍女のブリギッテだ。そつのない動きでステップを降りると、白いドレスにヴェールをかぶった花嫁に手を貸す。
ユーディリアは、馬車の外に出てすぐ、眉をしかめた。どこか焦げくさい臭いに、改めてこの城が陥落したのだと実感する。
「ようこそ、オレの城へ。ユーディリア姫」
「……本当に、陥落したのですね」
「そうとも、残念ながらオレはまだ忙しい。部屋でゆっくりしてくれ。―――ボタニカ、姫君を部屋にお連れしろ。御者と侍女は、城の使用人と同じ場所でいい」
リカッロは本当に忙しいのだろう、ユーディリアに背を向けるとスタスタと城内に入って行ってしまった。
「さぁ、ユーディリア姫。こちらへ」
ボタニカと呼ばれた褐色の肌の男がユーディリアの前に進み出た。
「姫様、くれぐれもお気をつけて」
「ありがとう、ブリギッテ。あなたもドニーも道中気をつけてね」
ブリギッテが気にしているのは、異能のことかミレイス側の扱いかどちらかだろう。いや、両方かもしれない。
『あとは、セクリアの残党が箱馬車を襲わないことを願うだけじゃな』
隣で不謹慎なことを呟いた将軍を、ヴェールの下から、ギロリと睨みつける。将軍が黙ったのを確認してから、ユーディリアは案内役の男の後ろについて歩き出した。
この城には何回も訪れたことがある。金鉱も多く所有している国であるため、回廊はきらびやかな印象があった。数本の柱ごとに、ツボやら置物やら絵画やら、高価そうなものが飾られていた。
(これが一つでもあれば、うちの国も潤うのに、って思っていたっけ)
今は、そんな装飾品は影も形もなくなってしまっていた。略奪されたか、接収されたか、城内の人間が持ち出したか、行方は分からない。
階段を上り、三階に通された時、まさか、という思いがじわじわとユーディリアの心にしみ出して来た。
「こちらでお待ち下さい」
示された部屋には見覚えがあった。三カ月前、最後にこの城を訪れた時に、王妃自ら案内してくれたのだ。忘れるわけがない。
―――ここが、あなた達二人の部屋になる予定なの。
―――内装はどう? 気に入らない調度品があったら遠慮なく言ってちょうだいね。
―――侍女はいらないと言っていたけれど、一人ぐらいはいいでしょう?
―――どうせハルベルトはこの部屋に居着きやしないんだから、あなた好みにしてしまいなさいな。
柔らかく微笑んでいた王妃を思い出し、ユーディリアは大きく嘆息した。
男がその部屋の扉を開けると、見覚えのある室内と、少しだけ変わった内装、そして頭を下げる侍女が一人いた。
「長旅お疲れ様でございました。ただ今、お茶を淹れますので、そちらのカウチでおくつろぎください」
ユーディリアは「案内ありがとう」と男にねぎらいの言葉をかけると、部屋の中に足を踏み入れた。そして、カウチに腰を下ろす。馬車の移動になるからと、固いフレームのクリノリンではなく、布を何層にも縫い合わせたパニエでドレスを膨らませると決めた母親に感謝したかった。クリノリンを身につけていたなら、背もたれに体重を預けることさえ困難だ。
男の足音が遠ざかり、やがて聞こえなくなったことを確認すると、ユーディリアは大きく息をついた。
「どうぞ、お茶を」
ヴェールを上げると心地いい茶葉の薫りが鼻孔をくすぐる。侍女から紅茶を受け取り、少しだけ口をつけると、熱い飲み物が胃の腑に流れ落ちる感触に、冷え切った全身が温められるような錯覚に陥る。自分がいかに緊張していたかを思い知らされた。
「ありがとう、マギー。やっぱり、あなたの紅茶はおいしいわね」
王妃が自分につけようと言ってくれた侍女の名前は、苦もなく口を突いて出た。
「ユーディリア、様っ……」
いきなりぽろぽろと涙をこぼしたマギーに、逆にぎょっとしたユーディリアは、『落ち着きなさいな』と後方から聞こえてきた声に、平静をとりつくろう。
声の主は、顔を歪めて嗚咽を飲み込む侍女に手を伸ばすと、そっと頭を撫でた。優しそうなタレ目に泣きぼくろを飾ったその女性の姿は、うっすらと透けている。ユーディリアに憑く三人の幽霊の一人ベリンダだ。
「落ち着いたら、ここで起きたことを話してもらえる? わたしも突然のことで、まだ混乱しているの」
マギーはコクン、と頷いた。この栗色の髪を持つ侍女は、ユーディリアと同じ年齢だと聞いていたから、まだ十八ぐらいなのだろう。そのか弱く守ってあげたくなるような風情に、(悲運の王女っていうのは、きっとこんな雰囲気よね)などと思ってしまう自分を嫌いになりそうになった。
「……三日前のことでした」
ややあって、ようやく落ち着いてきたマギーは、記憶を手繰るようにたどたどしく話し始めた。
三日前の夜、突然、夜襲をかけてきたリカッロ王子の一団は、たった一晩で城を制圧してしまったのだという。そのあまりに迅速過ぎる動きに、内通者の存在を感じた諸侯は疑心暗鬼に陥り、足並みが乱れ、城を奪い返そうと兵を動かした者も、王族の命を盾にされ、さらに大国ミレイスの脅威に怯え、行動に移せないでいるということだ。
「リカッロ王子は、城を落とすとすぐに、国内の有力者に向けて伝令を飛ばしたそうですわ。属国として王子が治めることを容認するのなら、今の地位そのままにする、と」
「な、んですって……?」
『骨のあるバクチの仕方だな。すぐさま不満は爆発しないが、内側に不穏分子を抱えることになる。……いや、攻める手際が話通りなら、既にかなりの有力者が内通しているだろうな。イカサマバクチに精通したやり口だ』
一人で何やら納得している将軍を無視し、ユーディリアは持っていたカップをソーサーに置いた。
「リカッロ王子から、諸侯が沈黙しているという話を聞いた陛下は、陛下は……」
マギーの目が再び潤む。
「同じ房内に捕まっていた王妃様を……、そして、ご自身も……!」
マギーは両手で顔を覆い、泣き出した。再びベリンダが、マギーの頭を撫でる。本人に気付かれていないのに、慰める行為に何の意味があるのかと、疑問に思わないではなかったが、今はそんなことは些事だった。
『確かにこの国の国王は、ムダにプライドが高そうだったのぅ』
不謹慎なセリフを吐く将軍に冷たい一瞥を投げると、ユーディリアは室内をぐるりと見回した。そして国王夫妻の冥福を祈る。
(たまに自分がイヤになるわ)
何度も会話した、舅・姑の関係になるはずだった人達なのに、悲しいという感情が湧きあがらない。その亡骸を見ていないから、実感がないだけと思いたかったが、それが欺瞞であることは誰よりも自分が良く知っていた。
すぐそこにいる将軍とベリンダを見る。続いて、部屋に入るなり隅っこに行って座り込んでしまったリッキーを見る。
彼らのせいかもしれない。常に人の目があることでかえって冷静になってしまうのかもしれない。
「……助けて、下さいませんか」
まったく別のことを考えていたために、その懇願の意味が全く頭に浸透していかなかった。
視線を定め、ユーディリアはマギーを見つめる。
「ハルベルト殿下はまだ生きておいでです。この城内のどこかに閉じ込められているんです。ユーディリア様! どうか殿下を……!」
涙を流し、声を震わせて懇願する様子に、婚約者ハルベルトに関する下世話な噂を思い出したユーディリアは複雑な表情を浮かべた。
続いて、将軍が発した『警告』に眉をひそめる。
「ユーディリア様……?」
不審を感じた声に、ユーディリアは慌ててその表情を別の問題で覆い隠すべく口を開いた。将軍の警告を信じるなら、慎重に言葉を選ぶ必要がある。
「ねぇ、マギー。あなたの言う『助ける』って、どんなこと?」
予想もしなかった問いかけなのだろう。マギーは「え」と小さく息を洩らした。
「命を救うこと? 命と誇りを守ること? それともセクリアを取り戻すこと? そのどれなのかしら?」
「そ、それは……」
「ごめんなさい、少しキツい言い方になってしまうかもしれないけど、目的をきちんと定めないことには、わたしも返答できないの」
「ユーディリア様は、ハルベルト殿下が心配ではないのですか?」
「心配に決まってるわ」
(……色んな意味で)
ハルベルトはここセクリアでユーディリアに異能があると知っている数少ない人間だ。国王陛下と一部の重臣、そして伴侶となるハルベルトにのみ知らされていると聞いている。
今この状況で暴露されてしまえば、『悲運の王女』を演じている意味がなくなってしまう。異能があると知られてしまえば、それに対処すべく、ミレイス側の警戒が強化されてしまうだろうことは、将軍に聞かなくても容易に予想できた。
「でも、わたしの立場も微妙なの。ハルベルト様の婚約者であると同時に、リカッロ殿下の婚約者でもある。後者は一方的なものだけど、この状況に対して、わたしの国がどう判断するかは分からない。説得しようにも伝達手段がないわ」
マギーの顔が、だんだん悔しそうに歪んでいく。
「共感してとは言わないわ。わたしの立場も理解してちょうだい」
『ユーリ、言い過ぎよ』
まるっきりマギーの側に立つベリンダにたしなめられ、ユーディリアは渋々言葉を続けた。
「……だから、最終的にハルベルト様をどうしたいのか考えて、その答えを教えてちょうだい。わたしの国からの伝令が来る前なら、手伝えることがあるかもしれない」
「ユーディリア様、それでは……」
うってかわって明るい表情を浮かべたマギーを見て、今度は将軍が、
『あんまり甘やかすでない。己の首を絞めるぞ』
と、注意してきた。
(外野はうるさいなぁ、ほんとうに)
「あまり期待はしないでね。王女とはいえ、わたしもあなたと同じ一八歳の女の子で、しかも世間知らずなんだから」
「いいえ、いいえ……! ありがとうございます、ユーディリア様」
『すっかり誤解されているのぅ……』
将軍の言葉に舌打ちをくれてやりたい気分だったが、ユーディリアは、にっこりとほほ笑んでみせた。
「さぁ、あなたも色々と仕事があるのでしょう? お茶はもういいわ。用事があればベルを鳴らすから」
マギーは、「はい、……はい!」と返事をすると、何度もユーディリアに頭を下げながら、部屋を出て行った。
『色々な仕事、のぅ……。その言葉選びは意図的なものかな?』
カウチに腰掛けたままのユーディリアは、「分かってるなら聞かないで」と口の形だけで答え、ヴェールをおろした。
まだ気は抜けない。だけど、ようやく一山を越えたと、ヴェール越しに見えるぼやけた世界を見ながら、大きく息を吐いた。
パン、パン、パン
突然の手を叩く音に、ユーディリアの肩が大きく震える。
「リカッロ殿下……」
カウチから立ち上がった『悲運の王女』は、まるで初めてそこにいることを知ったかのように、その名を舌に乗せる。マギーとの話の途中で、将軍が警告してくれなければ、バルコニーに誰か来たことなんて気付かなかった。
「本当につまらねぇ。王族の模範的な態度ってやつか?」
「聞いて、いらしたんですか?」
ここまでは予想通りの会話の流れだ。
「お前の模範的態度を崩せねぇかと思って、ちょいと驚かそうとバルコニーに渡ったが、なかなか興味深い話をしてたようなんでな」
リカッロはずかずかとユーディリアの前までやってくると、その顔を覆い隠すヴェールを無造作に引き上げた。表に出てきたユーディリアの真剣な顔に、おどけた仕草を返す。
「どこから、立ち聞きを?」
「さてな。それにしても―――」
太く無骨な指が、ユーディリアの頬に触れ、その予想外の行動に、彼女は体を大きく震わせた。
「つっまんねぇ顔だな」
『女の顔を何だと思っているのさ! こいつ王子のクセにサイテーの男じゃない。アタシ、ひっぱたいてやりたいわ!』
憤慨するベリンダの声に、同感の意を述べたいところだったが、ユーディリアは目の前の青年に全神経を集中させた。
すると、何を思ったか、リカッロは頬に触れていた指を動かし、むにっと彼女の頬をつまんで引っ張った。
「っ!」
されるがままだったユーディリアの手が、反射的にリカッロの手を払った。
彼女自身、自分の行動が信じられずに、相手をはたいた手をじっと見つめた。
「なんだ、ちゃんとそういう顔もできるんじゃねぇか。お人形さんみたいな表情じゃないヤツ」
言い返そうと口を開いたユーディリアだったが、その視界の端で、将軍が面白そうにヒゲを撫でているのを見つけ、ぐっと堪えた。
「申し訳ありませんでした。突然のことでしたので、気が動転してしまったようです」
すぐに落ち着きを取り戻した様子に、リカッロは「戻りやがった、つまんねぇの」と悪態をついた。だが、すぐにユーディリアの手を掴んで引っ張る。
「ちょっと付き合え」
いきなりのことに、ユーディリアの足がもつれ、上体は引っ張られるままに大きく斜めに傾いだ。
「きゃっ!」
「っと」
倒れた身体を、ちょうど胸で抱きとめられたユーディリアは、一秒後には自分の状況に気付いて、何事もなかったかのように立ち直した。
『ずいぶん、鍛えられた身体じゃのぅ』
『将軍と意見が合うなんてヤだけど、アタシもそう思う。肉体派って、けっこう好きだし』
勝手なことを言い合う幽霊たちに、あとでまとめて文句言ってやる、と心に決め、ユーディリアはリカッロに「ありがとうございます」と素直に感謝の意を示した。
「お前……」
「? 何でしょう?」
「ほんっとに軽いなぁ。ちゃんとメシ食ってるんだろうな?」
「そんなことを言われたのは初めてです。……ところで、どちらに行かれるのですか?」
「あぁ、元々そのために呼びに来たんだ。会いたくないか? 元婚約者に」
その言葉に、ユーディリアは、掴まれていない方の手をぎゅっと強く握りしめた。
先に外へ出たのは侍女のブリギッテだ。そつのない動きでステップを降りると、白いドレスにヴェールをかぶった花嫁に手を貸す。
ユーディリアは、馬車の外に出てすぐ、眉をしかめた。どこか焦げくさい臭いに、改めてこの城が陥落したのだと実感する。
「ようこそ、オレの城へ。ユーディリア姫」
「……本当に、陥落したのですね」
「そうとも、残念ながらオレはまだ忙しい。部屋でゆっくりしてくれ。―――ボタニカ、姫君を部屋にお連れしろ。御者と侍女は、城の使用人と同じ場所でいい」
リカッロは本当に忙しいのだろう、ユーディリアに背を向けるとスタスタと城内に入って行ってしまった。
「さぁ、ユーディリア姫。こちらへ」
ボタニカと呼ばれた褐色の肌の男がユーディリアの前に進み出た。
「姫様、くれぐれもお気をつけて」
「ありがとう、ブリギッテ。あなたもドニーも道中気をつけてね」
ブリギッテが気にしているのは、異能のことかミレイス側の扱いかどちらかだろう。いや、両方かもしれない。
『あとは、セクリアの残党が箱馬車を襲わないことを願うだけじゃな』
隣で不謹慎なことを呟いた将軍を、ヴェールの下から、ギロリと睨みつける。将軍が黙ったのを確認してから、ユーディリアは案内役の男の後ろについて歩き出した。
この城には何回も訪れたことがある。金鉱も多く所有している国であるため、回廊はきらびやかな印象があった。数本の柱ごとに、ツボやら置物やら絵画やら、高価そうなものが飾られていた。
(これが一つでもあれば、うちの国も潤うのに、って思っていたっけ)
今は、そんな装飾品は影も形もなくなってしまっていた。略奪されたか、接収されたか、城内の人間が持ち出したか、行方は分からない。
階段を上り、三階に通された時、まさか、という思いがじわじわとユーディリアの心にしみ出して来た。
「こちらでお待ち下さい」
示された部屋には見覚えがあった。三カ月前、最後にこの城を訪れた時に、王妃自ら案内してくれたのだ。忘れるわけがない。
―――ここが、あなた達二人の部屋になる予定なの。
―――内装はどう? 気に入らない調度品があったら遠慮なく言ってちょうだいね。
―――侍女はいらないと言っていたけれど、一人ぐらいはいいでしょう?
―――どうせハルベルトはこの部屋に居着きやしないんだから、あなた好みにしてしまいなさいな。
柔らかく微笑んでいた王妃を思い出し、ユーディリアは大きく嘆息した。
男がその部屋の扉を開けると、見覚えのある室内と、少しだけ変わった内装、そして頭を下げる侍女が一人いた。
「長旅お疲れ様でございました。ただ今、お茶を淹れますので、そちらのカウチでおくつろぎください」
ユーディリアは「案内ありがとう」と男にねぎらいの言葉をかけると、部屋の中に足を踏み入れた。そして、カウチに腰を下ろす。馬車の移動になるからと、固いフレームのクリノリンではなく、布を何層にも縫い合わせたパニエでドレスを膨らませると決めた母親に感謝したかった。クリノリンを身につけていたなら、背もたれに体重を預けることさえ困難だ。
男の足音が遠ざかり、やがて聞こえなくなったことを確認すると、ユーディリアは大きく息をついた。
「どうぞ、お茶を」
ヴェールを上げると心地いい茶葉の薫りが鼻孔をくすぐる。侍女から紅茶を受け取り、少しだけ口をつけると、熱い飲み物が胃の腑に流れ落ちる感触に、冷え切った全身が温められるような錯覚に陥る。自分がいかに緊張していたかを思い知らされた。
「ありがとう、マギー。やっぱり、あなたの紅茶はおいしいわね」
王妃が自分につけようと言ってくれた侍女の名前は、苦もなく口を突いて出た。
「ユーディリア、様っ……」
いきなりぽろぽろと涙をこぼしたマギーに、逆にぎょっとしたユーディリアは、『落ち着きなさいな』と後方から聞こえてきた声に、平静をとりつくろう。
声の主は、顔を歪めて嗚咽を飲み込む侍女に手を伸ばすと、そっと頭を撫でた。優しそうなタレ目に泣きぼくろを飾ったその女性の姿は、うっすらと透けている。ユーディリアに憑く三人の幽霊の一人ベリンダだ。
「落ち着いたら、ここで起きたことを話してもらえる? わたしも突然のことで、まだ混乱しているの」
マギーはコクン、と頷いた。この栗色の髪を持つ侍女は、ユーディリアと同じ年齢だと聞いていたから、まだ十八ぐらいなのだろう。そのか弱く守ってあげたくなるような風情に、(悲運の王女っていうのは、きっとこんな雰囲気よね)などと思ってしまう自分を嫌いになりそうになった。
「……三日前のことでした」
ややあって、ようやく落ち着いてきたマギーは、記憶を手繰るようにたどたどしく話し始めた。
三日前の夜、突然、夜襲をかけてきたリカッロ王子の一団は、たった一晩で城を制圧してしまったのだという。そのあまりに迅速過ぎる動きに、内通者の存在を感じた諸侯は疑心暗鬼に陥り、足並みが乱れ、城を奪い返そうと兵を動かした者も、王族の命を盾にされ、さらに大国ミレイスの脅威に怯え、行動に移せないでいるということだ。
「リカッロ王子は、城を落とすとすぐに、国内の有力者に向けて伝令を飛ばしたそうですわ。属国として王子が治めることを容認するのなら、今の地位そのままにする、と」
「な、んですって……?」
『骨のあるバクチの仕方だな。すぐさま不満は爆発しないが、内側に不穏分子を抱えることになる。……いや、攻める手際が話通りなら、既にかなりの有力者が内通しているだろうな。イカサマバクチに精通したやり口だ』
一人で何やら納得している将軍を無視し、ユーディリアは持っていたカップをソーサーに置いた。
「リカッロ王子から、諸侯が沈黙しているという話を聞いた陛下は、陛下は……」
マギーの目が再び潤む。
「同じ房内に捕まっていた王妃様を……、そして、ご自身も……!」
マギーは両手で顔を覆い、泣き出した。再びベリンダが、マギーの頭を撫でる。本人に気付かれていないのに、慰める行為に何の意味があるのかと、疑問に思わないではなかったが、今はそんなことは些事だった。
『確かにこの国の国王は、ムダにプライドが高そうだったのぅ』
不謹慎なセリフを吐く将軍に冷たい一瞥を投げると、ユーディリアは室内をぐるりと見回した。そして国王夫妻の冥福を祈る。
(たまに自分がイヤになるわ)
何度も会話した、舅・姑の関係になるはずだった人達なのに、悲しいという感情が湧きあがらない。その亡骸を見ていないから、実感がないだけと思いたかったが、それが欺瞞であることは誰よりも自分が良く知っていた。
すぐそこにいる将軍とベリンダを見る。続いて、部屋に入るなり隅っこに行って座り込んでしまったリッキーを見る。
彼らのせいかもしれない。常に人の目があることでかえって冷静になってしまうのかもしれない。
「……助けて、下さいませんか」
まったく別のことを考えていたために、その懇願の意味が全く頭に浸透していかなかった。
視線を定め、ユーディリアはマギーを見つめる。
「ハルベルト殿下はまだ生きておいでです。この城内のどこかに閉じ込められているんです。ユーディリア様! どうか殿下を……!」
涙を流し、声を震わせて懇願する様子に、婚約者ハルベルトに関する下世話な噂を思い出したユーディリアは複雑な表情を浮かべた。
続いて、将軍が発した『警告』に眉をひそめる。
「ユーディリア様……?」
不審を感じた声に、ユーディリアは慌ててその表情を別の問題で覆い隠すべく口を開いた。将軍の警告を信じるなら、慎重に言葉を選ぶ必要がある。
「ねぇ、マギー。あなたの言う『助ける』って、どんなこと?」
予想もしなかった問いかけなのだろう。マギーは「え」と小さく息を洩らした。
「命を救うこと? 命と誇りを守ること? それともセクリアを取り戻すこと? そのどれなのかしら?」
「そ、それは……」
「ごめんなさい、少しキツい言い方になってしまうかもしれないけど、目的をきちんと定めないことには、わたしも返答できないの」
「ユーディリア様は、ハルベルト殿下が心配ではないのですか?」
「心配に決まってるわ」
(……色んな意味で)
ハルベルトはここセクリアでユーディリアに異能があると知っている数少ない人間だ。国王陛下と一部の重臣、そして伴侶となるハルベルトにのみ知らされていると聞いている。
今この状況で暴露されてしまえば、『悲運の王女』を演じている意味がなくなってしまう。異能があると知られてしまえば、それに対処すべく、ミレイス側の警戒が強化されてしまうだろうことは、将軍に聞かなくても容易に予想できた。
「でも、わたしの立場も微妙なの。ハルベルト様の婚約者であると同時に、リカッロ殿下の婚約者でもある。後者は一方的なものだけど、この状況に対して、わたしの国がどう判断するかは分からない。説得しようにも伝達手段がないわ」
マギーの顔が、だんだん悔しそうに歪んでいく。
「共感してとは言わないわ。わたしの立場も理解してちょうだい」
『ユーリ、言い過ぎよ』
まるっきりマギーの側に立つベリンダにたしなめられ、ユーディリアは渋々言葉を続けた。
「……だから、最終的にハルベルト様をどうしたいのか考えて、その答えを教えてちょうだい。わたしの国からの伝令が来る前なら、手伝えることがあるかもしれない」
「ユーディリア様、それでは……」
うってかわって明るい表情を浮かべたマギーを見て、今度は将軍が、
『あんまり甘やかすでない。己の首を絞めるぞ』
と、注意してきた。
(外野はうるさいなぁ、ほんとうに)
「あまり期待はしないでね。王女とはいえ、わたしもあなたと同じ一八歳の女の子で、しかも世間知らずなんだから」
「いいえ、いいえ……! ありがとうございます、ユーディリア様」
『すっかり誤解されているのぅ……』
将軍の言葉に舌打ちをくれてやりたい気分だったが、ユーディリアは、にっこりとほほ笑んでみせた。
「さぁ、あなたも色々と仕事があるのでしょう? お茶はもういいわ。用事があればベルを鳴らすから」
マギーは、「はい、……はい!」と返事をすると、何度もユーディリアに頭を下げながら、部屋を出て行った。
『色々な仕事、のぅ……。その言葉選びは意図的なものかな?』
カウチに腰掛けたままのユーディリアは、「分かってるなら聞かないで」と口の形だけで答え、ヴェールをおろした。
まだ気は抜けない。だけど、ようやく一山を越えたと、ヴェール越しに見えるぼやけた世界を見ながら、大きく息を吐いた。
パン、パン、パン
突然の手を叩く音に、ユーディリアの肩が大きく震える。
「リカッロ殿下……」
カウチから立ち上がった『悲運の王女』は、まるで初めてそこにいることを知ったかのように、その名を舌に乗せる。マギーとの話の途中で、将軍が警告してくれなければ、バルコニーに誰か来たことなんて気付かなかった。
「本当につまらねぇ。王族の模範的な態度ってやつか?」
「聞いて、いらしたんですか?」
ここまでは予想通りの会話の流れだ。
「お前の模範的態度を崩せねぇかと思って、ちょいと驚かそうとバルコニーに渡ったが、なかなか興味深い話をしてたようなんでな」
リカッロはずかずかとユーディリアの前までやってくると、その顔を覆い隠すヴェールを無造作に引き上げた。表に出てきたユーディリアの真剣な顔に、おどけた仕草を返す。
「どこから、立ち聞きを?」
「さてな。それにしても―――」
太く無骨な指が、ユーディリアの頬に触れ、その予想外の行動に、彼女は体を大きく震わせた。
「つっまんねぇ顔だな」
『女の顔を何だと思っているのさ! こいつ王子のクセにサイテーの男じゃない。アタシ、ひっぱたいてやりたいわ!』
憤慨するベリンダの声に、同感の意を述べたいところだったが、ユーディリアは目の前の青年に全神経を集中させた。
すると、何を思ったか、リカッロは頬に触れていた指を動かし、むにっと彼女の頬をつまんで引っ張った。
「っ!」
されるがままだったユーディリアの手が、反射的にリカッロの手を払った。
彼女自身、自分の行動が信じられずに、相手をはたいた手をじっと見つめた。
「なんだ、ちゃんとそういう顔もできるんじゃねぇか。お人形さんみたいな表情じゃないヤツ」
言い返そうと口を開いたユーディリアだったが、その視界の端で、将軍が面白そうにヒゲを撫でているのを見つけ、ぐっと堪えた。
「申し訳ありませんでした。突然のことでしたので、気が動転してしまったようです」
すぐに落ち着きを取り戻した様子に、リカッロは「戻りやがった、つまんねぇの」と悪態をついた。だが、すぐにユーディリアの手を掴んで引っ張る。
「ちょっと付き合え」
いきなりのことに、ユーディリアの足がもつれ、上体は引っ張られるままに大きく斜めに傾いだ。
「きゃっ!」
「っと」
倒れた身体を、ちょうど胸で抱きとめられたユーディリアは、一秒後には自分の状況に気付いて、何事もなかったかのように立ち直した。
『ずいぶん、鍛えられた身体じゃのぅ』
『将軍と意見が合うなんてヤだけど、アタシもそう思う。肉体派って、けっこう好きだし』
勝手なことを言い合う幽霊たちに、あとでまとめて文句言ってやる、と心に決め、ユーディリアはリカッロに「ありがとうございます」と素直に感謝の意を示した。
「お前……」
「? 何でしょう?」
「ほんっとに軽いなぁ。ちゃんとメシ食ってるんだろうな?」
「そんなことを言われたのは初めてです。……ところで、どちらに行かれるのですか?」
「あぁ、元々そのために呼びに来たんだ。会いたくないか? 元婚約者に」
その言葉に、ユーディリアは、掴まれていない方の手をぎゅっと強く握りしめた。
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