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01.理系志望の想い人
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「ねー、ユズ。もう来年のコース志望の紙って出した?」
「うー……、まさに迷ってるところなんだよ~~」
同じ美術部の梓ちゃんに声をかけられ、私はついつい机に突っ伏してしまった。
「書いてはみたんだけどさぁ……」
机の中から二つ折りにした進路志望のプリントを出して渡すと、梓ちゃんは「これでいいの?」と私にも分かってることを口にした。
「だから迷ってるって言ったじゃん」
「だって、ユズ、数学苦手でしょ? それなのにガチ理系コース志望だなんて何考えてるの?」
「もう! だから迷ってるってば!」
私は梓ちゃんからプリントを取り返すと、鞄の中に突っ込んだ。
「行こう? 今日からアグリッパだったでしょ?」
「まだ迷ってるならいいんだけどさ……」
梓ちゃんと一緒に美術室へ向かうと、丁度、先輩方が机を片付けているところだった。
「すみません、手伝います!」
「手伝います」
美術部の3年の先輩は、美大志望の青木先輩と石山先輩が毎回のように参加している。他の3年生は来なくなってしまったけれど、受験が差し迫ったこの秋に来るようなことはない。
2年は私――別役柚香と梓ちゃん――鹿宮梓の二人だけ。他にも名簿上は3人ほど在籍してるんだけど、残念ながら幽霊部員ってやつだ。
そして、大問題なことに1年生が幽霊部員2人と、来たり来なかったりフラフラしてる1人しかいないのだ。まずい。主に申し送りとか代々受け継がれてきたアレコレの継承がピンチだ。
「それじゃ、イーゼルと椅子持って、好きなところに陣取って。早い者順ね」
美術の宇戸先生が、空いたスペースの真ん中にアグリッパの胸像をどん、と置く。もう3回目だけど、私はついつい正面を避けてしまう。だって目が合うのがイヤなんだもん。
全員がそれぞれに場所を決めてからは、シャッシャッと紙を鉛筆が滑る音が響く。少なくとも5分は私語を慎むようにという宇戸先生のお達しがあるからだ。実際、私や梓ちゃんは美大志望というわけでもないし、先輩方も週末はちゃんとした美術予備校に通っているという話なので、そこまで厳しい素描の時間って感じでもないのだ。
その証拠に、5分を告げるタイマーが鳴ると……
「青木せんぱーい。数ⅢCってどんな感じですか?」
「んー? なに? 藪から棒に」
「ユズがガチ理系コースに行くかどうか迷ってるみたいなんで、参考に」
「ちょ、ちょっと梓ちゃん?」
助かるけど、私を理由にしないで欲しい。だいたい梓ちゃんだってそのガチ理系志望じゃない。
「そうだねぇ……、二乗すると何故かマイナス1になる虚数とか登場するよー?」
「うえ?」
「あとはー、行列っていう括弧の中にたくさん数字が並んでるのがあってー、計算方法を覚えるのがちょっと面倒だったかなー?」
あはは、と軽く笑う青木先輩は、緩いと評判の私立文系コースに行ったっていいところを、わざわざ理系コースを選んだ変わり者だ。本人が言うには、歴史関係よりも数字の方が興味あるから、という話らしいけど、数学が苦手な私にしてみれば狂気の沙汰にしか思えない。……まぁ、理系コースに行くかどうか悩んでるんだけどさ。
「だって、ユズ」
「ちょっと、こっちに振らないでったら。梓ちゃんだって理系志望でしょ?」
「まぁ、志望大学が工業系だからね。でも、迷ってるのはユズでしょ」
「ぐ、それはそうだけど……」
図星を指されて言葉に詰まっていると、石山先輩が心底イヤそうな顔を浮かべているのが目に入ってきた。
「別役ぅ……、数学なんてワケわかんないものがない私立文系に行こうぜ?」
「行きたいのはヤマヤマなんですけど」
そう、私だって苦行の数学はⅡBまでで終わりにしたい。関数と戯れるのだってもう嫌だし、ベクトルだって中学にやった力の分解・合成を忘れていたらどんなにひどいことになっていたことか。うぅ、考えるのも恐ろしい。
「石山先輩、恋する乙女は苦手な数学にだって挑めるらしいですよ?」
「お?」
「ちょ、ちょっと梓ちゃん!」
慌てて止めるも遅く、石山先輩と青木先輩がそろってニマニマと私の方を見ていた。
「ほうほう、それはそれは」
「是非とも聞かせてもらいたいもんだなぁ」
「梓ちゃん……っ!」
私が非難の眼差しを向けると、梓ちゃんは、首を傾げて見せた。肩で切りそろえられたストレートの黒髪がさらりと揺れる。
「別に直接絡むわけじゃないんだから、相談に乗ってもらえばいいじゃん。まだ迷ってるんでしょ?」
「そうそう、優しい先輩が恋のお悩みを聞いてあげるよ~?」
「だから、隠すことなく赤裸々に話してごらん?」
ニマニマとした笑いを消さない青木先輩と石山先輩が、アグリッパなんてそっちのけで私の方を見つめている。
「先輩方も! アグリッパさんを7! 手元を3で私の方は0でいいんですよ!」
「え~~~? だってこの乾いた受験生活を潤す恋話があるなんて聞いたら、そりゃ詳しくって言うよね?」
「そうだぞ。どうせあと数ヵ月しか一緒にいないんだから、すっきり吐いて楽になれよ」
なんてことだ。他人の恋愛話の前には性別なんて関係ないのか。同性の青木先輩だけならまだしも、普段はスポーツ観戦ぐらいにしか興味ないはずの石山先輩まで食いついてくるなんて。
「もう! 私の個人的な事情なんてどうでもいいじゃないですか! とにかく理系コース行ったときのこと、教えてくださいよ!」
私はことさらに大声を上げたのだけれど、残念ながらみんなのニマニマ笑いは続いたのだった。
「うー……、まさに迷ってるところなんだよ~~」
同じ美術部の梓ちゃんに声をかけられ、私はついつい机に突っ伏してしまった。
「書いてはみたんだけどさぁ……」
机の中から二つ折りにした進路志望のプリントを出して渡すと、梓ちゃんは「これでいいの?」と私にも分かってることを口にした。
「だから迷ってるって言ったじゃん」
「だって、ユズ、数学苦手でしょ? それなのにガチ理系コース志望だなんて何考えてるの?」
「もう! だから迷ってるってば!」
私は梓ちゃんからプリントを取り返すと、鞄の中に突っ込んだ。
「行こう? 今日からアグリッパだったでしょ?」
「まだ迷ってるならいいんだけどさ……」
梓ちゃんと一緒に美術室へ向かうと、丁度、先輩方が机を片付けているところだった。
「すみません、手伝います!」
「手伝います」
美術部の3年の先輩は、美大志望の青木先輩と石山先輩が毎回のように参加している。他の3年生は来なくなってしまったけれど、受験が差し迫ったこの秋に来るようなことはない。
2年は私――別役柚香と梓ちゃん――鹿宮梓の二人だけ。他にも名簿上は3人ほど在籍してるんだけど、残念ながら幽霊部員ってやつだ。
そして、大問題なことに1年生が幽霊部員2人と、来たり来なかったりフラフラしてる1人しかいないのだ。まずい。主に申し送りとか代々受け継がれてきたアレコレの継承がピンチだ。
「それじゃ、イーゼルと椅子持って、好きなところに陣取って。早い者順ね」
美術の宇戸先生が、空いたスペースの真ん中にアグリッパの胸像をどん、と置く。もう3回目だけど、私はついつい正面を避けてしまう。だって目が合うのがイヤなんだもん。
全員がそれぞれに場所を決めてからは、シャッシャッと紙を鉛筆が滑る音が響く。少なくとも5分は私語を慎むようにという宇戸先生のお達しがあるからだ。実際、私や梓ちゃんは美大志望というわけでもないし、先輩方も週末はちゃんとした美術予備校に通っているという話なので、そこまで厳しい素描の時間って感じでもないのだ。
その証拠に、5分を告げるタイマーが鳴ると……
「青木せんぱーい。数ⅢCってどんな感じですか?」
「んー? なに? 藪から棒に」
「ユズがガチ理系コースに行くかどうか迷ってるみたいなんで、参考に」
「ちょ、ちょっと梓ちゃん?」
助かるけど、私を理由にしないで欲しい。だいたい梓ちゃんだってそのガチ理系志望じゃない。
「そうだねぇ……、二乗すると何故かマイナス1になる虚数とか登場するよー?」
「うえ?」
「あとはー、行列っていう括弧の中にたくさん数字が並んでるのがあってー、計算方法を覚えるのがちょっと面倒だったかなー?」
あはは、と軽く笑う青木先輩は、緩いと評判の私立文系コースに行ったっていいところを、わざわざ理系コースを選んだ変わり者だ。本人が言うには、歴史関係よりも数字の方が興味あるから、という話らしいけど、数学が苦手な私にしてみれば狂気の沙汰にしか思えない。……まぁ、理系コースに行くかどうか悩んでるんだけどさ。
「だって、ユズ」
「ちょっと、こっちに振らないでったら。梓ちゃんだって理系志望でしょ?」
「まぁ、志望大学が工業系だからね。でも、迷ってるのはユズでしょ」
「ぐ、それはそうだけど……」
図星を指されて言葉に詰まっていると、石山先輩が心底イヤそうな顔を浮かべているのが目に入ってきた。
「別役ぅ……、数学なんてワケわかんないものがない私立文系に行こうぜ?」
「行きたいのはヤマヤマなんですけど」
そう、私だって苦行の数学はⅡBまでで終わりにしたい。関数と戯れるのだってもう嫌だし、ベクトルだって中学にやった力の分解・合成を忘れていたらどんなにひどいことになっていたことか。うぅ、考えるのも恐ろしい。
「石山先輩、恋する乙女は苦手な数学にだって挑めるらしいですよ?」
「お?」
「ちょ、ちょっと梓ちゃん!」
慌てて止めるも遅く、石山先輩と青木先輩がそろってニマニマと私の方を見ていた。
「ほうほう、それはそれは」
「是非とも聞かせてもらいたいもんだなぁ」
「梓ちゃん……っ!」
私が非難の眼差しを向けると、梓ちゃんは、首を傾げて見せた。肩で切りそろえられたストレートの黒髪がさらりと揺れる。
「別に直接絡むわけじゃないんだから、相談に乗ってもらえばいいじゃん。まだ迷ってるんでしょ?」
「そうそう、優しい先輩が恋のお悩みを聞いてあげるよ~?」
「だから、隠すことなく赤裸々に話してごらん?」
ニマニマとした笑いを消さない青木先輩と石山先輩が、アグリッパなんてそっちのけで私の方を見つめている。
「先輩方も! アグリッパさんを7! 手元を3で私の方は0でいいんですよ!」
「え~~~? だってこの乾いた受験生活を潤す恋話があるなんて聞いたら、そりゃ詳しくって言うよね?」
「そうだぞ。どうせあと数ヵ月しか一緒にいないんだから、すっきり吐いて楽になれよ」
なんてことだ。他人の恋愛話の前には性別なんて関係ないのか。同性の青木先輩だけならまだしも、普段はスポーツ観戦ぐらいにしか興味ないはずの石山先輩まで食いついてくるなんて。
「もう! 私の個人的な事情なんてどうでもいいじゃないですか! とにかく理系コース行ったときのこと、教えてくださいよ!」
私はことさらに大声を上げたのだけれど、残念ながらみんなのニマニマ笑いは続いたのだった。
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