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48.俺、吐きそうになる
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「それじゃ、みんなで厨房に移動できるか? もちろんバレないように」
『……』
俺の提案に、何故かアンが考え込んでしまった。もしかして、無茶な話だったんだろうか。
「アン?」
『その……、お恥ずかしい話なのですが、私では一息に移動することができませんの。何度かに分ける必要がありますの』
「あぁ、そうか。ごめんな。アンも生まれたてだし、まだ――」
『大丈夫ですの! バレない経由ルートを探ってきますの!』
慰めようとした俺の手が虚空をかすった。すごいな。まるで影にとぷん、と沈むように消えたぞ。これが移動する能力なのか。
『ママ?』
『母上?』
「うん、なんでもない。厨房に戻れたら、氷室にこもって下拵えだけでもしちゃおうな。エンは俺の身体を温めてくれ。スイはエンの力が食材に作用しないように防いで欲しい。できるか?」
『できるー!』
『お安い御用です』
二人の頼もしい返事に安堵した俺は、アンを待つ時間を使って、頭の中で手順を組み立てることにした。
魚の塩漬けを捌いて切り身にして、ムニエルのために小麦粉とハーブを混ぜておくのを最初にしておこう。昼食の片付けの後に仕込んでおいたスープは、もう最後に味を調整するだけだから大丈夫として、うーん、サラダは予定変更してグリーンサラダにするか。あれなら火を使わずに作れる。物足りないかもしれないから、昨日仕込んだ酢漬けも出そう。
『お待たせしましたの! まだ研究室で騒いでいる輩がおりましたので、少し遠回りしますの!』
「ありがとう。アン。頼めるかな」
『はいですの!』
エンとスイはポケットに入ってもらい、手のひらに乗ったアンに移動をお願いする。
その移動の感覚をなんと説明すればいいんだろうか。足下が沼になったかのように視界がみるみる下がり、頭まで潜りきった、と思ったら、みるみる視界が上がる。今まで感じたことのない浮遊感みたいな感覚に、なんだか気持ちが悪くなりそうだった。
「え、と、あと何回ぐらい繰り返すんだ?」
『5回ですの!』
「え!」
『どうしたんですの?』
まさか、そんなに回数があると思わなかったので、つい驚きの声を上げてしまったけど、正直に「移動の感覚が気持ち悪いから」なんて言いにくい。移動をお願いしたのは俺なんだし。
「いや、そんなに何回も移動して、アンは疲れないのかなって」
『大丈夫ですの! 一回一回の距離がそれほど離れていないから、一度に移動するより楽ですの!』
「あ、そうか。うん。それならいいんだ。うん」
そっかー……、うん、頑張ろう。
無事に到着したら、そのときはスイに頼んで冷たい水を出してもらおうかな。顔を洗えばきっとすっきりするはず。
§ § §
『だ、大丈夫ですの!? お母様!』
「……」
厨房に到着した俺は、口元を押さえたままよろよろと氷室に向かう。狼狽するアンの頭を何度も撫でて落ち着かせながら歩いたことで、アンは落ち着いたが、俺の胃は今にもひっくり返りそうだった。
氷室に入り、扉を閉めると、そこは薄明かりしかない上に寒い場所だ。吐き気よりも喫緊の問題に、エンに「頼む」と伝える。途端にぶわっと空気が温まった。
「本当に大丈夫なんだよな? 心配しなくていいよな?」
『ママー、エン、ちゃんとやってるよ?』
『母上の周囲に膜が張ってあります。そこから先の温度は平常と変わりありません』
二人の回答に胸をなで下ろした俺は、ぺたりと地面に座り込んだ。まずい、何がまずいって、食料を保管しているこの場所で吐くのはまずい。
顔を上に向けて浅い息を繰り返し、何とか落ち着いた頃には、自分を心配して見つめていた3人が泣きそうになっていた。特にアン。
『わ、私のせいですのねぇぇぇっ!?』
「いや、アンにはここまで連れて来てもらって感謝してるよ。ただ、俺が慣れてなかっただけで」
『わたっ、私っ、お母様がそんなに苦しがっているのにも気付かずに、ひょいひょいと移動してしまって……っ!』
「俺が頼んだんだから、気にするなって」
まぁ、気にするなと言ったところで、無理なんだろうけど。
『……』
俺の提案に、何故かアンが考え込んでしまった。もしかして、無茶な話だったんだろうか。
「アン?」
『その……、お恥ずかしい話なのですが、私では一息に移動することができませんの。何度かに分ける必要がありますの』
「あぁ、そうか。ごめんな。アンも生まれたてだし、まだ――」
『大丈夫ですの! バレない経由ルートを探ってきますの!』
慰めようとした俺の手が虚空をかすった。すごいな。まるで影にとぷん、と沈むように消えたぞ。これが移動する能力なのか。
『ママ?』
『母上?』
「うん、なんでもない。厨房に戻れたら、氷室にこもって下拵えだけでもしちゃおうな。エンは俺の身体を温めてくれ。スイはエンの力が食材に作用しないように防いで欲しい。できるか?」
『できるー!』
『お安い御用です』
二人の頼もしい返事に安堵した俺は、アンを待つ時間を使って、頭の中で手順を組み立てることにした。
魚の塩漬けを捌いて切り身にして、ムニエルのために小麦粉とハーブを混ぜておくのを最初にしておこう。昼食の片付けの後に仕込んでおいたスープは、もう最後に味を調整するだけだから大丈夫として、うーん、サラダは予定変更してグリーンサラダにするか。あれなら火を使わずに作れる。物足りないかもしれないから、昨日仕込んだ酢漬けも出そう。
『お待たせしましたの! まだ研究室で騒いでいる輩がおりましたので、少し遠回りしますの!』
「ありがとう。アン。頼めるかな」
『はいですの!』
エンとスイはポケットに入ってもらい、手のひらに乗ったアンに移動をお願いする。
その移動の感覚をなんと説明すればいいんだろうか。足下が沼になったかのように視界がみるみる下がり、頭まで潜りきった、と思ったら、みるみる視界が上がる。今まで感じたことのない浮遊感みたいな感覚に、なんだか気持ちが悪くなりそうだった。
「え、と、あと何回ぐらい繰り返すんだ?」
『5回ですの!』
「え!」
『どうしたんですの?』
まさか、そんなに回数があると思わなかったので、つい驚きの声を上げてしまったけど、正直に「移動の感覚が気持ち悪いから」なんて言いにくい。移動をお願いしたのは俺なんだし。
「いや、そんなに何回も移動して、アンは疲れないのかなって」
『大丈夫ですの! 一回一回の距離がそれほど離れていないから、一度に移動するより楽ですの!』
「あ、そうか。うん。それならいいんだ。うん」
そっかー……、うん、頑張ろう。
無事に到着したら、そのときはスイに頼んで冷たい水を出してもらおうかな。顔を洗えばきっとすっきりするはず。
§ § §
『だ、大丈夫ですの!? お母様!』
「……」
厨房に到着した俺は、口元を押さえたままよろよろと氷室に向かう。狼狽するアンの頭を何度も撫でて落ち着かせながら歩いたことで、アンは落ち着いたが、俺の胃は今にもひっくり返りそうだった。
氷室に入り、扉を閉めると、そこは薄明かりしかない上に寒い場所だ。吐き気よりも喫緊の問題に、エンに「頼む」と伝える。途端にぶわっと空気が温まった。
「本当に大丈夫なんだよな? 心配しなくていいよな?」
『ママー、エン、ちゃんとやってるよ?』
『母上の周囲に膜が張ってあります。そこから先の温度は平常と変わりありません』
二人の回答に胸をなで下ろした俺は、ぺたりと地面に座り込んだ。まずい、何がまずいって、食料を保管しているこの場所で吐くのはまずい。
顔を上に向けて浅い息を繰り返し、何とか落ち着いた頃には、自分を心配して見つめていた3人が泣きそうになっていた。特にアン。
『わ、私のせいですのねぇぇぇっ!?』
「いや、アンにはここまで連れて来てもらって感謝してるよ。ただ、俺が慣れてなかっただけで」
『わたっ、私っ、お母様がそんなに苦しがっているのにも気付かずに、ひょいひょいと移動してしまって……っ!』
「俺が頼んだんだから、気にするなって」
まぁ、気にするなと言ったところで、無理なんだろうけど。
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