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第六章 アランの力は遂に一つの頂点に
第四十二話 魔王(24)
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しかし魔王は声がした方に振り返るより先に、まず棘を返した。
「……護衛は必要無いと、尾けてくるなと言ったはずだが?」
魔王自身、オレグがこの言い付けを守るとは思っていなかった。そういう性格であることをよく知っていた。
「……」
そして、この棘にオレグが沈黙を返すことも予想がついていた。
まるで自分はするべき仕事をしただけだと示すかのように。
「……ふん、まあよい」
魔王はオレグのそういう性格が気に入っていた。だから咎めるつもりなど最初から無かった。
オレグもそれを分かって振舞っている。多少の無礼が許されることを知っている。魔王との間に確かな信頼関係が出来ていることを感じている。
しかしゆえに、オレグは「魔王に対して隠し事をしている」ことに心を少し痛めている。
いや、「騙している」と表現しても間違いでは無い。
だが、その痛みは今は無い。
オレグが己の心を文字通り「殺している」からだ。
今のオレグは「台本」に添って行動するだけのただの機械だ。
そしてその「台本」には複数の選択肢が提示されていた。
口を開くか、このまま何も言わぬか、感情だけを露(あらわ)にするか。
機械のようなものになっているオレグは最初の選択肢を選んだ。
それが、魔王が抱いているオレグのイメージに最も添う行動であると判断したからだ。
「……魔王様、このような残酷な遊びは今後ご遠慮願いたい。いつ、どこで、誰が見ているか分かりませぬので」
そしてこの選択は正解であったようだ。
魔王はこの発言に怒りを抱かなかった。
それどころか、「お前らしいな」と、感心されたほどだ。
だから魔王は、
「わかった、確かにうかつであったな。こんな事、人に見られて良いものでは無い」
と、笑みを浮かべながら答えた。
そしてその笑みと共に魔王の心の染みが消えるのをオレグは感じ取っていた。
しかしそれは一時的なものであることをオレグは知っている。
魔王が肝心な事を理解していないことをオレグは知っている。
魔王が知るべき「答えの一つ」をオレグは持っている。
それは「名誉」の概念。
魔王がやった事は国全体の名誉を汚しかねない行為だ。
しかし魔王の心にそのような概念は無い。知らない。感じた事も無い。
魔王には「欲望」しか無い。自分の立場が危うくなる事を恐れているだけだ。国の事など今の魔王の意識にはかけらも無い。
だからオレグは魔王のことを「邪悪」な存在だと認識している。
若い頃、オレグは人間はみな同じだと、自分と本質的には変わらないと思っていた。
それが間違いであることをオレグは感知能力の発達とともに理解した。
その過程で、感情とは何であるかと考える機会があった。
オレグが見出した答えは単純なものであった。感情とは、「ある情報に対して脳内で発せられる信号」ただそれだけである、と。
目や耳が拾った情報や、ある思考や予測に対して、それが好きか嫌いか、己が望むものであるかどうかなどが自動で判別され、脳内で発信される信号、ただそれだけだと。
それが若き頃のオレグが見出した答えであった。
同じ情報に対して違う感情を抱くのは、あくまで「趣味趣向」の範囲内であると、若きオレグは考えていた。
「善悪」や「正邪」に関わる部分はきっと同じだと、変わらないと、若き頃のオレグは思い込んでいた。そう願っていた。
しかしそれは残念ながら間違いであった。
「正」や「善」に関わる感情が弱い、それどころか持っていない人間がいることをオレグは成長とともに知った。
そういう人間は平気な顔で「悪」を成せる。「罪悪感」や「恥」などのブレーキとなる感情が弱い、またはそもそも持っていないからだ。そのような機能が無いのだ。
人間の構造が一人一人違うということを念頭に置いて考えれば、それは当たり前のことであったが、その答えは当時のオレグを悩ませた。
だから、そのような人間に「善悪」などについて話しても共感は得られない。そもそも知らないし、感じた事も無いからだ。
「……護衛は必要無いと、尾けてくるなと言ったはずだが?」
魔王自身、オレグがこの言い付けを守るとは思っていなかった。そういう性格であることをよく知っていた。
「……」
そして、この棘にオレグが沈黙を返すことも予想がついていた。
まるで自分はするべき仕事をしただけだと示すかのように。
「……ふん、まあよい」
魔王はオレグのそういう性格が気に入っていた。だから咎めるつもりなど最初から無かった。
オレグもそれを分かって振舞っている。多少の無礼が許されることを知っている。魔王との間に確かな信頼関係が出来ていることを感じている。
しかしゆえに、オレグは「魔王に対して隠し事をしている」ことに心を少し痛めている。
いや、「騙している」と表現しても間違いでは無い。
だが、その痛みは今は無い。
オレグが己の心を文字通り「殺している」からだ。
今のオレグは「台本」に添って行動するだけのただの機械だ。
そしてその「台本」には複数の選択肢が提示されていた。
口を開くか、このまま何も言わぬか、感情だけを露(あらわ)にするか。
機械のようなものになっているオレグは最初の選択肢を選んだ。
それが、魔王が抱いているオレグのイメージに最も添う行動であると判断したからだ。
「……魔王様、このような残酷な遊びは今後ご遠慮願いたい。いつ、どこで、誰が見ているか分かりませぬので」
そしてこの選択は正解であったようだ。
魔王はこの発言に怒りを抱かなかった。
それどころか、「お前らしいな」と、感心されたほどだ。
だから魔王は、
「わかった、確かにうかつであったな。こんな事、人に見られて良いものでは無い」
と、笑みを浮かべながら答えた。
そしてその笑みと共に魔王の心の染みが消えるのをオレグは感じ取っていた。
しかしそれは一時的なものであることをオレグは知っている。
魔王が肝心な事を理解していないことをオレグは知っている。
魔王が知るべき「答えの一つ」をオレグは持っている。
それは「名誉」の概念。
魔王がやった事は国全体の名誉を汚しかねない行為だ。
しかし魔王の心にそのような概念は無い。知らない。感じた事も無い。
魔王には「欲望」しか無い。自分の立場が危うくなる事を恐れているだけだ。国の事など今の魔王の意識にはかけらも無い。
だからオレグは魔王のことを「邪悪」な存在だと認識している。
若い頃、オレグは人間はみな同じだと、自分と本質的には変わらないと思っていた。
それが間違いであることをオレグは感知能力の発達とともに理解した。
その過程で、感情とは何であるかと考える機会があった。
オレグが見出した答えは単純なものであった。感情とは、「ある情報に対して脳内で発せられる信号」ただそれだけである、と。
目や耳が拾った情報や、ある思考や予測に対して、それが好きか嫌いか、己が望むものであるかどうかなどが自動で判別され、脳内で発信される信号、ただそれだけだと。
それが若き頃のオレグが見出した答えであった。
同じ情報に対して違う感情を抱くのは、あくまで「趣味趣向」の範囲内であると、若きオレグは考えていた。
「善悪」や「正邪」に関わる部分はきっと同じだと、変わらないと、若き頃のオレグは思い込んでいた。そう願っていた。
しかしそれは残念ながら間違いであった。
「正」や「善」に関わる感情が弱い、それどころか持っていない人間がいることをオレグは成長とともに知った。
そういう人間は平気な顔で「悪」を成せる。「罪悪感」や「恥」などのブレーキとなる感情が弱い、またはそもそも持っていないからだ。そのような機能が無いのだ。
人間の構造が一人一人違うということを念頭に置いて考えれば、それは当たり前のことであったが、その答えは当時のオレグを悩ませた。
だから、そのような人間に「善悪」などについて話しても共感は得られない。そもそも知らないし、感じた事も無いからだ。
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