上 下
305 / 586
第六章 アランの力は遂に一つの頂点に

第四十二話 魔王(24)

しおりを挟む
 しかし魔王は声がした方に振り返るより先に、まず棘を返した。

「……護衛は必要無いと、尾けてくるなと言ったはずだが?」

 魔王自身、オレグがこの言い付けを守るとは思っていなかった。そういう性格であることをよく知っていた。

「……」

 そして、この棘にオレグが沈黙を返すことも予想がついていた。
 まるで自分はするべき仕事をしただけだと示すかのように。

「……ふん、まあよい」

 魔王はオレグのそういう性格が気に入っていた。だから咎めるつもりなど最初から無かった。
 オレグもそれを分かって振舞っている。多少の無礼が許されることを知っている。魔王との間に確かな信頼関係が出来ていることを感じている。
 しかしゆえに、オレグは「魔王に対して隠し事をしている」ことに心を少し痛めている。
 いや、「騙している」と表現しても間違いでは無い。
 だが、その痛みは今は無い。
 オレグが己の心を文字通り「殺している」からだ。
 今のオレグは「台本」に添って行動するだけのただの機械だ。
 そしてその「台本」には複数の選択肢が提示されていた。
 口を開くか、このまま何も言わぬか、感情だけを露(あらわ)にするか。
 機械のようなものになっているオレグは最初の選択肢を選んだ。
 それが、魔王が抱いているオレグのイメージに最も添う行動であると判断したからだ。

「……魔王様、このような残酷な遊びは今後ご遠慮願いたい。いつ、どこで、誰が見ているか分かりませぬので」

 そしてこの選択は正解であったようだ。
 魔王はこの発言に怒りを抱かなかった。
 それどころか、「お前らしいな」と、感心されたほどだ。
 だから魔王は、

「わかった、確かにうかつであったな。こんな事、人に見られて良いものでは無い」

 と、笑みを浮かべながら答えた。
 そしてその笑みと共に魔王の心の染みが消えるのをオレグは感じ取っていた。
 しかしそれは一時的なものであることをオレグは知っている。
 魔王が肝心な事を理解していないことをオレグは知っている。
 魔王が知るべき「答えの一つ」をオレグは持っている。
 それは「名誉」の概念。
 魔王がやった事は国全体の名誉を汚しかねない行為だ。
 しかし魔王の心にそのような概念は無い。知らない。感じた事も無い。
 魔王には「欲望」しか無い。自分の立場が危うくなる事を恐れているだけだ。国の事など今の魔王の意識にはかけらも無い。
 だからオレグは魔王のことを「邪悪」な存在だと認識している。
 若い頃、オレグは人間はみな同じだと、自分と本質的には変わらないと思っていた。
 それが間違いであることをオレグは感知能力の発達とともに理解した。
 その過程で、感情とは何であるかと考える機会があった。
 オレグが見出した答えは単純なものであった。感情とは、「ある情報に対して脳内で発せられる信号」ただそれだけである、と。
 目や耳が拾った情報や、ある思考や予測に対して、それが好きか嫌いか、己が望むものであるかどうかなどが自動で判別され、脳内で発信される信号、ただそれだけだと。
 それが若き頃のオレグが見出した答えであった。
 同じ情報に対して違う感情を抱くのは、あくまで「趣味趣向」の範囲内であると、若きオレグは考えていた。
「善悪」や「正邪」に関わる部分はきっと同じだと、変わらないと、若き頃のオレグは思い込んでいた。そう願っていた。
 しかしそれは残念ながら間違いであった。
「正」や「善」に関わる感情が弱い、それどころか持っていない人間がいることをオレグは成長とともに知った。
 そういう人間は平気な顔で「悪」を成せる。「罪悪感」や「恥」などのブレーキとなる感情が弱い、またはそもそも持っていないからだ。そのような機能が無いのだ。
 人間の構造が一人一人違うということを念頭に置いて考えれば、それは当たり前のことであったが、その答えは当時のオレグを悩ませた。
 だから、そのような人間に「善悪」などについて話しても共感は得られない。そもそも知らないし、感じた事も無いからだ。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

何を間違った?【完結済】

maruko
恋愛
私は長年の婚約者に婚約破棄を言い渡す。 彼女とは1年前から連絡が途絶えてしまっていた。 今真実を聞いて⋯⋯。 愚かな私の後悔の話 ※作者の妄想の産物です 他サイトでも投稿しております

あなたの子ですが、内緒で育てます

椿蛍
恋愛
「本当にあなたの子ですか?」  突然現れた浮気相手、私の夫である国王陛下の子を身籠っているという。  夫、王妃の座、全て奪われ冷遇される日々――王宮から、追われた私のお腹には陛下の子が宿っていた。  私は強くなることを決意する。 「この子は私が育てます!」  お腹にいる子供は王の子。  王の子だけが不思議な力を持つ。  私は育った子供を連れて王宮へ戻る。  ――そして、私を追い出したことを後悔してください。 ※夫の後悔、浮気相手と虐げられからのざまあ ※他サイト様でも掲載しております。 ※hotランキング1位&エールありがとうございます!

【完】あの、……どなたでしょうか?

桐生桜月姫
恋愛
「キャサリン・ルーラー  爵位を傘に取る卑しい女め、今この時を以て貴様との婚約を破棄する。」 見た目だけは、麗しの王太子殿下から出た言葉に、婚約破棄を突きつけられた美しい女性は……… 「あの、……どなたのことでしょうか?」 まさかの意味不明発言!! 今ここに幕開ける、波瀾万丈の間違い婚約破棄ラブコメ!! 結末やいかに!! ******************* 執筆終了済みです。

(完結)醜くなった花嫁の末路「どうぞ、お笑いください。元旦那様」

音爽(ネソウ)
ファンタジー
容姿が気に入らないと白い結婚を強いられた妻。 本邸から追い出されはしなかったが、夫は離れに愛人を囲い顔さえ見せない。 しかし、3年と待たず離縁が決定する事態に。そして元夫の家は……。 *6月18日HOTランキング入りしました、ありがとうございます。

愚かな父にサヨナラと《完結》

アーエル
ファンタジー
「フラン。お前の方が年上なのだから、妹のために我慢しなさい」 父の言葉は最後の一線を越えてしまった。 その言葉が、続く悲劇を招く結果となったけど・・・ 悲劇の本当の始まりはもっと昔から。 言えることはただひとつ 私の幸せに貴方はいりません ✈他社にも同時公開

【完結】言いたいことがあるなら言ってみろ、と言われたので遠慮なく言ってみた

杜野秋人
ファンタジー
社交シーズン最後の大晩餐会と舞踏会。そのさなか、第三王子が突然、婚約者である伯爵家令嬢に婚約破棄を突き付けた。 なんでも、伯爵家令嬢が婚約者の地位を笠に着て、第三王子の寵愛する子爵家令嬢を虐めていたというのだ。 婚約者は否定するも、他にも次々と証言や証人が出てきて黙り込み俯いてしまう。 勝ち誇った王子は、最後にこう宣言した。 「そなたにも言い分はあろう。私は寛大だから弁明の機会をくれてやる。言いたいことがあるなら言ってみろ」 その一言が、自らの破滅を呼ぶことになるなど、この時彼はまだ気付いていなかった⸺! ◆例によって設定ナシの即興作品です。なので主人公の伯爵家令嬢以外に固有名詞はありません。頭カラッポにしてゆるっとお楽しみ下さい。 婚約破棄ものですが恋愛はありません。もちろん元サヤもナシです。 ◆全6話、約15000字程度でサラッと読めます。1日1話ずつ更新。 ◆この物語はアルファポリスのほか、小説家になろうでも公開します。 ◆9/29、HOTランキング入り!お読み頂きありがとうございます! 10/1、HOTランキング最高6位、人気ランキング11位、ファンタジーランキング1位!24h.pt瞬間最大11万4000pt!いずれも自己ベスト!ありがとうございます!

夫から国外追放を言い渡されました

杉本凪咲
恋愛
夫は冷淡に私を国外追放に処した。 どうやら、私が使用人をいじめたことが原因らしい。 抵抗虚しく兵士によって連れていかれてしまう私。 そんな私に、被害者である使用人は笑いかけていた……

【完結】王子は聖女と結婚するらしい。私が聖女であることは一生知らないままで

雪野原よる
恋愛
「聖女と結婚するんだ」──私の婚約者だった王子は、そう言って私を追い払った。でも、その「聖女」、私のことなのだけど。  ※王国は滅びます。

処理中です...