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第二章 これより立ち塞がるは更なる強敵。もはやディーノに頼るだけでは勝機は無い
第十一話 偉大なる者の末裔(1)
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偉大なる者の末裔
◆◆◆
リリィの母、ソフィアが死んでから二月の時間が流れた。
昼下がりの訓練場、そこにアランとクラウスの姿があった。
アランは魔法制御の訓練を行っていた。傍にいるクラウスはそれを見守っているだけであった。
アランがいま行っている訓練は、かつて父であるカルロから教えられた訓練法であった。
アランは意識を左手の人差し指に集中し、その指先から炎を噴出させた。
そしてアランは自身の左手に走る魔力に意識を向け、指先にある炎を徐々に細く、そして小さくしていった。
炎は蝋燭の火ほどの大きさからそれ以上小さくならなくなった。今のアランではここまでが精一杯であった。
炎はアランの指先で揺れ、激しく明滅を繰りかした。
蝋燭ほどの大きさの炎が明滅している――それはアランの指先から放出されている魔法が炎魔法と光魔法の混ざりものである証拠であった。
傍にいるクラウスはその先を――アランの指先から放出される魔法が光魔法に固定されることを期待しながら見守っていた。
しかししばらくして、アランの指先の炎は突然消滅してしまった。これは風が吹いたからとかではなく、アランが魔力の制御を誤っただけであった。
「くそっ」
小さく悪態を吐いたアランは、クラウスから「もう一度」と催促されるよりも早く、訓練の続きを始めた。
このような訓練を行いながら、アランは自身の才能の無さを自覚していた。
この訓練をやるようになってからどれほどの時間が経っただろうか? こうも覚えが悪い人間はそういないだろう。
そして、何度目かの失敗の後、アランは口を開いた。
「クラウス、俺みたいな半端者でも、いつの日か何かを手に入れることが出来るだろうか」
突然の問い。クラウスは何も言うことはできなかった。
「俺の右手は指が自由に動かせなくなっただけでなく、魔力が走る感覚もわからなくなった」
アランは自身の右手を恨めしそうに見つめながら言葉を続けた。
「そして、愛した人も俺の前からいなくなった」
アランは視線をクラウスの方に戻した。その目は間違いなくクラウスを見ていたが、どこか遠いところを見ているようであった。
「クラウス、そんな情けない俺でも、何かを掴める日は来るのだろうか」
再びの問い。他人が答えを出せるものでは無い。しかし、クラウスは次のように答えた。
「アラン様、それは多くの者が持っている悩みです。才能や幸運を持たざる者が持つ悩みです。その悩みを振り払うため、結果を残すために、皆努力します」
それは当たり前のことだ。クラウスは言葉を続けた。
「ですが、何を努力すべきかというのは、誰にもわかりませぬ。そして、人が努力を始めるきっかけはとてもおぼろげなものばかりです。それが好きな者、その道で小さな成功を収めたことがある者、努力することを強制された者など様々ですが、それが正解であると言い切れる者はおりませぬ」
ならばどうすればいいのか。クラウスはこう続けた。
「アラン様がそのような悩みを持つことは仕方の無いことです。そして、その悩みは深く考えすぎてはいけないものですが、捨ててもならないものです」
クラウスはここで一息置き、力強い顔つきをしながら再び口を開いた。
「悩むとは、己と向き合うことに似ています。それは鏡のようですが像ははっきりとせず、おぼろげなものです。ですが、そのおぼろげなものが時に骨のような芯となって人を支えることがあるのです」
そして、クラウスは次のように言葉を締めくくった。
「アラン様、努力することをやめてはなりませぬ。悩みながら、苦しみながら努力し続けるしか無いのです」
答えが無い事が答えである。クラウスの言葉をアランはそう受け取った。
「……確かに、クラウスの言う通りかもしれない。今の俺には、訓練を続けるか、不貞腐れて寝るかの二つくらいしか選択肢が無い。それなら、俺は訓練を続けることを選びたい」
アランの中にはっきりとしたものは生まれなかった。しかし、アランはそれが自然であると受け入れていた。
アランは己の弱さ、才能の無さを呪っていた。
しかし、アランが光魔法を習得するその時は着実に迫っていた。
後は何かのきっかけさえあれば身につけることができる、アランの修練はその領域まで辿り着いていた。
◆◆◆
その頃、戦場に向かったアンナは凄まじい活躍をしていた。
アンナは父と共に平原を取り戻すために戦っていた。カルロの圧倒的な炎と比べれば地味と言えたが、アンナの戦い方には華があった。
アンナは魔法剣で戦うようになっていた。それはアランと同じ「炎の鞭」であった。
しかし、アンナの魔法剣を「鞭」と呼ぶのは適切では無かった。その炎の太さは木の幹ほどもあり、威力もアランのものとは比べ物にならなかった。
欠点はあまり射程が無いことだ。炎の鞭は光魔法を軸に、炎魔法を纏わせたものであるが、アンナの剣は刀では無い為、剣から放出できる光魔法はそれほど強力なものでは無かった。ゆえに放たれる炎の斬撃は芯が弱く、すぐに霧散してしまっていた。
だが、この欠点はアンナにはあまり問題にならなかった。遠距離においては普通に炎魔法だけで戦えたからだ。アンナは中距離戦でのみ魔法剣を使った。
そうして、アンナはいつしか「炎の剣士」と呼ばれるようになっていた。
◆◆◆
一方、敵将であるサイラスは戦場へ向かっていた。
教会での用事を済ませたサイラスは、上層部からクリスが守る北の地の侵攻を命じられていた。
そしてサイラスの隣には、並び歩く別の将の姿があった。
まだ二十半ばに見える若い将。その者は目立っていた。
サイラスの隣に並んでいるからでは無い。その者の格好は独特であった。
魔法使いはゆったりとした服装を好む。動きを悟られづらくするためだ。だが、彼の格好は真逆であった。
動きやすさのみを重視した服装。余裕の無いぴっちりとした襟に、それを支える腰帯。胸元からは鎖帷子が覗いている。
そして何よりも目を引くのがその体躯。巨漢では無く、体の線は太いとは言えない。だが、彼の体は引き絞った針金のようであり、その鍛え上げられた筋肉は服装の上からでも見て取ることができた。
その将に、サイラスは声を掛けた。
「どうしたリック将軍? 緊張しているのか?」
リックと呼ばれた男は、頷きを返した。
「恥ずかしながら、その通りです。久しぶりの戦いなので、上手く動けるかどうか……心配しております」
これにサイラスは薄い笑みを浮かべながら口を開いた。
「そんなに力む必要は無い。今度の戦いは敵に大きな援軍でも来ない限り、こちらが負けることはまずないからな」
次の戦いは楽勝であるというサイラスに、リックは尋ねた。
「ですが、我等の相手となるクリスとやらは、あのジェイク将軍の攻撃を耐え続けていると聞いています。クリスはかなり有能な将なのでは?」
リックの問いに、サイラスは頷きを返しながら答えた。
「クリスは確かに有能だ。だが、ジェイクが手こずっているのは、南からクリスへの援軍が頻繁に送られて来ているせいだ。苦戦しているわけでは無い」
相手は数の優位を生かして粘っているだけ、サイラスの言葉は真実であったが、リックがまだ緊張した様子であったため、もう一度声を掛けた。
「リック将軍、貴殿は初陣でカルロの兄を倒し、続いて参加したカルロ討伐作戦においては相打ちという結果を残したのだ。これは自信を持って当然と言える成果だ。だから胸を張れ。将がそんなに固くなっていては、兵達も緊張してしまうぞ」
サイラスの励ましにリックは口元を緩めたが、結局緊張を解くことは無かった。
◆◆◆
ジェイクと合流したサイラスは、早速クリスと一戦交えた。
それはサイラスの圧勝であった。サイラスが何か奇策を用いたわけではない。サイラスは正面からクリス達を押し切った。
ジェイク一人でも問題無かったというのに、そこにリックという精鋭が追加されたのである。当然と言える結果であった。
クリスはディーノをリックにぶつけたが、その勝負はディーノの敗北に終わっていた。リックの戦い方は常識外れであり、ディーノであってもその戦い方に即座に対応することはできなかった。
クリスはやむを得ず城に立てこもった。亀の様に動かないクリスに対し、サイラスは城攻めの準備を進めた。
そして、クリスとディーノ達が窮地に追い込まれているという情報は、アランの耳にも届いたのであった。
◆◆◆
ディーノの危機を聞いたアランは迷っていた。
親友が危険に晒されているのである、そこから生まれる感情に従うなら行くべきであろう。しかしアランの理性はそれに反対していた。
アランの理性の言い分はこうだ。勝手な行動をするべきではない。弱い自分一人が行ったところで何になる? 運が悪ければ無駄死にするだけだ。軍を指揮する権限も無く、私兵と呼べるのはクラウスしかいない。
アランは刀を置いた机に座り、その刀身を眺めながら考えにふけっていた。ここで友のために立つか否かという選択は、アランにとって武の道を捨てるか否かに等しかった。
アランはこの時、ふと、ある言葉を思い出した。
「大切なのは何を考え、何を成すか……」
その言葉は自然とアランの口をついて出た。
アランは目の前に横たわる刀を見つめながら、自分が成したい事について考えを巡らせていった。
◆◆◆
その日の夜――
クラウスとの訓練を終えたアランは彼を呼び止め、こう言った。
「クラウス、俺は北に行こうと思う」
「北に、ですか? それはクリス将軍とディーノ殿の救援に向かうということでしょうか?」
「ああ」
「……善きお考えだと思いますが、正直なところ素直に賛成はできませぬ。
クリス将軍が戦っている相手はかなりの猛者で御座います。いくらアラン様のご友人であるディーノ殿のためとはいえ、あまりにも危険すぎるように思えます」
反対の意思を示すクラウスに対し、アランは理由を語り始めた。
「……俺が北に行きたいと思ったのはディーノを助けたいという理由だけじゃないんだ。それよりも強い気持ちと衝動が別にあるんだ」
アランの口調はゆっくりとしたものであった。言葉を選びながら喋っているのが感じとれたが、アランの表情に嘘は見られなかった。
「俺はこれまでの人生で本当に欲しいと思ったものを手に入れたことは一つも無い。いくら欲しいと手を伸ばせども、それらは指の間からこぼれる水のように俺の手をすりぬけていった。
リリィもその一つだ。リリィのことを父に話すことができなかったのは、単純に俺に勇気が無かったからだ。そしてその勇気を支える力も俺には無かった。俺に奴隷と貴族のしがらみを無視できる力があれば、もっと早くリリィをこの腕の中に抱いていれば、きっとこんなことにはならなかった」
アランの口調は徐々に力強くなっていた。
「クラウス、俺は強い力が欲しいと思うようになった。単純な魔法力のことじゃない。それは俺が望んでもきっと手に入らない。俺は社会的な力が欲しくなった。名誉、地位、権力、なんでもいい。そしてそれを手に入れるには、父に頼っていては駄目だと思うようになった。
俺が北に向かおうと思っているのはそこに試練があるからなんだ。友の危機を救うこと、強く名のある敵と戦うこと、それはきっとその行為自体に名誉がある、俺はそう思っている」
そして最後にアランははっきりとした口調でこう言った。
「クラウス、俺は自立したいのだ。カルロの息子としてでは無く、一人の男として名を上げたいのだ」
カルロの息子である時点で、アランはこの社会の強者であると言える。しかしアランはその加護を自ら捨てようとしていた。リリィを失い、精神的なよりどころを無くしたことが、アランをこのように変えていた。
「アラン様、とても良い考えだと思います」
クラウスはアランに賞賛を送り、さらに言葉を続けた。
「アラン様が初めて戦におもむいたとき、私があなたの兵として同行したのは、カルロ様の悲しむ姿を見たくないという理由だけでした。
失礼ですが、当時のアラン様はとても弱かった。誰かが守らねばすぐに死んでしまうであろうと思い、あなたの部隊に紛れ込んだのです。アラン様が武の世界から離れれば、私もあなたから離れるつもりでした」
クラウスのこの告白はアランに悪印象を抱かせかねないものだ。こんなことを白状する必要性はどこにも無い。しかしこれがクラウスなりの「忠心」の示し方であった。不器用であると言えるかもしれない。
「今なら言うことができます。あなたにお仕えして良かったと」
クラウスはもう一度アランに賞賛の言葉を送り、
「ですが、クリス将軍とディーノ殿が戦っている相手は、かなりの猛者で御座います。戦いというものはいつも非情なもの。いくら素晴らしい精神を持っていようとも、弱ければ死ぬ世界です。アラン様、覚悟だけはしておいて下さい」
同時に覚悟を持つことを要求した。
クラウスに「自立」という言葉を述べたアラン。しかしそれだけがアランを武の道に駆り立てているわけではなかった。
アランは剣の道を諦め切れなかった。アランも人間である。剣の修行に費やした時間と思い入れを簡単に捨てることはできなかったのだ。
この日を境にアランとクラウスの結束はより固いものとなった。クラウスがアランのことを真に主と認めたのはこの日からなのかもしれない。
◆◆◆
次の日の朝、アランは城の門前でクラウスを待っていた。
(……遅いな)
アランが待ちくたびれていると、兵舎の方から大勢の足音が近づいてくるのが聞こえた。
アランがそちらに目を向けると、そこには兵士達を連れたクラウスの姿があった。
「お待たせしました。アラン様」
「……その兵士達は一体どうしたんだ」
「アラン様があくまで武家の嫡男として振舞おうとするのであれば、その時はこの兵を自由に使って良いと、カルロ様から言いつけられております」
その数は五百程であった。
自分は父に見放されたわけでは無かった、そのことに気づいたアランの胸中は父への感謝の念で埋まっていた。
「ではアラン様、早速この部隊の長として命令をお出し下さい」
「……わかった、では――」
アランは大きく息を吸い込み、部隊に号令を下した。
「それでは、これより我が隊は北の地にいるクリス将軍の救援に向かう!」
これに兵士達は力強い気勢で答え、それを合図として部隊は前進を始めた。
こうしてアランは「社会の強者」というサイラスと同じ目標を胸に抱き、戦いの待つ北の地へと出発した。
サイラスとアラン、両者とも力を欲していたが、それを支えるものは全く違っていた。
サイラスを支えているものが「野心」なのに対し、アランを支え動かしていたのは「自立の精神」であった。
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