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最終章
第五十九話 あの男(5)
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◆◆◆
そしてヴィクトルは廊下を歩きながら参謀に対して口を開いた。
「情報が必要だ。お前が知る限りの全てを教えてもらうぞ」
参謀が「なんなりと」とうながすと、ヴィクトルは尋ねた。
「まずは相手についてだ。麻薬組織をついでに叩くことはもう決定済みだが、戦争の相手については再考の余地は無いのか?」
これに参謀は「ありません」と即答し、その理由を答えた。
「理由はいくつかあります。陸地を進むとすれば西か南しか選択肢がありませんが、どちらも強大な相手です。砂漠を支配している西の大国は言うまでも無いですが、南の小国の群れも相互に軍事同盟を結んでおり、実質的に一つの大国と変わりません」
だから帝国は海をまたいで和の国に工作を仕掛けた。しかしそれは失敗し、帝国はやむなくさらに東にあるアランの大陸にその毒牙を向けたのだ。
そして参謀は言葉と共に共感を使ってその強さをヴィクトルに伝えた。
まず西。「蛇の王」と呼ばれる女王が治める広大な砂漠の地。
兵達の多くは「蛇使い」と呼ばれており、その名の通りの技を持つ。
その地の蛇の多くが人間と共感する能力を持つからだ。そして主人と認めた人間の命令をきく。
蛇使い達は毒蛇を砂の中に潜ませ、近づいてきた敵を襲わせる。
さらにそれだけでは無く、砂そのものが兵の進軍を阻む。
乾いた砂は兵達の足をとらえ、その歩みを遅くする。さらに砂漠には砂丘以外に遮蔽物は無い。長距離攻撃手段を有していなければまともに戦えない。
ゆえに砂漠の戦士達はみな長距離狙撃を得意としている。前列を蛇が守り、後列から人間が狙撃するという独特の戦術を有する国である。
次に南。「精霊使い」と呼ばれる者達が住む広大な森林地帯。
ナチャのような、「神」と呼ばれるものがいまだに存在し、人間と共存している地。
感知能力が高い者、または神に選ばれた人間が「精霊使い」と呼ばれ、民を治めている、
そのような強力な感知能力者が多いことが強さの理由の一つだが、複雑に入り組んだ地形が多く、天然の要塞であることのほうが理由としては大きい。
しかし理由はそれだけでは無かった。
参謀はそのもう一つの理由について語り始めた。
「ですが最大の問題は、国境付近の土地の生産性の低さにあります。手強いわりに旨みが少ないのです」
つまりこういうことであった。
にらみ合いを続けている国境線付近の土地は双方とも農地に適していない。砂漠は言うまでも無いが、南の森も平坦な土地が少ない。工房などの生産拠点を構えるにしても同様だ。そのような恵みを奪うには、兵站線をかなり伸ばして奥地にまで切り込まねばならない。
さらに参謀は言葉を付け加えた。
「まだ彼らと一戦交えたことはありません。ですがそれは幸運であると私は思っています。彼らのどちらかと戦争状態にあれば、他に兵を送る余裕などありませんので」
彼らと戦争状態に突入しても得られるのは捕虜という名の奴隷ばかり。損害を出して取りに行くほどのものでは無い、と参謀は判断していた。
そして参謀は結論を述べた。
「彼らと戦うのであれば長期的に構えねばなりません。例えば西であれば、砂漠の向こうには巨大な運河があり、その川沿いには肥沃な土地が広がっています。南も同じです。森を抜ければ広大な盆地が存在しています。しかし残念ながら、今の我々にはそこまで進軍する力が、長期戦を耐える体力がありません」
だから魔王も短期決戦を狙っていた。
ゆえに、ヴィクトルには参謀に聞かねばならないことがあった。
「ではもう一度同じ相手を攻めるにしても同じことではないのか? もう一度長い航海を耐える体力が残っているのか?」
「……」
この当然の質問に参謀はその口を重くした。
しばらくして参謀は口を開いた。
「その話は歩きながらではちょっと……」
これ以上の話は私の部屋で、という内容の手紙がその言葉と共にヴィクトルに手渡されていた。
◆◆◆
夜――
「……」
用意された客間のベッドの上で、ヴィクトルは仰向けになって天井を眺めながら物思いにふけっていた。
参謀の口から出た話は想像以上に酷いものだった。
次は帰りの駄賃を用意することが出来ない、と参謀は言った。
つまり、帰る分の兵糧が無いのだ。
敵から奪えずに追い返されれば、船の上で餓死してしまうということだ。
先の敗北で我が国は多くの兵を失っている。つまり食い扶持が減ったということなのだが、我が国はその小さくなった軍隊を維持する力も失っているということだ。
だからヴィクトルは思った。
そしてその思いは独り言となってヴィクトルの口から漏れ出した。
「私は間違っていたのかもしれんな……」
何を間違ったのか。
それは将軍をやめたことだ。
軍部に籍を置き続け、功績を重ね続けていれば、軍人としてさらなる力をつけていればこんなことにはならなかったかもしれないと、ヴィクトルはそう考えるようになっていた。
そうであれば国の腐敗にいち早く気付き、対処出来ていたかもしれないからだ。
領主になり、土地を清く平和に治めた、それも正しいことだ。
だがその程度では、私が創り出した小さな楽園では、その小さな力ではこの腐敗は浄化出来ない。
軍人であればもっと正しいことが出来ていたのではないか、ヴィクトルはそう考えるようになっていた。
自分は大義を見失っていたのかもしれない、ヴィクトルはそう思うようになっていた。
しかしまだやり直せる、その機会が巡ってきた。
神も奇跡もヴィクトルは信じていない。
が、
「……」
この巡り合わせにヴィクトルは神秘を感じていた。
ならば応えよう、ヴィクトルはそう思った。
その言葉が心の中で声となって響き、ヴィクトルの水面を揺らした瞬間、彼の中で覚悟が出来上がっていた。
だが、ヴィクトルはどう思うだろうか。
腐敗には仕掛け人がおり、しかもそいつはこの国を壮大な実験場、踏み台としか思っていないことを。
もしそれを知れば、彼の心の水面は怒りに煮えたぎるだろうか。
しかし残念ながら、それは我々にもヴィクトルにも知りえることでは無かった。
そしてヴィクトルは廊下を歩きながら参謀に対して口を開いた。
「情報が必要だ。お前が知る限りの全てを教えてもらうぞ」
参謀が「なんなりと」とうながすと、ヴィクトルは尋ねた。
「まずは相手についてだ。麻薬組織をついでに叩くことはもう決定済みだが、戦争の相手については再考の余地は無いのか?」
これに参謀は「ありません」と即答し、その理由を答えた。
「理由はいくつかあります。陸地を進むとすれば西か南しか選択肢がありませんが、どちらも強大な相手です。砂漠を支配している西の大国は言うまでも無いですが、南の小国の群れも相互に軍事同盟を結んでおり、実質的に一つの大国と変わりません」
だから帝国は海をまたいで和の国に工作を仕掛けた。しかしそれは失敗し、帝国はやむなくさらに東にあるアランの大陸にその毒牙を向けたのだ。
そして参謀は言葉と共に共感を使ってその強さをヴィクトルに伝えた。
まず西。「蛇の王」と呼ばれる女王が治める広大な砂漠の地。
兵達の多くは「蛇使い」と呼ばれており、その名の通りの技を持つ。
その地の蛇の多くが人間と共感する能力を持つからだ。そして主人と認めた人間の命令をきく。
蛇使い達は毒蛇を砂の中に潜ませ、近づいてきた敵を襲わせる。
さらにそれだけでは無く、砂そのものが兵の進軍を阻む。
乾いた砂は兵達の足をとらえ、その歩みを遅くする。さらに砂漠には砂丘以外に遮蔽物は無い。長距離攻撃手段を有していなければまともに戦えない。
ゆえに砂漠の戦士達はみな長距離狙撃を得意としている。前列を蛇が守り、後列から人間が狙撃するという独特の戦術を有する国である。
次に南。「精霊使い」と呼ばれる者達が住む広大な森林地帯。
ナチャのような、「神」と呼ばれるものがいまだに存在し、人間と共存している地。
感知能力が高い者、または神に選ばれた人間が「精霊使い」と呼ばれ、民を治めている、
そのような強力な感知能力者が多いことが強さの理由の一つだが、複雑に入り組んだ地形が多く、天然の要塞であることのほうが理由としては大きい。
しかし理由はそれだけでは無かった。
参謀はそのもう一つの理由について語り始めた。
「ですが最大の問題は、国境付近の土地の生産性の低さにあります。手強いわりに旨みが少ないのです」
つまりこういうことであった。
にらみ合いを続けている国境線付近の土地は双方とも農地に適していない。砂漠は言うまでも無いが、南の森も平坦な土地が少ない。工房などの生産拠点を構えるにしても同様だ。そのような恵みを奪うには、兵站線をかなり伸ばして奥地にまで切り込まねばならない。
さらに参謀は言葉を付け加えた。
「まだ彼らと一戦交えたことはありません。ですがそれは幸運であると私は思っています。彼らのどちらかと戦争状態にあれば、他に兵を送る余裕などありませんので」
彼らと戦争状態に突入しても得られるのは捕虜という名の奴隷ばかり。損害を出して取りに行くほどのものでは無い、と参謀は判断していた。
そして参謀は結論を述べた。
「彼らと戦うのであれば長期的に構えねばなりません。例えば西であれば、砂漠の向こうには巨大な運河があり、その川沿いには肥沃な土地が広がっています。南も同じです。森を抜ければ広大な盆地が存在しています。しかし残念ながら、今の我々にはそこまで進軍する力が、長期戦を耐える体力がありません」
だから魔王も短期決戦を狙っていた。
ゆえに、ヴィクトルには参謀に聞かねばならないことがあった。
「ではもう一度同じ相手を攻めるにしても同じことではないのか? もう一度長い航海を耐える体力が残っているのか?」
「……」
この当然の質問に参謀はその口を重くした。
しばらくして参謀は口を開いた。
「その話は歩きながらではちょっと……」
これ以上の話は私の部屋で、という内容の手紙がその言葉と共にヴィクトルに手渡されていた。
◆◆◆
夜――
「……」
用意された客間のベッドの上で、ヴィクトルは仰向けになって天井を眺めながら物思いにふけっていた。
参謀の口から出た話は想像以上に酷いものだった。
次は帰りの駄賃を用意することが出来ない、と参謀は言った。
つまり、帰る分の兵糧が無いのだ。
敵から奪えずに追い返されれば、船の上で餓死してしまうということだ。
先の敗北で我が国は多くの兵を失っている。つまり食い扶持が減ったということなのだが、我が国はその小さくなった軍隊を維持する力も失っているということだ。
だからヴィクトルは思った。
そしてその思いは独り言となってヴィクトルの口から漏れ出した。
「私は間違っていたのかもしれんな……」
何を間違ったのか。
それは将軍をやめたことだ。
軍部に籍を置き続け、功績を重ね続けていれば、軍人としてさらなる力をつけていればこんなことにはならなかったかもしれないと、ヴィクトルはそう考えるようになっていた。
そうであれば国の腐敗にいち早く気付き、対処出来ていたかもしれないからだ。
領主になり、土地を清く平和に治めた、それも正しいことだ。
だがその程度では、私が創り出した小さな楽園では、その小さな力ではこの腐敗は浄化出来ない。
軍人であればもっと正しいことが出来ていたのではないか、ヴィクトルはそう考えるようになっていた。
自分は大義を見失っていたのかもしれない、ヴィクトルはそう思うようになっていた。
しかしまだやり直せる、その機会が巡ってきた。
神も奇跡もヴィクトルは信じていない。
が、
「……」
この巡り合わせにヴィクトルは神秘を感じていた。
ならば応えよう、ヴィクトルはそう思った。
その言葉が心の中で声となって響き、ヴィクトルの水面を揺らした瞬間、彼の中で覚悟が出来上がっていた。
だが、ヴィクトルはどう思うだろうか。
腐敗には仕掛け人がおり、しかもそいつはこの国を壮大な実験場、踏み台としか思っていないことを。
もしそれを知れば、彼の心の水面は怒りに煮えたぎるだろうか。
しかし残念ながら、それは我々にもヴィクトルにも知りえることでは無かった。
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