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最終章
第五十九話 あの男(4)
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◆◆◆
一ヵ月後――
ヴィクトルは参謀と共に魔王の城に足を踏み入れていた。
ヴィクトルが出した条件、それは「魔王に会わせろ」であった。
それは参謀にとっても都合の良い申し出だった。魔王にそうしろと言われていたからだ。
そして二人が案内された部屋は応接間では無く、魔王の私室であった。
「おおヴィクトル! 久しいな、早くこっちへ」
ドアが開くと同時に、魔王の声が二人の耳に響いた。
「……」
何も言わずに歩み寄るヴィクトル。
その間、魔王はベッドから動かなかった。
その理由は歩いているうちに感じ取れた。
だが、ヴィクトルは魔王のそばに立ち止まると同時に、あえて尋ねた。
「傷は塞がったようだが、調子は良くないようだな」
これに魔王は答えた。
「ああ、まだ、少し、な」
読み取るまでも無く嘘だと分かった。
魔王は敗血症などの感染症を患っていた。
大きな傷から細菌が入ってしまったのだ。
この世界に抗生物質など都合の良い薬は無い。回復は本人の体力次第であり、そして残念ながら魔王は老人であった。
体のあちこちに湿疹が出来ており、一部は化膿してしまっている。
魔王はそれを隠すために、ゆったりとした大きめの服を着ていた。
匂いは香水で誤魔化している。
その隠し事から生じる焦燥感と、頼りになる者が来てくれたという喜びから、魔王の口は早く回った。
「そんなところに立っていないで座ってくれ。テーブルの上の菓子や果物は好きにつまんでくれていい。ああ、そういえばお前は甘いものはあまり好きでは無かったな。待ってくれ、すぐに酒と食事を――」
まくしたてるその口は、ヴィクトルが手の平を前にかざして制止と遠慮の意を示すまで回った。
そして魔王の口が完全に閉じられてから、ヴィクトルは口を開いた。
「……参謀から話は聞いた。私に出陣してほしいそうだな?」
これに魔王は笑顔を浮かべ、答えた。
「ああ、そう、そうだ。もうお前だけが頼りなのだ」
それは希望の色が滲んだ声であったが、直後にヴィクトルはその感情に釘を刺した。
「その前に聞きたいことがある」
それを聞いた魔王の顔に警戒心の色が浮かび上がる。
無茶な要求をされるのではないか、という思いが滲み出る。
その感情が「なんだ」という言葉になって魔王の口から飛び出すより一寸早く、ヴィクトルは口を開いた。
「約束しろ。麻薬組織と『それに関わったもの全て』を完全に叩き潰すと」
「……!」
これに魔王は返事を詰まらせた。
『それに関わったもの全て』、その範囲の広さが理解出来たからだ。
だが、それでも、魔王は、
「……ああ、分かった。約束しよう」
ヴィクトルが望む言葉を返した。
が、
「……」
ヴィクトルは何の感情の色も浮かべなかった。
ヴィクトルは感じ取っていた。
魔王の本心が曖昧であることを。
嘘をついたわけでは無い。約束通り着手はしてみるが、最後までやり終えるかどうかは分からないことを。
だからヴィクトルは質問を変えた。
「……では、もう一つ聞こう」
魔王が「なんだ?」と尋ねると、ヴィクトルは口を開いた。
「……過去にしたのと同じ質問だ。お前と私が別れることになった『あの時』の、な」
『あの時』、その言葉の響きと共に、魔王の脳裏に情景が浮かび上がった。
それはヴィクトルが将をやめる直前の、ある日の記憶。
あの時、ヴィクトルは言った。
今のこの国をどう思う? と。
我は答えた。
愚か者ばかりだ、と。
悪いことだと分かっていながら、己の利のために手を汚す馬鹿者ばかりだ、と。
我のその答えに、あの時のヴィクトルは頷きを返した。
そしてヴィクトルは質問を重ねた。
ではどうすればいいと思う? と。
ヴィクトルの答えはこうだった。
民の意識を変えねばならぬ、と。悪に屈さぬ高潔で強い人間を増やさねばならない、と。
だが、我の答えは――
「!」
そこまで思い出したところで、ヴィクトルの「狙い」に気付いた魔王は目を見開いて思考を止めた。
だが手遅れだった。
ヴィクトルはそれを声に出した。
「やはり、あの時から何も変わっていないようだな」
ヴィクトルは言葉を続けた。
「あの時、お前は思った。ならば、その愚かな民を我が野心のために利用し尽くしてやろう、と」
ヴィクトルは魔王に言葉を挟ませなかった。
「そして、お前はあの時の自分に、その思いに共感したな?」
これを確かめるために、ヴィクトルは「思い出を再生し、共有する」などという遠回しなことをやったのだ。
魔王が優れた感知能力者であることを逆手に取った裏の手。
それは魔王にとっては度し難い行為であった。
ゆえに、魔王は跳ね返った。
「……ならば、なんだと、どうだというのだっ!」
まるで子供のような言葉。
だが、ヴィクトルは心を乱さず、答えた。
きっとこうなるだろうなと、予想していたからだ。
「だからお前はここを動かなくていい」
どういうことだ? 真意を尋ねるまでも無くヴィクトルは答えた。
「勝手にやらせてもらう。そしてお前は私の邪魔をするな。本当に約束してほしいことはそれだけだ」
そう言った後、ヴィクトルは魔王に背を向け、
「というわけで参謀を借りるぞ。この後のことを相談しなくてはならないからな」
半ば強引に参謀の肩を掴み、引き摺るようにドアから出て行った。
一ヵ月後――
ヴィクトルは参謀と共に魔王の城に足を踏み入れていた。
ヴィクトルが出した条件、それは「魔王に会わせろ」であった。
それは参謀にとっても都合の良い申し出だった。魔王にそうしろと言われていたからだ。
そして二人が案内された部屋は応接間では無く、魔王の私室であった。
「おおヴィクトル! 久しいな、早くこっちへ」
ドアが開くと同時に、魔王の声が二人の耳に響いた。
「……」
何も言わずに歩み寄るヴィクトル。
その間、魔王はベッドから動かなかった。
その理由は歩いているうちに感じ取れた。
だが、ヴィクトルは魔王のそばに立ち止まると同時に、あえて尋ねた。
「傷は塞がったようだが、調子は良くないようだな」
これに魔王は答えた。
「ああ、まだ、少し、な」
読み取るまでも無く嘘だと分かった。
魔王は敗血症などの感染症を患っていた。
大きな傷から細菌が入ってしまったのだ。
この世界に抗生物質など都合の良い薬は無い。回復は本人の体力次第であり、そして残念ながら魔王は老人であった。
体のあちこちに湿疹が出来ており、一部は化膿してしまっている。
魔王はそれを隠すために、ゆったりとした大きめの服を着ていた。
匂いは香水で誤魔化している。
その隠し事から生じる焦燥感と、頼りになる者が来てくれたという喜びから、魔王の口は早く回った。
「そんなところに立っていないで座ってくれ。テーブルの上の菓子や果物は好きにつまんでくれていい。ああ、そういえばお前は甘いものはあまり好きでは無かったな。待ってくれ、すぐに酒と食事を――」
まくしたてるその口は、ヴィクトルが手の平を前にかざして制止と遠慮の意を示すまで回った。
そして魔王の口が完全に閉じられてから、ヴィクトルは口を開いた。
「……参謀から話は聞いた。私に出陣してほしいそうだな?」
これに魔王は笑顔を浮かべ、答えた。
「ああ、そう、そうだ。もうお前だけが頼りなのだ」
それは希望の色が滲んだ声であったが、直後にヴィクトルはその感情に釘を刺した。
「その前に聞きたいことがある」
それを聞いた魔王の顔に警戒心の色が浮かび上がる。
無茶な要求をされるのではないか、という思いが滲み出る。
その感情が「なんだ」という言葉になって魔王の口から飛び出すより一寸早く、ヴィクトルは口を開いた。
「約束しろ。麻薬組織と『それに関わったもの全て』を完全に叩き潰すと」
「……!」
これに魔王は返事を詰まらせた。
『それに関わったもの全て』、その範囲の広さが理解出来たからだ。
だが、それでも、魔王は、
「……ああ、分かった。約束しよう」
ヴィクトルが望む言葉を返した。
が、
「……」
ヴィクトルは何の感情の色も浮かべなかった。
ヴィクトルは感じ取っていた。
魔王の本心が曖昧であることを。
嘘をついたわけでは無い。約束通り着手はしてみるが、最後までやり終えるかどうかは分からないことを。
だからヴィクトルは質問を変えた。
「……では、もう一つ聞こう」
魔王が「なんだ?」と尋ねると、ヴィクトルは口を開いた。
「……過去にしたのと同じ質問だ。お前と私が別れることになった『あの時』の、な」
『あの時』、その言葉の響きと共に、魔王の脳裏に情景が浮かび上がった。
それはヴィクトルが将をやめる直前の、ある日の記憶。
あの時、ヴィクトルは言った。
今のこの国をどう思う? と。
我は答えた。
愚か者ばかりだ、と。
悪いことだと分かっていながら、己の利のために手を汚す馬鹿者ばかりだ、と。
我のその答えに、あの時のヴィクトルは頷きを返した。
そしてヴィクトルは質問を重ねた。
ではどうすればいいと思う? と。
ヴィクトルの答えはこうだった。
民の意識を変えねばならぬ、と。悪に屈さぬ高潔で強い人間を増やさねばならない、と。
だが、我の答えは――
「!」
そこまで思い出したところで、ヴィクトルの「狙い」に気付いた魔王は目を見開いて思考を止めた。
だが手遅れだった。
ヴィクトルはそれを声に出した。
「やはり、あの時から何も変わっていないようだな」
ヴィクトルは言葉を続けた。
「あの時、お前は思った。ならば、その愚かな民を我が野心のために利用し尽くしてやろう、と」
ヴィクトルは魔王に言葉を挟ませなかった。
「そして、お前はあの時の自分に、その思いに共感したな?」
これを確かめるために、ヴィクトルは「思い出を再生し、共有する」などという遠回しなことをやったのだ。
魔王が優れた感知能力者であることを逆手に取った裏の手。
それは魔王にとっては度し難い行為であった。
ゆえに、魔王は跳ね返った。
「……ならば、なんだと、どうだというのだっ!」
まるで子供のような言葉。
だが、ヴィクトルは心を乱さず、答えた。
きっとこうなるだろうなと、予想していたからだ。
「だからお前はここを動かなくていい」
どういうことだ? 真意を尋ねるまでも無くヴィクトルは答えた。
「勝手にやらせてもらう。そしてお前は私の邪魔をするな。本当に約束してほしいことはそれだけだ」
そう言った後、ヴィクトルは魔王に背を向け、
「というわけで参謀を借りるぞ。この後のことを相談しなくてはならないからな」
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