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最終章
第五十九話 あの男(2)
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「それで、頼みというのは?」
場を応接間に移したヴィクトルは、ソファーに腰を下ろすと同時に、対面にいる参謀に向かって口を開いた。
頼みがあってここまで来た、参謀は外でそう言った。
参謀はその問いに対し、余計な飾りを付けず簡潔に答えた。
「……ヴィクトル殿、次の戦いに参戦して頂きたい」
これにヴィクトルは質問を重ねた。
「なぜだ? 前と同じように物資を差し出すだけでは不満か?」
「……」
その言葉に、参謀は言葉を詰まらせた。
話に聞いたとおり、心が読めないからだ。
だから次の言葉に何を選べばいいのか、参謀には咄嗟に判断がつかなかった。
ゆえに生じた沈黙を先に破ったのはヴィクトルであった。
「隣の領主は兵を出したが、まだ誰も帰って来てないそうだ。やはり、噂通りの大敗北なのか?」
これに参謀は「……はい」と、力無い答えしか返せなかった。
だがその答えはヴィクトルの中に新たな疑問を生んだ。
「ではなぜまたすぐに遠征なのだ? しばらくは国力の回復に努めるべきではないのか?」
この当然の質問に、参謀は、
「……」
渋く、そして苦い顔を返すことしか出来なかった。
正直に言いたくないことだった。
参謀は帝国を誇りに思っていた。
そして魔王への忠誠も本物であった。でなければ魔王のそばにはいられない。
自己否定に似た感覚を覚えるゆえに、口に出しがたいことであった。
「……」
ヴィクトルはそれを感じ取ったゆえに待つことにした。
少しして、参謀は運ばれてきた飲み物を口に含んだ後、口を開いた。
「……このままではこの国は酷いことになってしまうのです」
これに、ヴィクトルは再び「なぜだ?」と問うた。
参謀は答え始めた。
「ヴィクトル殿は都市部がどうなっているかご存知ですか?」
これにヴィクトルは首を振った。
その返事が分かっていたがゆえに、参謀はヴィクトルが首を振り始めた直後にその理由を述べ始めた。
「人は多いですが、生産力が無くなってしまっているのです」
その言葉に、ヴィクトルは、
「どういうことだ? 働ける人間が減っているということか? 疫病が蔓延しているのか?」
内心で首をかしげながら尋ねると、参謀は首を振りながら答えた。
「単純に働かない人間が増えているだけでございますよ」
その言葉にヴィクトルはますます首をかしげた。
だからヴィクトルは尋ねた。
「働かずにどうやって生活しているのだ?」
参謀は答えた。
「魔王様から援助を受けているのです」
その言葉を聞いてようやく、ヴィクトルは都市部で起きている問題を想像することが出来た。
働かずとも飯が食える、だから働かない人間が増えており、しかもその援助は税金で行われているのだろう。
だがそれだけでこの大国が傾くとは――そんな文面がヴィクトルの頭に浮かんだ瞬間、参謀は再び口を開いた。
「それだけならば大した問題ではありませんでした。ですが、そこに『草』が絡んでしまったのです」
その言葉の響きから、ヴィクトルは他国からのスパイを想像した。そのような連中を「草」と表現することがあるからだ。
だが、参謀が言っている「草」は違うものを指していることを、心を読んで気付いたヴィクトルはそれを確認するように口に出した。
「麻薬か」
参謀は「そうです」と頷きを返し、言葉を続けた。
「それは都市の腐敗を加速させました。草を売る組織はその資金力で影響力を増し続け、とうとう都市の領主にまで登りつめました」
麻薬組織の幹部が一大都市の大政治家になってしまった、そこまで参謀が述べたところで、ヴィクトルは口を挟んだ。
「待て、なぜ兵士が動かない? そんな組織は議論するまでも無く排除対象だろう」
これに参謀は首を振り、その理由を述べた。
「……その組織が『宗教』と深く繋がってしまっているゆえに、うかつに手出し出来ないのです」
つまり、こういうことである。
「草」はその組織によって持ち込まれるはるか以前から帝国の大地に存在し、土着の宗教での儀式に使われていたのだ。
神に会うために麻薬を吸って意識を歪める、そのような儀式だ。
優秀な感知能力者はその儀式を避ける傾向にあった。なぜなら、脳がダメージを負うことを感知出来たからだ。
麻薬は脳内麻薬を大量に誘発するが、その過程に必要な材料も、それを解毒するための成分も麻薬自体は有していない。あくまで誘発するだけである。そしてそれらの処理は全て自身の体を犠牲にして行われ、その負荷は軽く無い。
帝国の古き者達はそのような感知能力者達のことを「目覚めた者」などと呼んで勝手に祭り上げた。そして感知能力者達はそれを自身の利益のために利用する傾向があった。残念ながら、そのような儀式を悪しき風習として警告する者は少なかった。
そしてその宗教は長い時間の中で分裂や再統合を繰り返したが、感知能力に対する信仰は現在まで揺るがなかった。儀式も同じである。所作が多少変わった程度で、草は相変わらず使われていた。
魔王が崇められているのはそのような理由からである。魔王を「天からの使い」として崇める宗教まで存在してしまっている。
以前ルイスが言った「怠惰の仕掛け」とはこれのことである。
だが、ルイスは麻薬組織とは関係していない。ルイスがやった仕掛けはあくまで宗教と儀式の拡散だけだ。儀式が急に広がったのを嗅ぎつけた麻薬組織がそれに便乗しただけである。
「……」
そしてそれを聞いてようやく、ヴィクトルは問題の大きさを実感した。
その宗教はとても根深く、そして全体に広がっているからだ。
庶民の行動規範や生活様式にまで影響を及ぼしている。
だから草が爆発的に広がった。神官しか使っていなかったものが、儀式が庶民にまで降りてきてしまったのだ。
結局のところ、問題の原点はアランの国と同じであった。
特定の誰かが極端に優遇される土壌が出来ていたからである。この国ではそれが感知能力者であっただけのこと。優秀な感知能力者になれば利権を手にすることが出来たのである。
しかしこの国はそれだけでは無く、魔力至上主義の問題も同時に有していた。感知能力だけでなく魔法能力も優秀であれば、得られる権力はさらに大きなものとなった。ゆえに「魔王」などという呼び名が誕生した。
ルイスはその土壌を、信仰心を上手く利用したと言える。快楽と結びつけ、それを前面に押し出し、腐敗を加速させたのだ。
そしてその腐敗は領主を筆頭とする一大組織を産み出してしまった。
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