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最終章

第五十五話 逢魔の調べ(19)

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 これに、魔王は冷たい表情をオレグの方に向けながら口を開いた。

「……邪魔するつもりか、オレグ」

 その問いに、オレグは、

「……」

 即答出来なかった。
『今の彼』、『本当の彼』、双方共に迷っていた。
 ここに来るべきでは無かった、キーラを助けるべきだ、その二つの言葉と心がオレグの中でぶつかり合っていた。
 そんな珍しく揺れるオレグに、

「お前にはザウルと共に遊撃を頼んでおいたはずなのだがな。キーラの危機を感じてわざわざここまで来るとは、この女はそんなに大事なのか?」

 そして魔王はさらに踏み込んだ。

「お前に好意を抱いている女が目の前で手篭めにされるというのは、我慢ならんということか?」

 それは半分、いや、三割ほど正解であった。
 キーラが魔王の毒牙にかかるのは忍びないという気持ちはあるが、それはキーラへの好意からでは無かった。
 キーラは次の魔王と言われている女。
 自分も似たようなことを言われているが、キーラのそれとは意味が違う。既に全ての術を扱えるキーラは、いつか同じ「魔法使いの王」に至るであろうという意味である。
 そしてキーラは魔王と違って善人である。
 だから反感を覚悟で助けに来た。善き未来の可能性の一つを潰されたくないからだ。
 しかしそれを正直に言えばきっと、いや、魔王は間違い無く激昂するだろう。

「……」

 しかし沈黙でやりすごせる場では無い。
 魔王が苛立ち始めているのを感じる。
 このままだと魔王はその鬱憤を晴らすためだけに、望ましくないことを最も残酷なやり方で見せ付けるだろう。
 それは避けなければならない。ここに来た意味が無くなる。
 されど嘘は危険。出来れば本当のことを言うべきだ。
 ならば、『本物にしてしまえば良い』。
 そう思ったオレグは早速『注文』を出した。
 本能が司る恋愛感情を、キーラの情報と結び付けてもらう。
 その『工事』は瞬く間に完了し、キーラへの想いはその瞬間から本物の愛になった。
 これがオレグの真たる特技であり、奥義。
 オレグは『大工』と直接やり取りが出来るのだ。
 そしてオレグは新しく生まれたその感情を言葉にした。

「……魔王様の仰る通りでございます。その女、私にいただけませんか?」

 しかしこれも賭けであった。
 そしてこの賭けはオレグの敗北に終わった。
 なぜならば、

「……!」

 魔王が驚いたからだ。突如オレグの中でキーラへの恋愛感情が湧き上がったのを感じ取ったからだ。
 オレグなりに抑えたつもりであるが、やはり実際に脳波になると読まれる。
 そしてその湧き上がり方は魔王の知るものでは無かった。不自然だった。
 まるで無関心から突然深い男女の中になったかのような急な変化。
 これがオレグの失敗だった。
 淡い恋心程度に加減すべきだったのだ。しかし恋愛の経験が無いゆえに、その加減が分からなかった。
 つまり、ばれてしまったのだ。魔王相手にこれまで隠し事をしていたことを。魔王が知らぬ隠蔽技術を持っていることを明らかにしてしまったのだ。
 これまでの言動全てに疑いの可能性が生じる。
 ゆえに、今度は魔王が、

「……」

 沈黙する側になった。
 その表情に警戒と疑惑の色が滲み始める。
 しかしその色が完成する前に、魔王は口を開いた。

「……わかった、いいだろう。キーラはお前の好きにするといい」

 その言葉に明るい色は含まれて無かった。
 お前のこれまでの言動について一度考え直したい、そんな思いがわざと含まれていた。
 ゆえに、魔王は、

「……この戦いが終わったら一度じっくりと話し合う必要がありそうだな、オレグ?」

 と、言葉を付け加えた。
 これにオレグは、

「……仰せのままに」

 畏怖の念を込めて礼と返事を返した。
 その想いは本物だった。やはり急造であったが。
 しかし魔王は、

「……」

 見抜けなかった。
 その事実にオレグは大工と共に安堵と疲労のため息を吐いた後、キーラを抱きかかえ、場から離れるように歩き始めた。
 そしてオレグは背中に突き刺さる疑惑の線を感じながら思った。
 魔王との関係はもう限界が近いのかもしれない、と。
 しかしその独り言はやはり魔王には聞こえなかった。
 これは脳波でも魂の信号でも無い。大工が使う言葉だ。細胞の活動信号に近いもので、魔王はまだ感知出来ていない。オレグは脳でも魂でもない部分で考えている。
 ゆえにオレグは堂々と独り言を続けた。

(……この世では己の心すらままならぬ、か)

 誰が言ったか知らぬ言葉。
 しかし今の己の状況を表すには最適のものであるように思えた。
 そして直後、

「……オレグ様」

 腕の中にいるキーラが口を開いた。

「あなたに手篭めにされるのであれば、私は――」

 しかしその言葉は最後まで紡がれず、キーラは気を失った。
 だが、その言葉に含まれている想いをオレグは感じ取った。
 急造の恋愛感情が共鳴するように反応する。
 しかしオレグはその想いに酔うことが出来なかった。

「……」

 魔王はその背が曲がり角の向こうに隠れるまで見つめた後、視線を前に、意識を戦いの方に戻した。
 騎馬隊は完全に統率を失っていた。
 それを見た魔王は、

「頃合か」

 と判断し、生首を光る手で荒々しく吹き飛ばした。
 衝撃でテーブルが派手に倒れ、銀の皿が地面の上を跳ねる。
 だが魔王はそれを意にも介さず、指揮者の方に目線を移すと同時に口を開いた。

「馬はもういい。いつもの演奏に戻せ」

 指示を受けると同時に、指揮者はまるで『機械であるかのように』腕を止めた。
 刹那遅れて奏者が音を止める。
 そして指揮者は奏者が全員止まったのを確認した後、小さく息を吸い込み、発光する指揮棒を構えた。
 その細く短い指揮棒から発せられる波から、次の曲の内容を察した奏者達が再び楽器を構える。
 そして次の曲目が全員に伝わったのを感じ取った指揮者は、指揮棒を高く構え直した後、勢いよくその腕を振り下ろした。
 それを合図に、耳に痛いほどの演奏音が鳴り響き始めた。
 先の民謡のようなものから一転、今度の曲目は葬式で流れる鎮魂歌であった。
 鼓膜に響く波に意味は無い。これはただの魔王の趣味である。
 そしてその演奏はやはり普通のものでは無かった。
 普通の鎮魂歌と違って曲調が激しいという意味では当然無い。
 白き帝国における楽器は心を豊かにするためだけの道具では無い。戦闘のために進化した道具でもあるのだ。
 耳に響く音の中に、頭蓋を通過して直接脳と魂に響く波が含まれている。
 そしてその波は奏者ごとに発せられているものが、響く感情が違う。
 ゆえに複合攻撃と化す。
 恐怖、焦り、迷い、悲しみ、憂鬱――そのような重く暗いものばかりを混ぜ合わせた波が広がり、戦場を包む。
 その影響は瞬時に表れた。

「「「!?」」」

 今度は馬では無く、人間がその身を強張らせる。
 それを感じ取ったレオンは、

「全騎撤退!」

 即座に声を上げた。
 その声は既に少し萎縮し始めていたが、部隊全体に瞬く間に伝わった。
 だからレオンは気付いた。
 この攻撃は『おかしい』と。
 レオンが抱いたその違和感の正体とは――
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