520 / 586
最終章
第五十五話 逢魔の調べ(18)
しおりを挟む
◆◆◆
その瞬間から戦況は一変した。
得体の知れない恐怖に、出所の分からない感覚に馬達は混乱した。
そして陣形は瞬く間に崩れた。
我先にと馬達が勝手に逃げ始める。
「待て! 止まれ!」
騎手の命令にも耳を貸さない。
本能のままに足を動かす。
逃げる方向は定まっていない。それぞれの心のままに、四方八方に散る。
ゆえに、
「「うわぁっ!?」」
衝突も起きる。
共感による情報共有も効果を失ってしまっている。
先ほどまでの奇跡のような連携はどこへやら。
その有様を、
「く、ふふっ……!」
街の出口から眺めていた魔王は思わず笑みを漏らした。
(なかなか面白い見世物だ)
奴隷が支える御輿の上で、魔王は酒を片手に観客の一人として高みから楽しんでいた。
だが直後、魔王は笑みを止めた。
御輿のそばに、足元に知人が寄ってきたからだ。
魔王はその者に対して先に口を開いた。
「おお、キーラ。生きて戻ったか。間に合ったようでなによりだ」
「……」
意識が薄いキーラには答える力が無かった。
だが魔王はどうでもいいかのように、左手にある赤紫色のグラスをあおった。
「……っ」
喉がひどく渇いていたキーラの意識はそのグラスに結びついた。
しかしそれは一瞬だった。
キーラの意識の向きはもう片方の手に、魔王の右手のほうに瞬時に切り替わった。
そこには異様なものがあった。
小さなテーブルの上に置かれた馬の生首だ。
まるで偉大なるものへの捧げものであるかのように、銀の皿の上に置かれている。
魔王はその不気味なものを鷲掴むように、薄く光る右手を乗せていた。
そして直後、魔王はまだ聞かれてもいない質問に答えた。
「馬を直接狙った攻撃は初めてでな。事前にこれで実験してみたのだ」
魔王は「ぽんぽん」と、まるで可愛がるように馬の頭を右手の平で叩きながら言葉を続けた。
「思ったよりも単純で簡単だった。やはり人間ほどの思考力は無いな」
そう言った後、魔王は顎で指しながら口を開いた。
「ゆえにあの有様よ」
そして魔王は笑みを戻し、述べた。
「やっていることはただ恐怖を煽っているだけ。強度も弱い。この程度ならば人間なら抗える。しかし馬にはその思考力が無い。恐怖の原因を考えられず、ただその感情に振り回される」
魔王は「さらに」と言葉を繋げた。
「なまじ共有など使っているがゆえに、その恐怖が瞬く間に伝播する。こちらから大きく広げるまでも無い」
正確には、大きく広げられない、であった。
理由は単純。使っている楽器はあくまで対人用であり、馬の恐怖を司る部分に響く波を発することが難しかったからだ。魔王の補助を借りても、熟練の演奏者にしか出来なかったからだ。
しかしそれでも効果は上々だった。
魔王はその成果に満足した声色のまま、『本題』に入った。
「……しかし酷くやられたなキーラ。特別に、『我の部屋で』休ませてやろう。すぐに医者も手配させる」
「……!」
その言葉に、キーラは「びくり」と身を強張らせた。
原因は恐怖。
その根源はある『噂』。
魔王と二人きりで過ごした人間は変わってしまう、という噂。
しかしそれが噂で無い事をキーラは知ってしまった。
ラルフはその噂通りになってしまったのだ。
だからキーラは思った。
『ここに来たのは失敗だ』と。
そして気付いた。
(……?!)
そもそも、なぜ弱った状態で『ここに来てしまった』のかを。
普段の自分ならばありえない。
(まさか――)
キーラの心に一つの推察が浮かび上がる。
そしてそれは正解であったがゆえに、
「……」
魔王は再び笑みを消し、冷たい表情をキーラに向け、
(……精神汚染に気付かれたか)
心の奥底で舌打ちした。
だが心配はしていなかった。
この傷ではもうろくに動けないはず。じきに気を失うだろう。
そうなれば後はこちらのものである。
訓練中はまったく隙が無く、これは難しいなと思ったものだが、まさかこんな形で『キーラが手に入る』とは。
我は運が良い、魔王はそう思ったのだが、
「手酷くやられたようだな、キーラ」
直後、場にオレグの声が響いた。
その瞬間から戦況は一変した。
得体の知れない恐怖に、出所の分からない感覚に馬達は混乱した。
そして陣形は瞬く間に崩れた。
我先にと馬達が勝手に逃げ始める。
「待て! 止まれ!」
騎手の命令にも耳を貸さない。
本能のままに足を動かす。
逃げる方向は定まっていない。それぞれの心のままに、四方八方に散る。
ゆえに、
「「うわぁっ!?」」
衝突も起きる。
共感による情報共有も効果を失ってしまっている。
先ほどまでの奇跡のような連携はどこへやら。
その有様を、
「く、ふふっ……!」
街の出口から眺めていた魔王は思わず笑みを漏らした。
(なかなか面白い見世物だ)
奴隷が支える御輿の上で、魔王は酒を片手に観客の一人として高みから楽しんでいた。
だが直後、魔王は笑みを止めた。
御輿のそばに、足元に知人が寄ってきたからだ。
魔王はその者に対して先に口を開いた。
「おお、キーラ。生きて戻ったか。間に合ったようでなによりだ」
「……」
意識が薄いキーラには答える力が無かった。
だが魔王はどうでもいいかのように、左手にある赤紫色のグラスをあおった。
「……っ」
喉がひどく渇いていたキーラの意識はそのグラスに結びついた。
しかしそれは一瞬だった。
キーラの意識の向きはもう片方の手に、魔王の右手のほうに瞬時に切り替わった。
そこには異様なものがあった。
小さなテーブルの上に置かれた馬の生首だ。
まるで偉大なるものへの捧げものであるかのように、銀の皿の上に置かれている。
魔王はその不気味なものを鷲掴むように、薄く光る右手を乗せていた。
そして直後、魔王はまだ聞かれてもいない質問に答えた。
「馬を直接狙った攻撃は初めてでな。事前にこれで実験してみたのだ」
魔王は「ぽんぽん」と、まるで可愛がるように馬の頭を右手の平で叩きながら言葉を続けた。
「思ったよりも単純で簡単だった。やはり人間ほどの思考力は無いな」
そう言った後、魔王は顎で指しながら口を開いた。
「ゆえにあの有様よ」
そして魔王は笑みを戻し、述べた。
「やっていることはただ恐怖を煽っているだけ。強度も弱い。この程度ならば人間なら抗える。しかし馬にはその思考力が無い。恐怖の原因を考えられず、ただその感情に振り回される」
魔王は「さらに」と言葉を繋げた。
「なまじ共有など使っているがゆえに、その恐怖が瞬く間に伝播する。こちらから大きく広げるまでも無い」
正確には、大きく広げられない、であった。
理由は単純。使っている楽器はあくまで対人用であり、馬の恐怖を司る部分に響く波を発することが難しかったからだ。魔王の補助を借りても、熟練の演奏者にしか出来なかったからだ。
しかしそれでも効果は上々だった。
魔王はその成果に満足した声色のまま、『本題』に入った。
「……しかし酷くやられたなキーラ。特別に、『我の部屋で』休ませてやろう。すぐに医者も手配させる」
「……!」
その言葉に、キーラは「びくり」と身を強張らせた。
原因は恐怖。
その根源はある『噂』。
魔王と二人きりで過ごした人間は変わってしまう、という噂。
しかしそれが噂で無い事をキーラは知ってしまった。
ラルフはその噂通りになってしまったのだ。
だからキーラは思った。
『ここに来たのは失敗だ』と。
そして気付いた。
(……?!)
そもそも、なぜ弱った状態で『ここに来てしまった』のかを。
普段の自分ならばありえない。
(まさか――)
キーラの心に一つの推察が浮かび上がる。
そしてそれは正解であったがゆえに、
「……」
魔王は再び笑みを消し、冷たい表情をキーラに向け、
(……精神汚染に気付かれたか)
心の奥底で舌打ちした。
だが心配はしていなかった。
この傷ではもうろくに動けないはず。じきに気を失うだろう。
そうなれば後はこちらのものである。
訓練中はまったく隙が無く、これは難しいなと思ったものだが、まさかこんな形で『キーラが手に入る』とは。
我は運が良い、魔王はそう思ったのだが、
「手酷くやられたようだな、キーラ」
直後、場にオレグの声が響いた。
0
お気に入りに追加
88
あなたにおすすめの小説
何を間違った?【完結済】
maruko
恋愛
私は長年の婚約者に婚約破棄を言い渡す。
彼女とは1年前から連絡が途絶えてしまっていた。
今真実を聞いて⋯⋯。
愚かな私の後悔の話
※作者の妄想の産物です
他サイトでも投稿しております
あなたの子ですが、内緒で育てます
椿蛍
恋愛
「本当にあなたの子ですか?」
突然現れた浮気相手、私の夫である国王陛下の子を身籠っているという。
夫、王妃の座、全て奪われ冷遇される日々――王宮から、追われた私のお腹には陛下の子が宿っていた。
私は強くなることを決意する。
「この子は私が育てます!」
お腹にいる子供は王の子。
王の子だけが不思議な力を持つ。
私は育った子供を連れて王宮へ戻る。
――そして、私を追い出したことを後悔してください。
※夫の後悔、浮気相手と虐げられからのざまあ
※他サイト様でも掲載しております。
※hotランキング1位&エールありがとうございます!
【完】あの、……どなたでしょうか?
桐生桜月姫
恋愛
「キャサリン・ルーラー
爵位を傘に取る卑しい女め、今この時を以て貴様との婚約を破棄する。」
見た目だけは、麗しの王太子殿下から出た言葉に、婚約破棄を突きつけられた美しい女性は………
「あの、……どなたのことでしょうか?」
まさかの意味不明発言!!
今ここに幕開ける、波瀾万丈の間違い婚約破棄ラブコメ!!
結末やいかに!!
*******************
執筆終了済みです。
(完結)醜くなった花嫁の末路「どうぞ、お笑いください。元旦那様」
音爽(ネソウ)
ファンタジー
容姿が気に入らないと白い結婚を強いられた妻。
本邸から追い出されはしなかったが、夫は離れに愛人を囲い顔さえ見せない。
しかし、3年と待たず離縁が決定する事態に。そして元夫の家は……。
*6月18日HOTランキング入りしました、ありがとうございます。
愚かな父にサヨナラと《完結》
アーエル
ファンタジー
「フラン。お前の方が年上なのだから、妹のために我慢しなさい」
父の言葉は最後の一線を越えてしまった。
その言葉が、続く悲劇を招く結果となったけど・・・
悲劇の本当の始まりはもっと昔から。
言えることはただひとつ
私の幸せに貴方はいりません
✈他社にも同時公開
【完結】言いたいことがあるなら言ってみろ、と言われたので遠慮なく言ってみた
杜野秋人
ファンタジー
社交シーズン最後の大晩餐会と舞踏会。そのさなか、第三王子が突然、婚約者である伯爵家令嬢に婚約破棄を突き付けた。
なんでも、伯爵家令嬢が婚約者の地位を笠に着て、第三王子の寵愛する子爵家令嬢を虐めていたというのだ。
婚約者は否定するも、他にも次々と証言や証人が出てきて黙り込み俯いてしまう。
勝ち誇った王子は、最後にこう宣言した。
「そなたにも言い分はあろう。私は寛大だから弁明の機会をくれてやる。言いたいことがあるなら言ってみろ」
その一言が、自らの破滅を呼ぶことになるなど、この時彼はまだ気付いていなかった⸺!
◆例によって設定ナシの即興作品です。なので主人公の伯爵家令嬢以外に固有名詞はありません。頭カラッポにしてゆるっとお楽しみ下さい。
婚約破棄ものですが恋愛はありません。もちろん元サヤもナシです。
◆全6話、約15000字程度でサラッと読めます。1日1話ずつ更新。
◆この物語はアルファポリスのほか、小説家になろうでも公開します。
◆9/29、HOTランキング入り!お読み頂きありがとうございます!
10/1、HOTランキング最高6位、人気ランキング11位、ファンタジーランキング1位!24h.pt瞬間最大11万4000pt!いずれも自己ベスト!ありがとうございます!
夫から国外追放を言い渡されました
杉本凪咲
恋愛
夫は冷淡に私を国外追放に処した。
どうやら、私が使用人をいじめたことが原因らしい。
抵抗虚しく兵士によって連れていかれてしまう私。
そんな私に、被害者である使用人は笑いかけていた……
【完結】王子は聖女と結婚するらしい。私が聖女であることは一生知らないままで
雪野原よる
恋愛
「聖女と結婚するんだ」──私の婚約者だった王子は、そう言って私を追い払った。でも、その「聖女」、私のことなのだけど。
※王国は滅びます。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる