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最終章

第五十五話 逢魔の調べ(18)

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   ◆◆◆

 その瞬間から戦況は一変した。
 得体の知れない恐怖に、出所の分からない感覚に馬達は混乱した。
 そして陣形は瞬く間に崩れた。
 我先にと馬達が勝手に逃げ始める。

「待て! 止まれ!」

 騎手の命令にも耳を貸さない。
 本能のままに足を動かす。
 逃げる方向は定まっていない。それぞれの心のままに、四方八方に散る。
 ゆえに、

「「うわぁっ!?」」

 衝突も起きる。
 共感による情報共有も効果を失ってしまっている。
 先ほどまでの奇跡のような連携はどこへやら。
 その有様を、

「く、ふふっ……!」

 街の出口から眺めていた魔王は思わず笑みを漏らした。

(なかなか面白い見世物だ)

 奴隷が支える御輿の上で、魔王は酒を片手に観客の一人として高みから楽しんでいた。
 だが直後、魔王は笑みを止めた。
 御輿のそばに、足元に知人が寄ってきたからだ。
 魔王はその者に対して先に口を開いた。

「おお、キーラ。生きて戻ったか。間に合ったようでなによりだ」
「……」

 意識が薄いキーラには答える力が無かった。
 だが魔王はどうでもいいかのように、左手にある赤紫色のグラスをあおった。

「……っ」

 喉がひどく渇いていたキーラの意識はそのグラスに結びついた。
 しかしそれは一瞬だった。
 キーラの意識の向きはもう片方の手に、魔王の右手のほうに瞬時に切り替わった。
 そこには異様なものがあった。
 小さなテーブルの上に置かれた馬の生首だ。
 まるで偉大なるものへの捧げものであるかのように、銀の皿の上に置かれている。
 魔王はその不気味なものを鷲掴むように、薄く光る右手を乗せていた。
 そして直後、魔王はまだ聞かれてもいない質問に答えた。

「馬を直接狙った攻撃は初めてでな。事前にこれで実験してみたのだ」

 魔王は「ぽんぽん」と、まるで可愛がるように馬の頭を右手の平で叩きながら言葉を続けた。

「思ったよりも単純で簡単だった。やはり人間ほどの思考力は無いな」

 そう言った後、魔王は顎で指しながら口を開いた。

「ゆえにあの有様よ」

 そして魔王は笑みを戻し、述べた。

「やっていることはただ恐怖を煽っているだけ。強度も弱い。この程度ならば人間なら抗える。しかし馬にはその思考力が無い。恐怖の原因を考えられず、ただその感情に振り回される」

 魔王は「さらに」と言葉を繋げた。

「なまじ共有など使っているがゆえに、その恐怖が瞬く間に伝播する。こちらから大きく広げるまでも無い」

 正確には、大きく広げられない、であった。
 理由は単純。使っている楽器はあくまで対人用であり、馬の恐怖を司る部分に響く波を発することが難しかったからだ。魔王の補助を借りても、熟練の演奏者にしか出来なかったからだ。
 しかしそれでも効果は上々だった。
 魔王はその成果に満足した声色のまま、『本題』に入った。

「……しかし酷くやられたなキーラ。特別に、『我の部屋で』休ませてやろう。すぐに医者も手配させる」
「……!」

 その言葉に、キーラは「びくり」と身を強張らせた。
 原因は恐怖。
 その根源はある『噂』。
 魔王と二人きりで過ごした人間は変わってしまう、という噂。
 しかしそれが噂で無い事をキーラは知ってしまった。
 ラルフはその噂通りになってしまったのだ。
 だからキーラは思った。
『ここに来たのは失敗だ』と。
 そして気付いた。

(……?!)

 そもそも、なぜ弱った状態で『ここに来てしまった』のかを。
 普段の自分ならばありえない。

(まさか――)

 キーラの心に一つの推察が浮かび上がる。
 そしてそれは正解であったがゆえに、

「……」

 魔王は再び笑みを消し、冷たい表情をキーラに向け、

(……精神汚染に気付かれたか)

 心の奥底で舌打ちした。
 だが心配はしていなかった。
 この傷ではもうろくに動けないはず。じきに気を失うだろう。
 そうなれば後はこちらのものである。
 訓練中はまったく隙が無く、これは難しいなと思ったものだが、まさかこんな形で『キーラが手に入る』とは。
 我は運が良い、魔王はそう思ったのだが、

「手酷くやられたようだな、キーラ」

 直後、場にオレグの声が響いた。
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