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最終章
第五十四話 魔王上陸(4)
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◆◆◆
それから、繰り返しの日々が淡々と続いた。
もっと強くならなければ、そんな思いからアランは手足を動かし、頭を回し続けた。
次は負けられない。逃げることも許されない。敗北すれば全てが無に帰す、そんな予感があった。
もしかしたら、自分が危惧していることは起きないのではないか、そんな思いが浮かび上がることがあるほどにその日々は静かであった。
だがその考えを信じることはできなかった。信じられればどれほど楽になれるか、そう思った。
アランは知る由も無かったが、その嵐の前の静けさには理由があった。
冬になると白き帝国の港が凍ってしまうからだ。
だから北の海からの出陣は春か夏にしか出来ない。氷を割りながら進める船が無い。
和の国周辺の海は警戒されている。
それでも、南の植民地で軍と船を編成することも可能であったが、魔王はこれをよしとしなかった。
奴隷の、他国から出させた兵は肉の盾にはなるが、戦力としてはほとんど期待出来ないと考えていたのだ。
原因は単純。これまでに何度もそうしてきたからだ。
村や町そのものを人質にすれば死ぬ気で戦わせることは簡単に出来た。しかしそれを何度も行ったせいで他国の魔法使いの数が激減したのだ。
光弾を撃てる人間が一割集まるかどうかも怪しいほどに。
ならば、軍は自国で編成すればいいということになるが、それでも南の道を選べない理由があった。
白き帝国が病に侵されているからだ。
賄賂と不正、そして怠惰。白き帝国にはそのような病が蔓延しきっていた。
それは軍部にまで及び、兵站線の維持能力にまで影響を及ぼしていた。
少し金が動くだけで兵糧が消えてしまう。
ゆえに、兵站線が長くなる南の迂回路を進む気が起きないのだ。
不正を行った将の首をはねるだけでいいことは分かっていた。
しかし自分が可愛い魔王には、人気を失いたくない魔王にはそれが出来なかった。
結局、互いに甘やかしすぎているのだ。
されど魔王には打てる手が、技術があった。
兵站線の維持管理能力自体はどうにもならないが、士気などの戦闘面の問題はそれで解決する。
だから魔王は戦えるのだ。野心も征服欲も枯らさずにここまでこれたのだ。
そして時は過ぎ――
◆◆◆
そして時は過ぎ、運命の分岐点となる新たな春がアランの国に訪れた。
「久しぶりだな」
うららかなその日、アランのもとに挨拶どおりの懐かしい客が、ルイスが姿を見せた。
そしてその挨拶に対して返事をしたのはアランだけでは無かった。
いつの間にか隣に立っていたナチャも笑顔を返していた。
アランは早速用件を尋ねようとしたが、それより先にルイスが口を開いた。
「今日は『警告』に来た」
何のことかは聞き返すまでも無かった。
だからルイスの口は早く回った。
「連中が船を大量に建造している。そしてそれは完成間近だ。この春か、夏にでも彼らはここに向かって出発するだろう。
到着は秋の終わりごろか冬。場所は北の海岸線のどこか。一箇所ではなく、複数同時かもしれない」
そしてルイスはまるで哀れむかのような目で言った。
「歓迎の準備は既に大体出来ているようだが、まだ時間はある。思い残すことがないようにな」
それはまるで「念のために遺書を書いておけ」とでも言っているかのようであった。
いや、本当にそのつもりなのかもしれない、本当に必要なのかもしれない、アランはそう思った。
◆◆◆
そしてルイスの「警告」は具体的な戦術面、魔王が得意とする戦い方についてまで及んだ。
「……これは長くなりそうね」
シャロンは二人の話を盗み聞きながらそう呟いた後、視線をサイラスの方に向けながら口を開いた。
「本当に会わないつもりなの? わざわざここまで来たのに」
これにサイラスは、
「……」
即答出来なかった。
しばらくして、
「挨拶の一つでも、とは思っていたんだがな。……正直に言うと、アランの顔を見るのが怖い」
その答えにシャロンは薄い笑みを返した。
ならばその決意がどちらかに固まるまで待ってあげる、そんな思いを込めて。
会う必要は無い。ここに来た目的を考えればむしろ会わないほうがいい。隠密性が求められるからだ。
サイラスがシャロンと共に戻ってきた理由、それはアランの戦いを影から補佐するためであった。
結局、サイラスはアランに会えなかった。
我はこの国では影のままでいい、そんな思いを言い訳にした。
◆◆◆
一方、雲水は和の国にいた。
彼の目的はある嘆願書の返事をもらうためであった。
その嘆願書の内容は重いものであり、大名であっても一存では決められぬものであった。
だから雲水は上に直接顔を通せる人物にその書を託した。
その人物とは――
「雲水よ、返事が来たぞ」
それは徳川の懐刀(ふところがたな)、服部と呼ばれる男であった。
彼は何者か。
今の肩書きは武士である。
彼の祖先は忍者であり、彼自身もその顔を持つ。
だがその血はもう薄い。今では侍の色のほうが濃い。
しかしゆえに彼特有の仕事がある。
今やっている事がそれだ。服部は忍者と他を結ぶ繋ぎ役なのだ。
そしてそんな服部は己の仕事を続けた。
「結論から言うと、お前の願いはしかと聞き届けられた」
これに雲水は頭を深く下げようとしたが、それを服部は「だが、」と制した。
「一つ条件がある」
それは何か。服部は述べた。
「その部隊の指揮はお前が取ること。以上だ」
それを聞いた雲水は改めて頭を深く下げた。
ありがたき幸せと、言葉を添えて。
それから、繰り返しの日々が淡々と続いた。
もっと強くならなければ、そんな思いからアランは手足を動かし、頭を回し続けた。
次は負けられない。逃げることも許されない。敗北すれば全てが無に帰す、そんな予感があった。
もしかしたら、自分が危惧していることは起きないのではないか、そんな思いが浮かび上がることがあるほどにその日々は静かであった。
だがその考えを信じることはできなかった。信じられればどれほど楽になれるか、そう思った。
アランは知る由も無かったが、その嵐の前の静けさには理由があった。
冬になると白き帝国の港が凍ってしまうからだ。
だから北の海からの出陣は春か夏にしか出来ない。氷を割りながら進める船が無い。
和の国周辺の海は警戒されている。
それでも、南の植民地で軍と船を編成することも可能であったが、魔王はこれをよしとしなかった。
奴隷の、他国から出させた兵は肉の盾にはなるが、戦力としてはほとんど期待出来ないと考えていたのだ。
原因は単純。これまでに何度もそうしてきたからだ。
村や町そのものを人質にすれば死ぬ気で戦わせることは簡単に出来た。しかしそれを何度も行ったせいで他国の魔法使いの数が激減したのだ。
光弾を撃てる人間が一割集まるかどうかも怪しいほどに。
ならば、軍は自国で編成すればいいということになるが、それでも南の道を選べない理由があった。
白き帝国が病に侵されているからだ。
賄賂と不正、そして怠惰。白き帝国にはそのような病が蔓延しきっていた。
それは軍部にまで及び、兵站線の維持能力にまで影響を及ぼしていた。
少し金が動くだけで兵糧が消えてしまう。
ゆえに、兵站線が長くなる南の迂回路を進む気が起きないのだ。
不正を行った将の首をはねるだけでいいことは分かっていた。
しかし自分が可愛い魔王には、人気を失いたくない魔王にはそれが出来なかった。
結局、互いに甘やかしすぎているのだ。
されど魔王には打てる手が、技術があった。
兵站線の維持管理能力自体はどうにもならないが、士気などの戦闘面の問題はそれで解決する。
だから魔王は戦えるのだ。野心も征服欲も枯らさずにここまでこれたのだ。
そして時は過ぎ――
◆◆◆
そして時は過ぎ、運命の分岐点となる新たな春がアランの国に訪れた。
「久しぶりだな」
うららかなその日、アランのもとに挨拶どおりの懐かしい客が、ルイスが姿を見せた。
そしてその挨拶に対して返事をしたのはアランだけでは無かった。
いつの間にか隣に立っていたナチャも笑顔を返していた。
アランは早速用件を尋ねようとしたが、それより先にルイスが口を開いた。
「今日は『警告』に来た」
何のことかは聞き返すまでも無かった。
だからルイスの口は早く回った。
「連中が船を大量に建造している。そしてそれは完成間近だ。この春か、夏にでも彼らはここに向かって出発するだろう。
到着は秋の終わりごろか冬。場所は北の海岸線のどこか。一箇所ではなく、複数同時かもしれない」
そしてルイスはまるで哀れむかのような目で言った。
「歓迎の準備は既に大体出来ているようだが、まだ時間はある。思い残すことがないようにな」
それはまるで「念のために遺書を書いておけ」とでも言っているかのようであった。
いや、本当にそのつもりなのかもしれない、本当に必要なのかもしれない、アランはそう思った。
◆◆◆
そしてルイスの「警告」は具体的な戦術面、魔王が得意とする戦い方についてまで及んだ。
「……これは長くなりそうね」
シャロンは二人の話を盗み聞きながらそう呟いた後、視線をサイラスの方に向けながら口を開いた。
「本当に会わないつもりなの? わざわざここまで来たのに」
これにサイラスは、
「……」
即答出来なかった。
しばらくして、
「挨拶の一つでも、とは思っていたんだがな。……正直に言うと、アランの顔を見るのが怖い」
その答えにシャロンは薄い笑みを返した。
ならばその決意がどちらかに固まるまで待ってあげる、そんな思いを込めて。
会う必要は無い。ここに来た目的を考えればむしろ会わないほうがいい。隠密性が求められるからだ。
サイラスがシャロンと共に戻ってきた理由、それはアランの戦いを影から補佐するためであった。
結局、サイラスはアランに会えなかった。
我はこの国では影のままでいい、そんな思いを言い訳にした。
◆◆◆
一方、雲水は和の国にいた。
彼の目的はある嘆願書の返事をもらうためであった。
その嘆願書の内容は重いものであり、大名であっても一存では決められぬものであった。
だから雲水は上に直接顔を通せる人物にその書を託した。
その人物とは――
「雲水よ、返事が来たぞ」
それは徳川の懐刀(ふところがたな)、服部と呼ばれる男であった。
彼は何者か。
今の肩書きは武士である。
彼の祖先は忍者であり、彼自身もその顔を持つ。
だがその血はもう薄い。今では侍の色のほうが濃い。
しかしゆえに彼特有の仕事がある。
今やっている事がそれだ。服部は忍者と他を結ぶ繋ぎ役なのだ。
そしてそんな服部は己の仕事を続けた。
「結論から言うと、お前の願いはしかと聞き届けられた」
これに雲水は頭を深く下げようとしたが、それを服部は「だが、」と制した。
「一つ条件がある」
それは何か。服部は述べた。
「その部隊の指揮はお前が取ること。以上だ」
それを聞いた雲水は改めて頭を深く下げた。
ありがたき幸せと、言葉を添えて。
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