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第六章 アランの力は遂に一つの頂点に

第四十三話 試練の時、来たる(30)

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   ◆◆◆

 もっと速く、もっと強く――
 そんな言葉にリックの意識は染まっていった。
 そして奇しくも、少し離れた場所に同じ意識を抱いている者がいた。
 まるで伝播したかのように、共感しているかのように。

「はあ、はあ、はあ」

 その少女は小さな胸を激しく上下させながら剣を振るっていた。
 その手にある剣は燃えていた。主の心を映すかのように。
 いつからか、なんでそんなことをしているのか、それは本人にも分からなかった。
 伝わる熱が握り手を少しずつ焼いてしまっている。
 水ぶくれはとうに破れ、その手は真っ赤に染まっている。同じ色をした雫が滴って(したたって)いる。
 当然痛む。が、その棘のような鋭い感覚ですらも、今のアンナを止める障害にはなっていなかった。
 むしろ、その刺激はアンナの心をさらに熱くしていた。
 そして火照っているのは心だけでは無かった。

(体が熱い……!)

 炎の魔法使いにとって、それが何を意味するのかをアンナは知っていた。
 体内で炎の魔力が大量に生成されているからだ。それらが体内にある酸素と結びつき、熱を発している。
 炎の魔法使いの体はそれらを処理する機能も備わっている。
 が、その処理が追いついていない。
 このまま悪化すればどうなるか、それをアンナは文献で知っていた。
 それは人体発火。
 強力な先人達の何人かが、激戦の果てに迎えてしまった凄まじくも哀れな自滅。
 アンナの体はその危機に瀕している。
 しかしアンナは休もうとはしなかった。

(もう少しで……!)

 何かを掴めそうだからだ。
 無茶な行動の成果は既にある程度得られている。
 その一つを、アンナは直後に動いて見せた。

「疾ッ!」

 初動は今までと何ら変わらない、左から右への水平斬りに見えた。
 しかし直後にアンナは右へ飛ぶように地を蹴った。
 振り抜いた長剣に引っ張られるような感覚と共に視界が流れる。
 これが一つの解決策。剣を止められないのであれば、振り抜いた勢いと共に自分も動けばいい。
 攻撃と横への離脱を同時に行える、攻防一体の動き。
 しかしもし、左右に障害物があったら? 乱戦であればそんな状況は高い確率で発生する。
 または、自分の移動に簡単に追いつくほどに相手が速かったら?
 そういう時は――

(切り返す!)

 水平であった斬撃の軌道を下向きに修正。
 剣先が地面に食い込み、そして止まる。
 剣の寿命を削る行為だが、これがもう一つの解決策。腕力で止められないのであれば、硬い何かに受け止めてもらえばいい。
 地面に出来た切れ込みから火花が、火柱が噴出す。
 そして剣の勢いが完全に止まった瞬間、

「ぇえやッ!」

 アンナは魔力を爆発させた。
 火柱が一瞬膨れ上がり、弾ける。
 大量の火の粉と共に剣先が切れ込みから飛び出す。
 赤く焼けた太い刀身は右から左へ。
 炎と共に描かれた軌跡が迫る幻を、想像上の敵を横一文字に切り裂く。

(いや、まだ!)

 しかしアンナはその結果に満足しなかった。
 彼ならばこの一撃は避ける、そう思ったからだ。
 例えば、切り返しの下を潜り抜けるようにして。
 そう思った瞬間、幻が再び形を取った。
 低姿勢で再構築される幻。
 その顔にあたる部分に貼り付けられていた仮面は、やはりリックのものであった。
 仮想敵であるリックが攻撃の予備動作に、突き上げ右掌底の体勢に入る。
 どうする? 避ける? 反撃する?
 アンナの答えはもう決まっていた。
 いつの間にか空いている右手を腰に差している刀に伸ばす。
 先ほどまではその手に長剣が握られていた。
 切り返す際に、右から左に振り抜く時に左手に持ち替えたのだ。
 左から右に振り抜く時もそうだった。左手から右手に持ち替えたのだ。
 なぜ、そんな事をするのか。それは、

(この時のために!)

 がら空きになる側面を、斬撃の始動側に生じる隙を埋めるために!
 瞬間、一閃。
「薄赤い銀色」の軌跡が幻を切り裂く。
 そのように見えた。

「!」

 しかし幻は、アンナの理性はそれを否定した。
 いつの間にか兄に変わった幻はその一撃をいとも容易く受け流し、直後にアンナの心臓に刀の切っ先をねじ込んできた。

「……」

 その結果に、アンナの手は、体は止まった。
 実は分かっていた。予想がついていた。この防御に弱点があることは。
 それは炎が弱いということ。
 柄を握って即抜刀、ゆえに刀身に炎の魔力を込める時間がほとんど無いのだ。鋼と相性の良い光魔法とはわけが違う。ゆえに先の一撃は「薄赤い銀色」になったのだ。
 クラウスのように鞘を握り続けるということは出来ない。
 問題の解決法が糸口すら見えない。ゆえに、

「……っ」

 アンナは表情を険しくすることしか出来なかった。
 焼けた手から生ずる痛みが苛立ちを強くする。
 追い詰められた時の返し手が弱いのでは本末転倒だ。
 結局、無理なのか?
 苛立ちが募る。

「……っ!」

 そのもどかしくも重い感情に動かされるように、アンナは左手にある燃える剣を振り上げた。
 その瞬間、アンナはあることを思い出した。

(あの時は確か、こうやって――)

 アンナはそれを剣で再現しようと、切っ先を真下に振り下ろし、地面に突き立てた。
 剣先から放出される炎が地面という壁によって跳ね返り、火柱となって舞い上がる。
 体が飲み込まれないように、防御魔法を展開する要領で炎を円状に押し広げる。
 しかしそれでも熱に体を焼かれる。
 あの時は、リックに追い詰められた時はこうやって凌いだ。

(この手は今でも使えるかもしれない)

 そんな事を考えながらアンナは剣先から立ち昇る炎を見つめた。
 すると、アンナはある事に気付いた。以前よりも感知能力が成長しているゆえに気付けた。

(これは、樹……?)

 あの時のクラウスと同じように、アンナは炎魔法の構造が樹に似ていることに気付いた。
 しかしアンナの着眼点はクラウスとは少し違っていた。
 アンナは先端部分、細い枝にだけ注目した。
 そして気付いた。

(他の太い枝よりも……)

 燃え方が激しいのだ。

 アンナはこれまで深く考えたことが無かった。
 アンナに限らない。ほとんどの魔法使いがそうである。
「燃える」とは、どういうことを意味するのか。どういう現象なのか。
 それは「酸化」である。つまり、「錆び」も燃焼の形態の一つなのだ。変化がゆっくりであるので気付かないが、錆びるという現象もちゃんと熱を発している。
 そして多くの人がイメージする燃焼は炎を伴う激しいものだが、その炎の正体はただの煙である。煙が熱と光を帯びている状態だ。
 つまり、少量の燃料で出来る限りの激しい炎を起こそうとするならば、「急速な酸化」を引き起こせばいいということ。
 そしてそれを手っ取り早く実現出来る単純な手段とは――

「……」

 アンナはその答えに気付きかけていた。
 試してみたい、試すべきだ、そう思ったアンナは早速それを行動に移した。
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