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第六章 アランの力は遂に一つの頂点に
第四十二話 魔王(27)
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◆◆◆
「……」
そしてシャロンは目を閉じたまま何かを待ち続けた。
もう一時間近く微動だにしていない。
その胸元は弱弱しく上下している。
意識は薄く、朦朧としている。
まるで重い病人かのように。
醸し出される「死」の気配に引き寄せられたのか、彼女の周りには大量の「手」が生えていた。
そう、アランが見たあの「手」だ。
シャロンの狙いはこいつらでは無い。
こいつらは植物に近い存在だ。弱った獲物を引き寄せ、そして食す、それだけの事しか出来ない、それしか考えていない存在だ。
こいつらを食してもろくな栄養にならない。まったくの無駄というわけでは無いが、そんなことをすれば本命に逃げられてしまうだろう。
「……」
風に吹かれているかのようにゆらめくそれらを、シャロンはうっとうしく感じながら待ち続けた。
しばらくして――
(……ようやく、来たわね)
本命は現れた。
それはかつてアランが見た「死神」であった。
こいつは一体何なのか。
これは成れの果てだ。かつて人間だったものだ。
死んだ後、野に放たれた魂はいずれ力を失って消え行くのが普通だ。
しかし中には生き残る者がいる。他人を食らって、生き長らえる者がいる。
あの世にもあるのだ。「生存競争」の世界が。この世のものと比べるといささか歪で、不完全ではあるが。
こいつらはその「生存競争」を生き抜いている者達だ。
しかしかつて人間だった頃とは違い、満足な補給は滅多に得られないため、魂としての機能はかなり失われ弱くなっている。消費を抑えるためにそうせざるを得ないのだろう。
生存に必要とは言い難い、人間的感情などはほとんど失われている。「食欲」や、狩りに必要な「威圧」や「恐怖」などだけが残っている。見た目もそれに合わせて作り直されているため、恐ろしいものとなっている。
つまり、節約のために機能を削り、狩りに特化しているわけだが、それでもこいつらは我々生きている存在からすればはるかに弱い存在だ。それほどまでに脳から得られる補給というものは圧倒的なのだ。
だからこいつらは元気な人間は狙わない。
だからシャロンはこんなことをしている。脳波を細工して再現した、巧妙な「死んだふり」だ。
目の前に現れた死神はそれに騙された、「釣られた獲物」なのだ。
シャロンは十分近寄ってくれたその哀れな獲物を、糸ですばやく絡め取った。
「!?」
ようやく罠だと気付いたのか、網の中でもがく死神。
周囲に生えていた手も一斉に逃げ出した。
しかしもう遅い。何もかも手遅れだ。力の差は圧倒的だ。
それほどまでにこいつらはか弱い存在だ。しかし手と比べればかなりの栄養を持っている。かつて人間であったがゆえに、その体を構成する部品は今でも再利用出来る。
だからシャロンは笑みを浮かべながら、
「いただきます」
と、大きく口を開けた。
◆◆◆
そんな「釣り」を場所を変えながら数度繰り返し、満足な補給を完了した頃には深夜になっていた。
シャロンは頭痛が引いていく感覚を充足感と共に感じながら思考を巡らせていた。
(アラン自体は強く無かったはず。強さだけを見るならば問題は仲間。例えばアンナ。片足を失ったとはいえ、カルロも侮れない存在のままであることは間違い無い)
アランが優先目標であることは間違い無いが、状況次第では優先順位が大きく変わる可能性があるわね、とシャロンは思った。
皆様のご想像通り、シャロンはろくでもない事を考えている。シャロンはこの国にとって善たる存在では無い。どちらかと言うと悪である。アラン達の社会を、炎の一族が築き上げた社会を破壊しようとしている。サイラスに助力しているのは、単純にサイラスに思い入れがあるからだ。
そして、シャロンの思考は順調に進んだ。
「……」
が、シャロンはその考えをすぐに行動に移そうとはしなかった。
出来なかった。
久しく忘れていた迷いが、シャロンの心に湧きあがっていた。
迷う理由の一つは、事の重大さ。
恐らく、いや、間違い無く、これからやる事は修正が効かないことだ。やってしまったら、もう後戻りが出来ないことだ。
これからやろうとしている事は戦力の調整である。
鍵を握っているのは強力な神事を単独で引き起こすことが出来るサイラスとアラン。
そして、二人の周りにある戦力も粒揃いだ。ラルフとリーザ、アンナとカルロ、これらは世界という大きな舞台で見ても、間違い無く上から数えた方が早い位置にいる者達だ。
この者達が全員、我々と同じ域にまで登ったとしたら、魔王はどう思うだろうか?
手を引く可能性が高いだろう。和の国からそうしたように。
だから私は誰かを削ろうとしている。
しかしその選別の中にサイラスは含まれていない。
サイラスを生き残らせるということは、神事を単独で引き起こせる強力な神官がこの国に存在し続けるということ。
つまり、生き残った者達は遅かれ早かれ、全員我々と同じ域にまで登ってくる可能性があるということだ。
だからアランの優先順位が下がった。
しかしそもそも、この考え方がおかしい。
鍵となる二人を消せばそれで済む話なのだ。
そして間違い無く、「私の一番の望み」を達成するにはそれが最善手である。
だから悩んでいる。
ただの小さな感情が、サイラスへの想いが、事の判断基準を狂わせているからだ。
シャロンがサイラスに対して抱いている感情は「男女」のものでは無い。「身内に対する愛」に近い。
かつて、シャロンはその感情を捨てようと努力した時があった。
「彼」はもう違う人間だと、別人になってしまっていると自分に言い聞かせ、あきらめようとしたことがあった。
その考え方にはちゃんとした根拠があり、事実そうであったのだが、それでも結局シャロンはサイラスに対しての思いを完全に捨て去ることは出来なかった。だから悩み、苦しんでいる。
混沌という技術を得てなお、シャロンは小さな感情に振り回されている。そも、「一番の望み」すら感情を基本としたものだ。彼女の行動原理に感情が含まれていないものは無い。
しかし人間であるのだからそれはおかしな事では無い。「善」に基づく「高い志」などの崇高な目標に対しても同じだ。そのようなものには「希望」や「正義」などの眩い感情が伴うことが多く、そうあるべきである。
彼女を悩ませているのは感情の「大小」、「程度の高さ」である。彼女には無いのだ。「高い志」のような大きな物を抱いた事が。考えた事すら無い。今の彼女の中にあるのは「取り戻したい」という欲求だけだ。
不思議なことに、シャロンの苦しみの原点は「自分は小さな人間である」という思い込みから生ずる自己非難である。混沌という並外れた技術を有しているにもかかわらずだ。そしてシャロンはその事に気付いていない。
「……」
そしてシャロンは目を閉じたまま何かを待ち続けた。
もう一時間近く微動だにしていない。
その胸元は弱弱しく上下している。
意識は薄く、朦朧としている。
まるで重い病人かのように。
醸し出される「死」の気配に引き寄せられたのか、彼女の周りには大量の「手」が生えていた。
そう、アランが見たあの「手」だ。
シャロンの狙いはこいつらでは無い。
こいつらは植物に近い存在だ。弱った獲物を引き寄せ、そして食す、それだけの事しか出来ない、それしか考えていない存在だ。
こいつらを食してもろくな栄養にならない。まったくの無駄というわけでは無いが、そんなことをすれば本命に逃げられてしまうだろう。
「……」
風に吹かれているかのようにゆらめくそれらを、シャロンはうっとうしく感じながら待ち続けた。
しばらくして――
(……ようやく、来たわね)
本命は現れた。
それはかつてアランが見た「死神」であった。
こいつは一体何なのか。
これは成れの果てだ。かつて人間だったものだ。
死んだ後、野に放たれた魂はいずれ力を失って消え行くのが普通だ。
しかし中には生き残る者がいる。他人を食らって、生き長らえる者がいる。
あの世にもあるのだ。「生存競争」の世界が。この世のものと比べるといささか歪で、不完全ではあるが。
こいつらはその「生存競争」を生き抜いている者達だ。
しかしかつて人間だった頃とは違い、満足な補給は滅多に得られないため、魂としての機能はかなり失われ弱くなっている。消費を抑えるためにそうせざるを得ないのだろう。
生存に必要とは言い難い、人間的感情などはほとんど失われている。「食欲」や、狩りに必要な「威圧」や「恐怖」などだけが残っている。見た目もそれに合わせて作り直されているため、恐ろしいものとなっている。
つまり、節約のために機能を削り、狩りに特化しているわけだが、それでもこいつらは我々生きている存在からすればはるかに弱い存在だ。それほどまでに脳から得られる補給というものは圧倒的なのだ。
だからこいつらは元気な人間は狙わない。
だからシャロンはこんなことをしている。脳波を細工して再現した、巧妙な「死んだふり」だ。
目の前に現れた死神はそれに騙された、「釣られた獲物」なのだ。
シャロンは十分近寄ってくれたその哀れな獲物を、糸ですばやく絡め取った。
「!?」
ようやく罠だと気付いたのか、網の中でもがく死神。
周囲に生えていた手も一斉に逃げ出した。
しかしもう遅い。何もかも手遅れだ。力の差は圧倒的だ。
それほどまでにこいつらはか弱い存在だ。しかし手と比べればかなりの栄養を持っている。かつて人間であったがゆえに、その体を構成する部品は今でも再利用出来る。
だからシャロンは笑みを浮かべながら、
「いただきます」
と、大きく口を開けた。
◆◆◆
そんな「釣り」を場所を変えながら数度繰り返し、満足な補給を完了した頃には深夜になっていた。
シャロンは頭痛が引いていく感覚を充足感と共に感じながら思考を巡らせていた。
(アラン自体は強く無かったはず。強さだけを見るならば問題は仲間。例えばアンナ。片足を失ったとはいえ、カルロも侮れない存在のままであることは間違い無い)
アランが優先目標であることは間違い無いが、状況次第では優先順位が大きく変わる可能性があるわね、とシャロンは思った。
皆様のご想像通り、シャロンはろくでもない事を考えている。シャロンはこの国にとって善たる存在では無い。どちらかと言うと悪である。アラン達の社会を、炎の一族が築き上げた社会を破壊しようとしている。サイラスに助力しているのは、単純にサイラスに思い入れがあるからだ。
そして、シャロンの思考は順調に進んだ。
「……」
が、シャロンはその考えをすぐに行動に移そうとはしなかった。
出来なかった。
久しく忘れていた迷いが、シャロンの心に湧きあがっていた。
迷う理由の一つは、事の重大さ。
恐らく、いや、間違い無く、これからやる事は修正が効かないことだ。やってしまったら、もう後戻りが出来ないことだ。
これからやろうとしている事は戦力の調整である。
鍵を握っているのは強力な神事を単独で引き起こすことが出来るサイラスとアラン。
そして、二人の周りにある戦力も粒揃いだ。ラルフとリーザ、アンナとカルロ、これらは世界という大きな舞台で見ても、間違い無く上から数えた方が早い位置にいる者達だ。
この者達が全員、我々と同じ域にまで登ったとしたら、魔王はどう思うだろうか?
手を引く可能性が高いだろう。和の国からそうしたように。
だから私は誰かを削ろうとしている。
しかしその選別の中にサイラスは含まれていない。
サイラスを生き残らせるということは、神事を単独で引き起こせる強力な神官がこの国に存在し続けるということ。
つまり、生き残った者達は遅かれ早かれ、全員我々と同じ域にまで登ってくる可能性があるということだ。
だからアランの優先順位が下がった。
しかしそもそも、この考え方がおかしい。
鍵となる二人を消せばそれで済む話なのだ。
そして間違い無く、「私の一番の望み」を達成するにはそれが最善手である。
だから悩んでいる。
ただの小さな感情が、サイラスへの想いが、事の判断基準を狂わせているからだ。
シャロンがサイラスに対して抱いている感情は「男女」のものでは無い。「身内に対する愛」に近い。
かつて、シャロンはその感情を捨てようと努力した時があった。
「彼」はもう違う人間だと、別人になってしまっていると自分に言い聞かせ、あきらめようとしたことがあった。
その考え方にはちゃんとした根拠があり、事実そうであったのだが、それでも結局シャロンはサイラスに対しての思いを完全に捨て去ることは出来なかった。だから悩み、苦しんでいる。
混沌という技術を得てなお、シャロンは小さな感情に振り回されている。そも、「一番の望み」すら感情を基本としたものだ。彼女の行動原理に感情が含まれていないものは無い。
しかし人間であるのだからそれはおかしな事では無い。「善」に基づく「高い志」などの崇高な目標に対しても同じだ。そのようなものには「希望」や「正義」などの眩い感情が伴うことが多く、そうあるべきである。
彼女を悩ませているのは感情の「大小」、「程度の高さ」である。彼女には無いのだ。「高い志」のような大きな物を抱いた事が。考えた事すら無い。今の彼女の中にあるのは「取り戻したい」という欲求だけだ。
不思議なことに、シャロンの苦しみの原点は「自分は小さな人間である」という思い込みから生ずる自己非難である。混沌という並外れた技術を有しているにもかかわらずだ。そしてシャロンはその事に気付いていない。
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