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第六章 アランの力は遂に一つの頂点に

第四十一話 三つ葉葵の男(21)

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 そこにいたのは赤い男。
 ケビンである。
 真っ赤なその立ち姿の中で、唯一色が違う白目が異様に目立つ。
 ゆえに、女は自然と目を合わせた。
 すると、その白から思いが伝わってきた。
 それは「こっちを見ろ」という言葉となって、女の心に響いた。
 その木霊は響き続けた。木霊のように。
 だから女は気付いた。

(完全に気を失って……いや違う、これは――)

 ケビンの理性と本能が機能していないことを。
 ケビンの魂が本体の中に無いことを。
 ではどこに?
 それはすぐ上にあった。
 大上段に構えられたその手の先に、掲げるように、空に向けた剣の中に。
 ケビンは雲水と同じように鋼の中に入っていた。
 それに気付いた女は尋ねた。どうするつもりなのかと。瀕死のお前が立ち上がっても、雲水の真似事をしても、今の私には脅威では無いぞ、と。
 女はそんな言葉をケビンの魂に投げかけた。
 それはケビン自身、同じ思いのようであった。
 しかし、こんなぼろぼろの自分でも、一つだけ出来る事があるのだ。時間稼ぎでは無い、やるべきことがあるのだ、という思いもあった。
 女はその思いを、ケビンの中に残った記憶と残留思念を辿った。
 それは雲水から教えてもらったという。
 朦朧とした意識の中でケビンは感じ取っていた。雲水が苦戦しているのを。
 だから尋ねた。俺に出来ることは無いか、と。
 その答えはすぐに返ってきた。
 やり方も教えてもらった。
 その後どうなるかも。
 それでも少し怖い。
 しかし、これは俺にしか出来ない事なのだ。
 ならば迷う必要は無い。

(……)

 ケビンの声は、残留思念はそこで途絶えた。
 ケビンはもう何も考えていない。
 今の彼には意識も感情も無い。与えられた仕事をこなすためにある、ただ一つの機械だ。
 そしてその機械の歯車は、ゆっくりと回り始めた。
 天に向けて掲げられた剣が光り始める。
 剣を握る両手に、両腕に力がこもる。

「あ、お……」

 そしてケビンは口を開いた。
 呻き声のような音がその赤黒い空洞から漏れる。
 それは機械となったケビンに残っていた、染み付いていた最後の感情であった。
 ケビンの口は、喉はそれを可能な限りの声量を持って搾り出した。

「お、おぉ雄雄雄ッ!」

 雄叫びとともに一閃。
 振り下ろしと同時に放たれる三日月。
 その光る刃はケビンと女を結ぶ線のちょうど中央で地面にぶつかり、そして弾けた。
 溢れる濁流。
 これを女は受けることにした。
 大した規模の濁流では無かったからだ。軌道も上に外れている。だから避けるまでも無かった。
 が、

「!」

 襲い掛かってきた最初の白蛇を折れた針で叩き払った瞬間、女の目は見開いた。
 その蛇に込められていた感情が針を通して伝わったのだ。
 これはただの濁流では無い、攻撃を目的としたものでは無い、そのことに気付いた女は空を見上げた。
 叩き付けられた反動で空に舞い上がった白蛇達は空中で分解消滅し、小さな粒子となった。
 その白い小さな輝きは星空を描くように空を埋めた後、風に乗り、戦場に降り注いだ。
 まるで雪のように。
 女の体に、そして顔にふりかかる。
 瞬間、女は心が熱くなるのを感じた。
 これはなんだ。
 女はすぐに気付いた。
 これは勇気だ。ケビンが有する「無条件の勇気」から生み出されたものだ。
 文字通り、ケビンは三日月に魂を込めたのだ。

「!」

 そして直後、女はサイラスの方に振り返った。
 二人の視線が交錯する。
 サイラスの瞳にはもう恐怖の影は残っていない。
 揺ぎ無いと思えるほどに、力強い目。
 見回せば、周りにいる兵士達も同じ目をしている。
 そして直後、サイラスの背後で一つの影が立ち上がった。
 まだ完全には回復していないと見える、緩慢な動作。
 影はゆらりと構え、その手の中に光球を作り出した。
 それは薄赤く光っていた。
 サイラスはその輝きを背負い、後光としながら叫んだ。

「反撃開始!」

 その声が場に響いた瞬間、サイラスが背負っていた後光は弾けた。
 薄赤い日輪と共に光が溢れ、そして広がる。
 リーザと、彼女の近くにいる者達による射撃で生まれた光。
 日輪にはその思いが、攻撃意識が乗せられていた。
 その輪に触れた者達が、リーザ達と同じように次々と射撃する。
 思いが伝播し、新たな光が生まれる。
 場が光に包みこまれる。
 数瞬遅れて轟音が響き始める。
 混じって出来た一つの音では無い連続音。
 赤い弾から生まれた爆発音から始まり、光弾が地面に、そして家屋に炸裂して生じた音が次々と鳴り響く。
 その凄まじさたるや一つの長い音のように聞こえるほど。
 神々しさすら感じるほどの攻撃。
 しかしサイラスは表情を緩めなかった。
 これで終わる相手では無いと確信していたからだ。
 そしてそれは直後に事実となった。
 閃光の中から一つの影が、女が飛び出したのだ。
 しかしその顔はサイラスとは対照的に、戦意の感じられないものであった。
 そして少し嬉しそうでもあった。口尻が、僅かにひくついていた。
 理想とは違うが、もう潮時だろう、ここを離れようという思いが女の心の中心にあった。
 あの怪物、リーザ相手に手加減し続けるのは多分難しい。女はそう思っていた。だから最初に狙った。
 そして、肝心のサイラスも教えたことをちゃんと理解しているようだ。
 その証拠に兵士達の後ろに隠れるように後退し始めている。
「神楽」を起こせるのは、軍全体を巻き込むような大規模の連鎖の起爆剤になれる人間はこの中で彼しかいないからだ。
 そのような人間は基本的に前に立ってはならない。他にも発動出来る人間が後ろに控えている、などの保険が無い限りは。
 私はそれを身をもって学んでもらおうと思った。だから恐怖で染め上げた。
 あの時、彼だけでも無事であったならば、「神楽」の再発動によって感情を上書きし、全体を即座に立て直すことが出来たのだ。ゆえに「神事」を引き起こせる「神官」や「巫女」は後方からの支援に徹するのが基本だ。
 一つ誤算だったのはケビンがいたこと。

(……ん?)

 そこまで考えたところで、女は自身の顔が少し引きつっていることに気付いた。
 心の中に、ケビンから貰った勇気以外の熱い感情があった。
 どうやらそれは、シャロンから湧き上がっているもののようであった。

(そういえばシャロンはこうなることを望んでいたな)

 女は迫り来る攻撃を適当に避けながら、混沌の中に潜むシャロンの様子をうかがった。
 やはりシャロンは興奮していた。針が折れたことによる悲しみを忘れるほどに。
 それを見た女は少し呆れた。

(まったく……ロマンチストな奴め)

 しかし同時に、「うらやましい奴だ」とも思った。

「……ふっ」

 女はそんな感情を抱いた自分に対して笑みを浮かべながら、地を蹴り直した。
 サイラス達との距離が瞬く間に離れる。
 全力で逃げながら、女は小さくなるサイラスの気配に向かって、心の声を飛ばした。

(また会えるといいな。こんな良い機会がもう一度あるかどうかは分からないが)

 その言葉を受け取ったサイラスは「ふざけるな」と返したが、その声が届いたかどうかは分からなかった。
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