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第六章 アランの力は遂に一つの頂点に

第四十一話 三つ葉葵の男(16)

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「!」

 その声が心に響いた瞬間、女は表情を変えた。
 剣の中にある雲水の意識が消えたように感じたからだ。
 しかしそれが間違いであることに気付いた女は、心の中で言い直した。

(雲水の意識が止まった?)

 その直後、女の腹部に衝撃が走った。

「ぐっ!?」

 何かが腹にめりこんだ感触。
 見るまでも無かった。虫の報告で分かった。
 それは右足。
 雲水が蹴りを放ったのだ。
 いや、放ったという表現は正確では無いように思えた。
 だから女は再び言い直した。

(利用した?)

 感電によって生じる筋肉の痙攣を逆に利用して右足を振り上げたのだ。
 足を監視していた虫はそう言っている。
 しかし、何も考えずにどうしてそんなことが出来た?

「!?」

 その疑問が浮かんだ直後、女の体は浮遊感に包まれた。
 まるで背が急に伸び始めたかのように、視点が上昇する。
 対する雲水は後ろに倒れ始めているように見える。
 これは、

(投げられている?!)

 足裏を相手の下腹部に押し当てながら引き込み、後ろに転がりながら投げる、いわゆる巴投げであった。
 女はすぐに鍔迫り合いを解除して拘束から脱出。
 雲水の足裏が腹から離れ、勢いのまま女の体が後方に放り投げられる。
 何もしなければ顔面から地面に着陸する軌道。
 ゆえに女は即座に空中で体を前に回転させ、体勢を立て直そうとした。
 が、その直後、虫からの警告が届いた。

「!」

 頭が真下を向き、女の瞳が背後を映したと同時に、その脅威は明らかになった。
 雲水が追いかけてきて、追撃を仕掛けてきているのだ。
 それも奇妙な動きで。
 鍔迫り合いを解除した直後、雲水は左手で体を支えながら左足で飛ぶように地を蹴ったと、虫は言った。
 しかしそれにしては、雲水の体勢が妙なのだ。
 上半身が大きく反っているのだ。
 上と下の動きがちぐはぐに見える。
 まるで上半身が下半身とは違う考えを持っていて、別の動きをしようとしていたかのように。

(これは、もしや――)

 この時点で女は雲水の身に何が起こっているのかを察した。
 そしてそれは正解であった。
 雲水の上半身は別の動きを考えていた。ブリッジの姿勢から倒立後転しようとしたのだ。だから反っている。
 しかし下半身は、左足は少しでも早く女に迫ろうと、地を蹴った。
 ゆえに奇妙な体勢になっている。
 だが、今回はそれが逆に功と成った。
 雲水は反りによって蓄えられた力を刀に乗せ、女に向けて振り下ろすように放った。
 対し、女は叩き払うように針を真左に一閃。
 銀色の軌跡が十字の形で交錯する。
 衝突点から火花が散り、痛いほどの金属音が女の耳を打つ。
 反動で女の視界が右に傾く。
 女は姿勢が崩れることも気にせず、その力に身を委ねた。
 雲水から見て細く見えるように体を回転させる。
 直後、雲水の刀から放たれた三日月が女の体に触れた。
 しかし三日月は女の体に食い込まない。
 その速度は衝突の反動を利用した女の回転と一致していた。
 まるで三日月が女の体を押し、回転させているように見えるほどに。
 そして女は三日月をやり過ごしながら右腕に力を、針に魔力を込めた。
 通り過ぎていく三日月を目で追いながら。
 視界から三日月が消えぬように、体の回転を制御する。
 振り下ろしと同時に放たれた三日月、ゆえに女の視線も自然と下へ向いた。
 そして女の視界が半分ほど地面を映した瞬間、

「破ァッ!」

 女は通り過ぎていった三日月に向かって針を繰り出した。
 直後、女の視界は白一色で埋め尽くされた。
 女が放った閃光によるものでは無い。
 それは濁流。
 地面に激突して砕けた三日月から溢れたもの。
 女はその発生を抑えるために、閃光を差し込んだのだ。
 しかしそれは一本の線で封じ込められるものでは無かった。

「ぐっ!?」

 浮かされるような風圧と共に数え切れぬほどの銀色の蛇が、女を、そして雲水自身を飲み込んだ。
 噛み付いてくる白蛇を針で突きつぶし、左手で叩き払い、時に蹴る。
 しかし全てを追い払うことは出来ない。数が多すぎる。
 だから選ぶ。大きな蛇を、致命傷に至るものだけを。
 その選別から外れた小さな蛇が女の体に赤い線を引き残していく。

「……」

 細く鋭いその痛みの中で女は声一つ上げず、淡々と手足を動かしながら雲水に意識を移した。
 雲水も同じく、大きな蛇だけを選んで防御している。
 しかし装甲に守られているゆえに、引かれた線に赤色は滲んでいない。
 ゆえにこのような手を、自身を巻き込む攻撃を選んだ?
 いや、そうは思えない。そうは見えない。
 その無茶苦茶な防御が、動きが違うと教えてくれる。
 まるで各部の関節が好き勝手な方向に逃げようとしているよう。
 まともな動きをしているのは右腕だけ。
 自爆というこの緊急事態に焦ったのだろう、雲水は先ほど自意識を再び目覚めさせた。
 しかしそれが少し遅かった。全身の制御の掌握が間に合わなかった。
 だからあんな奇怪な動きになっている。ぎくしゃくと回転し始めている。回る必要など無いのに。
 どうやら彼は、

(その技に慣れていないようだな)

 そんな事を考えている間に濁流は過ぎ去り、地面に到着。
 地の上を一転して衝撃を殺す。
 全身の制御を取り戻した雲水も同じ動きで受身。
 同時に体勢を立て直した二人の視線が交錯する。
 そこで二人の動きは硬直。
 相手の出方をうかがうために、互いの瞳を覗き合う。
 視線を一つの線で結び合い、探り合う。
 その静かな情報戦の中で先に変化を見せたのは雲水。
 刀から放たれる意識の波が薄れ、そして消える。
 その選択に、女は、

(それでもその手に頼る、か)

 少し悲しくなった。
 対処法を知っているからだ。
 それはかつて彼女「達」が通過した道であった。
 ゆえにか、悲しさの中に僅かであるが喜びがあった。
 その小さな喜びに心をくすぐられたからか、女の顔に薄い笑みが浮かんだ。
 女はその笑みを少しずつ消しながら放っていた虫を呼び戻し、体に纏わりつかせた。
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