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第六章 アランの力は遂に一つの頂点に
第四十一話 三つ葉葵の男(9)
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再び追いかけてくるように迫る嵐。
しかしこの時のためにシャロンはすり足を選んだのだ。地を蹴りなおすために。
即座に反転して左に跳ぶ。
「!?」
が、その直後にシャロンは後悔した。
なぜ足を地面から離してしまったのかを。
目の前から別の小さな三日月が迫ってきている。
雲水が連射したのでは無い。これは濁流の中から現れた。
そうだ。読まれていたのだ。左に反転することも。
そしてその小さな三日月はシャロンの前で弾けた。
「っ!」
シャロンは突きで迎撃したが、いくつかの破片が彼女の肌を撫でた。
浅く致命傷にはほど遠い。が、
(……このままだと、)
いつか追い詰められるのではないか、そんな考えがシャロンの脳裏によぎった。
しかしシャロンはその言葉を奥底に封じ込めた。
こんな戦い、いつでも終わらせられる自信があるからだ。
いまだに手加減している理由は、この雲水という男がケビンを、サイラス達を守るように立ちふさがったからだ。ただの敵であればとうに終わらせている。
そんなことを考えながら、シャロンが構えを整えると、
“それはわからないわよ?”
声が頭の中に響いた。
それが自分の声だとシャロンはすぐに気付かなかった。
だから声は名乗った。
“こんにちは、私”
その声は妙にシャロンの神経を逆撫でた。
そして声の主はシャロンのその苛立ちを感じ取ったが、あえて言葉を続けた。
“自分と戦うなんて、奇妙な事だけど面白いわよね。だから一緒に楽しみましょう”
これにシャロンは答えなかった。
シャロンは探していた。自分が苛立つ理由を。
それはすぐに見つかった。
「……るな」
それは自然に声となって漏れた。
「ふざけるな」と言おうとしたのか、それとも別の言葉だったのか、それすらはっきりしないほどにシャロンの神経は荒んでいたが、それはどうでもよかった。
とにかく、なんでもいいからこの苛立ちを言葉にしたかった。
だからシャロンは声を上げた。
「……そんな薄っぺらい中身で私を騙るな(かたるな)!」
叫びながら、シャロンは構えを変えた。
それは閃光魔法の構えに似ていた。
以前述べたように、雲水が相手の心を読むことを得意としているように、シャロンにも得意分野がある。
これがそれだ。
シャロンは遂に見せるつもりであった。自身の奥義を。
「……」
静かに、指先に意識を集中させ、針を撫でる。
「!」
たったそれだけで、雲水は表情を変えた。
(あれは……?!)
針を凝視する雲水。
雲水の意識はその奥、針の中に向けられていた。
そこには同じものがあった。
女の中にある混沌に似た何かだ。
例えるならば、毒。
悲しみ、怒り、堕落、そのような様々な負の感情を混ぜたもの。
あの細い刀身にどれだけの感情が込められているのか数え切れない。しかも女の意識と同じようにめまぐるしく入れ替わっている。
まるで万華鏡。
(いや……違う?)
万華鏡という言葉に違和感を覚えた雲水は、針の中を見つめながら別の表現を探した。
それはすぐに見つかった。
これは蟲毒だ。
これは万華鏡では無い。入れ替わっているのではなく、「食い合っている」。
強い感情が弱い感情を次々と飲み込み、大きくなっている。
しかしその弱肉強食は終わらない。膨らんだ感情はどこかで破裂し、小さな別の感情に分裂する。
まるで永遠に続く地獄だ。
こんな得体の知れないものを受け止められるか?
考えるまでも無い。今の自分では無理だ。防御する術が思いつかない。あれは間違いなく女の中にある混沌を応用して生み出されたものだ。あの混沌の仕組みを完全に理解出来ていなければ防げる代物では無い。
(ならば、)
受けられないのであれば、取れる手は回避か飛び道具での迎撃ということになる。
そう考えた雲水は居合いの構えを維持したまま、全身に巡らせた回路を輝かせた。
水面を静かに整え、その時を待つ。
(……?)
が、その時が来る気配は無かった。
シャロンは針をこちらに向けた構えのまま固まっている。
そして何も考えていない。脳波が発せられていない。
魂も同じ。まるで突然眠ったかのよう。
混沌もその変化が緩慢になっている。
妙な、そう思った雲水が虫の何匹かに探らせようとした直後、
「……分かったわ。悔しいけど交代ね」
突然、シャロンがそんなことを言った。
すると、彼女の中の混沌に変化が起きた。
「な!?」
その変化に雲水は驚いた。
雲水はシャロンの中に何人かいると読んでいた。ゆえに戦況次第では相手が「交代」するであろうことも当然予想していた。
だからその時に備えていた。基本動作や戦闘に関わる部分は共有するであろうと踏み、そういう情報だけを写すようにしていた。
しかし、水面に写していたシャロンの像は消えてしまった。
それが意味することは一つ。
直後に虫から送られてきた情報がその証拠となった。
彼女は完全に変わっていた。気質、記憶、それに伴う趣味趣向、全てが組み替えられたのだ。
それは解き慣れたパズルのような鮮やかな変化であり、まさしく芸術であった。
そして、入れ替わった女は髪を掻きあげながら口を開いた。
「あなたは戦いに強い感情を抱きすぎている。だから簡単に心を写される。その強い感情をかくれみのにした虫に心を覗かれる。……でも、それがあなたの善いところであり、先兵を任せている理由なのだけれどね」
その声は声色は同じであったが調子が異なっていた。前と比べると上品さに欠け、少し冷たい印象を受けた。
そして、シャロンと呼ぶべきか分からぬその女は、突然その場で体を動かし始めた。
それは拳による突きや蹴りなどの、体術の型であった。
そんなことをする理由を女は答えた。
「戦いは久しぶりだ。少し肩慣らしさせてもらうぞ」
今のうちに少しでも探りを入れておかなければ、と雲水は考えたが、その準備運動はすぐに終わった。
「お待たせした」
そして女が放ったその言葉と同時に戦いは再開した。
しかしこの時のためにシャロンはすり足を選んだのだ。地を蹴りなおすために。
即座に反転して左に跳ぶ。
「!?」
が、その直後にシャロンは後悔した。
なぜ足を地面から離してしまったのかを。
目の前から別の小さな三日月が迫ってきている。
雲水が連射したのでは無い。これは濁流の中から現れた。
そうだ。読まれていたのだ。左に反転することも。
そしてその小さな三日月はシャロンの前で弾けた。
「っ!」
シャロンは突きで迎撃したが、いくつかの破片が彼女の肌を撫でた。
浅く致命傷にはほど遠い。が、
(……このままだと、)
いつか追い詰められるのではないか、そんな考えがシャロンの脳裏によぎった。
しかしシャロンはその言葉を奥底に封じ込めた。
こんな戦い、いつでも終わらせられる自信があるからだ。
いまだに手加減している理由は、この雲水という男がケビンを、サイラス達を守るように立ちふさがったからだ。ただの敵であればとうに終わらせている。
そんなことを考えながら、シャロンが構えを整えると、
“それはわからないわよ?”
声が頭の中に響いた。
それが自分の声だとシャロンはすぐに気付かなかった。
だから声は名乗った。
“こんにちは、私”
その声は妙にシャロンの神経を逆撫でた。
そして声の主はシャロンのその苛立ちを感じ取ったが、あえて言葉を続けた。
“自分と戦うなんて、奇妙な事だけど面白いわよね。だから一緒に楽しみましょう”
これにシャロンは答えなかった。
シャロンは探していた。自分が苛立つ理由を。
それはすぐに見つかった。
「……るな」
それは自然に声となって漏れた。
「ふざけるな」と言おうとしたのか、それとも別の言葉だったのか、それすらはっきりしないほどにシャロンの神経は荒んでいたが、それはどうでもよかった。
とにかく、なんでもいいからこの苛立ちを言葉にしたかった。
だからシャロンは声を上げた。
「……そんな薄っぺらい中身で私を騙るな(かたるな)!」
叫びながら、シャロンは構えを変えた。
それは閃光魔法の構えに似ていた。
以前述べたように、雲水が相手の心を読むことを得意としているように、シャロンにも得意分野がある。
これがそれだ。
シャロンは遂に見せるつもりであった。自身の奥義を。
「……」
静かに、指先に意識を集中させ、針を撫でる。
「!」
たったそれだけで、雲水は表情を変えた。
(あれは……?!)
針を凝視する雲水。
雲水の意識はその奥、針の中に向けられていた。
そこには同じものがあった。
女の中にある混沌に似た何かだ。
例えるならば、毒。
悲しみ、怒り、堕落、そのような様々な負の感情を混ぜたもの。
あの細い刀身にどれだけの感情が込められているのか数え切れない。しかも女の意識と同じようにめまぐるしく入れ替わっている。
まるで万華鏡。
(いや……違う?)
万華鏡という言葉に違和感を覚えた雲水は、針の中を見つめながら別の表現を探した。
それはすぐに見つかった。
これは蟲毒だ。
これは万華鏡では無い。入れ替わっているのではなく、「食い合っている」。
強い感情が弱い感情を次々と飲み込み、大きくなっている。
しかしその弱肉強食は終わらない。膨らんだ感情はどこかで破裂し、小さな別の感情に分裂する。
まるで永遠に続く地獄だ。
こんな得体の知れないものを受け止められるか?
考えるまでも無い。今の自分では無理だ。防御する術が思いつかない。あれは間違いなく女の中にある混沌を応用して生み出されたものだ。あの混沌の仕組みを完全に理解出来ていなければ防げる代物では無い。
(ならば、)
受けられないのであれば、取れる手は回避か飛び道具での迎撃ということになる。
そう考えた雲水は居合いの構えを維持したまま、全身に巡らせた回路を輝かせた。
水面を静かに整え、その時を待つ。
(……?)
が、その時が来る気配は無かった。
シャロンは針をこちらに向けた構えのまま固まっている。
そして何も考えていない。脳波が発せられていない。
魂も同じ。まるで突然眠ったかのよう。
混沌もその変化が緩慢になっている。
妙な、そう思った雲水が虫の何匹かに探らせようとした直後、
「……分かったわ。悔しいけど交代ね」
突然、シャロンがそんなことを言った。
すると、彼女の中の混沌に変化が起きた。
「な!?」
その変化に雲水は驚いた。
雲水はシャロンの中に何人かいると読んでいた。ゆえに戦況次第では相手が「交代」するであろうことも当然予想していた。
だからその時に備えていた。基本動作や戦闘に関わる部分は共有するであろうと踏み、そういう情報だけを写すようにしていた。
しかし、水面に写していたシャロンの像は消えてしまった。
それが意味することは一つ。
直後に虫から送られてきた情報がその証拠となった。
彼女は完全に変わっていた。気質、記憶、それに伴う趣味趣向、全てが組み替えられたのだ。
それは解き慣れたパズルのような鮮やかな変化であり、まさしく芸術であった。
そして、入れ替わった女は髪を掻きあげながら口を開いた。
「あなたは戦いに強い感情を抱きすぎている。だから簡単に心を写される。その強い感情をかくれみのにした虫に心を覗かれる。……でも、それがあなたの善いところであり、先兵を任せている理由なのだけれどね」
その声は声色は同じであったが調子が異なっていた。前と比べると上品さに欠け、少し冷たい印象を受けた。
そして、シャロンと呼ぶべきか分からぬその女は、突然その場で体を動かし始めた。
それは拳による突きや蹴りなどの、体術の型であった。
そんなことをする理由を女は答えた。
「戦いは久しぶりだ。少し肩慣らしさせてもらうぞ」
今のうちに少しでも探りを入れておかなければ、と雲水は考えたが、その準備運動はすぐに終わった。
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