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第六章 アランの力は遂に一つの頂点に
第四十話 稲光る舞台(20)
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鋭く踏み込み、濁流を避けながら針を繰り出す。
下がらず、回り込みながらもう一度。
ケビンを右に左に翻弄しながら手を出し続ける。
あっという間に穴だらけになるケビンの体。
「くッ!」
糞、という言葉を飲み込みながらケビンが三日月を放つ。
しかし当たらない。
流れるのは自分の血だけ。蛇口が増えるのみ。
(なぜ……っ!)
ケビンの心に疑惑の声が鳴り響く。
疑問は一つでは、なぜ当たらないのか、だけでは無かった。
なぜ、自分は粘れているのか、という声のほうが強かった。
手加減されているから? それは正解だろうが、遠いように思える。
じゃあ、
(……嬲られて(なぶられて)いる?)
感の良い読者は今のシャロンの行動に違和感を感じ、ケビンと同じ疑問を抱いただろう。
ご想像の通り、その気になればシャロンはケビンをすぐに終わらせることが出来る。
同居人はケビンに死んでほしくないと思っているだけだ。
事実、心を揺らしても結局行動には移させていない。
つまり、あの天秤の揺れは相手を警戒させるだけの虚勢であるということ。
シャロンはそれを分かっていてケビンを嬲っている。
なぜか。
(なぜ……)
その疑問の答えを、ケビンは探し続けた。
しかし分からない。
というよりも考えがまとまらない。
(なぜ……)
これは分かった。
血が足りないんだ。
全身真っ赤だ。
ということは、
(死ぬ……のか?)
ケビンの中に黒い感情が湧きあがる。
いや、それは最初からあった。気付かないふりをしていただけだ。
その黒い感情は、恐怖はケビンの心に声を響かせた。
「そうよ」
と。
女の、目の前にいる敵の声だった。
いや、実際に耳に響いたのか? それすら分からないほどに意識が薄くなっている。
「ぁうっ」
直後、ケビンの口から悲鳴が漏れた。
新たに出来た蛇口から生まれる痛みのせいで反射的にこぼれたものだ。
その痛みが、死の感覚と混じってケビンの天秤を大きく揺らした。
(このまま何も出来ずに殺されるくらいならば……!)
ケビンの腕に力が漲る。
しかし次の瞬間、
「あなた」
「!?」
ふと、心に響いた声に、ケビンは手を止めた。
シャロンもだ。
ケビンもシャロンもその声の主を知っていた。だから手を止めた。
それはケビンにとってとても懐かしい声であった。
「……」
そしてケビンは剣を振り上げた姿勢のまま固まった。
それを見たシャロンが針を引き、距離を取り直す。
シャロンは待つことにした。
ケビンが気付くのを。
「……」
そしてケビンはゆっくりと剣を下ろした。
しかしその目はシャロンを見ていない。焦点が合っていない。
あの懐かしく心地よい響きが、ケビンにある記憶を思い起こさせていた。
それはある夢の記憶。
行方不明になった妻と子を探していた時に見た夢だ。
その夢に出てきた妻はただ一言、こう言った。
「あの子はここまで来られなかった。幼く、弱かったから」
目を覚ますと、自分はこの夢の内容を、言葉を忘れていた。
夢を見たことは分かっていた。何か大事な事を言われたような気がしていた。
そしてその日から自分は妻と子を探すのをやめた。なぜだか、探しても無駄なような気がしたからだ。復讐という新たな目標が出来上がるのに大した時間はかからなかった。
「……?」
その時、ふと、ケビンは自分の頬に熱いものが流れていることに気が付いた。
ケビンは自分がそれを流している理由が分からなかった。色んな感情が混じっていた。難しかった。
しかし、その理由の一つはすぐに分かった。
自分の中にいる愛しい人を悲しませているからだ。
そしてケビンは思った。
自分はなぜこんな無茶を、この女に挑んだりしたのか。
その答えは、映像として脳裏に流れた。
それは若い頃の記憶。
自分が兵士になったばかりの頃の記憶。
初陣を生き残った時の記憶。
その時に、当時の隊長から言われたのだ。
「お前は無茶が過ぎる。しかしそこが良い」
この言葉が無性に嬉しかったのをよく覚えている。
思い返せば、自分は幼いころからずっとそうだった。色んな無茶をしてきた。
(なぜ……)
なぜ、自分はそうなのか。
「「それは……」」
その答えは、二人の女の声となって心に響いた。
自分はそういう性質なのだと。
『無条件の』勇気を持っているのだと。
だから自分はこの恐怖に染まった舞台に、ただ一人飛び出してこれたのだと。恐怖というものに強力な耐性を持っているのだと。
そのような『無条件の』何かを持っているものは決して少なくないらしい。
しかしそれは決して良いことであるとは限らない。
時にその『無条件なもの』のせいで暴走し、望ましくない結果をもたらしてしまうことがある。
今の自分がそうなのかもしれない。
だから、そう思ったからケビンは、
「……すまない」
と、言葉を漏らした。
これに同居人は首を振った。
あなたのそういうところに惚れたのだから、しょうがないと。
私達二人の力があの女には及ばなかった、ただそれだけのことだと。
「……」
その言葉に、ケビンは何も言葉を返さなかった。返せなかった。
ただ、頬を流れる熱いものがその量を増した。
そして、同居人にはそれで十分だった。
「……」
ケビンはその熱さを腕に込めた。
焦点をシャロンに合わせながら。
シャロンはまだ待ってくれていた。
このために、これを見るためにシャロンはケビンを嬲ったのだ。肉体を生死の境まで追い詰めれば、ケビンはきっと最後の賭けに出る。出ざるを得なくなる。そしてその時、同居人はきっと、いや必ず何か大きな行動を起こすと踏んだのだ。
これは同情であり、そして理解者だけが抱き、表せる矜持(きょうじ)ようなものでもある。
それが分かったから、ケビンは、
「……」
敵意を消しながら剣を上段に構えた。
代わりに、剣に覚悟を込めて。
これにシャロンも応えた。
天に向けた針を顔前に構える。
剣に祈るかのような構え。敬意を表す構え。
シャロンが抱いている感情、それは愛に似ていた。
あなたは十分に私を感動させてくれた。魅せてくれた。
だから、次で終わらせる。痛みを感じないように、出来るだけ速く。
そのために、あなたに見せよう。あなたを魅せよう。
そして、あなたの死は、魂は無駄にしない。
あなたの魂を細かく砕き、皆に分け与えよう。降らせよう。雪のように。あなたの勇気が皆に宿ることを願って。
「!」
直後、それを見たケビンの顔は驚きに染まった。
目の前にいるシャロンが文字通り「変わり始めた」のだ。
下がらず、回り込みながらもう一度。
ケビンを右に左に翻弄しながら手を出し続ける。
あっという間に穴だらけになるケビンの体。
「くッ!」
糞、という言葉を飲み込みながらケビンが三日月を放つ。
しかし当たらない。
流れるのは自分の血だけ。蛇口が増えるのみ。
(なぜ……っ!)
ケビンの心に疑惑の声が鳴り響く。
疑問は一つでは、なぜ当たらないのか、だけでは無かった。
なぜ、自分は粘れているのか、という声のほうが強かった。
手加減されているから? それは正解だろうが、遠いように思える。
じゃあ、
(……嬲られて(なぶられて)いる?)
感の良い読者は今のシャロンの行動に違和感を感じ、ケビンと同じ疑問を抱いただろう。
ご想像の通り、その気になればシャロンはケビンをすぐに終わらせることが出来る。
同居人はケビンに死んでほしくないと思っているだけだ。
事実、心を揺らしても結局行動には移させていない。
つまり、あの天秤の揺れは相手を警戒させるだけの虚勢であるということ。
シャロンはそれを分かっていてケビンを嬲っている。
なぜか。
(なぜ……)
その疑問の答えを、ケビンは探し続けた。
しかし分からない。
というよりも考えがまとまらない。
(なぜ……)
これは分かった。
血が足りないんだ。
全身真っ赤だ。
ということは、
(死ぬ……のか?)
ケビンの中に黒い感情が湧きあがる。
いや、それは最初からあった。気付かないふりをしていただけだ。
その黒い感情は、恐怖はケビンの心に声を響かせた。
「そうよ」
と。
女の、目の前にいる敵の声だった。
いや、実際に耳に響いたのか? それすら分からないほどに意識が薄くなっている。
「ぁうっ」
直後、ケビンの口から悲鳴が漏れた。
新たに出来た蛇口から生まれる痛みのせいで反射的にこぼれたものだ。
その痛みが、死の感覚と混じってケビンの天秤を大きく揺らした。
(このまま何も出来ずに殺されるくらいならば……!)
ケビンの腕に力が漲る。
しかし次の瞬間、
「あなた」
「!?」
ふと、心に響いた声に、ケビンは手を止めた。
シャロンもだ。
ケビンもシャロンもその声の主を知っていた。だから手を止めた。
それはケビンにとってとても懐かしい声であった。
「……」
そしてケビンは剣を振り上げた姿勢のまま固まった。
それを見たシャロンが針を引き、距離を取り直す。
シャロンは待つことにした。
ケビンが気付くのを。
「……」
そしてケビンはゆっくりと剣を下ろした。
しかしその目はシャロンを見ていない。焦点が合っていない。
あの懐かしく心地よい響きが、ケビンにある記憶を思い起こさせていた。
それはある夢の記憶。
行方不明になった妻と子を探していた時に見た夢だ。
その夢に出てきた妻はただ一言、こう言った。
「あの子はここまで来られなかった。幼く、弱かったから」
目を覚ますと、自分はこの夢の内容を、言葉を忘れていた。
夢を見たことは分かっていた。何か大事な事を言われたような気がしていた。
そしてその日から自分は妻と子を探すのをやめた。なぜだか、探しても無駄なような気がしたからだ。復讐という新たな目標が出来上がるのに大した時間はかからなかった。
「……?」
その時、ふと、ケビンは自分の頬に熱いものが流れていることに気が付いた。
ケビンは自分がそれを流している理由が分からなかった。色んな感情が混じっていた。難しかった。
しかし、その理由の一つはすぐに分かった。
自分の中にいる愛しい人を悲しませているからだ。
そしてケビンは思った。
自分はなぜこんな無茶を、この女に挑んだりしたのか。
その答えは、映像として脳裏に流れた。
それは若い頃の記憶。
自分が兵士になったばかりの頃の記憶。
初陣を生き残った時の記憶。
その時に、当時の隊長から言われたのだ。
「お前は無茶が過ぎる。しかしそこが良い」
この言葉が無性に嬉しかったのをよく覚えている。
思い返せば、自分は幼いころからずっとそうだった。色んな無茶をしてきた。
(なぜ……)
なぜ、自分はそうなのか。
「「それは……」」
その答えは、二人の女の声となって心に響いた。
自分はそういう性質なのだと。
『無条件の』勇気を持っているのだと。
だから自分はこの恐怖に染まった舞台に、ただ一人飛び出してこれたのだと。恐怖というものに強力な耐性を持っているのだと。
そのような『無条件の』何かを持っているものは決して少なくないらしい。
しかしそれは決して良いことであるとは限らない。
時にその『無条件なもの』のせいで暴走し、望ましくない結果をもたらしてしまうことがある。
今の自分がそうなのかもしれない。
だから、そう思ったからケビンは、
「……すまない」
と、言葉を漏らした。
これに同居人は首を振った。
あなたのそういうところに惚れたのだから、しょうがないと。
私達二人の力があの女には及ばなかった、ただそれだけのことだと。
「……」
その言葉に、ケビンは何も言葉を返さなかった。返せなかった。
ただ、頬を流れる熱いものがその量を増した。
そして、同居人にはそれで十分だった。
「……」
ケビンはその熱さを腕に込めた。
焦点をシャロンに合わせながら。
シャロンはまだ待ってくれていた。
このために、これを見るためにシャロンはケビンを嬲ったのだ。肉体を生死の境まで追い詰めれば、ケビンはきっと最後の賭けに出る。出ざるを得なくなる。そしてその時、同居人はきっと、いや必ず何か大きな行動を起こすと踏んだのだ。
これは同情であり、そして理解者だけが抱き、表せる矜持(きょうじ)ようなものでもある。
それが分かったから、ケビンは、
「……」
敵意を消しながら剣を上段に構えた。
代わりに、剣に覚悟を込めて。
これにシャロンも応えた。
天に向けた針を顔前に構える。
剣に祈るかのような構え。敬意を表す構え。
シャロンが抱いている感情、それは愛に似ていた。
あなたは十分に私を感動させてくれた。魅せてくれた。
だから、次で終わらせる。痛みを感じないように、出来るだけ速く。
そのために、あなたに見せよう。あなたを魅せよう。
そして、あなたの死は、魂は無駄にしない。
あなたの魂を細かく砕き、皆に分け与えよう。降らせよう。雪のように。あなたの勇気が皆に宿ることを願って。
「!」
直後、それを見たケビンの顔は驚きに染まった。
目の前にいるシャロンが文字通り「変わり始めた」のだ。
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