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第六章 アランの力は遂に一つの頂点に

第四十話 稲光る舞台(2)

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   ◆◆◆

 一ヵ月後――

 狼の一族の当主は城を訪ねていた。
 ここに珍しく長期滞在している魔王に用があるからだ。
 謁見の間に入った狼の男は、窓際でたたずんでいた魔王の傍にひざまずき、口を開いた。

「……仰せつかっていた、『腐った連中を戦力として懐柔せよ』という件、果たすことが出来ませんでした。お許しを」

 許しを請う文面であったが、狼に悪びれた様子は一切無かった。
 そして、当の魔王もそれを特に気にした様子無く口を開いた。

「出来なかったか、ザウル」

 ザウルと呼ばれた狼の男は即答した。

「はい。殺しました」

 どうやって、と聞くより早く、魔王は狼の記憶を読んだ。

「……十人相手に一人で挑んで勝ったのか。ならば良い」

 なぜ良いのか。その意を魔王は続けて語った。

「我は戦力が欲しかっただけだ。お前がその十人以上の働きをしてくれるのであれば何も文句は無い」

 その言葉に、ザウルは深く頭を下げようとしたが、

「面(おもて)を上げよ。この話はこれで終わりだ」

 魔王はそれを制した。
 そして魔王は続けて口を開いた。

「……ところで、今日はお前に会わせたい者が二人おってな。偶然にも今日ここにきておる」

 その言葉に嘘があることをザウルは感じ取った。
 偶然では無い。魔王様は自分がここに来ることを察知し、その二人を呼んでおいたのだ。
 相変わらず化け物じみた感知能力だ。
 そして魔王様が嘘を隠していないのは、嘘がばれること自体を楽しんでいるからだ。
 まったく、御意地の悪い人だ、ザウルがそんなことを考えていると、魔王は視線を部屋の入り口の方に移した。
 釣られるようにザウルの視線もそちらへ流れる。
 どうやらそのうちの一人が来たようだ。
 理性をほとんど殺して気配を隠しているようだが、足を動かす感覚が伝わってくる。
 こんな事が出来るということは、この者は自分と同じく天に至っているのだろう。
 そして魔王様が自分に会わせたくなったということは、自分と同じ道を歩んでいる者だろうか。
 一体どんな猛者なのか、ザウルが視線にそんな期待を込めると、間も無くその者が姿を現した。

「女……?」

 その姿を見たザウルは思わず呟いた。
 意外だった。ザウルは筋骨隆々な男を想像していた。
 現れた女は対照的に線が細い。
 しかし自分と同じ道を歩んでいるのではないかという予想は正解だったようだ。
 服の上からでもかなり鍛えられているのが分かる。線は細いがかなり筋肉質だ。
 しかし色気は失われていない。筋肉の鎧を身に纏っていても、女性特有の美しい線は健在だ。
 その鍛えられ方と美貌からザウルは、見事だなと、女を称えた。
 そしてその女は魔王に向かって頭を垂れながら口を開いた。

「ご機嫌麗しゅう、魔王様」

 形式的な挨拶の後、女は独特の色気を放ちながら歩き始めた。
 その色気の原因は歩き方にあった。
 常に爪先から足を下ろしている。音を殺すためだろう。
 こんな歩行方法を習得しているということは、この女は隠密を生業とする者だろうか、ザウルがそんなことを考えた直後、隣にいる魔王が口を開いた。

「歩くな。早く来い」

 その言葉が言い終えられた直後、

「!」

 ザウルの目が驚きに見開かれた。
 女は一呼吸のうちに目の前まで接近してきたのだ。
 しかしその速さに驚いたのでは無い。問題はほとんど音がしなかったことだ。
 軽く地を蹴ったようにしか聞こえなかった。
 走り方もやはり独特。
 体のしなりを極限まで活かした、全身を鞭として扱ったかのような動き。
 ある動物を連想させるその動きから、ザウルは女の正体を察した。

「まさか、貴女は豹の……」

 言い終える前に、女の方から自ら名乗った。

「お初にお目にかかります。私の名はキーラ。豹の一族の当主を務めております。あなたは狼の一族の当主、ザウル様ですね? 以後お見知りおきを」

 そう言いながら、キーラは右手を胸に添えて頭を下げた。
 走り方もそうだが、全ての動作に独特の品性がある。
 それをザウルは素直に口に出した。

「話には聞いていましたが驚いた。本当に音を立てずに走るのですね。しかも美しい」

 口説き文句のようにも聞こえる台詞であったが、キーラは表情を変えず口を開いた。

「お上手ですね。お世辞として受け取っておきます」

 ザウルは正直に思いを言葉にし、心も隠さずに開いていた。キーラもそれを感じ取っていたのだが、彼女は謙遜する性格であった。
 そして互いの紹介は終わったと判断した魔王が口を開いた。

「狼の一族の新当主が決まったことだし、一度顔合わせしておいたほうがいいと思ってな。戦闘を主とする一族の当主をここに呼び集めたのだ」

 その言葉のある部分に引っかかったザウルは尋ねた。

「戦闘を主とする、ということは、熊の当主もここに?」

 これに魔王は頷きを返しながら口を開いた。

「その通りだ。城の中を見て回ると言って出て行ったが、そろそろ戻ってくるはずだ」

 この言葉にザウルは嘘が含まれているのを感じ取った。
 熊の当主は自分の意思でこの部屋を出たのでは無い。一度追い出されたのだ。私達二人よりも後からこの場に登場させるために。
 なんでわざわざそんなことを、とザウルは思ったがそれは一瞬のことで、狼の当主の興味は魔王の嘘よりも熊の当主のほうに向いていた。
 熊の一族は謎が多い。
 ほとんど表舞台に出てこないのもあるが、彼らは自分達のことをあまり語らない。
 狼の一族とは対照的に、個人戦闘を主としていることくらいしか世間には知られていない。
 ゆえに彼らの強さ、技などに関しては謎だらけだ。
 だからザウルは興味を持った。
 そしてそれを感じ取った魔王は口を開いた。

「……どうやら戻ってきたようだ」

 その言葉に、ザウルとキーラは少し驚いた様子で同時に入り口のほうに振り返った。
 気配を感じ取れなかったからだ。
 言われて見れば、そこに何かいるような気がする。
 その程度しか気配を感じない。

「「……」」

 二人が息を殺すようにして入り口を見つめると、ようやくといった感じでその者は登場した。
 その風貌は一言で表すならば大男。
 キーラとは対照的に筋骨隆々。
 背はザウルより少し高い程度。
 口の周りには髭が蓄えられている。
 しかしそのいずれも二人は見ていなかった。
 二人は大男の眼に心を奪われていた。
 焦点が定まっていないような、人間味の薄い眼差し。
 瞬間、二人は感じた。

((この男……!))

 こいつは自分よりも倍は強いと。
 直感的に感じた。
 この男は完成されている、と。
 何が完成されているのかは言葉に出来ない。が、自分達よりも高みに昇っていると感じる。
 どうしてそう感じる、そう思うのか、二人はそれを探ろうと大男の瞳を見つめた。
 生気を失っているような、理性と本能が機能していない瞳。
 この大男は魂だけで活動している。理性と本能の活動を感じ取れない。
 だが、その足取りは理性が動かしているかのように軽快。
 そのしっかりとした歩みに、魔王がまたしても口を出した。

「お前も歩くな。早く来い」

 魔王がそう急かした直後、

「「!」」

 二人の顔に驚きが浮かんだ。
 大男はあっという間に距離を詰めた。
 陽炎を纏ったかのように見える、像がぶれて見えるほどの加速で。
 人外の踏み込みである。が、それ自体は二人にも出来る。
 問題はそれを魂だけで成したこと。
 魂だけでこのように上手く動けるものなのか、と、二人は驚いたのだ。

 狼と豹の一族がその種の動きを真似た技を身に付けたように、熊の一族もまた同じようにその種を真似た。
 しかし彼らが真似たのは動作では無かった。
 熊の一族は、熊が有するある特徴にまず目を付けた。
 それは冬眠。
 一族のある者は気付いた。熊が冬眠時に理性と本能を殺していることを。
 さらにそれは冬眠時に限らなかった。冬眠からの起床直後や極度に飢えている状態でも、熊は理性と本能を殺し、または抑制して活動していることに気付いた。
 そしてその状態にある熊は攻撃性が非常に高く、吹雪や夜などの視界が悪くなる状況を好んで選び、狩りを行っていることも知った。
 この白き大陸の熊は普段肉を好んで食べない。草食であり活動性が低く、ほとんどの時間を寝ている。起きている時間は冬眠に備えて木の実や皮などを巣に蓄えているだけだ。が、極度の飢えに晒されるとそれが反転する。
 その際に理性と本能を抑制するのは、気配を殺して獲物に接近するためであると考えれらている。
 しかし問題なのは、その状態にある熊の動きが非常に良いことだ。
 だが、単調でもあることに一族の者は気付いた。
 狩りに必要な特定の動作だけが洗練されていたのだ。それ以外の動きは非常に緩慢であった。
 そしてその秘密は睡眠時にあった。
 熊はただ寝ているだけでは無かった。
 無意識の状態で、脳を休ませている間に熊は魂を使って体を動かす練習を行っていたことに、感知能力の高かった一族のある者が気付いた。
 熊の一族はそれを真似し、伝承してきたのだ。
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