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第四章 神秘はさらに輝きを増し、呪いとなってアランを戦いの場に連れ戻す

第三十三話 盾(2)

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(どうすれば……どうすればいい!?)

 焦りの色を濃くするクレア。
 カイルも同じ色で顔色を染め始めている。
 見合ったまま動かない二人。
 ヨハンはその奇妙な様子を苛立ちながら見つめていた。

(何をしているカイル! さっさと撃たんか!)

 ヨハンの中である感情が膨らんでいた。
 その感情に意識が塗り潰された瞬間、ヨハンの心は叫んだ。

(このままだと回復されてしまうだろう! 私を焦らせるな!)

 ふと浮かんだ「私を焦らせるな」という言葉に、ヨハンは「はっ」となった。
 ヨハンは気が付いたのだ。自分も同じ表情を作っていたことを。
 
(焦る? 焦っているのか? この状況で? この私が?)

 この質問に、ヨハンの理性は正直に答えた。

 ――そうだ、焦っている。

 ヨハンはこれを即座に否定した。

(ありえない。状況は圧倒的優位だ)

 理性は首を振った。

 ――いいや、私は焦っている。もしかしたら負けるかもしれない、逆転されるかもしれないと思っている。あの人外の動きでカイルを倒し、その勢いのまま自分に迫ってくるかもしれない、そう思っている。

 ヨハンは再び否定。

(……馬鹿げている。クレアの様子を見ろ。ふらふらしているではないか。あれでまともに動けるとは思えん。たとえ、あの人外の動きがもう一度出来たとしても、そう長くはもつまい)

 明確な根拠の無い反論であった。

 これに理性は答えなかった。
 が、代わりにある映像を提示した。

 それはヨハンにとって忌々しい記憶であった。

 映っているのは宿敵カルロ。
 映像の中のカルロは今と違ってかなり若々しい。自分が初めてカルロと戦った時の記憶だ。
 私の前に立った時、カルロは既にボロボロだった。全身傷だらけで血に塗れていた。そしてたった一人だった。

 しかし私は負けた。たった一人の男に、大軍と当時の精鋭達を率いていた私は負けたのだ。

 そうだ。似ている。あの時と。今のクレアとあの時のカルロが重なって見える。だから焦っているのだ。

(……)

 これは否定出来なかった。

 そして、理性は別の映像を持ち出した。

 それはまたしても忌々しい記憶であった。
 自分に向けられる数多くの冷たい視線。蔑む顔。
 あの敗北の日から、周囲の者達は私を見る目を変えた。

「あんな負け方をするとは。失望したね」
「あんなやつを英雄だなんだともてはやしていた馬鹿は誰だ?」
「次の王はあいつだと思っていたが、どうやら勘違いだったようだ」

 そんな視線。噂。民達の声。それらは私を苦しめた。

 私はやっきになった。英雄としての評価を取り戻そうと、離れていった玉座を再び手元に引き寄せようと、必死に努力した。

(……)

 王座なぞどうでもよかった。あの時までは。戦いのついでに手に入るもの、程度に考えていた。あの一戦が、あの敗北が全てを変えてしまった。

(……)

 幼き頃、私は収容所というものが嫌いだった。

 いつからそう思わなくなった? いつから私は力を得るのに手段を選ばなくなった?

 私は何をしている? 今の私は『何を目指している?』 かつての私は『何を目指していた?』

(……)

 力を持って正しき事を成す、それを「武」と呼び、その道を歩む者を、志す者を「武人」と呼ぶ。

 ヨハンにもあったのだ。英雄としての、「武人」としての純粋な資質を備えていた時期が。たった一回の敗北が全てを悪い方向に変えてしまったのだ。
 ヨハンにとって「武人」とは、かつて抱いていたものであり、いつの間にか失ってしまった称号であり、二度と手に入らぬものであった。
 だからヨハンは「武人」というものに憎しみを抱くのだ。「武人」という称号を維持している者を、道を踏み外していない者を妬んでいるのだ。

 そしてヨハンの理性は訴えている。かつての自分を取り戻せと。

(……くだらん)

 理性は訴える。正しい道に戻るのに遅い時など無いと。

(……くだらん)

 理性は訴え――

(くだらん、くだらん! くだらんっっ!!)

 ヨハンはその訴えを叫びでねじ伏せ、

(戻る?! 今更?! 出来るわけが無い! ここに至るまでに私が何をしてきたと思っている!? 犯していない悪事など無い!)

 差し伸べられていた見えざる導きの手を叩き払ってしまった。

「……の合図を鳴らせ」

 直後、ヨハンの口が言葉をつむいだ。
 ただの呟きのようにか細いその声を、かろうじて耳に入れることが出来た一人の兵士が「え?」というような表情をヨハンに返す。
 その気の抜けた顔に、ヨハンは怒声を叩き付けた。

「聞こえなかったのか?! 合図だ! 総攻撃の合図を鳴らせ!」
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