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第四章 神秘はさらに輝きを増し、呪いとなってアランを戦いの場に連れ戻す

第三十二話 武人の性(17)

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 それを見たカイルは警戒を強めた。
 クレアが構えを変えたからだ。一本足では無い。両足を前後に開いた半身の構えだ。
 当然のように浮かぶ疑問。
 片足を凍らされたにもかかわらず両足で立つ? あの構えを維持するだけでもつらいはずだ。足がかすかでも言う事をきいてくれるうちに、使えるだけ使おうと考えているのだろうか?
 このカイルの考えは間違ってはいない。
 が、これからクレアがやろうとしていることにとっては、この程度の負傷など些細な問題なのだ。
 クレアはゆっくりと、意識を自分の体内に向けた。
 とくん、とくん、と、脈うつ心臓の音と、穏やかな呼吸音が聞こえる。
 循環する血液。それに添うように張り巡らされている魔力の経路。
 深呼吸をする。それに応じて、体の中を走る魔力の流量と速さが少しだけ変化する。
 瞬間、クレアの意識はそこで止まった。
 その原因は、本当にやるのか? という理性の訴え。
 本当はやりたく無い。
 誰がこんな技を考えたのだろうか、という言葉がクレアの心に浮かび上がる。
 魔力はある内臓から生み出されて体内を巡っている。その循環速度は血液が流れる速度と比例関係にある。
 恐らく、血液は肺から取り入れた活力を全身に運ぶ役割を担っており、魔力の循環もその恩恵を受けているのだろう。
 内臓は弱く脆い。だから骨と筋肉に守られている。
 奥義は魔力を体内で爆発させて加速させるもの。一歩間違えれば自身の体内を破壊する危険な行為である。だから頑丈な骨と筋肉に対して使うのだ。

(……)

 透明な水のように澄まされたクレアの心の中に、誰がこんな技を考えたのだろうか、という言葉が再び浮かび上がる。
 心臓と肺を加速させるなどという――まさしく狂気の沙汰といえる行為。
 それが最終奥義。使い手の命が燃え尽きるという意味で『最終』なのだ。
 クレアの理性はやめろと訴え続けている。
 残念ながら、その意見に耳を貸すことは出来ない。自分に残された武器はもうこれしかないのだ。

「……ふぅーっ」

 再びの深呼吸。
 そして、クレアは一族の英霊達と、武の神に対して祈りを捧げた後、

(……いざ! 最終奥義!)

 遂にそれを使った。
 瞬間、クレアの肩が「どくん」と、跳ね上がった。

「……っっぁ!」

 胸から走った激痛に、クレアの呼吸が止まり、搾り出したかのような悲鳴が漏れる。
 心臓を直接叩かれる痛みというものを初めて知った。
 そしてこれは失敗だ。少し強く叩きすぎた。
 次はもっと慎重に、丁寧に、繊細に、そう思いながらクレアはもう一度使った。

「……!」

 やはり痛いが、今度はかなりマシになった。これなら続けられる。

「……はぁっ、はぁっ、はっ、ふっ、ふっ、ふっ!」

 心臓に合わせて肺も加速させる。

「ふっ、ふっ、ふっ……っ?!」

 直後、胸部に心臓からのものとは違う鋭い痛みが走った。

「げほっ! げほっ!」

 激しく咳き込む。
 口の中に鉄の味が広がる。
 また失敗した。

(肺が少し裂けた?)

 しかし前の失敗と比べると痛みはかなり少ない。この程度ならば止まる必要は無い。止まれない。再開だ。

「……はぁっ、はぁっ、はっ、ふっ、ふっ、ふっ!」

 今度は順調。
 間も無く、クレアは自分の体に二つの変化が起き始めたのを感じた。
 体が熱くなり始めた。凍傷の痛みが気にならなくなるくらいに。全身が赤く火照ってきているのがわかる。
 もう一つの変化は痛み。
 体の中に新しい痛みが生まれた。
 それは魔力を生み出している内臓から発せられている。
 かつて感じたことが無いほどの量の魔力がその内臓から生まれ、全身を巡っているのが分かる。
 だから悲鳴を上げている。明らかに過度の負荷がこの内臓にもかかっている。
 なるほど、確かにこれは命を燃やすが如くだ。
 心臓か、肺か、それとも魔力を生み出しているこの内臓か、いずれか一つが負荷に耐え切れずに潰れたその時、私の命は尽きるのだ。
 この調子でどれだけの猶予があるかは分からない。

(しかし、私が倒れるその前に――)

 倒したい者がいる。

 クレアはゆっくりと前傾姿勢を取りながら、カイルを見据えた。
 睨まれたカイルは表情にこそ出さなかったが、内心たじろいでいた。

(女の身に何が起きている?!)

 異常、異様、分からない。だから恐ろしい。
 カイルの感情は構えに表れた。
 脇を締め、相手から見て細く見えるように立ち、いつでも防御魔法を展開出来るように姿勢を変えた。
 その直後、さらなる変化がクレアの身に起き始めたことにカイルは気付いた。

(……光っている?)

 言葉の通り、クレアの体がぼんやりと発光し始めたのだ。
 全身が均一に光っているわけでは無い。それは線で出来ており、艶かしい曲線でクレアの体に光の模様を描いている。
 まるで血管が発光しているようだ、とカイルは思った。

 その考えは少し外れている。正確には高血圧によって浮き出た血管の傍を通っている魔力の経路が輝いているのだ。皮膚の細胞一片にまで大量の魔力が送り込まれているのだ。

 クレアは体に力がみなぎるのを感じていた。細胞の働きが活発化し、それが筋肉の強化に繋がっていた。 
 心臓の加速が全ての加速をうながしている。
 もし、この状態で間接と筋肉に奥義を使ったらどうなるのか。
 心に生まれた僅かな期待感。クレアはそれに従い、地を蹴った。

「「!」」

 瞬間、クレアとカイル、二人の顔に驚きが生まれた。
 クレアがやったことは突進しながら右手で貫手を放っただけだ。
 しかしそれは一瞬の動作。まばたきする間に終わるほどの速度。
 その凄まじい速度の貫手から放たれた魔力は一条の閃光となり、線上にいた敵兵達を吹き飛ばした。
 貫通力は無いが、まるで閃光魔法のようであった。
 これを受けたカイルは何故か右手を上に揚げていた。
 その腕は奇妙に捻じ曲がっている。
 腕に巻きつけられていた鎖は千切れ、さらに上の中空を舞っている。
 刹那の出来事だが、クレアの突進を受ける際、カイルは右手を発光させていた。
 カイルは防御魔法を張ったのだ。
 しかしクレアが放った貫手は、その光る壁を突き破り、巻かれている鎖を引き千切りながら、その右腕をへし折ったのだ。
 とんでもない速さ、そして威力。
 カイルの顔に驚きが浮かぶのは道理。
 しかし、クレアの顔にも同じ色が浮かんだ理由はカイルとは異なった。

(……失敗した?!)

 カイルの真横を駆け抜けてからようやく、クレアはそれに気付いた。
 魔力の放出が遅れた。本当は衝突の瞬間に魔力を開放するつもりだった。それが遅れたから、魔力はただの飛び道具となって、遠巻きに包囲している兵士達に炸裂したのだ。
 あまりにも力が強すぎるせいで上手く制御出来ていない。成功していれば今の一撃で終わっていた。

(ならば、もう一撃!)

 振り返りながら、再び構える。
 その形は貫手では無く掌底打ち。
 これならば直撃でなくとも相手を吹き飛ばせる。そして、この突進速度ならばそれだけで終わる。
 瞬間、クレアの口尻から赤い泡が零れ落ちた。
 先の踏み込みで肺がさらに傷を負ったのだろう。
 しかし今はそんなことを気にしてはいられない。
 クレアは胸に走る鋭い痛みを逆に糧としながら、再び地を――

「?!」

 蹴ろうとした瞬間、視界の隅に閃光が映り込んだ。
 真横から迫る光。クレアは反射的に防御の姿勢を取ったが、

「っあぅ!」

 その一筋の閃光はクレアの右肩を貫き、その身を吹き飛ばした。
 穴が空いた右肩から鮮血を撒き散らしながら、地の上を派手に滑る。

「な!?」

 カイルの口から思わず言葉が漏れた。

「何事だ」と言おうとした。
 その言葉が全て発せられなかったのは、誰が何をしたのか分かっていたからだ。
 閃光が飛んで来た方向に視線を移す。
 そしてカイルの瞳に映ったのは、やはりヨハンであった。
 ヨハンは苛立たしげな顔をしていた。

(……念のために前に出てきておいて正解だった。まったく、役立たずの馬鹿どもめ。危なくなったら撃てと言っておいたろうが。今のを止めていなければ、カイルは間違いなく死んでいたぞ)

 この時、ヨハンはカイルと目が合った。
 ヨハンはカイルの瞳に怒りの色が混じっていることに気付いたが、無視するかのように背を向けながら右手を外套の下に隠した。
 閃光魔法を放ったその右手は震えていた。
 それはヨハンにとってとても忌々しい震えであった。
 これが無ければ――「老い」さえ無ければと、何度思ったことか。
 これのせいで私は魔法の持続力と連射力をほぼ失ってしまった。今は休み休みに一発ずつ撃つことしか出来ない。防御魔法に関しては維持することすらろくに出来ない。
 湧き上がる苛立ちを隠すかのように、ヨハンは足早に歩き始めたが、

「ヨハン様! なぜ……なぜ、このような!」

 直後、その背にカイルの言葉が叩きつけられた。
 明らかに怒気を含んだ声。
 しかし、ヨハンはそれを無視し、

「……とどめを刺しておけ! カイル!」

 と、背中越しに心無い命令を下した。

   ◆◆◆

 それを見たバージルは思わず動いていた。
 廊下に置かれていた飾り鎧から鉄仮面を剥ぎ取ったのだ。
 顔をすっぽりと覆い隠せる代物だ。
 そこでバージルの動きは止まった。
 理性が訴えたのだ。「何をするつもりだ。馬鹿なことはやめろ」と。
 その通りだ。これは後先考えていない直情的な行動だ。
 しかしそれでも、そう分かっていても、立ち止まっていられないのだ。
 胸の奥からこみ上げて来るのだ。熱く、そして粘っこい感情が。
 それが理性を押し流した瞬間、バージルは傍にいたクレアの従者に向かって声を上げていた。

「馬を貸してくれ!」

   第三十三話 盾 に続く
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