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第四章 神秘はさらに輝きを増し、呪いとなってアランを戦いの場に連れ戻す

第三十二話 武人の性(16)

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 クレアは左足首の状態を確認しようと、手を当てた。
 だが直後、クレアはその手をすぐに引っ込めてしまった。
 手が患部に張り付きかけたからだ。表面の湿分は完全に凍ってしまっている。
 魔力が通る反応が無い。血が通っている感覚も無い。このままでは足首が壊死してしまう。
 暖めなくては。だが、自分は炎の魔法は使えない。
 ならば――と、クレアは発光する手の平を患部に当てた。
 光魔法が持つ熱量を使おうという考えである。
 その熱は炎と比べるとあまりに心許ない。応急手当にすらなっていないかもしれない。しかし、何もしないよりはマシであった。
 そして、その様子をカイルは余裕の眼差しで眺めていた。
 あの女の左足首は死んだ。中の血管まで冷却魔法が通ったはずだ。
 しばらくは歩くくらいは出来るだろう。しかし、一ヶ月も経てば腐り落ちる。
 あの女もそれは分かっているはず。
 降伏を宣言するならば今だ。これ以上続けるならば、神が慈悲を下さらない限り、死ぬことになる。
 やはりこれほどの技を持つ武人をここで死なすのは惜しい。降伏すれば命だけは助かるだろう。
 それは苦しい選択であり険しい道だが、何事も命があってこそ。地の底からもう一度這い上がるしかないのだ。そうしてほしい。
 カイルは本当にそう思っていた。だから待った。
 クレアが再び戦闘態勢を取るか、それとも口を開くか、カイルはじっと待った。
 そして暫くして、クレアは口を開いた。
 しかしその内容はカイルが期待していたものでは無かった。

「……それほどの技を持ちながら、なぜヨハンなぞに仕えているのです?」

 再びの質問であった。
 回復のための時間稼ぎだろうか? それはつまりまだやる気ということ。
 残念だ。カイルはそう思いながら答えた。

「あなた方と同じですよ。私も身内を人質に取られているのです。その原因は膨らんだ借金ですがね」

 ヨハンはカイルに同じことをしたのだ。
 これを聞いたクレアは一呼吸分間を置いた後、再び尋ねた。

「冷却魔法とその鎖の技から、氷の一族の人間とお見受けしますが、あなたに相方はいらっしゃらないのですか?」

 これにカイルは首を振った。

「いえ、私に相方と呼べるような者はおりませんが、どうしてそのようなことを?」

 これに答えるまでにクレアは再び一呼吸分間を置いた。出来るだけ時間を稼ぐつもりなのだろう。

「……あなたがた氷の一族の技は二人一組でその真価を発揮する、という話を聞いたことがあるので」
「……」

 カイルは押し黙った。
 クレアの言っていることは正しい。我が一族に伝わる技には、鎖の終端を別の誰かが握っていることを前提としたものが数多く存在する。
 その理由は一族の技が発展した経緯にある。
 我が氷の一族は外界からやって来た侵略者に従属させられていた歴史がある。
 目を背けたくなる歴史だ。しかし、我が一族の技はその悪夢のような歴史の中で生まれた。
 奴隷にされた我が祖先達は、その手足を鎖で繋がれた。
 それは普通の繋ぎ方では無かった。
 鎖の一方は別の誰かの手足に繋がれていたのだ。
 逃走を困難にするためであり、反抗防止のためでもあった。何か問題があった時は連帯責任にすることが出来るのだ。
 だから、何をするにも二人一組でなければならなかった。
 そんな状況の中で、我が祖先達はあきらめず、牙を研いだのだ。
 技の基礎を生み出した、いわゆる始祖にあたる二人の名は不明。兄妹であった、ということしか残っていない。
 二人一組の技は確かに存在する。だからクレアに対して肯定を返すことは出来る。
 しかし、カイルの口が開かない理由は、ある親族のことを思い出したからであった。



 それは女性。名はイザベラ。
 幼き頃、自分はイザベラと共に鎖の技を修行していた時期がある。
 しかしイザベラの修行はすぐに終わった。見込み無しとして外されたのだ。光魔法が使えないことが致命的であった。
 だがイザベラはあきらめなかった。自分の修行の様子を影から盗み見ていた。
 そして、自分はそんなイザベラに情けをかけてしまった。師の目が届かぬところで、こっそりと技を教えたのだ。イザベラは物覚えは良かった。
 今となっては後悔している。光魔法が使えぬ身であるにもかかわらず、イザベラは戦場に立ち、そしてカルロの息子と戦って命を落とした。
 生半可に技を知ってしまったからであろう。力が無ければ、戦場に立とうなどとは考えもしないはず。結局、彼女を殺したのは自分なのかもしれない。

「……」

 拭いたくとも拭えない、掃いたくとも掃えない、そんな霧のような感情がカイルの心を包みこんだ。
 カイルはその感情から意識を逸らすために、戦闘態勢を取った。
 これまでの隠すような姿勢とは対照的な構えであった。鎖を見せ付けるような、広く大きな構えであった。
 それは「お喋りはここまでだ」という意思表示でもあった。
 その変化を見たクレアは、時間稼ぎが出来なくなったことを察した。
 しかし、残念だとは微塵も感じなかった。そんなことをする必要はもう無くなったからだ。
 クレアが時間稼ぎをした目的の一つは当然足首の回復のためであるが、ある覚悟を決めるためでもあった。

(『あれ』をここで使うしかない)

 出来れば使いたくなかった技。使うにしても、ヨハンと対峙するまで温存しておきたかった技。
 それは『最終』の名が冠せられた、奥義の発展型。
 この『最終』という冠は、武の頂(いただき)に至ったという意味では無い。使用者への負荷が尋常では無いという意味だ。これが人間に扱える武技の限界だろうという判断からである。
 その様はまさしく命を燃やすが如くだという。
 そんな技であるがゆえか、父は私にこの技を教えなかった。存在を知ったのは文献からだ。
 読むだけでどんな技か理解出来た。そして試す気は全く起きなかった。練習出来る技では無いことは明らかだった。

(あの子がこの場にいなくてよかった。本当に)

 リックは激しいものに心を奪われやすい傾向がある。もしこれを見れば、何としてでも知りたがるだろう。
 だがこれは教えられない。教えたくない。この技はあまりに苛烈で残酷すぎる。
 決めた覚悟を崩さぬように、出来るだけ心を平静に保つために、クレアはゆっくりと構えた。
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