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第四章 神秘はさらに輝きを増し、呪いとなってアランを戦いの場に連れ戻す

第三十一話 頂上決戦(10)

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   ◆◆◆

 ここまで来れば大丈夫だろう、そう思ったリチャードの側近は視線を前に戻した。
 馬車はもうすぐそこだ。これなら歩いても追いつかれることは無い。
 側近の耳には味方が倒される音が次々と飛び込んでいたが、気にはならなかった。
 全滅しても構わないと考えていたからだ。
 捕まってもしばらくすれば開放されるだろう。これはあくまでも「親子喧嘩」なのだ。尋問されても「親が子を連れ戻しに来て、その結果取っ組み合いになった」としか答えられない。
 その後でクリスからリチャード様に対して何かあるだろう。下手をすると王から処罰が下る事態に発展するかもしれない。……が、それは知ったことじゃあない。最初に命令したのはリチャード様なのだから。居心地が悪くなったら黙って去るだけだ。
 それにリチャード様のことだ、マズい事態になったら仲間を売ってでも自分の身を守ろうとするだろう。贖罪の山羊にされることだけは避けねばならない。

(もしかしたら、これが最後の仕事になるかもしれんな)

 そんな事を考えながら体から緊張を抜いた瞬間、

「おい、ヤツがまた来るぞ!」

 手下の一人が上げた声に、側近は身を強張らせながら再び振り返った。
「また」という言葉から、それが誰なのかは分かっていた。
 しかしそれでも側近は驚いた。
 側近の瞳に映ったのはやはり追いかけてくるディーノの姿。
 それは明らかに異常だった。
 まず速い。松葉杖を持っていることが奇妙で、そして滑稽に見えるほどに。
 そして力強い。止めに向かった手下達がなぎ倒されている。どこで拾ったのかその手には剣が握られており、手下達はみな防御魔法の上から腕を切り落とされていた。
 圧倒される。だから側近は、

「何をしている! たかが無能力者の怪我人ひとりすら止められんのか!」

 と、思わず叫んでいた。
 実のところ、手下達にあれが止められるとは全く思っていないし、止める手段も思いつかない。
 時間稼ぎが必要だ。だから側近は、

「ばらばらに向かっても各個撃破されるだけだ! 怖気づかず、足並みを揃えて集団で圧殺しろ!」

 と、咄嗟に思いついた適当かつ無難な案を声に出した。
 反応した五人の手下がディーノに向かって飛び出す。
 その初動には僅かなためらいが見られたが、足並みは揃っていた。
 横一列に並んだ五人の手下が同時に光弾を放つ。
 その瞬間、五人の瞳に映っていたディーノの姿が影が伸びるように右に流れた。
 小刻みかつ重い足音が三度耳に届く。
 高速で側面に回りこむつもりだと気づいた時には既に真横。
 視線をそちらに流す。その間に右端に立っていた者が切り伏せられた。
 隣にいた者がその顔に恐怖の色を浮かべながら、防御魔法を展開する。
 が、光の膜が広がりきるより早く、その腕が赤い色を撒き散らしながら宙を舞った。
 それを見た側近の顔に驚きと、手下達と同じ恐怖の色が浮かび上がる。

(何だ、あの速さは?!)

 考えている間にさらに一人やられた。蹴散らされるのは時間の問題だ。
 だが、ここまで来れば――馬車はもう目の前。

「リチャード様、お早く!」

 これにリチャードは返事をしなかったが、急がなければならないことは分かっていた。
 嫌がるサラを引っ張り、無理やり馬車に押し込めようとする。
 しかしその時、

「っ!?」

 目の前がぱっと光ったと同時に、リチャードの胸に重い痛みが走った。
 後ろに倒れ、無様に尻餅をつく。
 何が起きた――そんなことを考えながら正面を、自分を倒したものの正体を確認する。
 そこには防御魔法があった。
 これが自分を突き飛ばしたものであることは疑いようも無い。
 まさか、ディアナが、我が娘が自分に対してこんなことをやったというのか?
 実の娘からの反抗、しかも暴力によるものはリチャードにとって初めての経験であった。
 リチャードの心に戸惑いの感情が生まれる。
 直後、目の前にある光の壁が薄らいだ。
 その奥にあるサラの顔があらわになる。
 その表情は弱弱しく、恐怖、驚き、そして懺悔の色が混じっていた。
 サラは固まっていた。
 今のうちに逃げるべきだ――サラの理性はそう訴えていたが出来なかった。サラの心はすっかり怖気づいており、その足はぴくりとも動かなかった。
 反射的にやってしまったこととはいえ、自身がやったことは明らかだ。間違いなく報復される。だが、逃げる素振りを見せなければ、父の怒りが少しはやわらぐのではないか、そんな考えがサラの頭の中を支配していた。
 リチャードはサラが想像した通りの反応を見せた。
 リチャードの表情が戸惑いから憤怒の形相に変わる。
 そして、リチャードは立ち上がると同時に、その手から光弾を放った。

「あぅっ!」

 光弾はサラの腹部に直撃し、その体をくの字に折った。
 これにはさすがの側近も驚きの表情を浮かべた。
「なんてことを」という言葉が側近の心に浮かんだ。
 これがリチャード様の善くないところだ。あまりにも直情的すぎる。
 側近は心に浮かんだ非難の言葉を口に出すことはせず、そのまま飲み込んだ。
 周りの手下達も同じように口をつぐむ。
 しかし、たった一人だけ声にしたものがいた。

「てめえ、なんてことしやがる!」

 側近の耳を強く打った野太く激しい声、それはディーノのものであった。
 ディーノはもう目の前だ。
 これに側近は、

「リチャード様、お急ぎを!」

 と、声を上げながら戦闘態勢を取った。
 側近の顔が焦りに染まる。
 それはディーノの顔も同じであった。
 ディーノの瞳には馬車に放り込まれるサラの姿が映っていた。
 時間が無い。剣を握る手に汗がにじむ。
 そしてさらにまずいことにこの剣ももう限界だ。良くてあと二人斬れるかどうか。

(くそったれ!)

 ディーノは半ば自棄になりながら、立ちふさがる側近に向かって踏み込んだ。
 その安易な突進に対して側近が迎撃の光弾を放つ。
 これをディーノは右に鋭く進路変更することで避けた。

「っ!」

 その無茶に対してディーノの左膝が抗議の悲鳴を上げる。
 ディーノはその痛みを無視しながらさらに踏み込んだ。
 側近が防御魔法を展開する。
 目の前で広がる光の盾。ディーノはその壁に向かって剣を一閃した。
 剣は綺麗な弧を描きながら大きく振り抜かれたが、

「!?」

 ディーノの耳に響いたのは肉を裂く音では無かった。
 聞こえたのは甲高い金属音のみ。
 側近が展開した防御魔法は目の前に今だ健在。
 そして直後、へし折れた剣の先端が地を跳ねる音がディーノの耳に届いた。

(くそっ、こいつ硬え!)

 これまでに切り伏せた下っ端どもより魔力が数段上だ。
 高まる焦燥感に突き動かされるまま再び地を蹴る。
 ディーノは何も考えずに動いた。
 本能が選んだ動きは高速の回り込み。リックが何度も見せた動きと同じもの。
 これに側近は全く反応できなかった。
 完全に背後を取ったディーノは、側近のうなじに折れた剣をねじ込んだ。

「ぐがっ!?」

 側近の口から奇妙な悲鳴が漏れる。
 瞬間、側近は「これが最後の仕事になるかもしれない」と考えたことを思い出し、それが望まぬ形で実現しようとしていることを悟った。
 側近は抗った。迫る終焉という運命に抵抗しようと、体に力を込めた。
 しかし、体は既に思うように動かなくなっていた。
 だが、一つだけ、左手だけがかすかに反応した。
 側近は左手の中に小さな光弾を生み、放った。
 狙いをつけずにでたらめに撃たれたその光弾は、偶然にもディーノの松葉杖に直撃した。
 杖がへし折れる音が側近の耳に響く。
 なぜかその音が遠く聞こえる。
 直後、それを最後の仕事として、側近の意識は闇に消えた。
 そして、側近の体が地に倒れたと同時に、姿勢を崩したディーノもまた地に膝をついた。

「糞がっ!」

 死人に悪態を吐きながら、ディーノは片足で立ち上がった。
 サラを乗せた馬車は既に走り出していた。
 残された手下達も置いて行かれまいと走って追いかけ始めている。
 ディーノは右足を引き摺りながら、左足一本で馬車を追った。
 ぴょこぴょこと、片足で飛び跳ねる姿は少し情けなく見えたが、必死の形相と、片足とは思えぬ速度が無様さを打ち消していた。
 だが、ディーノの瞳の中にある馬車の後ろ姿は少しずつ小さくなっていった。
 だからディーノは左足にさらなる力を込めた。

(速く、もっと速く!)

 左膝に鋭い痛みが走る。
 しかしそんなものは気にならなかった。
 さらに力を込める。
 左足に走る光の線が眩く輝き、そして熱くなる感覚を感じる。
 ディーノの瞳に映る馬車の後ろ姿が「ずい」と大きくなる。
 もう地面の上を滑空しているような感覚だ。
 この調子なら追いつける、そう思った直後、

「!」

 馬車の中から数多くの光弾がディーノに向かって放たれた。
 体を傾けながら進路をずらし、回避する。
 しかしそのせいで馬車との距離が大きく広がった。
 左足に再び力を込める。
 瞬間、無視出来ない痛みが走った。

(頼む、もう少し、もう少しだけ持ちこたえてくれ!)

 祈りながら左足を動かす。
 もう激痛と呼べる感覚だ。歯を食いしばっていなければ耐えられない。
 ディーノの願いに反し、その痛みはますます主張を強めた。
 そして、左膝に走る痛みがリックに蹴られた右膝のものを超えた瞬間、

「っぅお?!」

 ディーノの左足は地面を捕え損ね、空回りするようにその足裏を滑らせた。
 顔面から滑り込むように地面に倒れる。
 ディーノは素早く立ち上がったが、馬車は指先くらいの大きさに見えるまでに遠ざかっていた。
 その場にひざまずくように座り込みながら、両手で地を叩く。
 怒りに任せた殴打。しかしディーノの気持ちはまったく晴れなかった。
 少し間を置いてからディーノはもう一度両手を地面に叩き付けた。
 あそこでこうしていれば結果は変わっていたのではないか、という後悔がディーノにそうさせていた。
 そして、ディーノは見えない何かに謝るかのように、深く頭を下げ、額を地面に擦り付けた。
 ディーノはしばらくそうした後、肩を震わせながら、

「くそったれぇ……っ!」

 と、搾り出すように呟いた。

 されど、ディーノは気付いていない。
 二人の縁はまだ切れていないことを。

   ◆◆◆

 翌日――

 自陣にて目を覚ましたラルフは火傷で痛む体を庇いながら上体を起こした。
 体に巻かれている包帯を気まぐれに撫でながら、カルロとの戦いを思い出す。
 強かった、本当に。
 だが――

「……僕の勝ちだ」

 ラルフはそう呟いた後、しばらく包帯を撫で続けた。
 まるでその傷が勲章であるかの如く。

   ◆◆◆

 同時刻――

 ラルフの陣の近くにある森の中に二つの影があった。

「結果は?」

 片方の影がもう一方に話しかける。
 問われた影は即答した。

「ラルフの勝ちだ。カルロは片足を失った。すぐにサイラス様に伝えてくれ」

 これに、問うた方の影は頷きを返した後、その場から走り去っていった。

   第三十二話 武人の性 に続く
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