上 下
85 / 586
第四章 神秘はさらに輝きを増し、呪いとなってアランを戦いの場に連れ戻す

第二十八話 迫る暴威(4)

しおりを挟む
   ◆◆◆

 夜――

「今日は二人で呑もう」

 と、ディーノに誘われたアランは、兵舎へと足を運んでいた。

「いつも通り汚い部屋だが、まあ我慢してくれ」

 ディーノがお約束の台詞を言いながら、自身の部屋のドアに手をかける。
 と、その時、

「あ、そうだ」

 ディーノは思い出したというような表情で口を開いた。

「実は今、部屋に一人いるんだけど、構わないよな?」

 アランがよく考えずに「ああ」と答えると、ディーノは勢いよくドアを開けながら、室内に向かって口を開いた。

「帰ったぞ」

 アランはその台詞の意味が一瞬わからなかった。帰ったぞ? それではまるで身内への――

「お帰りなさいませ、ディーノ様」

 アランの思考を断ち切るように室内から女性の声が届く。

「だから、様を付けて呼ぶのはやめてくれっていつも言ってるだろう?」

 ディーノの視線の先、そこには膝をついて頭を下げる一人の女性の姿があった。

「ディーノ、この人は……」

 アランが思わず尋ねると、

「ああ、サラっていうんだ」

 と、非常にあっさりとした紹介をされた。
 聞きたいのは名前だけでは無いのだが。まあ、それは順に聞いていけばいいか。

「まあ座れよアラン。サラ、酒を出してくれ」

 ディーノに促されるままアランが席につくと、サラが棚から酒とコップを取り出してきた。
 サラが取り出したのは麦の発酵酒であった。
 世に多く普及している一般的なお酒だ。庶民が好んで呑むものなので安酒の印象が強いが、伝統ある高級品も存在する。
 今サラが手にしているものは高級品のほうだ。瓶に美しい絵が描かれた貼り札がされているのがその証拠だ。
 そして、サラは客人であるアランのほうから先に御酌をした。
 サラは張り紙が上になるように、アランからよく見えるように瓶を持った。片手で瓶の底を支え、もう片方の手で注ぎ口の傍を支えていた。
 アランは何故かサラのその何気ない動作に目を奪われた。その所作がどういうものなのかをアランはよく知っていたからだ。

(これは……)

 言葉にはしなかった。知っていても不思議では無いなと思った。この時は。

「それじゃあ、乾杯」

 そして、耳に入ったディーノのその言葉にアランは思考を中断し、酒が注がれたコップをぶつけあった。

   ◆◆◆

 その後――
 ディーノとの宴は静かに終わった。
 呑んだ量も多くなく、二人の顔色は全く変わっていない。
 いつ戦いがあるか分からないからだ。しかも今のディーノは一つの部隊を指揮する身なのだ。翌日に引き摺るまで呑むことなどあってはならない。
 そして今、アランは兵舎を離れ、クリスに用意された部屋へと向かっていた。
 アランの傍にはディーノの姿もあった。
 部屋まで送る、という申し出をアランは遠慮したのだが、ディーノはこうして強引に付いてきていた。
 だが、二人の間に会話は無かった。
 そして、アランの部屋が視界に入った瞬間、

「ちょっと聞いていいか?」

 と、ディーノが声を出した。
 これにアランが「なんだ?」という視線を返すと、ディーノは再び口を開いた。

「こんな時にこんな事を聞くのはどうかと思うんだがよ……その、サラのこと、どう思う?」

 何を聞きたいのかよく分からなかったアランは尋ね返した。

「どうって?」

 これにディーノは言葉を詰まらせた。上手く表現できる言葉が見つからないのだろう。
 暫し後、ディーノは口を開いた。

「……なんか、普通とは違わないと思わねえか?」

 ディーノの言葉に思い当たることがあったアランはすぐに答えた。

「彼女は多分、貴族の娘だ。でなければ、貴族の家で働いていた召使いだろう」
「どうしてそう思うんだ?」
「彼女の動作が全て貴族の作法に則った(のっとった)ものだったから」

 この答えに、ディーノは「分かっていたけど聞きたくなかった」というような顔をしながら口を開いた。

「……あー、やっぱりそうなのか」

 ディーノのその表情に、アランは理由を尋ねた。

「どうした? 彼女が貴族と関係がある人間だとして、何か困ることがあるのか?」

 まさか、既に男女の営みを終えていて、彼女のお腹には俺の子供がいるんだ、とか言い出すつもりなのだろうか。アランがそんなことを考えていると、ディーノは再び口を開いた。

「あー、いや、なんとなくそんな気はしてたんだ。いやしかし、これはどうしたもんかなー……」

 頭を掻きながら唸るディーノに、アランは再び尋ねた。

「おいおい、一体どうした? 何を悩んでるんだ」

 ディーノは頭に添えた手をそのままに、ゆっくりと答えた。

「……クリス様に縁談の話があったっていうのは知ってるか?」

 アランが頷きを返すと、ディーノは言葉を続けた。

「実は、その……サラはもしかしたら、その縁談の相手だった、ディアナなんじゃないかなあ……ってな」

 ディーノの語気は喋るほどに弱くなっていた。最後の「ってな」の部分に関しては、注意していなければ聞き取れないほどであった。
 そんなディーノに対し、アランは驚きを返した。

「サラがディアナだって!? どうしてそう思うんだ?」

 ディーノは頭に添えた手を再び動かしながら答えた。

「いや、出会いからして普通じゃなかったんだよ。でも、サラがディアナなんだとしたら、あそこであんな出会い方をしたのにも合点がいっちまうんだ」

 その言葉に興味が沸いたアランは尋ねた。

「普通じゃない出会いっていうのはどういう?」

 ディーノは頭を掻いていた手の速度を緩め、ゆっくりと口を開いた。

「……えーと、初めて出会った時、サラは妙な男達に追われてたんだよ。そいつらは俺が黙らせたんだが、そん時のサラはそれはもうぼろぼろでな、まるで森の中を駆け抜けてきたみたいだったぜ。
 それだけじゃあねえ。俺がサラと出会ったのは、クリス様のお見合い相手が襲撃されてからまだあまり時間が経ってない頃ときた。ここまでくれば、サラはディアナだとしか考えられないだろ?」
「……」

 ディーノの弁に、アランは同意を示す沈黙を返した。
 確かに、サラはディアナだとしか考えられない。
 ならばどうする? 彼女をリチャードに引き渡すか?
 ……いや、それは出来れば避けたい。だが、彼女の意思も尊重したい。
 だからアランは尋ねた。

「彼女は、サラは家に帰りたいと口にしたことはあるか?」

 突然の質問に、ディーノは首を振った。

「? いや? それどころか、ここに置いてくれって泣きつかれたぞ」

 この答えにアランは胸を撫で下ろした。

「そうか、それならいい。気にしないでくれ」

 安心するアランに対し、ディーノは不安げに口を開いた。

「……しかし、クリス様のお見合い相手だった人を、逃げ出した貴族の女を囲っておくっていうのは、まずくねえか?」
「……」

 アランはすぐには答えられなかった。問題が無いと言えば嘘になる。
 例えば、アンナがどこの馬の骨とも分からぬ輩とそういうことになったら、父はどうするだろうか。

「……」

 どう考えても穏やかな未来が想像できない。リチャードにしても同じだろう。激怒するのではないか。怒るだけならまだいい。もしリチャードが何かしらの報復行動に出たら? 何か厄介な要求を突きつけてきたら?
 しかし、それでもサラを、ディアナをリチャードのもとに返すという選択肢はアランには選べなかった。

 だからアランは、

「バレなければ問題無いだろう。バレたとしても、貴族の女だとは知らなかったと言い切ってしまえばいい」

 などと、気休めにもならない言葉をディーノに返した。
 これにディーノはやはり納得出来ない様子で、

「そうかあ? まあ、お前の言うとおり何事も無ければいいんだがよ」

 疑問交じりの返事をアランに返した。
 そして、ディーノは頭に添えていた手をようやく下ろしながら、続けて口を開いた。

「変な話をして済まなかったな。じゃあ俺はそろそろ帰るわ」

 淡白な言葉の後、ディーノはアランに背を向けた。
 ディーノの足が帰路を辿り始める。離れ始めたその背中に、アランは何故か何も言うことができなかった。
しおりを挟む
感想 5

あなたにおすすめの小説

(完結)醜くなった花嫁の末路「どうぞ、お笑いください。元旦那様」

音爽(ネソウ)
ファンタジー
容姿が気に入らないと白い結婚を強いられた妻。 本邸から追い出されはしなかったが、夫は離れに愛人を囲い顔さえ見せない。 しかし、3年と待たず離縁が決定する事態に。そして元夫の家は……。 *6月18日HOTランキング入りしました、ありがとうございます。

【完結】転生7年!ぼっち脱出して王宮ライフ満喫してたら王国の動乱に巻き込まれた少女戦記 〜愛でたいアイカは救国の姫になる

三矢さくら
ファンタジー
【完結しました】異世界からの召喚に応じて6歳児に転生したアイカは、護ってくれる結界に逆に閉じ込められた結果、山奥でサバイバル生活を始める。 こんなはずじゃなかった! 異世界の山奥で過ごすこと7年。ようやく結界が解けて、山を下りたアイカは王都ヴィアナで【天衣無縫の無頼姫】の異名をとる第3王女リティアと出会う。 珍しい物好きの王女に気に入られたアイカは、なんと侍女に取り立てられて王宮に! やっと始まった異世界生活は、美男美女ぞろいの王宮生活! 右を見ても左を見ても「愛でたい」美人に美少女! 美男子に美少年ばかり! アイカとリティア、まだまだ幼い侍女と王女が数奇な運命をたどる異世界王宮ファンタジー戦記。

巻添え召喚されたので、引きこもりスローライフを希望します!

あきづきみなと
ファンタジー
階段から女の子が降ってきた!? 資料を抱えて歩いていた紗江は、階段から飛び下りてきた転校生に巻き込まれて転倒する。気がついたらその彼女と二人、全く知らない場所にいた。 そしてその場にいた人達は、聖女を召喚したのだという。 どちらが『聖女』なのか、と問われる前に転校生の少女が声をあげる。 「私、ガンバる!」 だったら私は帰してもらえない?ダメ? 聖女の扱いを他所に、巻き込まれた紗江が『食』を元に自分の居場所を見つける話。 スローライフまでは到達しなかったよ……。 緩いざまああり。 注意 いわゆる『キラキラネーム』への苦言というか、マイナス感情の描写があります。気にされる方には申し訳ありませんが、作中人物の説明には必要と考えました。

人生を共にしてほしい、そう言った最愛の人は不倫をしました。

松茸
恋愛
どうか僕と人生を共にしてほしい。 そう言われてのぼせ上った私は、侯爵令息の彼との結婚に踏み切る。 しかし結婚して一年、彼は私を愛さず、別の女性と不倫をした。

父が再婚しました

Ruhuna
ファンタジー
母が亡くなって1ヶ月後に 父が再婚しました

夫は平然と、不倫を公言致しました。

松茸
恋愛
最愛の人はもういない。 厳しい父の命令で、公爵令嬢の私に次の夫があてがわれた。 しかし彼は不倫を公言して……

王女の中身は元自衛官だったので、継母に追放されたけど思い通りになりません

きぬがやあきら
恋愛
「妻はお妃様一人とお約束されたそうですが、今でもまだ同じことが言えますか?」 「正直なところ、不安を感じている」 久方ぶりに招かれた故郷、セレンティア城の月光満ちる庭園で、アシュレイは信じ難い光景を目撃するーー 激闘の末、王座に就いたアルダシールと結ばれた、元セレンティア王国の王女アシュレイ。 アラウァリア国では、新政権を勝ち取ったアシュレイを国母と崇めてくれる国民も多い。だが、結婚から2年、未だ後継ぎに恵まれないアルダシールに側室を推す声も上がり始める。そんな頃、弟シュナイゼルから結婚式の招待が舞い込んだ。 第2幕、連載開始しました! お気に入り登録してくださった皆様、ありがとうございます! 心より御礼申し上げます。 以下、1章のあらすじです。 アシュレイは前世の記憶を持つ、セレンティア王国の皇女だった。後ろ盾もなく、継母である王妃に体よく追い出されてしまう。 表向きは外交の駒として、アラウァリア王国へ嫁ぐ形だが、国王は御年50歳で既に18人もの妃を持っている。 常に不遇の扱いを受けて、我慢の限界だったアシュレイは、大胆な計画を企てた。 それは輿入れの道中を、自ら雇った盗賊に襲撃させるもの。 サバイバルの知識もあるし、宝飾品を処分して生き抜けば、残りの人生を自由に謳歌できると踏んでいた。 しかし、輿入れ当日アシュレイを攫い出したのは、アラウァリアの第一王子・アルダシール。 盗賊団と共謀し、晴れて自由の身を望んでいたのに、アルダシールはアシュレイを手放してはくれず……。 アシュレイは自由と幸福を手に入れられるのか?

【書籍化進行中、完結】私だけが知らない

綾雅(要らない悪役令嬢1巻重版)
ファンタジー
書籍化進行中です。詳細はしばらくお待ちください(o´-ω-)o)ペコッ 目が覚めたら何も覚えていなかった。父と兄を名乗る二人は泣きながら謝る。痩せ細った体、痣が残る肌、誰もが過保護に私を気遣う。けれど、誰もが何が起きたのかを語らなかった。 優しい家族、ぬるま湯のような生活、穏やかに過ぎていく日常……その陰で、人々は己の犯した罪を隠しつつ微笑む。私を守るため、そう言いながら真実から遠ざけた。 やがて、すべてを知った私は――ひとつの決断をする。 記憶喪失から始まる物語。冤罪で殺されかけた私は蘇り、陥れようとした者は断罪される。優しい嘘に隠された真実が徐々に明らかになっていく。 【同時掲載】 小説家になろう、アルファポリス、カクヨム、エブリスタ 2024/12/26……書籍化確定、公表 2023/12/20……小説家になろう 日間、ファンタジー 27位 2023/12/19……番外編完結 2023/12/11……本編完結(番外編、12/12) 2023/08/27……エブリスタ ファンタジートレンド 1位 2023/08/26……カテゴリー変更「恋愛」⇒「ファンタジー」 2023/08/25……アルファポリス HOT女性向け 13位 2023/08/22……小説家になろう 異世界恋愛、日間 22位 2023/08/21……カクヨム 恋愛週間 17位 2023/08/16……カクヨム 恋愛日間 12位 2023/08/14……連載開始

処理中です...