上 下
81 / 586
第四章 神秘はさらに輝きを増し、呪いとなってアランを戦いの場に連れ戻す

第二十七話 移る舞台(3)

しおりを挟む

   ◆◆◆

 ヨハン、サイラス、そしてリック――動き始めた三人に対し、アランはどうしていたのかというと――

「……」

 アランは私室にて事務作業に追われていた。
 机の上に山積みされている書類の束、それに一枚一枚目を通し、筆を走らせる。
 その内容、それはほとんどが金の話であった。
 前線を支える将軍達への出資の承認が大部分を占め、他には周辺貴族からの融資のお願い、さらには兵站を支える街道の修復費用の捻出なんてものもあった。
 アランはそれら全てに目を通し、自身のサインを末尾に記していた。

「……」

 ため息を吐きそうになるのを堪える。
 こっちに帰ってきてから一年、ずっとこんなことをやっている。
 だが我慢するしかない。これが今の自分の仕事なのだ。

「……」

 そう考えても、やはりやる気は出ない。
 そもそも自分がやらなくても回る仕事なのだ。自分がいない間は執事が全て捌いていた。その事実がアランからやる気を奪っていた。

「……くだらないことを考えてもしょうがない。さっさと済ませよう」

 アランはそう声に出して自身に活を入れた後、再び書類に書かれている文字を目で追い始めた。

 この仕事をやり始めて知ったことなのだが、炎の一族はこの国の軍事に関することを全て取り仕切っていた。
 逆に言えばそれ以外のこと、特に商売に関することなどはあまり手をかけていない。
 ゆえに、炎の一族自体の収入は多くない。
 それを補うのが、王室会議で姿を見せたリチャードのような南の貴族達である。
 炎の一族が武力で国を守り、南の貴族が金を出す。この国の構造は、おおざっぱに言えばそれだけであった。

「……」

 そんな金の流れを意識しながら、淡々と作業を進めていると、

「アラン様、今よろしいですか」

 老けた男の声と、慎ましやかなノックの音が部屋に響いた。

「どうぞ」

 アランが許可を出すと即座にドアが開き、

「失礼します」

 奥から城の執事が姿を現した。

「アラン様にお手紙が届いております」

 執事はそう言いながら懐から二通の手紙を取り出し、アランに差し出した。
 アランはそれをすぐには受け取らなかった。
 執事がこうして手紙を持ってくる時、その内容は大抵厄介な、重要度または緊急度が高いものであると決まっているからだ。
 気が重い。しかし無視することは出来ない。
 アランはしぶしぶといった表情で、その手紙を受け取った。
 一方の送り主の欄を見る。
 そこに書かれていた名前に、アランの気はますます重くなった。
 そこへ追い討ちをかけるように執事がその内容を口に出した。

「王からの縁談依頼状です」

 遂にこの時が来たか、アランはそう思った。

「……」

 アランは中身を見ずに黙ってそれを机の上に置き、もう一方の手紙に視線を移しながら尋ねた。

「……こっちはなんだ?」

 執事が答える。

「半年前、大金を出資していただいた南の貴族からの宴席の誘いです」

 アランは中身を取り出し、文章に目を通した。

「……宴を開くのは別にいいのだが、なぜ開催地が北の関所なんだ?」

 南の港町からはかなりの距離がある。
 アランのこの問いに、執事は自身の考えを述べた。

「出資金の主な用途がその関所の強化と、周辺街道の整備だから……というのはただの建前で、北の将軍達と縁を持つことが狙いでしょうな」

 執事の言葉に、ある人物を連想したアランはそれを口に出した。

「リチャードと同じことを考えているのか……北の将軍達ということは、クリス将軍も呼ばれているのだろうか?」

 関所の北にある谷間の道を抜ければ、クリス将軍の城はもう目の前だ。
 これに執事は首を振った。

「その可能性は高いでしょうが、来ることは無いでしょう……その理由は、アラン様自身がよくご存知なのでは?」

 執事の弁に、アランは薄い笑みを浮かべながら頷きを返した。

「確かに、激戦地を支えているクリス将軍が宴のために城を離れることなんてありえないな。そんなことをする余裕なんて全く無い」

 そう言った後、天井を仰ぐように背を伸ばすアランに、執事は尋ねた。

「どうなさいますか?」

 答えは決まっていた。ゆえにアランはすぐに姿勢を戻し、口を開いた。

「王からの縁談を受けるのは当然として、大金を援助してくれたその貴族の事も無下(むげ)には出来ない。ここは出ておいたほうがいいだろう」

 そう言った後、アランは再び手紙の方に視線を戻した。

「そういえば、宴の開催日はいつだ?」

 アランは文面の続きに目を通した。

「……再来週!? すぐに出発しないと間に合わないじゃないか!」

 驚くアランに、執事は同意を示す頷きをしながら口を開いた。

「はい。あまりに急な話なので、お断りしても問題は無いかと」

 執事の言葉はとても甘美な響きであったが、

「……いや、行くよ。これが俺の仕事なのだから。すぐに準備をしてくれ」

 自分に言い聞かせながらアランはそう答えた。

   ◆◆◆

 その後、アランは急いで身支度をし、慌しく出発した。
 そして二週間後――

 会場に着いたアランを待っていたのは、大きく様相を変えた関所の姿であった。
 関所の外観には芸術的な細工と装飾があちこちに散りばめられていた。
 それだけでも驚きに値するのだが、内装はその上を行っていた。
 とにかく煌びやかであった。軍事拠点とは思えぬほどに。
 金の装飾、色とりどりの花、悦を凝らした食事、そして高価な衣服を身に纏い談笑する貴族達の姿。
 一体この宴にどれだけの金をかけたのか。南の貴族の意気込みのほどがうかがえた。
 しかし、そんな華やかさに対し、アランが抱いた感情は不信感であった。
 度が過ぎている、アランはそう感じていた。

「アラン殿、楽しんでおられるかな?」

 その時、特に何もせず時間をもてあましていたアランに、主催者である南の貴族が話しかけてきた。

「ええ」

 アランが適当な返事を返すと、

「それは良かった。……そうだ、この機会に紹介しておこう。私の娘達だ」

 貴族は二人の娘をアランに紹介した。
 娘達はアランに可愛らしい礼をした後、順に名乗った。

「姉の―――と申します」
「妹の――――と申します」

 このときアランは彼女達が何と名乗ったのか覚えることができなかった。それはまるで彼女達と関わることを無意識のうちに拒否しているかのようであった。
 同様にアランはこのあと彼女達と交わした雑談の内容もはっきりと覚えていなかった。何度か適当に返事をしたことだけは記憶していたが。

「それではアラン様、これで失礼しますね」

 そしてアランはこの台詞はしっかりと聞き取ることができた。それはこの退屈な束縛からの解放を意味していたからだ。

(やっと終わったか)

 娘達が去った後、アランは危うく吐きそうになった溜め息を飲み込んだ。
 気分転換がしたい、そう思ったアランは風に当たろうとバルコニーのほうへ足を向けた。
 しかしその直後、一人の貴族がアランの前に立ち塞がった。

「もしやあなたはあのご高名なアラン様では?」

 もしや、と言っているがこの貴族は確信があってアランに話しかけていた。先ほどの南の貴族とアランの会話を盗み聞きしていたのだ。
 アランは求められた握手に応じ、求めてもいない貴族の自己紹介に耳を傾けることになった。
 そしてこの「作業」は一人では終わらなかった。次々と別の貴族が入れ替わりにアランに話しかけてきた。
 アランは何度も機械的に握手に応じ、作業的な会話を繰り返した。

   ◆◆◆

 ようやく開放されたアランは宴会場を抜け、一人廊下を歩いていた。
 あの場から離れられるならどこでもよかった。今はとにかく一人になりたかった。
 歩き疲れたアランは適当な壁に背を預け、身を休めることにした。
 すると、廊下の奥、自分が歩いてきた宴会場の方から誰かが近づいてくる音が聞こえてきた。
 アランは咄嗟に適当な物影に身を潜めた。やましいことがあるわけでは無いのだが、今のアランは人と話すことにうんざりしていた。
 アランが隠れながら近付いてくる音に耳を立てていると、どうやら歩いてくるその者達は先ほど話した娘達のようであった。
 二人は話しながら歩いていた。

「まったく、本当に碌(ろく)な男がいないわね」
「あら姉様、私は今日お会いしたアラン様は良いな、と思いましたけど」
「……まあ顔は良いわね。でも魔法力はさっぱりだという噂よ?」
「そんなこと、あのカルロの血を引いていることを考えれば問題になりませんわ。アラン様は弱くとも、きっと子は優れた魔法力を持って生まれるでしょう」
「うーん、確かにそうかもしれないわね」

 娘達は談笑しながらそのまま廊下の奥に消えていった。

(品の無い会話だ)

 陰から娘達の話を聞いていたアランはそう思った。
 この宴はあの娘達のお見合い会のようなものだったのかもしれない。そんなことを考えながらアランは今日初めて小さな溜め息をついた。

   ◆◆◆

 その夜――

 深夜と呼べる時間、用意された部屋に戻ったアランは自由な時間を満喫していた。
 だがこの至福の時間はもう終わりが近づいていた。明日も早い。そろそろ寝なくては。
 そう思ったアランがベッドに入る準備を始めた時、

「アラン様、まだ起きていらっしゃいますか?」

 控えめなマリアの声と、ノックの音が部屋に響いた。

「ああ、起きている。入ってきてかまわないよ」

 アランがそう答えると、ゆっくりとドアが開き、マリアが姿を現した。
 マリアは一礼してから室内に入り、口を開いた。

「アラン様、今後の予定なのですが、このまま城に戻る足でそのまま首都へ、王の元へ向かう、という事でよろしいですか? それとも一度城に寄って行きますか?」
「……」

 これにアランはすぐには答えなかった。

「アラン様?」

 マリアが答えを催促する。しかし、アランは口を開こうとはしない。

「……」

 暫しの沈黙の後、アランは答えた。

「マリア、俺は王に会う前に、ここから北へ、クリス将軍の城へ行こうと思っている」

 この答えにマリアは眉をひそめながら口を開いた。

「アラン様、それは「待って、聞いてくれ。マリアが思っているようなことを考えているわけじゃない」

 マリアの言葉を遮ったアランは自分の考えを述べ始めた。

「……クリス将軍の城にとどまって、また戦いの中に身を置こうなどと考えているわけじゃない。俺はみんなに最後の別れを言いに行きたいだけなんだ」

 引っかかる言い方に、マリアはその意を尋ねた。

「最後の別れ、ですか?」

 これにアランは「そうだ」と答え、言葉を続けた。

「……俺はこの後、王の娘と結婚する。それは避けられないことだ。そして、そうなると俺に自由は無くなる。こうして遠出することも難しくなるだろう。
 それでも、アンナとは会う機会を作れるかもしれない。しかし、前線にいるクリス将軍やディーノ、そしてクラウスに会うことは不可能になるだろう」

 ここでアランは一度視線を落とした。
 そして、アランはゆっくりと、言葉を選びながらといった口調で続けた。

「これは多分、最後の機会になると思うんだ。面と向かって皆に別れを、武人としての自分を捨てて貴族としての職務に専念することを、二度と会うことは無いであろうことを告げる最後の機会」

 アランは再びマリアと目を合わせた。
 その目はとても力強かった。

「マリア、俺はしがらみを断ちに行きたいんだ。行かせてくれ、頼む」

 このようにお願いされては、堅物のマリアでも折れるしかなかった。


 カルロの元へ向かうラルフと偉大なる者の地を目指すヨハン、それを追うサイラス、そしてクリスの城へ向かうリックとアラン。
 地位と権力、名誉、そして未練が人を引き寄せた。
 舞台は整った。後はぶつかり合うだけである。

   第二十八話 迫る暴威 に続く
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

何を間違った?【完結済】

maruko
恋愛
私は長年の婚約者に婚約破棄を言い渡す。 彼女とは1年前から連絡が途絶えてしまっていた。 今真実を聞いて⋯⋯。 愚かな私の後悔の話 ※作者の妄想の産物です 他サイトでも投稿しております

あなたの子ですが、内緒で育てます

椿蛍
恋愛
「本当にあなたの子ですか?」  突然現れた浮気相手、私の夫である国王陛下の子を身籠っているという。  夫、王妃の座、全て奪われ冷遇される日々――王宮から、追われた私のお腹には陛下の子が宿っていた。  私は強くなることを決意する。 「この子は私が育てます!」  お腹にいる子供は王の子。  王の子だけが不思議な力を持つ。  私は育った子供を連れて王宮へ戻る。  ――そして、私を追い出したことを後悔してください。 ※夫の後悔、浮気相手と虐げられからのざまあ ※他サイト様でも掲載しております。 ※hotランキング1位&エールありがとうございます!

【完】あの、……どなたでしょうか?

桐生桜月姫
恋愛
「キャサリン・ルーラー  爵位を傘に取る卑しい女め、今この時を以て貴様との婚約を破棄する。」 見た目だけは、麗しの王太子殿下から出た言葉に、婚約破棄を突きつけられた美しい女性は……… 「あの、……どなたのことでしょうか?」 まさかの意味不明発言!! 今ここに幕開ける、波瀾万丈の間違い婚約破棄ラブコメ!! 結末やいかに!! ******************* 執筆終了済みです。

愚かな父にサヨナラと《完結》

アーエル
ファンタジー
「フラン。お前の方が年上なのだから、妹のために我慢しなさい」 父の言葉は最後の一線を越えてしまった。 その言葉が、続く悲劇を招く結果となったけど・・・ 悲劇の本当の始まりはもっと昔から。 言えることはただひとつ 私の幸せに貴方はいりません ✈他社にも同時公開

夫から国外追放を言い渡されました

杉本凪咲
恋愛
夫は冷淡に私を国外追放に処した。 どうやら、私が使用人をいじめたことが原因らしい。 抵抗虚しく兵士によって連れていかれてしまう私。 そんな私に、被害者である使用人は笑いかけていた……

【完結】王子は聖女と結婚するらしい。私が聖女であることは一生知らないままで

雪野原よる
恋愛
「聖女と結婚するんだ」──私の婚約者だった王子は、そう言って私を追い払った。でも、その「聖女」、私のことなのだけど。  ※王国は滅びます。

夫の色のドレスを着るのをやめた結果、夫が我慢をやめてしまいました

氷雨そら
恋愛
夫の色のドレスは私には似合わない。 ある夜会、夫と一緒にいたのは夫の愛人だという噂が流れている令嬢だった。彼女は夫の瞳の色のドレスを私とは違い完璧に着こなしていた。噂が事実なのだと確信した私は、もう夫の色のドレスは着ないことに決めた。 小説家になろう様にも掲載中です

【完結】私だけが知らない

綾雅(りょうが)祝!コミカライズ
ファンタジー
目が覚めたら何も覚えていなかった。父と兄を名乗る二人は泣きながら謝る。痩せ細った体、痣が残る肌、誰もが過保護に私を気遣う。けれど、誰もが何が起きたのかを語らなかった。 優しい家族、ぬるま湯のような生活、穏やかに過ぎていく日常……その陰で、人々は己の犯した罪を隠しつつ微笑む。私を守るため、そう言いながら真実から遠ざけた。 やがて、すべてを知った私は――ひとつの決断をする。 記憶喪失から始まる物語。冤罪で殺されかけた私は蘇り、陥れようとした者は断罪される。優しい嘘に隠された真実が徐々に明らかになっていく。 【同時掲載】 小説家になろう、アルファポリス、カクヨム、エブリスタ 2023/12/20……小説家になろう 日間、ファンタジー 27位 2023/12/19……番外編完結 2023/12/11……本編完結(番外編、12/12) 2023/08/27……エブリスタ ファンタジートレンド 1位 2023/08/26……カテゴリー変更「恋愛」⇒「ファンタジー」 2023/08/25……アルファポリス HOT女性向け 13位 2023/08/22……小説家になろう 異世界恋愛、日間 22位 2023/08/21……カクヨム 恋愛週間 17位 2023/08/16……カクヨム 恋愛日間 12位 2023/08/14……連載開始

処理中です...