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第四章 神秘はさらに輝きを増し、呪いとなってアランを戦いの場に連れ戻す

第三十話 武技交錯(3)

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   ◆◆◆

 対し、アランの視界はまだ回復していなかった。
 だがアランには奇妙なものが見えていた。
 暗闇の中にいくつもの光の線が見える。
 その線はどれも人の形を模していた。
 いや、逆か。人の体の中にこの光の線が走っているのだろう。
 いま目の前にある光の人形がリックで、少し離れたところにいる数え切れないほどの光の人形は兵士達か。
 そして、自分の体の中にも同じものが走っているのを感じる。



 ほんの少し体を動かしてみる。
 筋肉と関節の動きに応じて、光の輝きと流れが激しくなるのを感じる。
 これは魔力なのか? 魔力は光弾や炎となって外に飛び出すだけのものだと思っていた。このように筋肉や関節の動きを補助しているなんて初めて知った。
 そういえば一流の魔法使いは自身の体に流れる魔力をはっきりと感じ取ることが出来ると聞いたことがある。父やアンナもそうだと言っていた。
 いや、これも逆か。自身の体に流れる魔力を正確に感じ取れるからこそ、魔力の扱いが上手くなり一流となれるのだ。
 だが、他者の魔力をこのように「見る」なんてことが出来るという話は聞いたことが無い。これもまた自分が持つ神秘のひとつなのか。
 目の前にいるリックと自分の魔力の流れを比べてみる。
 ……やはりこの男は、偉大なる者の血を引くこの者は特別だ。
 光の線の量がかなり違う。その線は全身に、手の先から足の裏まで張り巡らされている。だからこの男は足でも魔法が使えるのだ。
 それに比べて自分はというと、右腕は手の先まで太い光の線が走っているが、左手のほうは細くか弱い線が手の平に数本走っているだけだ。足に関しては太い流れがあるのは足首までで、足裏にはほとんど魔力が通っていない。
 ……嫉妬心がアランの心に湧き上がる。
 だが、その暗い感情の源泉はすぐに枯れ消えた。
 自分にはこの神秘がある。魔法使いとして弱くとも、剣があれば戦える。
 構えを再び整える。
 そうしているうちに、視界が回復してきた。
 視界はやはり赤に染まったままだった。しかし光の線はまだうっすらと見える。感じ取れる。
 目の前にいるリックは構えを変えた後、少しずつ間合いを詰めてきている。
 そろそろ仕掛けてくるな、アランがそう思った直後、リックに変化が起こった。
 リックの頭蓋の中を巡っている光の線の流れが急に激しくなったのだ。
 刹那、アランが持つもう一つの神秘が発動した。

『狙いは刀。魔力を集中させた指先での武器弾きが主な狙いだが、隙あらばその指で貫手(ぬきて)を仕掛けてくる』

 瞬間、アランはこの神秘がどういう能力なのかを理解した。
 そして同時に、目の前にいるリックが文字通り「輝いた」。
 リックの爪先に、足首に、膝に、目に痛いほどの眩い閃光が駆け巡る。
 だん、という重い音がアランの耳に届く。視界の中央にあるリックの像が陽炎をまとったかのように揺らぎ、ぶれる。
 踏み込んできた、その事実を言葉として脳が認識した時には既に目の前。
 リックの腕が閃光となって前に伸びる。
 感じた通りその狙いは刀。
 刃の側面を目掛けてリックの輝く指先が走ってくる。
 真っ直ぐでは無い。しなるような、鞭のような軌道。
 最短距離を詰めない曲線の軌道であったがそれでも速い。瞬(またた)く間に触れるか触れないかの距離。
 瞬間、アランは刀を握る手首をくるりと捻った。
 刀の先端が下に円を描くように回転し、ひらり、と、リックの指先を避ける。
 アランはその円軌道の勢いを利用し、刃の先端が元の位置に帰ってきたと同時に、伸びたリックの腕を目掛けて刀を突き出した。
 しかし届かない。突きの速度よりも遥かに速く、するり、と、リックの拳が引き逃げていく。
 リックが今度は逆の腕を前に繰り出す。
 アランの切っ先が同じように迎え撃つ。
 迫る拳。引く刀。返す刀。逃げる拳。
 光る拳と刃が交差する。何度も。何度も。
 迫る、引く、その繰り返しは徐々に速くなっていった。
 光の線を糸と見立てて織物をしているかのように、二人の間に幾重にも閃光が重なる。
 時折火花が散る。リックの指先がアランの刀に触れているのだ。
 その都度アランの刀は弾かれている。しかし大きくは無い。体勢を崩すことはおろか、隙すら生まれていない。
 アランは上手く衝撃を受け流していた。リックの指先から迸(ほとばし)る魔力を、時に引くように受け、時に刃を回転させて流していた。
 逆も然(しか)り。アランの刃がリックの手に触れることもある。が、赤い線を引く前にするりと逃げられている。
 アランの耳が新しい音を拾う。
 それは風切り音であった。光る拳と刃が空を裂く音だ。
 いつの間にか雑音が、兵士達の怒声が小さくなっている。
 二人の戦いを見た誰かがその手を止め、足を止め、口を閉ざし、それを見た別の誰かが何事かと同じように手を止めていた。
 それは凄まじい勢いで伝播していった。
 周囲はあっという間に静寂に包まれ、場には絶え間なく続く風切り音と、時折鳴り響く金属的な衝突音しかしなくなった。
 兵士達は皆、見入っていた。アランとリック、二人から一定の距離を取り、円陣となってその戦いを見守っていた。
 その表情はどれも放心しているかのようであった。皆、二人の戦いに惹かれていた。
 静けさに包まれた場と兵士達の心。しかし、彼らの視線の先、円陣の中心にある二人の心は対照的に猛(たけ)っていた。
 絶え間無く繰り返される単調ながら苛烈な命の駆け引き。
 凄まじい速度でめくられ、書き換えられるアランの台本。
 息つく間も無い。体が熱い。筋肉が、関節が、全てが酷使されている。
 頭が痛い。あまりの情報量に脳が焼けてしまいそうだ。
 手に、背に汗が滲む。緊張が、焦りが心を掻き立てる。
 アランの心は燃えるようであった。
 しかしそれは表面だけであった。
 アランの心、その奥底は対照的に静かで、澄んだ水のようであった。
 その冷たいほど静かなアランの深層意識は状況を、リックのことを冷静に分析していた。
 何という速度、そして対応力。
 台本の提示はいつも直前だ。単純にリックの動きが速いからこうなっているのでは無い。この男は考えると同時に動いているのだ。思考から動作に移るまでの速度が反射に近い領域に達しているからだ。
 だが、この男は自身の速さに振り回されていない。直感と反射神経だけに頼って動いているわけではない。こちらの動きを見て対応し、台本の内容を書き換えてくる。
 積み重ねた修練の成せる技なのだ。ほぼ無意識に体が動かせるようになるまで何度も何度も同じ型を繰り返したのだろう。
 もちろんそれだけではこの対応力は生まれない。きっと良い師が、良い相手がいたのだ。
 自分は真の魔法を、奇跡のような神秘を身に着けたと思っていた。
 しかしそれが間違いであることをこの男は教えてくれた。自分が持つこの能力はあくまでも精度の高い予測に過ぎないのだ。
 恐るべき、としか表現出来ない。この男は身体能力だけで自分の神秘を覆しているのだ。
 その一つの結論が、アランの深層意識の中に大きな感情を作り出す。
 それはゆっくりと浮かび上がった。
 心の表面は緊張と焦りで燃えるように荒れていたが、その浮かんできた感情はそれらを押し流した。
 そしてアランの心はその一つの感情に支配された。
 それは驚嘆の念であった。
 その大きな感情は、心だけでなく、その身も震わせた。
 恐怖による震えでは無い。悪寒は感じない。むしろ心地よい。

「うおぉ!」

 気付けば声を上げていた。
 自分はとてつもない戦いに身を置いている。その事実が喜びにも似た感覚となってアランの気勢を上げていた。
 そして、対するリックはその胸に同じ驚嘆の念を抱いていたが、その感情の色はアランとは少し違っていた。
 攻めている側だからか、その心にはほんの少し余裕がある。
 だが、その僅かな心のゆとりは違う何かに侵食されつつあった。

「……」

 口を開いたアランに対し、リックは歯を食いしばっている。
 ひたすら手を出している。何度も。何度も。
 だが届かない。避けられ、時に阻まれ、そして反撃されている。
 あと少し、あと少しなのだ。距離にしてたったの一歩分。
 なのに届かない。まるで幻を掴まされているような感覚。なんという遠い一歩。
 リックは自身の中である感情がどんどん大きくなっているのを感じた。
 それは心の余裕を食いつくし、別の感情まで侵食し始めている。
 恐怖とは違う。強い者と戦った時に、カルロと対峙した時に感じたものとは違う。この感情は暗いものでは無い。むしろ明るく心地良い。
 戸惑いながらも、戦いながらも、リックは意識の片隅でその感情を表す言葉を捜した。
 それはすぐに見つかった。

(そうだ、これは感動だ)

 心を打ち震わされるようなこの感覚、感動しているとしか表現できない。
 だが、何に? 自分は何に感動している?
 いや、わかっている。認めたくないだけだ。自分はこの男の、アランの技に感動しているのだ。
 どうしたらこんなことが出来るようになるのか。自分の拳と奴の剣先が紐で結ばれているような、そんな錯覚を覚える。
 全ての攻撃を、いや、全ての動きを読まれている。そうとしか思えない。
 母と組み手をした時の感覚に似ている。周囲の魔力の流れを感じ取ることが出来る我が母。ゆえに相手の動きをある程度読むことが出来る。
 だがそれとは明らかに違う。母の反応と対応はいつも相手が動いた「後」だ。アランはこちらが動く「前」に既に反応している時がある。
 アランは違うものを見ている。アランはもっと深いところにある別の何かを読み取っている、そんな気がする。
 そして恐るべきはそれだけでは無い。その剣捌きの精密さよ。
 生半可な修練ではこうはならない。数え切れないほど同じ型を繰り返したはずだ。自分が拳を振った回数と同じ、いや、それ以上の回数を。

(……)

 沈黙を続けるリックの口尻から、ぎり、という歯軋りの音が鳴る。
 相手を認めたことで、自分と重ねたことで、リックの中にあった感動は「共感」と「敬意」に変わっていた。

 アランとリック、二人の心にある言葉が浮かび上がる。
 二人が驚きから生み出した感情はそれぞれ違うものであったが、その言葉は同じ文面であった。

 その言葉とは、

““なんという男だ!””

 であった。
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