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第三章 アランが己の中にある神秘を自覚し、体得する
第二十二話 悩める者と暗躍する者(2)
しおりを挟む◆◆◆
その後、リリィは心を殺して淡々と作業を続けた。
だが、ある者を目の前にして、リリィの手は再び止まった。
台の上に乗せられた女性、彼女のことをリリィはよく知っていた。
その女性はかつてリリィが鞭打たれて倒れた時に面倒を見てくれた女性であった。
そして、彼女はまだ生きていた。
「……」
リリィの手が止まっていることに、あの兵士が気づいた。
「またか。同情は無用だ。さっさと手を動かせ」
兵士の顔が険しくなる。
このままではまずい。そう思った老人が、自分一人で台を炉に入れようと手に力を込めた瞬間――
「すまないが、一旦作業を中断してくれ」
場に透き通るように響いた新たな人物の声。
全員が振り返る。見ると、そこに立っていたのはサイラスであった。
「これはサイラス将軍。本日はこのような場所に一体どのような御用で?」
兵士がサイラスに礼をしながら用件を尋ねる。
サイラスは兵士に視線すら返さず、焼却場を見回しながら答えた。
「マギーという無能の貴族を探している。ここに来ているはずだ」
そう言った後、サイラスの視線はある場所で止まった。
「ああ、その女性だ。良かった。間に合ったようだな」
そう言いながら、サイラスは台に乗せられている女性の傍に歩み寄った。
その際、サイラスはリリィと目が合った。
「おや? リリィじゃないか。こんなところで会うとは奇遇だな」
この言葉は真実である。サイラスはリリィに会いにここへ来たのでは無い。
声を掛けられたリリィは何と返事すれば良いか迷った。
だが、サイラスはリリィの返事にさほど興味は無いらしく、視線を外し、入り口のほうに向かって口を開いた。
「フレディ」
主の声にフレディが音も無く入り口から姿を現した。
「彼女を運び出せ。丁重にな。外に出したらすぐに薬を飲ませろ」
「へい」
フレディのが返事をすると、担架を持った数人の部下がなだれ込むように部屋に入ってきた。
部下達は慣れた手つきでマギーと呼ばれた女性を担架に乗せた。
その時、青年を殺害した兵士が口を開いた。
「ちょ、ちょっとお待ち下さい。マギーが自由放免になったという話は聞いておりませんが」
これにサイラスは少し得意気そうで、かつ自信ありげな顔で答えた。
「気にするな。諸君らにはなんら非は無い。あまりに急な話だったので情報の伝達が間に合わなかったのだろう」
サイラスは懐から一枚の紙を取り出し、言葉を続けた。
「私が彼女、マギーの『免罪符』を買った。彼女の罪はもう許されている」
免罪符、その言葉にリリィは違和感を覚えた。
サイラスはマギーの罪が許されたと言った。その罪とは魔法が使えないことを指しているのだろう。
そしてその罪は、収容所に入れられ、過酷な生活を強いられるほどのものであると、誰かに、または何かの組織に決められているのだろう。
サイラスは『買った』と言った。それほどの罪が金で買えるということ、それにリリィは違和感を覚えていた。
そして、そのサイラスは得意気な顔のままさらに言葉を続けた。
「手続きは既に済ませてある。この件に関して何かあれば教会の担当者に尋ねるといい」
そう言ってサイラスは兵士から視線を外し、フレディと部下達に目配せをした。
フレディ達はサイラスに視線と頷きを返した後、マギーを外へと運び出して行った。
「もう聞きたいことは無いようだな。では、これで失礼する」
サイラスは兵士達を見回しながらそう言った後、焼却場から出て行った。
◆◆◆
処分場の入り口に差し掛かった頃、ある人物がサイラス達を待ち受けていた。
「マギー! 本当にマギーなのか!?」
紳士と呼べる佇まいをしたその男は、目を見開きながらそう叫んだ。
「間一髪だったが何とか間に合った。マギーは救い出したぞ、ジョナス」
頷きながらそう言葉を返すサイラスに対し、ジョナスと呼ばれた紳士は深く頭を下げた。
「熱があるが、既に薬を飲ませてある。後は水と食事を与えてゆっくり休ませれば回復するだろう」
サイラスはジョナスに歩み寄り、懐から取り出した紙切れを渡した。
「これがマギーの免罪符だ。絶対に失くさないようにな」
ジョナスは目に涙を溜めながらもう一度深く頭を下げた。
「本当にありがとうございます、サイラス様。このご恩、どうお返しすればいいのか……」
「気にするな」
あっさりとした返事をするサイラスに対し、ジョナスは食らいつくように口を開いた。
「それでは私の気が治まりません。なんでも、いえ何かおっしゃって下さい。私ができることであれば、どんなことでもするつもりです」
サイラスはこれに困ったような表情を見せた。が、この顔は作り物であった。自身の望む方向に話が進んでいることに、サイラスは内心ほくそ笑んでいた。
サイラスはその笑みを表に出さないように意識しながら口を開いた。
「あいにく、今日は忙しくてな。どうしても礼がしたいと言うのであれば、後日私の別荘に来てくれ」
サイラスは部下に持たせていた荷物袋からペンと紙を取り出し、別荘の位置を記した簡単な地図を描いた後、それをジョナスに渡した。
「かしこまりました。後日、必ず伺わせていただきます」
再び深い礼をするジョナスにサイラスは頷きだけを返し、その場を去った。
◆◆◆
処分場を後にし、ジョナスから十分に離れたところで、フレディがサイラスに話しかけた。
「上手くいきやしたね」
「ああ」
素っ気無いとも取れる簡素な答えを返すサイラスに、フレディは再び口を開いた。
「しかし、何だってこんなぎりぎりなんで? 冷や冷やしましたぜ」
フレディの問いにサイラスは「何だそんなことか」とでも言いたげな顔をしながら答えた。
「ぎりぎりだからいいのだ。追い詰められているほど救いの手は輝く」
「なるほど。でも、もし手遅れになってしまってたら、その時はどうするつもりだったので?」
「その時はマギーの死を『上手く』ジョナスに伝えるだけでいい。死人でも十分役に立ってくれる」
この答えに満足したのか、フレディは再び「なるほど」と言いながら手を打った。
「ところで、後で礼に来ると言ってやしたが、本当に来ますかね」
「それは大丈夫だろう。振る舞いと言動から義理堅い男であると感じた」
「来てくれなきゃ困りますもんね」
サイラス達がマギーを助けたのは気まぐれや慈善活動では無い。ある目的に沿った行動である。
「しかし……あのジョナスという貧乏貴族はあっしらの仲間になってくれますかねえ」
「それについてはフレディ、お前のほうが詳しいだろう。お前の見立てでは、あのジョナスとかいう貴族には『反乱分子』としての確かな素質があるのだろう?」
「ええ、それは間違いないと思うんですが」
「念のために聞いておきたいのだが、何を根拠にその素質があると思った?」
「ええとですね、それはジョナスが軍隊を持っていたからです」
「軍隊?」
気になった言葉を声に出して尋ねるサイラスに、フレディはゆっくりと答えた。
「いえね、軍隊と言ってもそんな立派なもんじゃないんです。数十人くらいのもので」
サイラスは頷きを返し、フレディに続きを促した。
「でも、その半数以上がただの農民で構成されてましてね。毎日夕方くらいになると、ジョナスの屋敷に隠れるように集まって、せっせと訓練してるんでさあ」
「ほう」と、言葉を返すサイラスに、フレディは言葉を続けた。
「ジョナスはその兵士達を戦争のために鍛えているわけでは無いようです。兵士を抱えていることを上に知らせていないみたいで」
フレディの弁に納得したサイラスは口を開いた。
「それなら間違いないな。ジョナスはかなり危険な橋を渡ろうとしていたようだ」
サイラスはあごに手を当てながら言葉を続けた。
「だが……マギーが助かったことで、ジョナスの心の中から危険な考えが消え去ったかもしれないな」
「え?! じゃあ、マギーを助けたのは失敗だったってことですかい!?」
「そんなわけ無いだろう……。マギーは私とジョナスを繋ぐという重要な役目を果たしてくれた」
これにほっとしたような表情を浮かべるフレディに対し、サイラスは言葉を続けた。
「まあ何にしても、『こちら側』に引き込むには後一押しが必要だろうな」
後一押し、それが何なのか、どうすべきなのか、そのイメージはこの時既にサイラスの中に出来上がっていた。
◆◆◆
三日後、ジョナスは約束通りサイラスの別荘に姿を現した。
両手に抱えきれないほどのお礼の品を持ってきたジョナスに対し、サイラスは最大限の礼儀と敬意を持って迎え入れた。
だが、サイラスはこの場では『こちら側』についての話をしなかった。
サイラスはジョナスと普通に談笑し、共に夕食をとった。
そして、ジョナスは来た時と同じ笑顔で帰路に就いた。
◆◆◆
「本当に何も話さずに帰してよかったんですかい?」
ジョナスとのささやかな宴が終わった後、フレディはサイラスに尋ねた。
「ああ、これでいい。それより、頼んでおいたことはどうだった?」
「それならばっちり、これくらい楽勝ですよ」
そう言って、フレディは懐から美しい装飾が施された四角い箱を取り出した。
それは煙草入れであった。火打石など、必要な道具が纏められている外出用のものであった。
「しかし、ジョナスの持ち物から一番高そうなものを盗んでおけだなんて、言われた通りにしやしたが、こんなものどうするんで?」
「それはもう一度会うための口実だ。明日それをジョナスのところに返しに行く」
「その時にあの話をするんですか? しかし、なんだってこんな回りくどいことを? 今日話したほうが良かったんじゃ?」
「それは明日になれば分かる。ちなみに、それにはお前も同行してもらうからな。ちゃんと寝ておけよ」
「え? あっしもですかい?」
サイラスは念を押すように「そうだ」と答えた後、私室へと戻っていった。
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