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第三章 アランが己の中にある神秘を自覚し、体得する

第二十話 嵐の前の静けさ(3)

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   ◆◆◆

 次の日――

 心地の良い朝、アンナは今日も兄の部屋にお邪魔しようと考えていた。
 しかし兄は留守であった。困ったアンナは兄の姿を探して周辺をうろついてみることにした。
 しばらく歩いた後、兵舎から少し離れたところにある空き地の前を通りすがったアンナは、その中央に出来ている人だかりを見て足を止めた。

(何かしら?)

 その人だかりの中にはディーノの姿があった。ディーノはどこか興奮したような様子で、時折歓声を上げていた。
 気になったアンナは人ごみの中に割って入り、ディーノに話し掛けた。

「こんにちは、ディーノ様」
「妹さんじゃないか。アランを探してるのか?」
「ええ。どこにいるかご存知ありませんか?」
「アランならそこにいるぜ。ほら」

 ディーノはそう言いながら人ごみの中央を指差したが、背が高くないアンナは人垣のせいでよく見えなかった。
 仕方なくアンナは再び人ごみの中に割って入り、強引に最前列へ躍り出た。
 ディーノの言うとおり兄はそこにいた。
 兄は広場の中央で刀を手に身構えていた。
 それはアンナが初めて見る構えであった。左半身を正面に向けた真半身の姿勢を基本に、胸に押し当てるように折りたたまれた左腕、そして刀を握る左手は顔の右真横に置かれ、柄の底に押し当てられた右手を支えに、その切っ先は真正面に向かって伸びていた。
 アランが握る刀は発光していた。そしてアランから見て前方、やや離れた位置に、手をアランに向かってかざしている四人の兵士達がいた。

(何をしているのかしら、まさか――)

 そのまさかは現実となった。兵士達はアランに向かって一斉に光弾を放った。

「あ、危な」

 あまりの事にアンナは咄嗟に声を上げた。しかしそれは最後まで言葉にならなかった。それは直後に起きた出来事に心奪われたからである。
 アランに迫る光弾は四つ。アランから見て真正面に一つ、右手側から一つ、左手側から二つ。
 アランはまず正面から迫る光弾に向かって光る突きを放った。
 突きは光弾の表面を捉えた。アランは光弾を刃の上に滑らせながら、真右に振り払った。
 その際、アランは右手側から迫る光弾も巻き込んだ。二つの光弾は刀身の上でぶつかり合い、削りあった。そのまま切り払われた光弾は空中で霧散した。
 アランは右に振り払うと同時に左に向き直り、返す刃で左手側から迫る二つの光弾を迎え撃った。
 迫る光弾のうち一つは間もなくアランの左膝に、もう一つは僅かに遅れてアランの顔面に到達しようとしていた。
 アランは膝に迫る光弾の下に潜り込ませるように突きを放った。
 アランはそのまま光弾を刃の上に滑らせながら、刀を上に振り上げた。
 そして先と同様、アランは顔面に迫る光弾もその振り上げる刀身に巻き込んだ。ぶつかりあった光弾は真上に上昇しながら霧散した。
 その見事な技に、ディーノ含む観客達は、一斉に沸き立った。

 この時、アンナの心中には様々な感情が駆け巡った。
 まず沸き起こったのは畏敬の念。兄の剣技は既に自分の手が届かぬ域に達しつつある、アンナはそう感じていた。
 先のアランが見せた太刀筋は不思議なものであった。小さな線が連続して円のような曲線を描いたような、線でありながら円とでも言うべきか、鋭くかつ柔軟、そんな太刀筋であった。
 次に沸き起こったのは嫉妬。炎の魔法剣で多くの戦果を挙げてきたアンナにはそれなりの自負があった。しかし先ほど目にした兄の技はそんな自負を軽く吹き飛ばすものであった。
 もし自分があの刀を手にしたとして、兄と同じことができるだろうか? その問いにアンナの理性は明らかな否定を返していた。

 そしてその嫉妬は遠慮という形で表に現れた。兄と話したい、アンナはそう思っていたが、結局何も言わずその場を立ち去ったのであった。

   ◆◆◆

 そんなこともあったが、アンナは久しぶりの兄との触れ合いに、幸せをかみ締めた。
 しかし、そんな幸せな時間は一週間ほどで突然の終わりを迎えることになった。南東で敵の姿を見たという情報が入ったからだ。

 出発の準備を整えたアンナは馬に跨り、兵士達を引き連れて門を出ようとした。
 門前にはクリスを先頭に多くの見送りが並んでいた。
 しかし彼らの中に兄の姿は見当たらなかった。
 これにアンナは寂しさを感じたが、すぐに気を取り直し、彼らに馬上から礼を示した。

「それでは皆様、どうかご無事で……」

 この言葉にクリス達は深く頭を下げた。
 アンナは頭を下げたままのクリス達の前を横切り、そのまま門を抜けた。
 その時、門を抜けたところで待っていたある人物の姿に、アンナは馬を止めた。

「お兄様!」

 それはやはりというべきか、アランであった。アンナはすぐさま馬から降り、兄の傍に駆け寄った。
 飛び込んできた妹を抱きとめたアランはそのまま口を開いた。

「戦いに行くんだね。アンナなら大丈夫だと思うけど、気をつけて。俺も自分にできることを頑張るよ」

 俺も頑張る、その言葉に反応したのか、アンナは口を開いた。

「あれから考えたのですが……私はお兄様が戦うことにはやはり反対です」

 あれから、それはアランの部屋で話し合ったあの日から、ということであろう。

「すまない……俺の我侭を理解してもらおうなんて甘い考えは持ってないよ。アンナには気苦労をかけて申し訳無いと思っている」

 アランのこの言葉はアンナの胸にちくりと突き刺さった。
 アランはアンナの肩から手を離し、数歩後ろに下がった。

「それじゃあ……体に気をつけて、アンナ」

 そう言ってアランはアンナに背を向け、城内へと歩き出した。
 その後ろ姿に焦りにも似た感情を覚えたアンナは、咄嗟に手を伸ばしその背を掴んだ。

「お兄様、どうか、どうか死なないで下さい。お兄様がいなくなったら私は……」

 その言葉のあと、アランは自身の背にアンナの体が寄り添うのを感じた。突然のことにアランは一瞬口を閉ざしたが、暫くして背中越しに言葉を返した。

「アンナ、それは……」
「何も言わないでお兄様。これはただの我侭。約束できないことなのはわかっています。私がそう願っていることを心の片隅に置いてくれれば、それだけで十分です」

 やっと素直になれた。そう、この言葉だけで良かったのだ。アンナの心は救われたかのように軽く、穏やかなものになっていた。

 アランは戦いの中に身を置くべきでは無い、アンナが兄に放ったその言葉は至って正論である。
 しかしアンナは一つ思い違いをしていた。今のアランは戦いによる名誉を重んじてはいない。アランは戦場に惹かれているわけでは無いのだ。
 自立のため、それは今やただの建前になっていた。結局、アランは具体的に何をしたいのか? 本人も自覚していないその答えは後に明らかになる。

   ◆◆◆

 次の日の朝、アランは城内にある鍛冶場で鎚を振るっていた。
 鍛冶場というよりは工房と言ったほうが正しいかもしれない。この施設はほとんどアラン自身の手で作られたものだからだ。
 作業員はアランのみ。この施設はアランだけの、アランのための作業場であった。
 アランは考え事をしながら鎚を振り下ろしていた。それは自身の名を呼ぶ声すら耳に入らないほどであった。

「おい、アラン!」

 何度目かになるその声に、アランはようやく顔を上げた。声の主はディーノであった。

「ああ、すまん。考え事をしていて気付かなかった」
「そんなに考え事をしながら、よく作業ができるな。ちょっと羨ましいぜ」
「で、何の用なんだ?」
「いや、別に用はねえんだ。何となく声を掛けただけでな。しかしちょっと呼んでも気付かないくらい集中してたみてえだが、何を考えてたんだ?」
「……昨日アンナに言われたことを思い出してたんだ」

 アランがその内容を簡潔に話すと、ディーノは口を開いた。

「まあ……妹さんが心配するのは当然だろうな」

 ディーノはアンナの言葉に理解を示した。

「実は、父にも似たようなことを言われたんだ」
「何を言われたんだ?」
「それは――」

 アランはあの日、稽古があったあの夜に、父から言われたことをディーノに話した。

「やばくなったら、さっさと結婚して子供を残せ、か。……親父さんにはお前とアンナしかいねえんだろ? それなら、至極真っ当な事を言ってると思うぜ」

 ディーノはカルロの考えにも理解を示した。そしてそれはアランも同じであった。

「確かに二人の言うとおり、俺はいつまでもここに居ることはできないと思う」

 アランはディーノから視線を外し、鎚を一振りしたあと、再び口を開いた。

「最近よく考えるんだ。俺はここにいるべきなのかなって。『自立』したいなんて偉そうなことを言ってここに来たけど、具体的にどうすれば『自立』したことになるのか、見当すらついていない」

 アランの言葉に、ディーノは暫し間を置いた後、口を開いた。

「……アラン、お前が『自立』するのは、相当難しいと思うぜ」

 当然のように、アランはその意を尋ねた。

「難しいって、それはどういうことだ?」
「……お前の親父さんがカルロだからだよ」

 分からない顔をするアランに、ディーノは言葉を続けた。

「一般人ならよ、『自立』するのはそう難しいことじゃねえんだ。働いて、自力で生活するだけでも十分自立したことになる。
 でも、お前は違う。お前の親父さんは偉大な人だ。だから、どこにいてもお前は親父さんの加護を受ける。どこにいても、親父さんに守られている」

 ディーノはアランから一瞬視線を外した後、次のように締めくくった。

「お前が自立しようと思ったら、親父さんを超えるしか無いと思うぜ。でも、親父さんを超えようと思ったらよ、相当でかいことをやらなきゃいけないと思うぜ」

 この言葉に、アランは何も言えなかった。
 父を超える――どうすればそうなるのか、アランには見当すらつかなかったからだ。
 押し黙るアランに、ディーノは少し間を置いてから口を開いた。

「……とにかく、お前のその考えは間違っちゃあいないような気がするぜ。自立を目指すことが間違っているはずがねえ。
 でも、お前の親父さんはでかすぎるんだ。それをいきなり超えるなんてのは難しいだろう。それよりも、小さくとも一歩ずつ進んでいったほうがいいと思うぜ」

 小さくとも一歩ずつ――その言葉に心を動かされたアランは口を開いた。

「一歩ずつ、か。確かにその通りだ。そうするしかない、いや、それしかできない。今の俺にとって父の背中は遠すぎる」

 そう言ってアランは鎚を一度振り下ろし、思考を一度整理した後、再び口を開いた。

「ディーノ、俺は最近よく考えることがあるんだ。自分のために、じゃなくて家のために何かをしなくちゃいけないんじゃないかって」
「……それは、ここを離れて家に帰ったほうがいい、と考えてるってことか?」

 これに、アランは肯定でも否定でも無い言葉を返した。

「……正直、自分でもよくわからない。でも、アンナや父上はそうしたほうがいいと言っていて、俺もなんとなくそんな気がしている」
「……具体的にいつどうするかとかはもう考えてるのか?」

 これにアランは気まずそうな顔をしながら答えた。

「……それが、全然」

 これにディーノは笑みを浮かべながら口を開いた。

「なんだ、結局まだここを離れる気は無いってことか。未練たらたらじゃねえか」

 ディーノは笑いながら言葉を続けた。

「まあ、それでいいんじゃねえか? 俺としちゃあその方が嬉しいし。帰るのは本当にやばくなってからでもいいだろ」

 この地にいることが既にやばい気がするのだが。アランはそう思ったが、黙っていた。
 そして、その代わりにアランはこんな言葉をディーノに返した。

「……今はまだ、ここにいることを許されていると思う。でも、いつか時間切れが、帰らなければならなくなるその時が来てしまうんだと思う」

 この言葉にディーノは何も言えなかった。アランはそんなディーノから視線を外し、槌を振り下ろしながら言葉を続けた。

「その時までに俺は何が出来るのか、何を得られるのか、何をすればいいのか……本当に何も分からなくて困ってるんだ」
「……」

 悩むアランと何も言えないディーノ。二人の間に漂う微妙な空気は、互いの道が外れていることの証明のようであった。

 ここでの生活でアランの考え方は少し変わっていた。アランは今では自身の感情よりも、家の将来のほうが大事であると考えるようになっていた。

 アランの視点はまだ低い。彼が家ではなく、この国の未来を見据えるようになるのはまだ先の話である。

   第二十一話 復讐者 に続く
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