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第三章 アランが己の中にある神秘を自覚し、体得する
第十五話 武を磨く者達(2)
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クレアによる指導はこの日だけで無く、次の日も、そのまた次の日も続いた。
クレアの体が弱いためか、二人が一緒にいる時間はいつも短かった。しかし武の才に富むリックにとってはそれで十分だった。
そんなある日――
いつものように訓練場にやってきた二人であったが、そこには既に小さな先客がいた。
それはリックの息子であった。少年は訓練場の真ん中で父を真似るように手足を動かしていた。
少年はぴょんぴょんと飛び跳ねながら手足を振り回していたが、とうとう足を滑らせて派手に転んだ。
地に寝そべる少年の目に瞬く間に涙が溜まっていったが、それが溢れることは無かった。父の存在に気づいた少年はそれを我慢したからだ。
少年は立ち上がって目に溜まった涙を拭い、声を上げた。
「父上!」
リックは元気に駆け寄ってきた息子を受け止め、その頭を撫でながら口を開いた。
「よく泣かなかったな、えらいぞ」
「父上! 父上がいつもここでやってるあのかっこいいやつ、教えて!」
少年はリックの服を掴みながらそう言った。
少年は武の道を歩みたいと言っているのではない。要は「一緒に遊んで」と言っているのだ。それをわかっているリックは息子の頭を撫でながらこう言った。
「ようし、わかった! 父さんの動きをよく見て、しっかり真似するんだぞ!」
そう言ってリックは身構え、簡単な武術の型を見せ始めた。少年は父の隣に並び、その動きを真似た。
(……今日の訓練はお休みになりそうですね)
二人の様子を眺めていたクレアはそんな独り言を心の中でつぶやいていた。しかしそんなクレアの考えはすぐに裏切られることになった。
「ここにいたのねエリス、探しましたよ」
エリスとは少年の名前である。突如訓練場に響いたその声の主は、エリスの母であった。駆け足ぎみに近づいてくる母の姿にエリスは嫌そうな表情を浮かべ、リックの影に隠れる仕草を見せた。
「どうしたブレンダ? エリスに何か用があるのか?」
リックが何も言わぬエリスの代わりに用件を尋ねると、ブレンダは少し怒ったような顔をしながら答えた。
「今日は『祈祷(きとう)の日』です。先月のようにさぼるのは許しませんよ」
リックはエリスが嫌そうな顔をしている理由を察し、口を開いた。
「そうか、今日は『祈祷の日』だったか」
リックはその言葉を反芻(はんすう)しながら足元に隠れているエリスに視線を移した。
「……エリス、嫌な気持ちはよく分かる。父さんもそうだった。でもこれは必要なことなんだ」
父が自分の味方になってくれないことに気づいたエリスはますます不機嫌そうな顔を見せた。
「さあ行こう。皆を困らせてはいけない。今日は父さんもついていてあげるから」
リックは息子の背に手を添えながら歩き始めた。
◆◆◆
屋敷の中央に作られた聖堂――
そこには本日行われる行事のために多くの人間が集まっていた。魔法信仰の正装に身を包んだ参列者達は皆整列して始まりを待っていた。
その後方、聖堂の隅にリックとブレンダ、そしてクレアの姿があった。三人は黙って行事を見守っていた。
先頭に立つ神父が本を片手に「偉大なる大魔道士」の石像の前で何かを読み上げ始めると、集まった皆は一斉に目を閉じて祈りを捧げ始めた。
しばらくして神父の言葉が終わると、中央から信徒に付き添われながらエリスが前に歩み出た。
重厚感のある礼装を纏(まと)う信徒に対し、エリスが身に纏っていたのは大きな布一枚だけであった。
エリスを神父の前に跪(ひざまず)かせた信徒は、エリスが纏う布を下にずり下ろし、上半身をあらわにさせた。
エリスの上半身には目印となる赤い点があちこちに描かれていた。それを見た神父は本を祭壇に置き、その手に長い針を握った。
そう、今から行われるのはリリィが収容所で受けたものと同じ、体を穴だらけにするだけの無意味な慣習であった。
エリスはちらりと後ろにいるリック達の姿を一瞥した。それに気づいたリックは、息子を勇気付けるために、力強い目線を返した。
覚悟を決めたエリスは襲い来る痛みに備え、その目を固く閉じた。
◆◆◆
『祈祷』が終わった後、リックはクレアと共に再び訓練場へと戻っていた。
リックはどこか思い詰めたような顔をしていた。リックが考えていることを察したクレアは口を開いた。
「……早くエリスも魔法が使えるようになれば良いのですが」
リックの息子エリスはいまだ無能力者であった。この一族の歴史において、エリスの年齢で魔法能力が目覚めていないのは珍しいことであった。
リックは思い詰めた表情のままクレアに問うた。
「母上、もしエリスがこのまま魔法使いに目覚めなければどうなるのでしょうか? 我が子も没落貴族の子らのように、『収容所』に入れられてしまうのでしょうか?」
これにクレアは少し考えた後、口を開いた。
「信仰の象徴である我等の子がそのような扱いを受けることはない……と信じたいですね」
リックの問いにクレアは確かな答えを返すことはできなかった。しかしこれがリックの中にある何かを強く刺激したようであった。
リックは力強さを感じさせる目をクレアに向けながらこう言った。
「母上、だから私は戦争に出たのです。武功を重ね、いつか我が一族にかつてのような力と威厳を取り戻したいと思っているのです。
そうすれば私の息子の将来もきっと不安の無い幸せなものとなる、私はそう信じて戦っているのです」
リックのこの弁にクレアは何も言うことができなかった。
良い考えだとは感じていた。しかしクレアは素直にその考えを賞賛することはできなかった。
今の魔法信仰は腐敗(ふはい)している。ならばその象徴である我等は静かに座したまま死ぬべきではないか、クレアはそう思っていたからだ。
母のこんな考えを知らないリックは力強い口調で言葉を続けた。
「ですが、前の戦いで私は自身の不足を思い知りました。母上、私はもっと強くなりたい」
そう言いながらリックは身構えた。それを見たクレアは自身の考えを胸の奥にしまい、同じように身構えた。
リックの戦う目的はディーノと同じであった。彼は息子のため、そして家の再興のために研鑽を重ねていた。
だが研鑽を重ねているのは彼だけではなかった。
◆◆◆
場所は変わってクリスの城――
いまだ修復作業が続くその城の片隅で、二人の男が対峙していた。
一方は全身を甲冑で覆っており、既に戦闘体勢を取っていた。「刀」の切っ先を相手の顔に向けたまま、それを握る左手を右顔前に置く独特の構えから、その者がアランであると判別できた。
そして対峙する男、クラウスはアランに向けて右手をかざしていた。
「では、よろしいですか? アラン様」
「ああ、いつでも構わない」
アランは右手から魔力を送りこみ、刀を発光させた。それを見たクラウスはかざした右手からアランに向けて光弾を放った。
迫る光弾に対しアランはぎりぎりまで動かなかった。そして光弾が刀の間合いに入った瞬間、アランは「光る刀」を突き出した。
アランの「光る刀」は光弾の中央をきれいに捉え、切り裂いていった。そして光弾は収束する力を失い、霧散(むさん)した。
しかしその欠片のひとつがアランの顔面に直撃した。これにアランは仰(の)け反(ぞ)り、後ずさった。
「大丈夫ですか! アラン様!」
クラウスはそう声を上げ、アランに駆け寄ろうとした。しかしアランが手をかざして制止の意を示したため、その足を止めた。
「これくらい大丈夫だ! 構わず続けてくれ!」
アランはそう言って再び構えたが、クラウスはこれに難色を示した。
「……アラン様、やはりこの訓練は危険すぎるように思えるのですが」
アランがこの訓練を通じて何を得たいかは理解できる。「光の剣」で光弾を捌くことができるようになれば戦い方が広がるであろう。
しかし今のアランの構えでは顔と剣の距離が非常に近くなってしまう。これでは失敗すれば先ほどのように顔面に魔法を受けることになる。鉄仮面をかぶっているとはいえ、当たり方によっては首を痛める恐れがあった。
そう思ったクラウスは考え、口を開いた。
「剣で魔法を捌(さば)く練習をするよりも、左手で光魔法を扱う訓練をしたほうが良いと思うのですが。それができるようになれば、左手で光の剣を振るいつつ、空いた右手に盾を持つことができるようになります」
クラウスが言ったことは至って正論であった。アランもまたそのことを分かっていたが、クラウスの弁にこう反論した。
「……すまないクラウス。今はこの光の剣にすがりたいんだ」
的を射ないアランの答えにクラウスは沈黙を返し、言葉の続きを促(うなが)した。
「父上に教えられた訓練法を続けること約二年と半年、それだけの時間をつぎ込んで俺が得たのは、この不自由な右手で光魔法が使えるようになったことだけ。それもできるのは剣に光を纏わせることだけで、光弾を撃つことも、防御魔法を展開することもできない。
幼い頃に父上が言ったように俺に魔法の才は無いのだろう。では、そんな俺が左手でも光魔法を使えるようになるにはあと何年研鑽を積まなければならないのか」
言いながらアランはその左手に魔力を込めた。その手に発現したのは光魔法ではなく炎魔法であった。
「クラウス、俺はそこまでの根気は持ち合わせていない。今はただこの構えと光の剣が持つ可能性に賭けてみたいんだ」
アランの弁に対しクラウスはどこか納得していない様子であったが、
(確かに、アラン様の言っていることは一理ある。手に入るか分からぬものを追うより、いま手元にあるものを磨くほうが良いのかもしれぬ)
そう考えたクラウスは口を開いた。
「……わかりました。では、私もその可能性とやらを信じてみることにしましょう」
そう言ってクラウスはその右手をアランに向けてかざし、アランもまた同様に身構えた。
◆◆◆
アランの無茶な訓練は雨が降り始めても続けられた。
冷たい雨がしとしとと降る中、クラウスが光弾を放つ。そして対峙するアランがそれを光の剣で迎え撃つ。
結果は失敗。甲冑に光弾がぶつかった甲高い音の後、アランは泥水を派手に跳ね上げながら仰向けに倒れた。
もう何度も見た光景であった。ゆえにアランの体は泥塗れであった。
アランはずれた鉄仮面を指で直しながら立ち上がり、再び身構えた。
クラウスはもう何も言わなくなっていた。アランが立ち上がってその刀を構える限り、この無茶な訓練を続ける心構えであった。
クラウスが再び光弾を放つ。アランはこれまでと同じように光る剣で迎え撃った。
しかし今回は先ほどまでとは少し違っていた。アランが放った光る突きは、光弾の中心を捕らえなかった。
刃は光弾の表面を捕らえ、光弾は刃の上を滑るように移動していった。アランは咄嗟に刃を光弾の中心に向けて捻り込み、その勢いのまま真横に切り払った。
結果、光弾はアランの顔の横を通り抜けながら霧散した。これを見たクラウスは「おお」と感嘆の声を漏らした。
初めての成功と言える結果であった。アランはこの時、光弾をただ斬るのでは無く、受け流しつつ切り払うことが極意であると悟った。
「これだ! これを完璧にものにしなくては! さあクラウス、続けてくれ!」
アランの声にクラウスは応え、再び光弾を放った。
この日の訓練はアランが力尽き膝をつくまで続けられた。
光の剣に望みを託し修練を積むアラン。
しかしこの後、その望みを絶つかのような強敵がアランの前に立ち塞がる。その戦いでアランは光の剣の強さを実感すると同時に、自身の未熟さを思い知るのである。
第十六話 炎と冷気 に続く
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