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第二章 これより立ち塞がるは更なる強敵。もはやディーノに頼るだけでは勝機は無い
第十二話 炎の一族(2)
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「ではアラン様、これが今日の分です。いつものように朝食後にお飲み下さい」
そう言ってクラウスは朝食が置かれたテーブルの上に薬を置いた。
「飲まないと駄目なのか? 確かにまだ頭が痛むが……」
アランのこの問いにクラウスは首を振った。
「アラン様、飲んでもらわねば皆が困りますので」
上手い言い回しであった。嘘はついていないからだ。
「すまない、皆を困らせようなどとは思っていない。ただ、最近、薬を飲んだ後に強烈な睡魔に襲われるようになったんだ。それが妙に不安で……薬が変わったのか?」
「私は医者では無いので詳しいことは……どうしても気になるのであれば、聞いてまいりますが」
「いや、そこまでしてもらうほどじゃない。気にしないでくれ。薬はちゃんと飲んでおくよ」
「ではアラン様、私はこれで失礼致します」
そう言ってクラウスはアランに一礼し、部屋から出て行った。
◆◆◆
部屋を出たクラウスは廊下で待機していたフリッツに声を掛けた。
「では、今日もアラン様がちゃんと薬を飲んで眠るよう見張っておいてくれ」
皆が戦っている間、アランは眠らされていた。こうでもしなければアランを戦いから遠ざけることはできないと考えてのことであった。
「それと、後で倉庫から捕虜用の拘束具を取ってきておいてくれぬか?」
「それは構いませぬが、そんなもの何に?」
「次の攻撃でこの城は落ちる。アラン様がその事を知れば、意地でもここに残って戦おうとするだろう。そこでだフリッツ、おぬしに頼みがある。次の戦いが始まったらアラン様を連れてここから逃げて欲しい。捕虜用の拘束具はそのためだ」
クラウスのこの考えに異論は無かったが、ふと浮かんだ疑問をフリッツは口にした。
「……クラウス殿はどうなさるおつもりで?」
これにクラウスは即答した。
「部隊の全員が逃げれば、それはアラン様の名を汚すことになる。ここで私が残ればいくらかは名分が立つだろう」
この返答にうろたえるフリッツに対し、クラウスは続けて口を開いた。
「アラン様には次の時代を担う人間になって欲しいと思っている。ここで死なせるわけにはいかん。フリッツ、アラン様のことを頼んだぞ」
それだけ言ってクラウスはその場を去ろうとしたが、突如廊下の角から姿を現したディーノの姿に足を止めた。
「……俺の主であるクリス様もそうなんだがよ、武家の人間っていうのはそういう面倒な生き方しかできない奴ばっかりなのか?」
どうやらディーノは先の会話を盗み聞きしていたようであった。クラウスはディーノのこの問いに対し、逆に質問を返した。
「ディーノ殿は何故逃げないのです?」
「……俺は逃げられねえよ。ここで逃げたらまた奴隷に逆戻りだ」
「私が逃げない理由も似たようなものです。たった一度の不名誉によって全てを失うかもしれない、そしてその不名誉の誹そしりを受けるのは自分だけでは済まないかもしれない、そんな考えが心の片隅にあるのです」
名誉を重んじるあまりそれに縛られている、口には出さなかったが二人ともそれに気づいていた。
◆◆◆
アランは次の日も、その次の日も眠り続けた。
しかし今日の眠りはどこか違っていた。何故だか体にいつもと違う感覚がある。
――それはアランが兵士に担がれて運ばれているからだ。
それと何か耳障りな雑音が聞こえてくる。
――それは周りの兵士達が叫んでいるからだ。
アランのまぶたは僅かに開いたが、アランの重く沈んだ脳はその景色から何が起きているのかを理解できなかった。
(駄目だ……眠い)
アランは睡魔に敗れ、再びまぶたを閉じた。
◆◆◆
アランの意識が覚醒したのは城の外に出てからであった。
目を覚ましたアランが最初に見たのは青空であった。この目覚めは先とは異なり、アランの脳は考える力をある程度取り戻していた。
(何が起きている!?)
アランは何が起きているのかを確認しようとした。自分は仰向けに何かの上に乗せられて運ばれているようであった。
(ここは外? 俺は運ばれているのか!?)
アランは体を動かそうとしたが、体に着けられた拘束具がそれを許さなかった。
(体が動かせない! 縛られている!?)
アランはどうするべきか考えたが、その思考はまとまらなかった。アランの認識能力は完全に回復してはいなかった。
(くそ、頭がぼうっとする! 上手く考えられない!)
アランは口内を強く噛み切った。その痛みは脳に活をいれるには十分であった。
「お前達、何をしている! 止まれ! この拘束具を外せ!」
真っ赤な口内を外気に晒しながら、アランは自分を運んでいる兵士に命令した。その兵士は何も答えなかったが、傍にいた別の者、フリッツが口を開いた。
「申し訳ありませんがアラン様、それはできません。私達はクラウス殿の命令でアラン様を避難させているのです。この地から離れるまでは我慢してください」
「クラウスの命令!? そのクラウス本人はどうした!?」
アランは周囲をざっと見回したが、クラウスの姿は目に入らなかった。
「……クラウス殿は城に残りました」
これを聞いたアランは激しく暴れながら口を開いた。
「降ろせ! 降ろしてくれ! クラウスとディーノを残して一人で逃げるなんてできるか!」
「アラン様、ここは堪えてください! 罰なら後でいくらでも受けますので!」
アランは唯一自由の利く首を動かし、クリスの城のほうに顔を向けた。
クリスの城は燃えていた。アランは少しずつ遠ざかるその景色を、涙を流しながら見つめていた。
アランは悔しかった。自分の弱さがただただ不甲斐なかった。
◆◆◆
アランを運ぶフリッツ達はそのまま戦場を離れ、南西に続く森へと入っていった。
森の道は決して良いものではなく、フリッツ達の行軍は遅くなったが、谷間の道が塞がれてしまっている以上、他に選択肢は無かった。
諦めたのか、森に入ってからアランは静かになった。それでも拘束はしばらく解かれなかったが、
「降ろしてくれ……自分の足で歩くから」
諦めの表情を浮かべるアランがそう言うと、フリッツはようやく拘束を外した。
しばらくして、部隊はアランを先頭に再び歩き始めた。
それは静かな行進であった。部隊の誰一人として口を開かず、兵士達は淡々と足を動かした。
部隊に感情が再び戻るのは森を抜ける頃であった。
そこにはアランにとって意外な人物が待っていたのである。
◆◆◆
森を抜けた直後、アラン達は反射的に身構えた。なぜならアラン達の目の前に突然兵士達が現れたからである。
しかしその兵士達が構えもせず整列しているだけなのを見たアラン達は、胸をなでおろして警戒を解いた。
(ここで出会うということはクリス将軍への援軍だろうか? 一体誰の兵だ?)
その誰かはすぐにアランの前に姿を現した。これにアランは違う意味で身構えることになった。
「父上!?」
そう、その者はアランの父、カルロだった。
「無事だったか、アラン」
子を案ずる父の気持ちを知ってか知らずか、アランはカルロに質問を浴びせた。
「平原奪還の任に就いていたのではないのですか?」
「クラウスがよこした伝令兵から、お前がクリス将軍の救援に向かったことを聞いたのだ。平原のほうはアンナに任せてある」
これにアランは何も言えなかった。感謝の念を示すべきなのだが、アランの中にあるなんとも言えぬ感情がそれを邪魔していた。
ここに来る前、クラウスは自分に「覚悟」しろと言った。死ぬかもしれないという恐怖は乗り越えていたつもりであった。しかし、クラウスが言っていた「覚悟」とは、自分が思っていたものとは違うものであったということに、アランはこの時気付いた。
クラウスは理解し、見通していたのだ。アランが立ち向かおうとしているものの大きさ、そして子を想うカルロの心、そしてそれらに気付いていないアランの甘さを。
クラウスは「死ぬ覚悟」を持てと言っていたのでは無く、「自分の弱さ甘さを受け入れる覚悟」を持てと言っていたのだろう。
アランはただただ情けなかった。そしてアランは何も言わずカルロの前に跪いた。フリッツ達もこれにならった。
「ところでそのクラウスはどうした? 姿が見当たらないが」
カルロのこの問いにアランは心が抉られるかのようであった。意を決したアランが口を開こうとした瞬間、傍にいたフリッツが先に口を開いた。
「クラウス殿は一人クリス将軍の城に残りました。ですが、アラン様に非は何一つありません! 私が強引に連れ出してきたのです!」
「余計な口を挟むな、フリッツ! 父上、責任は全て私にあります!」
アランはフリッツを手で制しながら言葉を続けた。
「父上、繰り返しますが、全責任は私にあるのです。
私は自分の我侭のために勝手に出陣いたしました。そして私は敵に敗れ、こうしておめおめと逃げ帰ってきたのです。
クラウスは私を逃がすために城に残りました。父上、どうかこの無能な私に罰をお与えください」
頭を下げる息子を前に、カルロは少し考える素振りを見せたあと口を開いた。
「……事情はわかった。ならばぐずぐずしてはおれんな。出発するぞ」
「!?」
これにアランは面食らった。
「何を呆けた顔をしている。クラウスとクリスを助けに行くと言っておるのだ。アラン、お前が先頭に立て。道案内は任せる」
「は、はい!」
アランはすぐさま立ち上がり、先ほど出てきたばかりの森のほうに足を向けた。
◆◆◆
父と合流したアランはクラウスとクリス将軍を救出するために森の道を引き返して行った。
森に入ってすぐ、糸のように細い雨が降り始めたが、アラン達は歩みを止めなかった。天候は一向に良くならず、森は霧に包まれたようになっていた。
そして中程に差し掛かった頃、部隊は足を止めた。
正面から足音が聞こえてきたのである。しかしその数は少なく、ゆえにアラン達は警戒こそしていたが、身構えてはいなかった。
しばらくして霧の向こうから現れたその者達の姿に、アランは思わず声を上げ、駆け寄った。
「クラウス! ディーノ! それにクリス将軍も! 良かった、無事で!」
喜びをあらわにするアランに対し、クラウス達の反応は薄かった。
クラウス達は疲弊し切っていた。アランに返事をする余裕すら無いほどに。血と泥に塗れた格好で武器を杖代わりにして歩くその様は、まるで亡霊のようであった。
それでもクラウスはアランに対し薄い笑みを浮かべたあと、
「どうやら私は悪運だけは強いようです」
彼にしては珍しい軽口を返した。
安堵が彼らの体から力を抜いたのか、クラウス達はその場に座り込んだ。カルロが彼らの前に姿を現してもそれは変わらなかった。
あのカルロを目の前にしているのは皆わかっていた。しかし今の彼らにはカルロに敬意を払う余裕すら残っていなかったのだ。
そんな中、クリスだけは歩み出てカルロの前に跪いた。
クリスは何も言わなかった。対するカルロもまた頭を垂れるクリスを見つめたまま黙っていた。
静寂と緊張が支配する中、第一声を開いたのは意外にもディーノであった。
「あー、その、クリス様をあまり責めないでやってもらえませんか」
声を上げながら立ち上がるディーノは皆の視線を集めた。ディーノはそれに一瞬とまどったように見えたが、そのまま言葉を続けた。
「俺は学が無いから上手く言えないんですが、その、強い奴と戦って負けるのは当たり前だと思うんです」
周りの目を気にしながら喋っているためか、ディーノの口調はたどたどしかった。
「でも、武家の人達はみんな、同じ負けるにしてもどう負けるかにこだわりがあるように見えるんです。俺は奴隷からの成り上がりだから、そういうのはよくわかんないんですが。
そんな俺が言っても信じてくれるかわからないんですが、ここにいる連中は全員、ぎりぎりまで気張ったんです。だからどうしたと言われればそれまでなんですが……」
ディーノは自分の気持ちを上手く言葉にできないことにやきもきしていた。段々と弱くなる口調にそれが現れていた。
「すいません、でしゃばったわりに、結局自分でも何が言いたいのかよくわからない、です」
謝るディーノを責める人間は誰もいなかった。この場にいる全員が、ディーノが何を言いたいのかわかっていたからだ。
ディーノがその場に座り直した後、場には再び静寂と緊張が漂った。
しばらくして、クリスがカルロに対し口を開いた。
「……敵の攻撃によって城は陥落しました。主である私はまんまと生き延び、こうして生き恥を晒しております」
自虐的な発言であった。憔悴のあまり自棄的になっているように見えた。
対するカルロはそんなクリスの発言を無視するかのように尋ねた。
「……少ないな、他の者達はどうした?」
これにクリスは僅かに間を置いたあと答えた。
「これだけです。生き残ったのはこれで全員です」
クリスの声は震えていた。
「カルロ将軍、一族の長としてこの無能な者に罰をお与えください」
クリスは奇しくもアランと同じことを言った。
頭をたれたまま静かに震えるクリスに対し、カルロは静かに歩み寄った。そして膝をついてその肩に手を置き、優しくしかし力強い口調で語り掛けた。
「……兄上は息子を強く育てたのだな。顔を上げよ。今のお前たちの姿を兄上はきっと誇りに思っているだろう」
カルロはクリスに手を貸して立ち上がらせ、さらに言葉を続けた。
「今のお前達を罰するなぞどうしてできようか。そんなことをすれば、私は兄上に怒鳴られるであろう」
そしてカルロは振りかえり、兵士たちに向かって声を上げた。
「荷負い馬から荷物を下ろせ! この者達を馬に乗せよ!」
命ぜられた兵士達はすぐさま馬から荷を下ろした。下ろされた荷物は周囲の兵士達が分配して持ち合った。
そしてクリス達は兵士達の先導に従い荷馬にまたがった。全員が馬に乗ったのを確認したカルロは部隊に向けて号令を発した。
「これより我等は敵に奪われた城の奪還に向かう! 全軍前進!」
頼もしいその声に呼応するかのように、力強い軍靴の音が森に鳴り響き始めた。
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