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第二章 これより立ち塞がるは更なる強敵。もはやディーノに頼るだけでは勝機は無い

第九話 偉大なる大魔道士(3)

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    ◆◆◆

 その後、アランはクラウスの手も借りてリリィの捜索に当たった。
 しかしリリィは見つからなかった。足取りを追うことすらできなかった。
 そして、悲しみに暮れたソフィアは寝込み、衰弱していった。
 もともと病弱なだけでは無い、ソフィアは肺を病んでいた。
 あっという間であった。心の病が体まで侵しているかのようであった。
 そしてある日、ソフィアは失意のまま帰らぬ人となった。

 最後の時、アランはソフィアの傍にいた。彼女は久しぶりに見せる明るい表情で、アランとこんな会話を交わしていた。

「ソフィア様、洗った衣服はここに置いておきますね」
「ありがとうアラン」

 アランは慣れた手つきで女物の服を折りたたみ、衣装棚にしまっていった。
 アランはソフィアの世話をしていた。アランはこれを全く苦に感じておらず、むしろ自分が積極的にやるべきことだと感じていた。

「まるで良い息子を持ったかのようだわ」

 そう言ってソフィアはアランに微笑みかけた。その顔はまるで死人の様に白く、痩せこけていたが、病的な美しさがあった。

「……水を取り替えてきます」

 その笑顔に何と返してよいかわからなかったアランは、適当な仕事を理由にごまかした。

「……ねえ、アラン」

 水差しを持って立ち去ろうとしていたアランは、その呼び止めに振り返った。

「……リリィとはもう会えないかもしれないけれど、せめて忘れないでいてあげてちょうだい」

 そう言ってソフィアは目を閉じた。
 風も無く、何も動かないその光景は時が止まったのかとアランに錯覚させた。

「……ソフィア様?」

 束の間、アランは何が起きたのかを理解した。

「ソフィア様!」

 ソフィアの目は再び開くことは無かった。眠る様な死に顔であった。



 そして今、アランは貧民街にある共同墓地に建てられた彼女の墓の前で立っていた。

『ソフィア ここに眠る』

 墓にはたったそれだけの言葉が刻まれていた。アランはソフィアとの最後の会話を思い出しながら、墓前に花を添えた。
 アランはソフィアを母と重ねていた。そして六つの時に母を失っているアランにとって、これは母との二度目の死別と言えるものであった。
 リリィの母が死んだ、今のアランにはそれがまるで自分のことのように悲しかった。

『せめて忘れないでいてあげてちょうだい』

 アランは心の中でソフィアの最後の言葉を繰り返しながら涙し、叫んでいた。

(忘れるわけがない。忘れられるはずがない)

 リリィと過ごした記憶、そして彼女とソフィアを失った痛み、それらは全てアランの心の一部なのだから。

   ◆◆◆

 その日の夜、アランは夢を見た。
 それはとても幸せな夢であった。
 自室のベッドで目を覚ましたアラン。目の前にはリリィの姿。その後ろにはソフィアの姿も見えた。

「やっと起きたの? 急がないとまた御義父様にどやされるわよ」

 アランはリリィに促されるまま、体をベッドから起こした。

「さあ早く服を着替えて。顔も洗わないと」

 アランはリリィと挨拶代わりの軽いキスを交わし、受け取った衣服に袖を通した。

「もう皆起きて仕事を始めているわよ。さあ早く」

 リリィはアランを急かしたが、それっきり、アランの足はまったく動かなくなった。

「何をしているのアラン、さあ早く」

 ああ、と生返事を返そうとしたが、アランの口は全く動かなかった。

「さあ早く」

 リリィは機械的に同じ台詞を繰り返した。
 何かがおかしい、アランはふとそう思った。
 それに気づいた途端、アランの目の前にある光景から現実感が消えうせていった。
 しまった、気付かなければ良かった、もう少しこの夢を見させてくれ。
 アランはそう願ったが、それは叶わなかった。
 景色はゆがみ、霞のようになったあと、アランの意識は再び闇に沈んだ。

 直後、アランはベッドの中で目を覚ました。
 辺りは真っ暗であり、深夜のようであった。
 アランは真っ暗な部屋の天井を呆然と眺めながら、失ったものの大きさを自覚し、静かに涙した。

   ◆◆◆

 一週間後、アランはルイスの教会を訪れた。
 アランは彼女との思い出を無意識に求めるようになっていた。
 リリィとの思い出の中で形として残っているものはたった一つだけ。戦争に行く前にお守りとして渡された五芒星の刺繍が入ったハンカチだけであった。
 この教会はリリィとの思い出の場所の一つである。そして今、アランは偉大なる大魔道士の歴史書を読み返していた。
 アランは本を読みながら、リリィと一緒に偉大なる大魔道士について語り合った時のことを回想していた。
 それはアランにとってとても心地良い記憶であった。
 そんなアランの傍には管理人であるルイスの姿があった。
 ルイスはアランが何故ここを訪れたのかを理解していた。直接本人から聞いたわけではないが、ルイスはアランとリリィの関係を知っていた。
 ルイスはアランの隣の席に腰掛け、話しかけた。

「その本がお気に召しましたか?」
「……ええ。リリィもこの本が好きだと言っていました」

 アランはルイスのほうに顔を向けず、本に目を落としたままそう答えた。
 ルイスはアランの口から彼女の名が出たことを切欠に、少し踏み込んだ話をすることにした。

「リリィ様のことは真に残念です。御辛いでしょう」

 これにアランは何も言わなかったが、ルイスはそのまま言葉を続けた。

「……古き大魔道士は晩年にこう言い残しています。『我が人生は失うことから始まった』と。彼は若かりし頃に家族を失い故郷を追われ、奴隷に身を堕としています」

 この滑り出しにアランは興味を持ったのか、ルイスのほうへ顔を向けた。

「ですが、彼は『あの経験がなければ今の自分はありえなかった』と言っており、次のように言葉を続けています。『失うことは悲しく、恐ろしい。だが本当に恐れるべきは、心が折れ何もできなくなることだ。大切なのはその試練から何を学び、何を考え、何を成すかだ』と」
「……大切なのは何を成すか、ですか」

 アランは強く印象に残ったその言葉を反芻した。

「アラン様、出過ぎたことを申すようですが、心を強くお持ちください。リリィが死んだと決まったわけではないでしょう。いつかまた、会える日が来るかもしれません」

 奇しくも、ルイスはクラウスと同じ言葉をアランに送った。

「……お気遣い感謝します」

 ルイスに礼を返したアランは本を棚に返そうとした。

「アラン様、その本はそのまま持って帰ってくださって結構です。あなたに差し上げましょう」
「よろしいのですか?」
「ええ。その本がアラン様の心の支えになれば幸いです」
「ルイス殿……ありがとうございます」

 ルイスの心遣いが今のアランにはとても嬉しかった。

   ◆◆◆

 その日の夜、アランは訓練場でクラウスから剣の稽古を受けた。
 アランがリリィを失って以来、クラウスは夜の訓練にも付き合ってくれるようになっていた。
 そして今日の訓練もじき終わりという時、クラウスは突然こんなことを言い出した。

「アラン様、今日はあなたにひとつ新しい『構え』を教えましょう」

 そう言ってクラウスは剣を左手に持ち替えた。そして顔はアランのほうに向けたまま体だけを真右に向け、左半身をアランに晒す真半身の体勢をとった。
 その体勢のまま、クラウスは剣を持つ左腕をアランに向けて真っ直ぐに伸ばした。左腕だけで片手突きを放ったかのような体勢だ。
 次に、クラウスは剣を地に対して水平に維持したまま、左腕を後ろに引き絞るように折り畳んだ。その力強さは対峙するアランからクラウスの背中が見えるほどに捻れた腰からうかがうことができた。
 左腕の二の腕はぴったりと胸に押し当てられ、曲げられた肘の先にある左拳は顔の傍に置かれていた。その姿はまるで顔から剣が伸びているように見えた。

「これが構え。次はここからの攻撃をお見せします」

 そう言ったクラウスはいくつかの攻撃の型を実際にやって見せた。
 この構えからの攻撃の基本は「突き」であり、全ての起点でもあった。突きからなぎ払いに繋げるというように。左腕を引き絞るように折り畳んでいるのは、速い突きを繰り出すためであった。
 突きの動作も独特であった。全身がほぼ同時に動く。すり足の助走を基本に、上半身の振り子動作でさらに勢いを乗せ、捻れた腰の力を使って腕を前に突き出す。

 その突きは凄まじい速さであった。折り畳まれた左腕は伸び縮みし、剣先はかすんで見えた。
 アランはこの構えは突きに特化したものであると理解した。

「すさまじい速さだ。……でも、この構えだと盾が使えなくなるな。今の俺では実戦でこの構えを使いこなすことはできないと思う。しかし、どうしてこの構えを俺に?」

 今のアランでは魔法使い相手にこの構えは使えない、それはクラウスも同じ考えであった。

「この構えを使っていた者は隻腕だったからです」



 クラウスのこの答えは、アランの問いに対してはっきりとした回答にはなっていなかった。この構えを使っていた者と今のアランに共通点があるというだけであった。

 アランはクラウスが自分に何を伝えたいのかなんとなくわかっていた。恐らくこの構えを自分に教えるということに本質があるわけではなく、クラウスはこの構えの使い手のことを知ってもらいたいだけなのであり、その者はクラウスにとって特別な人間なのであろうと、アランは思った。
 アランのこの考えは当たっていた。クラウスはその者のことを話し始めた。

「私は彼に剣の教えを受けていたことがあります。……とにかく強かった。私はその人に勝ったことは一度もありませんでした」

 クラウスはアランから視線を外し、少し遠い目をしながら語り続けた。

「彼の突きはひたすらに速かった。三度の剣戟が一つの音に聞こえるほどに」

 信じられない話だが、クラウスが言っているからきっと本当のことなのだろう。

「ですが……アラン様の言うとおり、彼は剣士としては強かったのですが、魔法使い相手には歯が立ちませんでした」

 隻腕の剣だけで魔法使いの攻撃をさばき続けるのは無理である。悲しいがそれが現実であった。

 クラウスはこの日以降、彼の話をすることは無くなった。
 しかし、彼が使っていたその構えは、アランにしっかりと受け継がれていた。
 何かに特化したもの、究極を目指したものは何であれ独特の美を備えるものである。この構えもそうであった。アランはこの構えに無意識のうちに惹かれていた。

 クラウスは何かを支えに心を強く持てと言った。そしてルイスは試練から学び、考え、事を成せと言った。
 その何かはアランの中に既に生まれつつあった。それは「希望」であった。
 アランの抱いている「希望」、リリィにまた会えるかもしれない、剣の道はまだ終わったわけではない、これらの考えに根拠は全く無かった。しかしそれで良いのかもしれない。心が潰されるよりはよっぽどマシであろう。

 アランがこの「希望」を糧に何を成すのか、それはまだわからない。しかしそれはきっと善く美しいものなのであろう。

    ◆◆◆

 その頃、連れ去られたラルフはある場所に到着していた。
 そこは大陸の北端にある教会であった。魔法信仰を司っている教会で、祭壇には「神の子」と称される「偉大なる大魔道士」の石像が飾られていた。



 そこで、ある人物がラルフ達を待っていた。
 赤毛の男はその者の前で跪き、口を開いた。

「ヨハン様、ただいま戻りました」

 それはヨハンであった。

「無事に連れて来たようだな。ご苦労だった」

 赤毛の男はこれに礼を返した後、報告を行った。

「任務は無事に終えることができましたが、ここに来る途中で何者かの襲撃を受けました」
「襲撃されただと? 相手の正体はわからなかったのか?」
「申し訳ありません。逃げ足が速く、誰一人賊を捕らえることはできませんでした」
「無事にここまでこられたのだから構わぬ」

 ヨハンはラルフの方に向き直り、口を開いた。

「探したよラルフ君。あまり手を焼かせないでくれ」
「リリィさんはどうした! どこにツレテいった!」

 リリィとはここに来る途中で別れさせられていた。

「リリィ? ああ、女のことか。それなら心配しなくていい。安全なところで保護している」

 これは嘘であった。

「ところでラルフ君、ここに来てくれたということは、我々の仲間になってくれるということだね?」

 この言葉にラルフは強い嫌悪を表した。

「フザけるな! オマエたちがなにをシタとおもっている!? オマエたちのせいで、ワタシのハハはシンデしまったんだぞ!」
「それは我々も済まなかったと思っているし、悲しいことだと思っている。しかしラルフ君……こういう言い方はしたくないが、今の世においては、弱いことは罪なのだよ」

 そう言うヨハンの顔は全く悲しそうでは無かった。

「そして、君は強い。恐ろしいほどに。だが、殺そうと思えばいつでも出来た。毒を使う、寝込みを襲う、一人であれば手段はいくらでもある。どんな強い魔法使いであっても、誰にも守られていないのであれば全く脅威では無いからね」

 ヨハンが言った通り、どんなに強い魔法使いであってもたった一人なのであれば脅威では無い。「暗殺」という手段があるからだ。強者が強者として振舞えるのは、多くの護衛達に常に守られているからなのである。
 そして、ヨハンは余裕そうな顔で言葉を続けた。

「ラルフ君、私の味方になってくれるのであれば、私は富、名誉、全てを君に与えよう。だがもし、あくまでも逆らい、敵になるというのであれば、我々は君を始末しなくてはならなくなる」

 ヨハンは生きたいのであれば、選ぶ道は一つしか無いとラルフを脅していた。
 これは嘘である。選択肢は他にもある。一つしか無いと思い込ませようとしているだけなのだ。
 ラルフには他の道もあった。ラルフが逃げ込んだ先がルイスの教会で無ければ、自身が強い魔法使いであるということを隠していなければ、こんなことにはならなかっただろう。そして、やろうと思えば今からでも道を変えることは出来るだろう。

 だがこの時既に、ラルフの心はヨハンの言葉に惑わされていた。
 そして、ヨハンは背後にある彫像の方に向き直りながら、最後にこう言った。

「私のもとに来なさいラルフ君。そうすれば君は王に、いや、この『偉大なる大魔道士』を越えることすら出来るだろう」

  第十話 野望の鍵 に続く
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