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第一話 格差社会(3)

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   ◆◆◆

 訓練場を後にしたアランはいつもどおりに城を抜け出し、近くの森で庶民の服に着替えた。
 貴族の格好で貧民街をうろつくと目立ちすぎるからだ。しかし今はあちこちに傷がある上に包帯まで巻かれていたため、違う意味で目立っていた。

(うーん、包帯がかなり目立つが、これは隠しようがないな)

 あきらめたアランはそのまま貧民街へ出かけた。アランはまず鍛冶場に赴き、しばらく鍛冶仕事の手伝いができないことを親方に伝えた。その後は特にやることが無く、ディーノの仕事が終わるまで適当に時間を潰すことにした。

(暇だな……)

 歩き疲れたアランは適当に腰掛け、貧民街の町並みと人々の往来をぼうっと眺めていた。

「おい、そこの兄ちゃん……なんだ、坊ちゃんか」

 ガラの悪そうな男が話しかけてきたが、相手がアランであることがわかった途端、少しイラついた顔をして去っていった。
 貴族という身分であるにも拘らず、貧民街に入り浸っているアランは有名人であった。貧民街の人間はアランのことを「貴族の坊ちゃん」と呼んでいた。
 当然この呼び方に親しみはこめられていない。ほとんどの人はアランのことをただの変わり者として認識していた。
 男の用事がなんだったのかはわからないが、どうせろくでもないことであろう。貧民街の治安はお世辞にも良いと言えるものでは無かった。
 男が大して絡まずに去っていったのは相手が魔法使いだとわかっているからだ。もし荒事になった場合、無能力者が魔法使いに勝つことは難しい。
 アランの魔法使いとしての能力の低さもまた皆の知るところであるが、それでも無能力者がアランに挑んでくることは普通無い。無能力者の大人と平民階級程度の魔法能力を有する子供が戦ったら子供のほうが勝つ、これがこの世界における一般的な認識であった。

 そう、魔法使いは強い。強すぎると言ってもいい。

(ならば無能力者が強い魔法使いに勝利するにはどうすればいい?)

 アランは昨日の父との訓練を思い出した。どうすれば父に勝てただろうか?
 あのとき自分は全力の攻撃を父に叩きこんだが、父の防御魔法を突破することはできなかった。
 そう、攻撃の威力が全く足りない。今の自分の体力と木剣では、父の防御魔法を突破して有効な一撃を当てるのは不可能に近いのではないか?
 もっと体力が必要だ。武器も木剣では話にならないだろう。もっと重いものでなくては。
 では防御のほうはどうだろうか。もし魔法使いに攻撃されたらどうすればいい?
 距離があれば魔法を回避できるかもしれない。しかしこちらの攻撃手段が近接攻撃しかない以上、ある程度の被弾は覚悟しなければならないのではないか。
 では剣で父の放つ魔法が受けられるだろうか? ……無理な気がする。相手の攻撃は広く、重い。こちらも大きなもので受けなくては。……やはり盾だろうか。

「………ラン!」

 アランは大きな盾と重い武器を持つ自分を想像した。……今の自分にはこんな重い装備は扱えない。もっと体を鍛えなくては。

(そうと決まればこうしちゃいられないな)

 そう思い立ち上がろうとしたアランは、ようやく自分の名前を呼ぶ声に気がついた。

「おい、アラン!」

 声の主はディーノだった。ディーノはアランの目の前で大きな荷物を持って立っていた。

「あ、すまん。考え事をしていたせいで気がつかなかった」
「お前その怪我は一体どうしたんだ」
「昨日の夜、親父にこっぴどくやられたんだ。そっちはまだ仕事中なのか?」
「ああ」
「そうか、なら先にいつもの場所に行って待っているよ」
「いや、この荷物を運んだら今日はあがりなんだ。ちょっとそこで待っていてくれ」

 そう言ってディーノは大きな荷物を持ったまま走り去っていった。
 背が高く体格も良いディーノは、重そうな荷物を持っているにもかかわらず、あっという間に貧民街の奥に消えていった。
 そんなディーノの後ろ姿を見送りながらアランは思った。ディーノなら自分が想像した重量装備でも自由に扱えるのではないかと。

   ◆◆◆

 アランは仕事を終えたディーノと一緒にいつもの場所へ向かっていた。

「で、昨日の夜になにがあったんだ?」

 アランは昨日の夜のことを簡単に説明した。

「厳しい親父さんなんだな。でもここまでやるか普通?」

 ディーノの同情に対しアランは苦笑いで返した。

「それにしてもお前でも全く歯が立たないとはなあ。その親父さんはどれだけ強いんだよ」

 ディーノはカルロの強さに興味津々な様子だった。

「その親父さんの魔法っていうのは、どんぐらいすごいんだ?」
「うーん、父の本気を見たことがないから正直よくわからない」
「じゃあ昨日お前が食らった魔法はどんな感じなんだ?」
「どんな感じと言われてもなあ。……でかくて固くて重い大男に、すごい速さで体当たりされてる感じかなあ」
「よくわからんが、なんかすげえ痛そうなのはわかった」

 何を想像しているのかはわからないが、うーんと唸(うな)りながらディーノは相槌(あいづち)を打っていた。

「なあ、お前の親父さんってこの国で最強の魔法使いだって言われてるんだろ?」
「ああ」

 次の国王であるとも言われているらしい。

「良かったじゃねえか」
「なにがだよ」
「だってその親父さんをぶっ倒せるくらい強くなれば、お前が最強だってことだろ? わかりやすくていいじゃねえか」
「すごく幸せな考え方だな」
「そんで親父を越えたお前を俺がぶっ倒して、俺が最強の称号を手に入れると。うーん、完璧な筋書きだな」
「なんだそりゃ」

 アランとディーノは笑いながら会話を続けた。

「でも今のお前が全く敵わなかったっていうのはちょっと驚いたなあ。こりゃあ俺が夢を叶えるにはもっともっと鍛えないと駄目かあ」

 アランの話を聞いたにも拘らず、ディーノは自分の夢を全くあきらめていないようだった。

「よし、じゃあ今日からはお前の親父さんをぶっ倒すことを目標にしようぜ!」

 突拍子(とっぴょうし)も無いことを言っているように聞こえたが、アランはディーノの提案に素直に賛同した。アラン自身気づいていなかったが、アランは常に父を意識して行動していた。アランは無意識のうちに自分の父を目標としていたのだ。

   ◆◆◆

 いつもの場所に着いた二人は適当に座りこんで今後どうするかについて話し合っていた。
 アランは魔法使いに立ち向かうにはなにが必要か自分の考えを述べた。もっと強力な武器が必要であること、魔法使いの攻撃から身を守るものが必要であること、そしてなにより大切であるのは、それらを不足なく扱える体力が必要であること。
 時々、相槌を打ちながらアランの話に耳を傾けていたディーノは、話が終わるとやや興奮した様子で口を開いた。

「お前が親父さんにぼこられた話を聞いたときは正直へこんでたんだけどよ。お前の話を聞いてたら、なんだか魔法使いにも本当に勝てるんじゃないかって気がしてきたぜ」

 ディーノは朗らかな表情で喋りながらアランの肩を抱き、じゃれあうようにアランの腹を小突いた。

「おいおい、ちょっと興奮しすぎだろ。ていうか腹を叩くのをやめろ。本当に痛いから」

 この日からアランとディーノはカルロという漠然(ばくぜん)とした目標を抱き、共に努力していくことになる。
 しかし二人はまだ知らない。後に二人は違う道を歩むことになることを。
 それが良いことなのか悪いことなのか、幸か不幸なのか、それはわからない。しかし二人はこの時を境に、着実に自分の道を歩んでいくことになるのであった。

   ◆◆◆

 ディーノと別れたアランは、帰り道で偶然リリィと出会った。

「やあリリィ。今日もこんな遅くまで仕事だったのか?」
「ええ、アラン。……あなたその怪我はどうしたの?!」
「ちょっと父に絞られたんだ」
「ちょっとどころじゃないじゃない。うちに来て。痛み止めの薬があるから」

 無理に断る理由もなく、アランはリリィの招待を受けることにした。

   ◆◆◆

 リリィの家に着いたアランは、そのままリリィの部屋へと招かれた。
 アランは最初リリィの部屋に入るのを少しだけ遠慮していたが、

「この時間なら母はもう寝ているから大丈夫よ」

 と言われ、促されるまま部屋へと立ち入った。

「適当にくつろいでいて。お薬を取ってくるから」

 アランはざっと部屋を見回してみたが、くつろげそうなものがベッドくらいしか見当らなかったため、そこに腰掛けて待つことにした。
 飾り気のない質素な部屋である。奴隷の身分だから当たり前なのかもしれないが。
 しかしリリィは奴隷にもかかわらずれっきとした「家持ち」なのだ。奴隷のなかではかなり恵まれているほうである。
 こういう者は祖先に身分の高い者がいた場合が多い。いわゆる「没落貴族」というやつだ。ディーノの家もこれにあたる。
 しかしリリィの家のことはよくわからなかった。一度それとなく聞いてみたことがあるが、本人も詳しくは知らないそうだ。
 まあ他人の家をあれこれ詮索したところでしょうがない。アランはくだらないことを考えるのをやめ、大人しくリリィが戻ってくるのを待った。
 そしてほどなくして、リリィが薬を持って戻ってきた。

「じゃあアラン、包帯を外すわね」

 リリィはアランの隣に腰掛け、上着を脱がし、慣れた手つきで包帯を外していった。
 そしてリリィはアランの素肌に指を這(は)わせ、その傷口をなぞっていった。
 先ほどの包帯を外していたときとは違い、今のリリィの指の動きはどこかぎこちなく、緊張しているのが見て取れた。
 薄暗い部屋で年頃の男女が二人きりなのである。無理も無かった。しかもアランは上半身を晒している。
 アランの無駄なく鍛えられた体はリリィの目には毒であった。リリィの顔は明らかに紅潮していた。
 ……しばらくしてリリィの手が止まった。終わったようだ。
 しかしリリィの手はアランに触れたまま動こうとしなかった。
 アランはリリィの肩にそっと手を回し、抱き寄せた。
 リリィの体は一瞬震えたが、拒絶する素振りは見せなかった。
 二人の顔はゆっくりと近づき、もう少しでお互いの唇が触れ合いそうに――

 ……二人の唇が届くことは無かった。直前でリリィが顔を背けたのだ。

「ごめんなさいアラン」

 そう言いながらリリィは慌ててアランの包帯を巻きなおし、ベッドから立ち上がった。

「……今日はもう帰って」
「……わかった。……また来るよ、リリィ」

 アランはこの場は大人しく帰ることにした。

 城への帰り道、アランは悶々とした気持ちを紛らわせるために、独り言を呟いていた。

「駄目だな俺は。女一人押し倒す勇気もない」

 身分が違う、父が恐ろしい、言い訳はいくらでも思いつくが――

「……くそっ」

 アランは最後にそう吐き捨て、路傍(ろぼう)の石を蹴り飛ばした。

   第二話 戦いの始まり に続く
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