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第一話 格差社会(2)

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   ◆◆◆

 二人と別れたリリィは月明かりを頼りに帰路を歩いていた。
 貧民街の夜は物騒である。リリィの胸には不安が広がり、その歩みは自然と速くなっていた。

 そこへ突然、

「リリィ!」

 などと呼び止められたものだから、リリィの身体は跳ね上がった。
 しかしその声が親しい人のものであるとすぐにわかったリリィは、声がしたほうへ振り返った。

「アラン! 一体どうしたの?」

 アランはリリィの隣に並び、

「夜は物騒だろう? 家まで送っていくよ」

 と言いながら、リリィの手を握った。

「ありがとう。……でも、こんなところを誰かに見られたら……」

 夜道を並んで歩く若い男女、それは淫らな想像を掻き立てるだろう。ましてや二人は貴族と奴隷の関係である。

「大丈夫さ」

 なにが大丈夫なのかわからないが、アランにその手を離すつもりは無いようであった。そしてそれはリリィも同じであり、リリィはその身を預けるようにアランに寄り添った。
 二人の歩みはゆっくりとしたものになった。できるだけ長くこうしていたい、という気持ちがその歩みにあらわれていた。

   ◆◆◆

 しかし幸せな時間は速く過ぎるものである。気がつけば、そこはリリィの家の前であった。

「……送ってくれてありがとう、アラン」
「……」

 二人の手はまだ離れなかった。

「……それじゃあ、……また明日」
「……ああ、また明日」

 二人の手はようやく、名残惜しそうに離れた。リリィは玄関のドアに手をかけたところでアランのほうに振り返ったが、

「……」

 結局何も言わず、リリィの姿は家の中に消えていった。

「……」

 アランもまた何も言わず、黙ってその足を帰路へ向けた。

   ◆◆◆

 城に帰ったアランを最初に迎えたのは妹のアンナだった。

「お兄様……」

 アンナの不安そうな表情からアランは察した。

「まさか父上がお帰りになられたのか」

 アンナは黙ってうなずいた。

「お兄様が戻られたら部屋に来るように仰っていました」
「わかった」

 アランがアンナの横を通り抜けようとすると、アンナはアランの服の裾を握って引き止めた。

「……」
「……アンナ、俺は大丈夫だから、心配しないで」

 アランは服を握るアンナの手をやさしく握り返しながらそう答え、城の奥へ消えていった。

「お兄様、どうかお気をつけて……」

   ◆◆◆

 父の部屋の前に立ったアランは手のひらに汗をにじませながら、慎重にドアをノックした。

「父上、アランです」
「入れ」

 アランは緊張しながらゆっくりと父の部屋に入った。

「アラン、今日一日こんな時間までどこでなにをしていた?」
「……」

「もう一度聞く。今日一日どこで何をしていた?」
「……貧民街に行っておりました」

 答えるやいなや平手打ちが飛んできた。

「下賎なものと付き合うなと、何度言えばわかるのだ」
「……」

「なにか言いたいことがあるのなら言え」
「……彼らは私の友人です。友人とともに過ごすことが悪いことなのですか」

 くだらん、アランの回答をそう一蹴してカルロは言葉を続けた。

「アラン、あいつらと我々は違うものなのだ。我々は選ばれた人間なのだ」
「……魔法を使えることがそんなに重要なことなのですか」
「そうだ。今の世では最も大事なことだ」
「でしたら父上! できそこないの私はどうなのですか! 私は父上が言う『下賎なもの』なのではないのですか!?」

 アランの自虐的で叫びのような問いかけに対し、カルロは反射的にアランの頬を打った。

 アランは炎の大魔道士カルロの実の息子である。だが、アランには父のような強い力は受け継がれなかった。それどころかアランの魔法能力は一般人よりも劣るレベルである。
 幼少時、アランは父であるカルロから直接魔法の指導を受けていた時期があった。しかし、アランの魔法能力はほとんど伸びなかった。
 そんなアランに対しカルロは厳しくあたりつづけてきた。対するアランはそんなカルロに強い反抗心を抱くようになった。
 カルロはアランには魔法使いとして生きていけなくとも、せめて貴族として教養を積み、慎ましく生きていく道を歩んで欲しいと考えていた。しかしアランはそんなカルロの考えを無視し、貧民街に入り浸る生活をしていた。
 アランとカルロ、二人の間の溝は年々広くなっていく一方だった。

 わずかな静寂のあと、カルロが口を開いた。

「アラン、魔法の訓練はちゃんとやっているのか?」
「……」
「勉強はやっているのか? 最近なにか本を読んだか?」

 アランはやはり何も答えなかった。

「……ひさしぶりに稽古(けいこ)をつけてやる。外に出ろ」

   ◆◆◆

 城の敷地内に作られた訓練用の広場、そこでアランはカルロと対峙した。
 カルロには明らかな余裕が見て取れた。アランの片手にはあの木剣が握られていたが、カルロがそれを警戒している様子は全く見られなかった。

「どうした、早く攻めてこい」

 カルロの挑発を受け、アランはカルロに突撃しつつ炎の魔法を放った。
 しかし、アランの放った炎は、まるで虫を払うかのようにカルロが軽く腕を振っただけでかき消された。
 だがアランは自分の魔法が父に通じないことなど百も承知だった。魔法はおとり、本命は自身の手に握られた木剣による一撃だった。
 アランは魔法による目くらましが効いている間に父の側面に回りこみ、木剣による渾身(こんしん)の一撃を放った。
 鈍い音と同時にアランの手に確かな手ごたえが伝わった。しかしアランの期待はすぐに絶望に変わった。
 アランの木剣はカルロの手で受け止められていた。いや、正確にはカルロの手は木剣に触れてはいなかった。
 カルロの手はうっすらと光っており、その光が木剣を止めているように見えた。これは防御魔法と呼ばれるものであり、魔法使いが使う基本的な防御手段であった。

「……それでは今度はこちらからゆくぞ」

 カルロが腕を振るうと同時に、アランの体は後方に吹き飛ばされた。このときカルロが放ったのは炎の魔法ではなく光弾、要はただの魔力の固まりだった。アランは素早く体勢を立て直したが、続けて飛んできたカルロの光弾を避けられず、再び吹き飛ばされた。
 立つ、吹き飛ばされる、立つ、吹き飛ばされる、そんなことを何度か繰り返したあとアランの意識は消えた。

   ◆◆◆

 アランは夢を見ていた。
 目の前で小さい男の子が泣いている。
 この男の子は……俺だ。
 小さなアランの周りにはたくさんの子供達がいた。
 その子供達が小さなアランに何かを言っていた。何を言っているのかわからないが、小さなアランはその言葉にひどく傷つけられているようであった。
 そこへ一人の男の子がやってきた。この子は……ディーノだ。
 小さなディーノはたった一人でたくさんの子供達を蹴散けちらした。
 いじめっ子達がいなくなり、小さなディーノが小さなアランに話しかけた。
 小さなディーノが何かを喋っている。何を言っているのかわからないのは、俺が覚えていないせいだろう。
 小さなディーノから慰めの言葉を受けても、小さなアランは泣き止まなかった。
 困った小さなディーノが頭を掻かきながら口を開いた。そうだ、この台詞は良く覚えている。お前はあのとき俺にこう言ったんだ。

「強くなってあいつら全員見返してやればいいんだよ!」

   ◆◆◆

 アランが目を覚ますと、そこは自室のベッドの上だった。窓から覗く太陽の位置から、まだ朝早い時間であることがわかる。あのあと気を失った自分を誰かがここまで運んでくれたのだろう。
 体を動かすと、全身のあちこちから鋭い痛みが走った。

「お兄様、まだ起きないほうが……」

 制止の声を受けて、アランはようやく傍にいるアンナの存在に気づいた。見るとアンナの目の下にはくまができていた。もしかすると一晩中傍にいてくれたのかもしれない。

「……心配をかけさせてしまったな」

 アランが上半身を起こそうとすると、支えにした右腕から強い痛みが走った。

「っ!」

 アランが反射的に左腕で右腕を庇(かば)うと、それを見たアンナは咄嗟(とっさ)にアランの体を支えた。

「お兄様の右腕にはひどい打撲のあとができていました。折れてはいませんでしたが、ヒビがはいっているかもしれません」

 そういえば父の魔法を受けるとき、反射的に腕で防御したような気がする。それのせいだろうか。
 痛みのひどい右腕は包帯でぐるぐる巻きにされていた。左腕のほうの痛みは軽く、目に見える怪我は擦(す)り傷だけだった。
 そしてアランが自身の状態を確認し終えると、慎ましやかなノックの音と共に、ドア越しに従者の声が聞こえてきた。

「アンナ様、当主様が部屋に来るようにと」
「そうですか……わかりました、すぐに参ります。それではお兄様、失礼しますね」

 そう言いながらアンナは名残惜しそうに立ち上がった。

「ああ。その……傍についていてくれて、ありがとう」
「……そう思うのでしたら、心配をかけさせるようなことはもうやめて下さいね」

 そう言ってアンナは笑顔を残して部屋から去って行った。


 アンナがいなくなってからしばらくして、アランはいつもどおりの一日を開始することにした。

(とりあえず顔を洗って着替えよう。……そのあとはどうしようか。この怪我ではディーノの特訓に付き合うのはしばらく無理そうだし、鍛冶仕事の手伝いも難しそうだ)

 アランは少し思案(しあん)したあと、

(急に姿を見せなくなったらディーノや鍛冶場のみんなに心配させてしまいそうだし、とりあえず一度顔だけでも出しておこう)

 と考えていた。

 カルロにこれだけ痛めつけられたにもかかわらず、アランは全く懲りていなかった。体のあちこちが痛むが、今日も隙を見て貧民街に繰り出そうと考えていた。
 服を着替えた後、部屋を出ようとしたところでアランは木剣のことを思い出した。昨日気を失ったあとどうなったのだろうか。ざっと部屋を探しても木剣は見当たらなかった。

(訓練場にあればいいんだが。最悪、既に捨てられてしまったかもしれないな)

 アランは貧民街へ出掛ける前に訓練場に寄って行く事にした。

    ◆◆◆

 同時刻、訓練場にはカルロとアンナの姿があった。カルロはアンナに稽古をつけるためにここへ連れ出していた。

「アンナ、私が留守にしていた間、魔法の訓練はちゃんとやっていたか?」
「はい。言いつけどおり毎日かかさずやっております」
「それが本当かどうか見せてもらおう」

 そう言ってカルロは両手を前にかざした。

「私に魔力を全力でぶつけてみろ」

 アンナは息を軽く吸い込み、少しタメを作るような動作のあと、父に向かって魔力を放った。
 直後、重く大きな音とともにカルロの体が激しく揺れた。アンナとカルロの魔力がはげしくせめぎ合い、魔力の余波が光る風となって周囲に広がり木々の葉を揺らした。

「見事だ。訓練はちゃんと続けていたようだな」

 娘の全力を受け止めたカルロは、満足そうな表情で答えた。

「では次は実戦形式の訓練を行う。炎の魔法も使っていいぞ」

 ――実戦形式、それは訓練場から出さえしなければ何をやってもいいというかなり危険な訓練である。

「……では父上。全力で行かせていただきます!」

 先に仕掛けたのはアンナ。炎の魔法で先制攻撃を行った。
 対するカルロはアンナが放った炎に魔力をぶつけて相殺した。
 アンナは炎の放射をすぐには止めなかった。このまま押し切ってしまおうと考えていた。
 しかし結局アンナの放った炎がカルロに届くことはなかった。アンナの炎は全てカルロの放った魔力によって阻まれていた。
 そして、長時間の魔力放射で体力を消耗したアンナは、攻撃の手を完全に止めてしまった。
 その隙をカルロが見逃すわけもなく、反撃の炎魔法がアンナに襲い掛かった。
 アンナもまたカルロがやったのと同じように炎に魔力をぶつけて防御しようとしたが、消耗したアンナが放てる魔力ではカルロの炎を防ぎきれないことは明らかだった。

(正面から受けては駄目! 少しでも炎の軌道をそらして射線から逃げなくては!)

 そう判断したアンナは魔力を放つと同時に大きく横に飛んだ。
 アンナの放った魔力がカルロの放った炎と激しくぶつかりあう。アンナの予想通り、カルロの炎を防ぎきるにはいたらなかったが、炎の軌道をわずかにそらすことはできた。
 跳躍したアンナの後ろをカルロの炎が通り抜ける。背中に伝わる熱さからその炎のすさまじさを感じ取れた。
 頭から滑り込むようにアンナの体が地に落ちる。アンナはすぐに体勢を立て直し再び父カルロのほうへ向き直った。

「アンナ、戦いでは常に余力を残しておけ。戦場では敵は待ってくれないぞ」
「はい、お父様」

 もしこれが本当の戦闘であれば、アンナが態勢を立て直す前に追撃されていただろう。
 カルロはアンナの息が整ったのを確認し、訓練の続行を告げた。

「ではもう一度いくぞ」

 宣言とほぼ同時にカルロは炎の魔法を放った。
 アンナはさきほどと同じようにその炎を正面から受けることはせず、最小限の魔力による防御と、体さばきで炎を回避した。
 カルロの攻撃は一度では終わらず、連続でアンナに襲い掛かった。しかしアンナはそれらを一つ一つ丁寧に回避していった。
 しばらくしてカルロの攻撃がやんだ。この間、アンナは体勢を一度も崩すことはなかった。呼吸の乱れも無く、万全の状態でカルロと向かい合っていた。これならいつでも全力で反撃できるだろう。

「見事だ」

 カルロは連続攻撃をみごとに回避したアンナに賞賛の言葉を送った。

「ありがとうございます、お父様」

 父に褒められたアンナは額に汗をにじませつつも明るい笑顔を返した。

 そんな二人の訓練の様子を物陰から見つめている者がいた。木剣を探しに来たアランである。
 二人の訓練は何度か目にしているが、何度見てもすさまじいものだった。
 アランは剣の腕に関してはある程度の自信を持っていた。しかしいくら剣の腕を磨いても、父とアンナのような強い魔法使いに勝てるようになるとは思えなかった。
 アランは剣だけで父やアンナに勝つイメージが全く沸かなかった。
 二人の訓練を見ているうちに木剣のことなどどうでもよくなったアランは、静かにその場から立ち去った。
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