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第三章 荒れる聖域。しかしその聖なるは誰がためのものか

第十九話 黄金の林檎(9)

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   ◆◆◆

 それは、ルイスのこれまでの長い人生において最も困難な手術であった。
 魔力の経路は神経と並行して全身に張り巡らされている。魔力のほとんどは神経によって制御されている。熟練の感知能力者などは虫に魔力を運ばせたりするが、これは例外だ。
 今回の手術では、銀の棒を「神経に接触させずに」太い魔力の経路とだけ繋がなくてはならない。その接続にも樹脂材を使用する。
 樹脂材は光魔法に対しての抵抗値が銀よりも高い。理論通りならば、魔力は銀の棒の中だけを通ってくれるはずだ。接続部の神経を傷つけていなければ制御もできるはず。
 だが、理論通りに機能させるためには手術を完璧に近い精度で終えなければならない。
 問題は神経が網のように張り巡らされていることだ。
 その網に棒を接触させず、かつ傷つけずに作業を終えなくてはならない。
 そのためにパルカスの助力が必要だった。
 神経網の図面をパルカスに描いてもらい、パルカスの虫の誘導を受けながら棒を刺し込む。
 そして太い魔力の経路と棒を接触させ、そこで一旦固定する。
 神経を傷つけないようにその個所を開き、樹脂材で接着する。
 文章にすれば数行の工程であったが、その作業の完了には半日を要した。
 手術は成功した。あとは拒絶反応などが無いように、経過を祈るだけであった。

   ◆◆◆

 深夜――

 ルイスはめずらしく酒を飲んでいた。
 それは、手術の成功を祝っての酒では無かった。
 ルイスは複雑な心境であった。
 これはその複雑さをごまかすための酒。
 そしてその心境の複雑さを感じ取った友人はルイスのテントに忍び込み、背後から声をかけた。

「手術の成功おめでとう、と言って喜ぶような心境じゃ無いみたいだね」

 だが、今回はルイスは驚かなかった。
 怒りもしなかった。
 怒る気にもなれなかった。
 その理由をナチャはなんとなく理解していた。
 だからナチャは尋ねた。

「やっぱり、後悔しているのかい?」
「……」

 ルイスは即答できなかった。
 自分の心がよくわからなかった。
 整理が必要だ、そう思えた。
 だからルイスは語りだした。

「私は……魔法使いの価値を消すために戦い続けてきた。あの時から」

 あの時とはいつのことで、何があったのか、それを語るつもりは無かった。
 つらい思い出だからだ。
 だから代わりにナチャが語った。

「そうだね……あれはひどかった。ボク達が世界を回って神の支配を終わらせて、ようやく手に入れた平穏だったのに、悪い魔法使い達にめちゃくちゃにされちゃったもんね……」

 ルイスとナチャ達は神の支配を終わらせたあと、西の果てで都市を築き、そこで平和に暮らしていた。
 しかしそこによそ者がやってきたのだ。強い魔法使い達が手を組み、豊かな土地を奪いにきたのだ。
 話し合いに意味は無かった。感知能力者がその能力を使って話し合っても、何も変わることは無かった。
 当たり前だった。話し合って理解し合ったところで、悪人の悪たる気質が消えるわけでは無いのだから。
 話し合いだけで本能から生ずる悪癖が消えることは無いことはルイスもわかっていた。変えるには虫を使って相手の脳を改造しなければならない。
 しかし当時のルイスはそれをしなかった。それをやったらかつての神と同じになってしまうのではないか、そんな勘違いをしてしまったのだ。
 そしてルイス達は感知能力者としての強みを十分に生かせず、戦いに敗れた。ルイスはすべてを失った。
 それから、世の中は傷ついたルイスをあざ笑うかのように変わっていった。
 強い魔法使いが無能力者を支配し始めたのだ。世界中がそうなっていき、ルイスは魔法使いという存在そのものを憎むようになった。
 だから――その先をルイスは自ら声に出した。

「だから私は無能力者でも強い魔法使いに勝てる武器を、銃を生み出した。そしてその銃で魔王を倒した。だから何もかも終わったと思った。自分が生に執着する理由も無くなったと思った」

 しかし違った。
 それをルイスは言葉にした。

「だが、ある日気づいてしまった。本当にそうなのか、と。魔法にはまだまだ使い道があるのではないか、と」

 それはデュランが抱いた予感と同じものであった。
 だが、ルイスはその予感を現実のものにはしなかった。
 なぜか。ルイスは語った。

「銃と魔法を組み合わせればどうなるのか、魔法力を利用する大砲は可能なのではないか、そんな考えがいくつも沸き上がった。しかし私はそのいずれも形にはしなかった。自分がやったことはただの一時しのぎのようなものだと証明されることが怖かったのだ」

 自分が生み出した武器を利用して魔法使いがさらに強くなる、そんな未来の可能性を確かめることはルイスにはできなかった。
 だが、それは――
 言いたくないそれをルイスは振り絞るように言葉にした。

「だが、それは今日証明されてしまった。技術というものは無能力者を魔法使いに変えることすら可能だった! 失敗してほしい、そんなことは不可能だと証明されてほしかった。それを自分で確認するために私は自ら手術台に立った。だが違った!」
 
 そしてルイスは確信に近い未来の予想図を声に出した。

「技術と機械は発展を続け、そして機械は魔法と融合し、さらなる力となって世に広がるだろう。その流れを止める力は私には無い。私がやらなくても、どこかの誰かがやってしまう」

 語るルイスの目には涙がたまっていた。
 それが一滴のしずくとなって落ちると、ルイスはそのしずくを見下ろすようにうつむき、呟くように喋り始めた。

「私は『神』にあざ笑われているような気がするよ、ナチャ」

 呼ばれたゆえにナチャは聞き返した。

「それは、おとぎ話にでてくる『創造神』のことを言ってるのかい?」

 ルイスはうつむいたまま頷き、そして口を開いた。

「あの時から、私はなぜあんなに悪いやつが存在するのか、なぜ悪というものが存在するのかを考えるようになった」

 そんなことを考えても大した意味は無い、ナチャはそう言おうとしたが、先にルイス自身が答えた。

「答えは見つからなかった。見つかるわけが無い。親から受け継ぎ、環境や思考と共に発達した神経網、そのありようによって悪は時に形作られる。それだけでしか無いのだから」

 ナチャが頷きを返すと、ルイスは言葉を続けた。

「だから私は馬鹿なことを時々考えるようになった。なぜ神は悪の素質を人間に埋め込んだのか、と。もしかしたら、神はわざと悪の種を人間に残したのかもしれない、そう思うようになった」
「どうしてそう思うんだい?」
「ナチャ、あの時の我々はどんな感じだった?」
「あの時? 平和なあの時ってことかい? うーん……」

 考えてもよくわからなかった。ルイスがどんな答えを望んでいるのかの見当もつかなかった。
 だからルイスは自らの考えを声に出した。

「我々は腑抜けていた。そう思わないか?」
「言われればそんな気もするね」
「じゃあ、これならどうだ? もしもあの時、神が突然復活して我々に復讐していたとしたら、我々はかつてと同じように戦えたと思うか?」
「ああ、それはわかりやすいね。断言できるよ。答えは『いいえ』だ」
「そうだ。我々は平和に慣れすぎて腑抜けていた。戦いを避けるようになっていた。だから我々はあの魔法使い達にいいようにされた。いま思い返してみれば、そう思えるんだ」

 数百年という長い平和のせいで牙が抜けていた、ルイスはそう述べた。
 しかしそれが先の神の話とどうつながるのか。
 それをルイスは答えた。

「だから神は人間に一番大事なことを思い出させるために悪の種を植えたのではないか、そう思うようになったんだ」

 善だから強いのでも、悪だから強いのでも無い。強いやつが強い、至極単純だがそれは揺るがぬ摂理の領分であった。
 これに、ナチャは頷きを返した。
 が、ナチャの考え方はルイスとは少し違っていた。
 ナチャはそれを直後に声に出した。

「もしかしたら、君達の体の中にいる大工の連中は、そのために悪の気質の設計図を残しているのかもね」

 それはルイスの話を少しだけ現実に寄せた解釈であった。
 だからルイスはその言葉で我に返り、謝罪を述べた。

「……すまん。馬鹿な話をした。忘れてくれ」

 ナチャは首を振った。

「いや、とても面白い話だったよ。ルイス」

 荒唐無稽な話だが娯楽性は高い、それがナチャの評価であった。
 その評価に、ルイスは馬鹿な話をしてしまったことをさらに悔やんだ。
 それを感じ取ったナチャはルイスを慰めるためにあえて馬鹿な話に乗ることにした。

「だったら、その神様とやらを探しに行ってみないかい?」
「え?」

 あまりに突然の馬鹿な提案であったゆえに、ルイスは間抜けな声を返してしまった。
 だが、ナチャはまるで真剣であるかのように言葉を続けた。

「創造神は空の上にいるっていうだろ? 本当に見に行ってみないかい?」
「どうやって?」
「さあ? ボクは雲の上までしか行けないし、そこに神様はいなかったよ。だからルイスになんとかしてもらうしか無いなあ」
「なんとかってお前……空を飛ぶ乗り物でも作れというのか?」
「いいね、それ。楽しそうだ」

 そう言ってナチャは笑顔になった。
 気づけば、ルイスも笑顔になっていた。
 だからこのバカバカしい話に笑って乗ることができた。

「そうだなあ。空を飛ぶ乗り物、か。一度考えてみてもいいかもしれないな」

 言いながらルイスは天井に視線を向けた。
 本気で考えているのかどうか、それはわからなかった。
 だが、ルイスは落ち着いてくれた。ナチャはそう感じたゆえに話を現実のほうに戻すことにした。

「でもその前に、まずは目の前の問題をなんとかしなくちゃね」

 その言葉に、ルイスも思考を現実に戻した。

「そうだな。ここでの用事も済んだことだし、明日から指揮官らしい仕事を再開することにしよう」

 そう言ってルイスは立ち上がり、酒の瓶を片付け始めた。
 寝る準備、それはそう見えた。
 だからナチャは口を開いた。

「……不謹慎かもしれないけど、ボクは嬉しく思ってるよ、ルイス」

 突然のことに、よくわからなかったルイスは聞き返した。

「何の話だ?」

 ナチャは神妙な面持ちで答えた。

「もしかしたら、もうすぐルイスとはお別れになるかもしれない、そう思ってたんだ。でもその予想が外れたようで嬉しいよ」

 そしてナチャは表情を戻し、はっきりと言った。

「これからも長い付き合いになりそうだね、ルイス」

 確かにそうかもしれない、ルイスはそう思った。
 だからルイスも口を開いた。

「本当に、いつになったらお前との縁は切れるんだろうな」

 そのふざけた言葉に、二人とも笑った。
 笑いながらルイスは思った。
 同じ思いをナチャも抱いていた。
 ナチャは笑いながら同じその思いを声に出した。

「この世界がどうなるのか、人間はどこに行くのか、どこまで行けるのか、それを一緒に見よう、ルイス」

 ルイスは頷きを返し、応えた。

「ああ、そうだな。行けるところまで行ってみるのも悪くない」

 この日が二人の新たな出発点となった。
 二人の旅はまだまだ続くのである。
 その旅路の先になにがあるのか、それは誰にもわからない。
 だが、何があろうと後悔しないように終わりたい、そんな同じ思いを二人は抱いていた。

 そして先に述べられたルイスの言葉も正解であった。
 機械と魔法は技術によって融合するのだ。
 ひも解いてみれば、魔法はただのエネルギーの一つに過ぎないのだから。
 そしてその技術と知識はのちに「魔導工学」と呼ばれるようになるのであった。
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