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第三章 荒れる聖域。しかしその聖なるは誰がためのものか

第十九話 黄金の林檎(8)

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   ◆◆◆

 村の悲劇は夜がふける前に終わった。
 時が立つほどに悲鳴が減り、かわりに戦いの音と気勢が増えていった。
 その音の中にはヘルハルトの声も混じっていた。
 だが、その抵抗の音も時間の経過と共に減り、日が沈む前に村は静寂に包まれた。

 この惨劇からおよそ一週間後にシャロン達は出陣した。
 一週間という時間を置いたのは準備のためであり、その準備の多くはナチャによるものであった。
 先の撤退戦を経験した者達のほとんどは、まだ陣中で体を休めなければならない状態であった。
 そして強力な戦力でもあるルイスも、いまだに陣から出ていなかった。
 フレディの頼みに応えたルイスは準備のために残っていた。
 そして準備は整い、フレディにとって、いや、ルイスにとっても重要となるその時はついに訪れた。

   ◆◆◆

 ルイスのテントの中はまるで手術室のように改装されていた。
 だが、道具の数はあまり多くない。
 寝台の上に横になっているフレディが少し気になるほど。
 そんなフレディの気持ちをさらに動揺させようとするかのように、フレディの真横に立つルイスは口を開いた。

「事を始める前に言っておくことがある。そしてそれを聞いてもらった上で、本当にやるかどうかの確認をする。いいな?」

 これに、フレディは頷きながら口を開いた。

「それはいいですが、その前にこっちから質問してもいいですか?」
「なんだ?」
「後ろにひかえている人たちが手術のお手伝いさんなのはわかるんですが、あの人は?」

 フレディが目線で示した「その男の人」は、確かに手伝いのようには見えなかった。
 やや場違いな格好をしている。まるで貴族が見物に来たかのよう。いや、貴族とも少し違う。

「ああ、この人は――」

 ルイスはその人のことを紹介しようとしたが、その人は自ら声を上げた。

「お初にお目にかかります、フレディ殿。私は――ああ、申し訳無い。本名を名乗るのはまだ禁じられていまして、魔王がいなくなったのでもう大丈夫だと思うのですが……なので、『パスカル』とお呼びください」

 瞬間、フレディは感じ取った。
 パスカルと名乗ったその男が心を、本名を隠したのを。感知能力者であることを。
 そしてその偽名の自己紹介が終わったあと、ひと呼吸ほどの間を置いてからルイスは口を開きなおした。

「この方はシャロンの調整の手伝いをしている人だ。手を貸してもらうためにこの場に呼んだ」

 シャロンにもしものことがあった時のために、普段は部隊の後方で待機しているが、今日のためにこの前線に呼び出した、という心の声が同時に響いた。
 その言葉を聞いてフレディは少し安心したが、やはり違和感はぬぐえなかった。
 直後、パスカルはその違和感の正体を明かすように口を開いた。

「前の魔王が感知能力者を管理し始める前は、科学者を名乗っておりました」

 科学者? それはフレディがよく知らない職業であった。
 であったが、科学者の功績の一つをフレディは知っている。だから以前、「炭素」という言葉が口から出てきたのだ。フレディは元素という概念を正確に理解していないにもかかわらずだ。
 それを感じ取ったルイスは科学者について簡単な説明を加えた。

「この世の全てを解き明かそうとしている者……と言えばわかりやすいか?」

 しかしその説明を受けてもフレディにはピンと来なかった。
 ルイスはそれも感じ取ったが、今はこれ以上この説明に時間をかける必要は無いと思い、口を開いた。

「彼は圧力や距離を正確に感じ取ったり、小さなものを感じ取るのが得意でな、その力を借りるために呼んだのだ」

 それは、バークと似たような能力であり、この世界で『科学者』と呼ばれる者達の多くに共通する能力であった。
 似たような能力を持つ者達は世界に点在し、そういう者達はみな小さな世界に心奪われ没頭していた。
 パスカルも例外では無く、ゆえにルイスに礼を述べた。

「ルイス殿、本日はこのような興味深い手術の場に私を呼んでくださり、感謝しております」
「礼を言うのはこちらですよ。手を貸してもらう側なのですから」

 ルイスはそう答えたあと、フレディのほうに視線を移し、口を開いた。

「では始めようと思うのだが、先ほど言った通り、事前に言っておくことがある」

 言いながら、ルイスは道具が並べられている台から、一本の細い棒を取り出した。

「残念ながら純鉄は手に入りそうに無かった。なので代わりに銀を使う」

 大丈夫なのですか? フレディにそう聞かれるよりも先にルイスは説明した。

「鉄ほどでは無いが銀も光魔法の粒子に対しての抵抗が少ない。ゆえに魔法使いの杖の素材として使われているものだ」

 直後、ルイスは「だが、」と言葉を付け加えた。

「銀を長時間、体内に埋め込んだなどという事例は存在しない。だから何が起きるかわからない。命にかかわる拒絶反応が起きるかもしれない。なのである樹脂材を塗って使用する」

 使われる樹脂材は、南の森のあの木々から取れるものであった。
 その木はこの辺りにも多くは無いが自生している。入手はそこまで難しくは無かった。
 あの森の精霊使いと呼ばれる者達は、その木の樹液を虫の材料にするだけでなく、他の素材も生活の一部として頻繁に利用している。それほど触れ合っているのに彼らの健康に害が起きることは無い。ならば適役なのでは無いか、ルイスはそう思ったのだ。
 この世界のこの時代にはまだ「生体親和性」などの概念は周知されておらず、ルイスも知らない。これは直感によるものであった。
 そうこれは本当にただの「感」。いや、もっと曖昧なものなので「勘」のほうかもしれない。
 だからルイスは尋ねた。

「安全の保障はまったくできない。だから確認のためにこの場でもう一度聞かせてもらう。本当にいいんだな?」

 フレディに迷いは無かった。
 だからはっきりと答えた。

「はい。お願いします」
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