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第三章 荒れる聖域。しかしその聖なるは誰がためのものか

第十七話 地獄の最後尾(5)

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   ◆◆◆

「早く! 急いで!」

 若者が必死に叫ぶ。
 しかしその声は遠くまで飛ばない。
 場に響き続けている悲鳴のほうが圧倒的に大きい。
 その若者を突き飛ばすような勢いで住民達がすれ違う。
 若者はその乱暴な人の波をかきわけながら剣を振り上げ、

「この野郎!」

 追ってきていた狂人に振り下ろした。
 それは力任せなだけの素人の斬撃であったが、脳天を叩き割る威力はあるように見えた。
 が、

「?!」

 狂人が直後に見せた防御はまさに狂人のそれであった。
 刃は左手で、素手で受け止められていた。
 刃が手首にまで達しそうな勢いで食い込んだが、狂人は狂気以外の表情を持たない。
 狂人はその表情のまま、右手の包丁で振り上げた。

「っ!」

 間一髪、振り下ろされ始めた直後に腕を掴んで止める。
 だが、五分の形を維持することは不可能であった。

「っ!?」

 人並み外れた腕力になすすべも無く押し倒される。
 狂人の体の中では魔力が満ち満ちていた。
 感知能力者には星空に見えるほど。
 そのあふれそうなほどの魔力が筋肉を過剰に動かしている。
 それだけの魔力を生み出し、かつ循環させるために心臓の鼓動は少し速くなっている。
 狂人はその力で若者を拘束しながら包丁を振り上げた。
 死ぬ、死にたくない、そんな声が若者の心から響いた瞬間、

「う雄ぉっ!」

 知らぬ声と共に、目の前にいた狂人は真横に吹っ飛んだ。
 そして直後に目に入ったのは巨大な鉄の板。
 それが巨大な剣であることに気付いたのは、視線をずらした若者が串刺しにされている狂人の姿を瞳に写してからであった。
 そして直後、

「でぇやっ!」

 同じ声と共に狂人は串刺しにされたまま振り回された。
 肉の塊をつけたことで鈍器と化した刃が、迫ってきていた新たな狂人二人を叩き払う。
 そして刃が振り切られる頃には、刺さっていた肉の塊はどこかに抜け飛んでいた。
 助かった? 目の前にあるデュランの背中が静止したことから若者はそう思った。
 しかしこいつは誰だ? こんな大男見たことが無い。
 いや、礼を言うのが先か、そう思った若者は口を開こうとしたが、

「おい、教えてくれ!」

 お礼の言葉は直後に割り込んだ隊長の声によって遮られた。
 だが、隊長はかまわずに尋ねた。

「避難場所とか、そういうのはあるのか?!」

 若者は首を振って答えた。

「無い! みんな好き勝手に逃げてるだけだ!」
「指揮官はいるか?!」

 これにも若者は首を振った。

「週代わりの当番はいたけど、そういうのはいない!」

 感知能力者である隊長はその答えから感じ取った。
 この者は確かに自警団の一員だが、主な仕事は泥棒対策の夜回りであったことを。武装している剣はただの威嚇のための飾りであることを。
 この若者にいたっては剣を振るのは今日が始めてだ。
 しかしそれでも数がいれば役に立つ、そう思った隊長はさらに尋ねた。

「お前の仲間達はどこにいる?!」

 これには若者は首を振らなかったが、直後に返ってきた答えは似たようなものであった。

「わからない! みんなはぐれた!」

 わかったことは、状況は最悪だということだけであった。
 だからそばにいる兵士が隊長に向かって口を開いた。

「どうします?!」

 情報が足りない、隊長はそう思った。
 だから隊長は思い出した。この街を通り過ぎた時のことを。
 最初に浮かんだのは一番印象に残っていたものであった。
 それは幅広い川と大きな橋。
 そして次に浮かんだのはその橋から伸びる大通り。
 自分達もこの大通りを通った。
 ここがもっとも人の流れを制御しやすい、そう思った隊長は即座にそれを声に出した。

「一番大きな橋に向かうぞ!」
「街の中央に向かうってことですか?!」
「そうだ! そこで我々は防御の陣を作り、避難の要所とする!」

 隊長は土の地面に剣で地図を描きながら説明した。

「作戦はこうだ! 橋に到着したら部隊を三つにわける! それぞれの役割は橋の防衛と壁の建築、そして周辺の安全確保だ!」

 隊長は矢印で理想的な人の流れを描きながら説明を続けた。

「向かってくる狂人どもを壁と防衛部隊で食い止めながら、避難民を一方向に誘導する! 三つ目の部隊が橋を抜けた避難民達を街の外まで援護しろ!」

 三つ目の部隊が最も危険な任務であるように思えた。
 三つ目の部隊が壊滅すれば防衛部隊が包囲挟撃される可能性がある。
 ゆえに隊長は自らその部隊に志願した。

「避難民の誘導は私とフレディがやる!」

 突然の指名であったがフレディは戸惑いもせず、即座に頷きを返した。
 そこそこの感知能力者である自分が乱戦の可能性が高い現場に回されるのは当然、そう思っていたからだ。
 そしてその頷きから力強さを感じ取った隊長は、安心して再び口を開いた。

「魔法使いは全員橋の防衛に回れ! その指揮はデュランとナンティ、二人に任せる! 弾が無いとかで戦えないやつは壁の建築をやれ!」

 そして隊長は皆の顔を見回しながら、最後の声を上げた。

「以上! 作戦開始!」
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