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第三章 荒れる聖域。しかしその聖なるは誰がためのものか

第十六話 もっと力を!(7)

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   ◆◆◆

 数日後――

「大変です!」

 書類作業をしているルイスのもとに、一人の兵士が血相を変えて駆け込んできた。

「どうした?」

 ルイスが尋ねると兵士は答えた。

「魔王が脱走しました!」

 普通はこの報告に慌てるべきだろうが、ルイスは平然とした様子で聞き返した。

「どっちに逃げた? 方向は?」
「南です!」

 その報告にルイスは危うく笑みを浮かべそうになった。
 ちゃんと設定した通りに動いているな、思わずそんな心の声を大きく響かせそうになった。
 だからルイスは小さく咳払いをして気を取り直した。
 その咳払いの直後に兵士は再び口を開いた。

「偵察によると、魔王は南で残党と思わしき部隊と合流したようです!」

 当然、この残党部隊はこちらで人格改造した兵士達である。
 作戦は順調、それを確信したルイスは椅子から立ち上がった。
 そしてルイスは真剣な表情を作りつつ、兵士に向かって命令した。

「全軍に伝えろ。これより我らは逃げた魔王の追撃と、残党の殲滅作戦に入ると」

   ◆◆◆

 何もかも予定通りであった。
 しかしそれはルイスが立てた予定とは違っていた。
 事はアルフレッドの思い通りに進んでいた。
 脱走したキーラは城下街からある程度離れたところで自我を完全に取り戻した。
 ルイスを騙すための仮面が外れ、キーラは完全な自由を得た。
 逃げてもいい。自分の意思で何でもできる。
 が、

「……」

 キーラはそうしなかった。
 自分の背後には人形にされた兵士達が並んでいる。
 彼らの洗脳を解いてもいい。
 が、

「ごめんなさいね。少し私のわがままに付き合ってちょうだい」

 キーラはそうしなかった。
 キーラの意識は南に向いていた。
 あれは放ってはおけない、誰かが立ち向かわなければ世界はメチャクチャになる、その確信があった。
 そして自分は数少ない立ち向かえる人間の一人、そう思っていた。
 だからキーラはその思いを声に出した。

「我々は南に進軍する! 化け物退治に行くわよ!」

 人形達は返事はしなかったが、姿勢を一斉に正すことで忠実の意思を示した。

   ◆◆◆

 一方、南でもキーラと同じように自我を取り戻した人間がいた。

「……?」

 それはヘルハルト。
 場所は知らぬ家の中。
 原始的な作りの家屋。家主が出かけていることが一目でわかる狭さ。
 ここはどこだ――情報を求めてヘルハルトが外に出ると、そこには想像通りの光景が広がっていた。
 同じようなつくりの家屋が並んでいる。背景は森。
 やはりここは部族の集落のようであった。
 だが、人々の服装は違った。
 簡素であったが、その格好は家屋よりは文明的であった。
 外部との交流があることがわかる。
 ヘルハルトがそんな人達を見回すと、視線が一斉に集まってきた。
 その直後に声が響いた。

「*****!」

 まだ十台と思われる女の子がこちらに向かって知らない言語を発している。
 通じてない、それをすぐに察した女の子はヘルハルトのほうに近づきながら言いなおした。

「カラダ、ダイジョウブ?」

 カタコトであるが、なんとか理解できた。
 ヘルハルトが頷きを返すと、女の子は再び口を開いた。

「ゴメン、キタノコトバ、ニガテ」

 目が少し泳いでいることから、女の子も困っているようであった。
 だから女の子は、

「ヒトヲヨブ、マッテテ」

 助けを呼びに走り出した。

   ◆◆◆

 女の子は一人の大人を連れて戻ってきた。
 同年代と見える男。
 服装は女の子達よりも垢抜けており、同じ集落の人間には見えないほどであった。
 まるで北の街からやってきたかのよう。
 この場ではヘルハルトと同じくらい場違いに見えるその男は、目の前に立つと同時に口を開いた。

「気がついたようだな。調子はどうだ? 頭痛は残っていたりしないか?」

 見た目どおりにその口調は滑らかであった。
 ヘルハルトが首を振ると、男は次の質問に入った。

「何があったか覚えているか?」
「……」

 ヘルハルトはしばし考えたが、思い出せなかった。
 男はその沈黙を答えと受け取り、口を開いた。

「お前は森の中で倒れていた。それを彼女が見つけ、ここに運んできたというわけだ」

 そう言われてもヘルハルトは思い出せなかった。
 そして困惑し始めたヘルハルトに、男は決定的な質問をぶつけた。

「……名前は?」

 この質問でようやく、ヘルハルトは自分がどれだけ深刻な状態にあるのか気付いた。

「……思い出せない」

 しかしその答えを男は予想できていたようであった。

「だろうな」

 ヘルハルトはそういうことなのか説明を求めようとしたが、先に男が口を開いた。

「私は外では商人を名乗っているが、ここでは精霊使いとして治療師もやっている」

 その一言から男の服装が垢抜けている理由がはっきりしたが、男はさらに言葉を付け加えた。

「まあ、商人と言っても大したものじゃないがね。こちらにしか無い果物や野菜を北の人達の生活用品と交換してもらってるだけだ」

 しかしその付け足された情報は今のヘルハルトにとってはどうでもいいことだった。
 だからヘルハルトは気になっている単語について尋ねた。

「治療師、というのは?」

 ヘルハルトは虫や魂のことも忘れてしまっていた。
 これに、男は余分な情報をつけずに答えた。

「私は精霊が使えるから――と言っても何の事かわからないか? 要は、頭の中を修復できるということだ」

 しかし今度は余分な情報が無さ過ぎるせいで、今のヘルハルトにはよくわからなかった。
 それでも一つはっきりしたことについてヘルハルトは聞き返した。

「つまり、あなたが俺を助けてくれたということか?」

 男は頷いた。

「ああ、そういうことになるな」
「そうか、ありがとう」

 ヘルハルトは素直な礼を述べた後、再び尋ねた。

「俺は一体どうなってしまったんだ? 過去のことがほとんど思い出せない。この病気は治るのか?」

 これに男は難しい顔で答えた。

「すまない。正直、私にもわからない」
「……」

 その答えはヘルハルトの心に重くのしかかった。
 それを感じ取った男は口を開いた。

「……あまり深刻に考えないほうがいい。治療師として長くやっているが、記憶障害は自然に治ったりするものだから。治療を続けていれば、きっと良くなる」

 それは経験から生じた言葉であったが、それでもヘルハルトの心には響かなかった。
 だから男は続けて口を開いた。

「……しばらくこの村にいるといい。気持ちの整理も必要だろう。ゆっくりするといい」

 その言葉はヘルハルトの心に暖かく響いた。
 ヘルハルトの心が少し軽くなったのを感じ取った男は安心して口を開いた。

「では、私は用事があるのでちょっと失礼するよ。明日にでもまた診てあげよう。今日は彼女の家に泊まるといい。彼女の親も了解済みだ」
「ああ、何から何まですまない」

 そのお礼の言葉に男は「気にしなくていい」と答えながら背を向け、どこかに向かって歩き出した。

 男のつま先はある場所を指していた。
 ヘルハルトの隠れ家だ。
 男はウソをついていた。色々と隠していた。
 ヘルハルトに何があったのか男は知っている。記憶は残っていた。男はそれを覗き見た。
 ヘルハルトがそれを思い出せないのは、男が細工をしたからだ。記憶領域に繋がる神経網を切ったのだ。
 結論から言うと、記憶は大体残っていた。ヘルハルトの脳は果実による侵略にかろうじて打ち勝ったのだ。
 男はその記憶を読み、ヘルハルトがどんな人間なのかを知った。
 だから男はヘルハルトの記憶と能力を封印した。
 それは村に危害が及ぶ可能性を排除するためであったが、それだけでは無かった。
 ゆえに男はヘルハルトの隠れ家に向かっていた。
 彼はもっと大きな商売がしたいとずっと思っていた。くすぶっていた。
 そこに転機がやってきたのだ。
 彼はヘルハルトの商売を乗っ取るつもりであった。
 だから男は心の中でほくそ笑んでいた。
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