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第二章 アリスは不思議の国にて待つ

第十二話 すべてはこの日のために(8)

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 が、

「っ!」

 直後、絶望と共に強い衝撃と痛みが走った。
 ベアトリスの左手から繰り出された光の盾に突き飛ばされたアルフレッドは、勢いよく地面の上に倒れた。

(そんな……!)

 そしてアリスは思わず絶望の声を漏らした。
 もう打つ手は無い、そうとしか思えなかったからだ。
 なぜならアルフレッドの臓器が疲弊してしまったからだ。
 頑丈なアルフレッドの臓器をもってしても、やはり果実を即座に作り出すことは無茶だったのだ。
 これは演技とは思えない。今の状況でそんなことをする意味が無い。

(……?)

 そしてアリスはようやく気づいた。
 演技とは思えない、その言葉によって気づいた。
 今のアルフレッドの感情も演技では無いのだろうか? と。
 アルフレッドは絶望していなかった。
 絶望を抱いたのは自分だけだったのだ。
 アルフレッドは頭痛によろめきながらも再び立ち上がり、ベアトリスに向かって身構えた。
 何をするつもりなのか、何が出来るのか? アリスは問うた。
 その答えは再び映像という形で返ってきた。
 それはやはり幼い頃のアルフレッドとベアトリスの記憶であった。
 同じこの場所で蝶の精霊を展開し、二人で遊んでいた時の記憶。

(……?)

 その映像に対し、アリスは違和感を覚えた。
 違和感の正体はすぐにわかった。
 蝶の数が多すぎるのだ。
 空を埋めつくしそうなほどに多い。
 いまのアルフレッドでも難しい、そう断言できる数。
 幼い二人がどうやってこれだけの数の精霊を展開した?
 その疑問の答えは一つしか浮かばなかった。

   ◆◆◆

(もしやと思ったが、残念だ)

 離れたところでバークはそう思っていた。
 そしてその「残念だ」という思いは、次にアルフレッドがやることに対しての感情でもあった。

(しかし、)

 しかし不謹慎にもバークは期待していた。それを見たいと思っていた。
 なぜなら、アルフレッドがやろうとしていることは、

(しかしそのおかげで、かつての神話の再現を見ることができる)

 太古の時代、神の宿り木は一本では無かった。
 神木に住まう神々はその力をもって大規模な現象を起こしていたという。
 それを見ることができるのだから期待しないわけが無い。

(だが、)

 一つ大きな問題がある。
 そんな大規模現象を一人の人間が制御しきれるのか、ということだ。

   ◆◆◆

 アリスが答えを言葉にしようとした直後、アルフレッドは動いた。
 手から一羽の蝶を生み出し、高く放つ。
 蝶は空で風化して崩れ去るように虫の群れに分裂した。
 そして群れは四方八方に散り、森の中へと消えていった。
 すると間も無く、一匹の蝶が森の中から姿を現した。
 さらにもう一匹の蝶が別の方向から。
 さらに、さらに、さらに。次々と森の中から蝶が姿を現す。
 それが群れと呼べる数になるまでさほど時間はかからなかった。
 蝶の増加は止まらない。
 空を埋めつくしてもまだ止まらない。
 そして蝶の群れは二人を中心として周囲を旋回し始めた。
 それはまるで白い竜巻。
 竜巻を構成する蝶はさらに数と密度を増し、間も無く回転する白い壁のようになった。

(間違い無い!)

 それを見て確信を得たアリスは声を上げた。
 ここは精霊の宿り木が大量に生えている場所なのだ。
 だからこんなことが出来る。
 アルフレッドは大量の種をこの森に仕込んでいたのだ。
 では、アルフレッドはこの力で何をするつもりなのか?
 それは直後に明らかになり始めた。
 アルフレッドの背後、白い壁の中からそれはぬるりと現れた。
 大型獣? 最初はそう見えた。
 いや、もっと大きい。クマなどとは比較にならない。
 背丈はアルフレッドの三倍はある。
 横幅は比較するのもバカらしいほど。

(これは……!?)

 これはなんなのか、アリスが放ったその疑問にアルフレッドは映像で答えた。
 それはあの映像の続きだった。
 二人で大量の精霊を展開して遊んでいた時の記憶。
 その記憶の中でベアトリスは喜々とした顔で言った。

「もっと増やせば、むかし話の真似事もできるかも!」

 その言葉でアルフレッドが思い描いたものは一つだけだった。
 かつて、『神の兵器』と呼ばれた存在。
 その名は『ドラゴン』。
 神話ではどのような使われ方をしたのか、それくらいしか記されていない。見た目に関しては大きいくらいしか情報が無い。
 ゆえにその風貌はアルフレッドの想像によるものであった。
 空を飛んでいた、という記述からアルフレッドは巨大な羽を想像した。
 それがイメージの起点となった。ゆえにアルフレッドが想像したものは怪獣であった。
 巨体に長い首、爬虫類を想像させる頭部。
 至極シンプルで威圧ある風貌。
 アルフレッドによってこの時代に再び顕現されたドラゴンは、その威圧感を示すかのように、羽を大きく広げた。
 瞬間、ベアトリスは感じ取った。
 ドラゴンの中で何かが流れ始めたのを。
 それは虫の群れ。
 まるで血管の中を流れる血液のように移動している。
 ドラゴンの全身に血管が浮き出たように見える。そう感じる。
 しかしグロテクスでは無い。血管の経路は直線が多く、機械的。
 羽から、足から、前足から伸びた血管は胴体のある一点に収束していた。
 それは肺のように見えた。
 それはまさしくその通りだった。アルフレッドは肺をイメージしてそれを作り上げた。
 磁石がくっつくのと同じ原理で、虫達が引き合い、または反発する力を利用してつくった空間。
 虫達はその中になだれ込むように集まっていた。
 間も無く、はちきれんばかりに肺は膨らんだ。
 そしてドラゴンは背伸びをしながら、その口を大きく開けた。

「!」

 何をするつもりなのか、考えるまでも無くベアトリスは気づいた。
 どうする? 防御? 出来る気がしない。
 ならば回避? 逃げる? どこに? 周りは囲まれている。
 白い壁を強引に突破するしかない。
 しかしそれも出来る気がしない。弱っていなければ、こんなミエミエの遅い攻撃など――

「……!」

 いいわけじみたその思考でベアトリスは気づいた。
 先の攻撃もそうだった。予備動作が長かった。
 アルフレッドの切り札は全部そうなのだ。だから演技をしてまで自分を弱らせたのだ。
 この攻撃にいたっては、この場所でしか使えない!
 しかし気づいたところでもう手遅れ。

「……っ」

 だからベアトリスに出来た自衛行動は壁際に寄って防御魔法を展開することだけだった。
 そしてドラゴンはベアトリスに向かって肺に溜め込んだものを吐き出した。
 神話通りの攻撃、竜の吐息。
 それは炎では無い。熱は無い。されど、

「~~~っ!」

 ベアトリスは全身が焼けるような痛みを覚えた。
 防御魔法はその役目をほとんど果たしていなかった。
 左右から、上下から虫が回り込んでくる。
 全身を覆う防御でなければ意味が無い。
 吐き出され、吹き付けられる大量の虫に神経を傷つけられている。
 踏ん張りが効かなくなり、足が自然と崩れる。
 握力が消え、槍が手から落ちる。
 そして膝をついた姿勢を維持することすら難しくなった直後、アルフレッドは動いた。
 先と同じ構えを取り、両手の中に果実を作り始める。

(!? 無茶よ!)

 思わず声を上げるアリス。
 しかしアルフレッドは力強く答えた。

(大丈夫、もう一個だけなら作れる! これはもう試してる!)

 さらに、それだけでは無かった。
 次に動いたのはドラゴン。
 その身をゆだねるように、アルフレッドの背にのしかかる。
 そしてドラゴンは血管を体外に伸ばし、アルフレッドの頭と首に繋げた。
 大量の虫がアルフレッドの脳内に流れ込む。
 それらの虫を分解し、使える部品を選んで再構築し、手に送る。
 そうして果実は少しずつ膨らんでいった。
 そして三倍ほどの大きさになったところで十分だと判断したアルフレッドはベアトリスに向かって踏み込んだ。
 瞬間、心の声が響いた。
 二度も、と。
 それはベアトリスの声だった。
 ベアトリスは叫んだ。
 二度も同じことを、

(やらせるか!)と。

 その叫びと共にベアトリスは残っていた力を振り絞った。
 前のめりに倒れながら右腕を突き出し、光弾を発射。
 力尽きかけているとは思えない、力強い光弾。
 これに、アルフレッドは果実を左手に持たせ、同じ右手を突き出した。
 その右手は火の粉をまとっていた。
 右手の甲の上を光弾が滑り、流されていく。
 アルフレッドはもしもの反撃に備え、果実を生み出しながらバークの精霊に最後の仕事をやらせていたのだ。
 だからアルフレッドはバークに感謝の念を送っていた。
 本当にありがとう、と。
 この精霊を譲ってくれていなかったらどうにもならなかったかもしれない、と。
 そしてアルフレッドはその右手でベアトリスの頭部を掴んで上体を起こし、

「雄ォッ!」

 巨大な果実を頭に叩き込んだ。

「ぐ、う、う……!」

 抵抗しようとするベアトリス。
 しかし何も出来ていない。もがけてすらいない。
 間も無く、脳内での大勢は決し、

(やった!)

 アリスが勝利を確信した声を上げた。
 果実を排除することに成功した! 破壊しながら新しく作り直した!
 そしてその勝利の声が響き終わった直後、

「あ……」

 ベアトリスは普通の人間らしく気絶した。

(……終わったのね)

 そしてアリスが安堵と共にそう漏らすと、

「まだやらなきゃいけないことがあるけどね。まあ、ひとまずは」

 アルフレッドも同じく安堵の色が混じった声を漏らした。
 その声と共にドラゴンはバラバラに、蝶の群れになって霧散した。
 白い竜巻もその役目を負え、ただの蝶の群れに戻る。
 そして蝶は空を埋めつくすように舞い上がったあと、最初にアルフレッドの手によって定められていた通り、自壊した。
 虫の群れに分裂するように、次々と霧散していく。
 しかしその虫も動かない。そもそも虫では無い。これは本当にバラバラになっただけ。
 中空でバラバラになった蝶の残骸は、まるで雪のようにアルフレッドの周りに降り注いだ。
 アルフレッドはその空を見上げていた。
 しかし雪のようなその光景に心奪われていた訳ではなかった。
 アルフレッドは主人のもとに帰る火の粉の群れを見上げていた。
 アルフレッドに渡されたものとは違う。あれは全ての力を使い果たしてもう死んでいる。
 バークは地面の中など、場に大量の精霊を隠し置き、状況を盗み見ていたのだ。
 今のアルフレッドにはバークに対しては感謝しか無かった。
 だからアルフレッドは一匹の蝶を放った。
 感謝のメッセージがこめられたその蝶は、火の粉を追いかけて森の奥へと消えていった。
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