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第二章 アリスは不思議の国にて待つ

第九話 ヘルハルトという男(12)

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   ◆◆◆

 翌日――

 ルイスはまたしても司令室から離れていた。
 街から離れ、ルイスは森の中に入ろうとしていた。
 護衛も連れていない。
 ルイスが総司令官であることはまだ敵に知られていない。
 しかしこれはあまりに軽率な行動に見えた。
 だが、これはそうせざるを得ない用事であった。
 部外者に知られることが許されない用事だ。
 これに関してはあのサイラスすら部外者扱いであった。
 のだが、

「……」

 面倒なことになった、そんな表情でルイスは足を止め、

「……ばれてるぞ、サイラス」

 仕方無い、そんな思いをにじませた声で振り返った。
 サイラスは素直に姿を現した。
 その服装は普段のそれでは無かった。
 まるで農民。
 顔は泥で化粧してそれっぽくごまかしている。かなり気合の入った変装だ。
 サイラスはその汚れた顔のままで尋ねた。

「最初から気づいていたのか?」

 これにルイスは首を振った。

「いいや。気づいたのは少し前だ」

 そしてルイスは賞賛した。

「随分と隠密行動が上手くなったな。驚いたよ。作業している農民の心をそのまま自分に写すとは上手く考えたな。虫にちゃんと確認させるまでは確信を持てなかったぞ」

 だから心を軽く読んだ程度ではまったく気づけなかった。
 しかし気付くきっかけはあった。
 ルイスはそれを声に出した。

「気付けた理由は、お前が私を無視しすぎたからだ。私の足音は確実にお前の耳に入っていたはずなのに、お前は気にもとめずに農作業に集中し続けた。異常なほどの集中力だった」

 そしてルイスは離れたところで同じような作業をしている農民のほうに視線を向けながら言葉を続けた。

「そして気付いた。アレが答えだと。お前はあの人の心の表面だけを写したのだと。作業をするという意識だけを写したんだ。だから応用がきかない。機械のように作業するだけになってしまったんだ」

 この答えに、サイラスは「なるほどな」と納得し、

「次はもっと上手くやることにしよう」

 顔の泥を手ぬぐいで拭き落としながら、反省の色が無い言葉を返した。
 だからサイラスはその調子のまま堂々と尋ねた。

「で、お前はコソコソとどこに行くつもりなんだ?」

 この質問の仕方にルイスは薄く笑って口を開いた。

「いまのお前ほどコソコソはしてないと思うがね」

 たしかにルイスは堂々と歩いている。
 護衛もつけずに。
 だからサイラスはその点についても尋ねた。

「……たしかにその通りだ。コソコソどころか、お前は堂々としすぎている。そんなに堂々とするなら、なぜ護衛をつけない? 周りの人間が信用できないのか? それほどの用事なのか?」

 一度に複数の質問であったが、ルイスは即答した。

「その通りだ。これはそれほどの大事な用事だ」

 そしてルイスはそこで言葉を切り、

「……」

 何かを考え始めた。
 それは異常な速さの思考であり、さらに高度な暗号化までほどこされていた。
 だからサイラスにはその思考の完全な暗記も解読も出来なかった。
 そしてルイスは何かを考えたあと、口を開いた。

「だからお引き取り願おう……と思ったのだが、お前には教えてもいいかもしれない」

 その言葉にサイラスは逆に拍子抜けした。
 その理由をルイスは答えた。

「お前、『大工の言葉』が聞こえるようになっているだろう?」

 これにサイラスは「ああ、まあ」と生返事を返した。
 生返事になったのは自信が無いからだ。なにせその声を聞いているのはほとんど夢の中でなのだから。
 しかしルイスにはそれはどうでもいいことのようであった。

「だったら都合が良い。私もそろそろ助手がほしいと思っていたところだからな」
「……?」

 ルイスが言う大事な用事とは一体なんなのか、『大工』が関係あるようだが、まったく想像できない。ゆえにサイラスには沈黙しか返せなかった。
 だがルイスにはその沈黙もどうでも良かった。
 だから、

「ついてこい。案内してやる」

 ルイスは一方的にそう言って、再び歩き出した。
 わけがわからなかったが、サイラスにはついて行くしか無かった。

   ◆◆◆

 そしてサイラスが案内された場所は、森の中にある一軒屋であった。
 森の中の建物にしては金がかかっている。
 高さは無いが敷地は広い。
 中から数名の気配が感じ取れる。
 サイラスは虫を使って中を調べようとはしなかった。
 ルイスの付き人といういまの立場を考えれば、相手を刺激するような行動は避けたほうがいいからだ。
 そしてルイスが玄関のドアの前に立ったと同時に、ドアは勝手に開いた。
 ドアを押し開けて中から姿を現したのは二十台に見える一人の女。
 ナンティやデュランと雰囲気が似ている女性。
 何も聞かずにドアを開けたことから、感知能力者であることは明らかだった。
 そして女の第一声は歓迎の言葉では無かった。

「その男は?」

 ルイスは答えた。

「俺の助手だ」
「助手? そんな話は聞いていない」
「すまないな。連絡する時間が無かった。しかし今回は俺の顔に免じて入れてやってくれないか?」
「……あなたのことは信用している。だけど――」

 女はサイラスのほうに視線を向けながら言葉を続け、

「それでも検査はさせてもらう」

 その手から虫を放った。
 大量の虫がサイラスの頭に群がる。
 頭蓋の中にもぐりこみ、頭の中を好き勝手に調べ始める。

「……っ!」

 その感覚にサイラスは顔をしかめた。
 しかしサイラスは抵抗せずに耐えた。隠すこともせず、すべてをさらけ出した。
 この女に見られて困ることなど無い、サイラスはその思いを支えにして耐えた。
 しばらくしてようやくその感覚はおさまった。
 そして女はルイスのほうに視線を戻しながら口を開いた。

「……『大工』の声が聞こえるようですね。だから彼を助手に?」

 ルイスは頷きながら答えた。

「いずれは仕事を引き継がせようと思っている」

 これに、女が驚いたのをサイラスは感じ取った。
 しかし女は顔には出さずに尋ね返した。

「……それも急な話ですね。具体的にいつごろなどは決まっているのですか?」

 ルイスは首を振った。

「いいや。日程は無い。だから安心してくれ。この助手がダメだったら引退はしないつもりだ」
「……」

 それは女にとっては都合の良い答えであったはずだが、それでも女は沈黙を返した。
 サイラスはその沈黙に割って入りたい気持ちを押さえ込んでいた。
 ここで何が行われているのかについて興味はあるが、ルイスの仕事を引き継ぐ気持ちはいまのところまったく無いからだ。
 しかしいま声を上げたところで自分にとって良いことは何も無いだろう。追い返されるのがオチだ。だからサイラスは黙っていた。
 それに、ここで何が起きているかの検討はもうついていた。
 あとは答え合わせだけだ。
 サイラスはその答えあわせを黙って待つことにした。
 ゆえに、沈黙を破る形で口を開いたのはルイスだった。

「そろそろ中に入ってもかまわないか?」

 これに女は「しょうがない」という顔で答えた。

「……いいでしょう。お二人とも中へどうぞ」
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