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第二章 アリスは不思議の国にて待つ

第九話 ヘルハルトという男(6)

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   ◆◆◆

 それはすぐにヘルハルトの耳に入った。
 商品の運び屋の一人が音信不通になったのだ。
 さらに、様子を見に行かせた部下が兵士らしき男達に拘束されかけた。待ち伏せされたのだ。
 しかし幸いなことに森の中の拠点まではバレていないようであった。襲撃される気配は無かった。

「ボス、どうします?」

 部下に問われるまでも無く、ヘルハルトは考えていた。
 部下は「兵士らしき男達」に攻撃されたと言ったが、これは十中八九、魔王軍の手先では無いとヘルハルトは考えていた。
 相手が何者かは簡単に予想がついた。
 ゆえに立ち向かっても無謀では無い。ゆえに今回は逃げるつもりは無かった。
 そしてこれは部下になんとかできることでは無いということも同時に予想がついていた。
 ヘルハルトはその頼りなさにイラつきながらも、自分が出るしかないだろうなと考えていた。

   ◆◆◆

 ヘルハルトが立てた作戦に、部下達の多くは反発した。
 無謀だと。
 しかしヘルハルトはその反発を無視し、作戦内容を復唱した。
 これまでどおりに商品を運び、相手が出てくるのを待つと。
 そしてその輸送には自分も同行すると。
 その作戦は部下達にはただの無謀に聞こえた。
 対策が何も無いのだから作戦と呼べるものでも無いと。
 しかしヘルハルトは実行した。
 これには五名の部下が同行した。
 その部下達はヘルハルトの行動を無謀だとは思っていなかった。
 同行したのは感が良いものと、古参の人間であった。
 感が良いものはヘルハルトの考えが読めていた。ヘルハルトも隠してはいなかった。
 そして古参の人間はヘルハルトが何をやろうとしているのかを把握していた。
 商売を始めたばかりの頃は、ヘルハルト自身が配送をやっていた。
 その時にも邪魔は入った。しかしヘルハルトは彼なりのやり方でそれを排除してきた。
 また同じ事をやるつもりだろう、古参の者はそう思っていた。
 そしてそれは正解であった。

   ◆◆◆

 ヘルハルトは自らをエサにしてその兵士達の出現を待った。
 幸いなことに、それは一回目に現れてくれた。
 話に聞いた通りの格好をした兵士達。
 こいつらだ、そう思ったヘルハルトは自ら先に話しかけた。

「お前達が私の商売の邪魔をした連中か?」

 これに兵士達は戸惑いの色を浮かべた。
 しかしそれは一瞬。
 すぐに兵士達は表情を薄笑いに変えた。
 自分から白状してくれるなんてバカなやつだ、と。
 ヘルハルトはその思考まで漏らさず感知していた。
 が、ヘルハルトは別の意識を探していた。
 こいつらが強気である理由、こいつらの背後にいる者が誰なのかを、ヘルハルトは相手の意識の海の中から探した。
 それはすぐに見つかった。
 兵士達の強気の意識はある人物像と結びついていた。
 それはこの地の領主であった。
 やっぱりな、ヘルハルトはそう思った。
 しかしこれはただの確認。重要なのはこれからだ。
 そしてここからは少し手間がかかる。
 ゆえに、ヘルハルトは既に高速演算を開始していた。
 緩慢な世界の中で、兵士達の頭から放たれる脳波をくまなく解析する。
 しかし、いま動いていない部分に格納されている情報、たとえば古い記憶などを調べるのは少し難しい。その脳波自体が放たれていないことが多いからだ。
 だからヘルハルトは既にからめ手を使っていた。
 それは虫。
 ヘルハルトが放った虫が兵士達の後頭部に張り付いていた。
 こいつらが鈍い連中であることは、感知能力者では無いことは既にわかっている。もしそうであったならば、森の中の拠点の位置までバレていた可能性が高いからだ。
 その推察は正解だった。ゆえにこのからめ手もすんなりと通った。
 虫達は毛穴から体内に侵入し、血管を通って脳内に侵入した。

「―――っ!」

 兵士の一人が脅し文句のような尋問の言葉をこちらにぶつけてきている。
 だが、その言葉はヘルハルトの意識には響かなかった。
 ヘルハルトは計算能力のほとんどを情報解析にあてていた。
 だからヘルハルトには兵士が何を言ったのかすらわかっていなかった。
 そして解析は間も無く終わった。
 欲しい情報は手に入った。
 ゆえに、ヘルハルトはある一人の兵士のほうに向き直って口を開いた。

「お前と二人きりで話がしたい」

 ヘルハルトはなぜその男と一対一で話したいのか。
 それは、その男が、

「お前が隊長だろう?」

 だからだ。
 しかし理由はそれだけでは無かった。
 まず気が弱い。いま強気なのは後ろ盾があるからだ。
 しかもお手軽な弱点まである。
 こいつを起点にして全体を崩す。一人崩せば他の連中も崩しやすくなるからだ。
 だが、

「はあ? 貴様と話し合うことなど無い。貴様達に質問する権利など無い」

 男は当然のように傲慢に拒否した。
 しかし男は拒否できる立場に無かった。
 その理由をヘルハルトは男の耳元に近寄って囁いた。

「……お前、押収した俺達のブツを懐にちょっと入れただろう?」
「……!」

 男は表情には出さなかったが、明らかに動揺したのをヘルハルトは感じ取った。
 だからヘルハルトはさらに囁いた。

「俺の商品を気に入ってくれたようで嬉しいよ。だから俺達の取り締まりに力を入れてるんだろう? あれがまた欲しいんだろ?」

 この言葉に隊長の男は怒声を発しそうになった。
 が、ヘルハルトは肩を強く掴んでそれを押さえながらさらに囁いた。

「だが、自分ばかり良い思いをするのは感心できないな。お前の奥さん、美人じゃないか。しかも家庭思いときてる」

 なぜ突然妻の話を? どうして妻のことを知っている? お前、感知能力者か?
 隊長は浮かんだ疑問を次々と心の中で言葉にした。
 しかしヘルハルトはそのいずれにも答えず、さらに囁いた。

「とてもいい女じゃないか。幸せにしてやれ。そうするべきだ」

 ヘルハルトが妻の話を始めた理由は男の想像通りであった。
 交渉がいつの間にか脅迫に変わっている。
 守りにくいが大切、そんな弱点を突くのがヘルハルトの常套手段(じょうとうしゅだん)であった。
 そしてそんな弱点を明らかにしてからどうするかも決まっていた。

「わかってる。魔が差しただけなんだろ? 誰にでもあることだ」

 それは救済の囁き。
 しかしこれは魔の誘いでもある。
 ヘルハルトは悪魔らしくさらに囁いた。

「安心しろ。それはお前だけじゃない。この中にもう一人いる」

 それは悪魔らしいウソであった。
 隊長のように魔が差した者などこの中にはいない。
 しかしそのウソに隊長の心が揺れたのを感じ取ったヘルハルトは、彼の耳元から離れた。
 そしてヘルハルトは他の者達にも聞こえるように声を上げた。

「俺は誰の血も望んでない。それはお前もそうだろう?」
「……」

 隊長は即答出来なかった。
 しかし脳裏にちらつく妻の姿がその口を望まぬ形で開かせた。

「……ああ、その通りだ」
「え?」「隊長?」

 一体どうしたのかと、尋ねるように男の部下達が口を開く。
 だが、いまの隊長は彼らの期待に答えることはできなかった。
 それどころか、さらに失望させる言葉を吐いた。

「問題ない。通っていいぞ」

 対照的にその言葉に満足したヘルハルトは口を開いた。

「全員、覚えておくといい。俺の名はヘルハルト。ボス・ヘルハルトだ!」

 そしてヘルハルトはこの場で初めて笑みを浮かべ、述べた。

「もう一度言うが俺は誰の血も望んでいない。そして約束しよう。諸君らが平穏を望むのであれば、俺はこの地に富をもたらすと」

 名乗りながら、そして自分だけに都合がいいことを言いながらヘルハルトは思った。
 心を読めるということは本当に便利だと。
 いや、この表現は正しく無い。ヘルハルトはすぐに思いなおした。
 一方的に相手の心を読み、弱点を突くのは本当に楽しい、と。
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