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第二章 アリスは不思議の国にて待つ
第九話 ヘルハルトという男(5)
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◆◆◆
前線に砦や要塞が立ち並ぶようになったころ、ヘルハルトはついに足を止めた。
魔王の城からはるか南の位置。
寒冷地では無く、緑生い茂る豊かな地域。
その深い森の中にヘルハルトは拠点を築くことを決めた。
森の中にした理由は単純に隠れるのに都合が良いからだ。
そしてヘルハルトは商売のやり方自体も変える算段であった。
原材料の生産から加工、そして流通まですべてを自分達だけでやるとヘルハルトは考えていた。
しかしそれは将来的な話。最初は流通は部外者に任せることになるだろうとヘルハルトは考えていた。
そして生産のために必要なものは知識も含めて既に揃っていた。
ここにくるまでに、ヘルハルトは原材料の生産拠点の一つを襲っていた。
大移動の途中でやれば反撃に追いつかれる可能性が低い。森の中に居を構えるのもそれが理由だ。
ヘルハルトは部下達と共に森の中で斧を振り、拠点の建設を開始した。
斧を振りながらヘルハルトは快楽を得ていた。苦痛は無かった。
自分の夢に着実に近づいているという実感があったからだ。
◆◆◆
そしてヘルハルトと同じ実感を得ている者がいた。
それはルイス。
新しい試作品が上がってきたからだ。
それはルイスのアイディアとこれまでのアイディアを組み合わせたものであった。
着火方式はフリントロック式。
装填は中折れ式。
ルイスのアイディアはこめる弾丸そのものに反映されていた。
それはこれまでの丸い弾では無く、円柱型であった。
我々の世界の現代の弾丸と酷似した形。
ルイスはこれならば問題を手軽に解決出来ると考えたのだ。
銃口の直径に合わせた真円の弾丸を作るのは難しいが、円柱ならば簡単だ。細い銃身を作るのと要領は変わらない。
あとは弾頭をつけ、内部に火薬を入れて後ろにフタをすれば完成。
装填は手元側では無く、銃身の後部から行う。弾丸が先端から滑り出ることが無いようにひっかかるようになっている。
だが、フタの部分は我々の世界のものと違っていた。
そこには油紙が貼り付けられていた。
ルイスはこう考えていた。
引き金を引くと火打石が振り下ろされ、火花が生じる。
その火花によって火皿の火薬が着火。
その燃焼によって油紙のフタが焼失し、円筒型の薬莢内の火薬が点火。
そして弾丸が発射されるだろうとルイスは考えていた。
が、
「……?」
初の試し撃ちは不発に終わった。
弾丸は発射されなかったのだ。
弾丸を取り出してみると、原因はすぐに判明した。
油紙が燃えていないのだ。
黒いすすが付着しているだけ。
これは当然の結果であった。
黒色火薬の燃焼温度が低いからだ。
黒色火薬の燃焼温度は摂氏三百度ほど。
対し、紙の燃焼温度は四百五十度。
油は種類によって発火温度が変わるが、ルイスが使っているものは四百度ほど。
ゆえに、これは当然の失敗であった。
火皿の火薬による衝撃で紙が破れでもしない限り、弾が発射されることは無い。
ルイスは何度か試射を繰り返してみたが、その偶然が起きることは無かった。
「……」
期待が空振りに終わったことによる残念さはルイスの表情に表れた。
だが、ルイスはいまのアイディアをあきらめてはいなかった。
弾丸と火薬を一つのパッケージにしてそのまま銃身内に装填する、このアイディアはなんとかして採用したいと思っていた。
それに、この銃そのものが失敗作になったわけでは無い。
従来の丸い弾丸による装填方法であれば問題無く使える。
すでにフリントロック式の銃の生産が始まっているが、これも量産して問題無いだろう、ルイスはそう思っていた。
◆◆◆
一方、ヘルハルトは拠点の建築と同時に、ある「草」の栽培に着手していた。
といっても、ヘルハルト自体が注力することは特に何も無かった。生育速度が早く、環境順応性も高いからだ。ほうっておいても勝手に育った。ヘルハルトは暖かいところでなければダメだろうと勝手に思い込んでいたが、実はその草は寒冷地程度の環境でも問題無いものであった。
しかしヘルハルトの移動は無駄では無かった。深い森の中に拠点を構えたことはやはり正解であった。商売敵の偵察がくる気配すら無かった。ヘルハルトは好き放題に農地を開拓することができた。
この「草」がヘルハルトの商売の原材料。
摂取すると快楽を得ることが出来る草。要は麻薬である。
もともとは宗教的儀式に使われていたものであった。
それが民間に流通し始め、悪人はそこにつけこんだ。
規制がまったく無かったため草は爆発的に流通。
前の魔王はこれを排除するどころか、組織から賄賂を受け取り、互いに甘い汁を吸う有様であった。
キーラが言った腐敗とはこれのことだ。
そしてその腐敗を排除すると公言したキーラから遠く離れたことで、ヘルハルトの商売を邪魔する障害はすべて無くなったかと思われた。
実際、滑り出しは順調であった。
近くの街への商品の発送は次々と成功し、順調に利益を積み上げていった。
同業者による妨害の気配も、魔王軍の影響も感じ取れない。
だが、ヘルハルトの障害となりえるものはそれだけでは無い。
正義心を持つ者や、単純にヘルハルトのような者を嫌う人間も障害になりえる。
今回は後者に属する人間がヘルハルトの近くにいた。
その者は最初は様子を見ていた。ヘルハルト達の商売を無視していた。
だが、そのせいでヘルハルト達は逆に調子に乗った。商売を大きくした。
それはその者にとって許されない行為だった。
ゆえに、その者はついにヘルハルト達に対して重い腰を上げたのであった。
前線に砦や要塞が立ち並ぶようになったころ、ヘルハルトはついに足を止めた。
魔王の城からはるか南の位置。
寒冷地では無く、緑生い茂る豊かな地域。
その深い森の中にヘルハルトは拠点を築くことを決めた。
森の中にした理由は単純に隠れるのに都合が良いからだ。
そしてヘルハルトは商売のやり方自体も変える算段であった。
原材料の生産から加工、そして流通まですべてを自分達だけでやるとヘルハルトは考えていた。
しかしそれは将来的な話。最初は流通は部外者に任せることになるだろうとヘルハルトは考えていた。
そして生産のために必要なものは知識も含めて既に揃っていた。
ここにくるまでに、ヘルハルトは原材料の生産拠点の一つを襲っていた。
大移動の途中でやれば反撃に追いつかれる可能性が低い。森の中に居を構えるのもそれが理由だ。
ヘルハルトは部下達と共に森の中で斧を振り、拠点の建設を開始した。
斧を振りながらヘルハルトは快楽を得ていた。苦痛は無かった。
自分の夢に着実に近づいているという実感があったからだ。
◆◆◆
そしてヘルハルトと同じ実感を得ている者がいた。
それはルイス。
新しい試作品が上がってきたからだ。
それはルイスのアイディアとこれまでのアイディアを組み合わせたものであった。
着火方式はフリントロック式。
装填は中折れ式。
ルイスのアイディアはこめる弾丸そのものに反映されていた。
それはこれまでの丸い弾では無く、円柱型であった。
我々の世界の現代の弾丸と酷似した形。
ルイスはこれならば問題を手軽に解決出来ると考えたのだ。
銃口の直径に合わせた真円の弾丸を作るのは難しいが、円柱ならば簡単だ。細い銃身を作るのと要領は変わらない。
あとは弾頭をつけ、内部に火薬を入れて後ろにフタをすれば完成。
装填は手元側では無く、銃身の後部から行う。弾丸が先端から滑り出ることが無いようにひっかかるようになっている。
だが、フタの部分は我々の世界のものと違っていた。
そこには油紙が貼り付けられていた。
ルイスはこう考えていた。
引き金を引くと火打石が振り下ろされ、火花が生じる。
その火花によって火皿の火薬が着火。
その燃焼によって油紙のフタが焼失し、円筒型の薬莢内の火薬が点火。
そして弾丸が発射されるだろうとルイスは考えていた。
が、
「……?」
初の試し撃ちは不発に終わった。
弾丸は発射されなかったのだ。
弾丸を取り出してみると、原因はすぐに判明した。
油紙が燃えていないのだ。
黒いすすが付着しているだけ。
これは当然の結果であった。
黒色火薬の燃焼温度が低いからだ。
黒色火薬の燃焼温度は摂氏三百度ほど。
対し、紙の燃焼温度は四百五十度。
油は種類によって発火温度が変わるが、ルイスが使っているものは四百度ほど。
ゆえに、これは当然の失敗であった。
火皿の火薬による衝撃で紙が破れでもしない限り、弾が発射されることは無い。
ルイスは何度か試射を繰り返してみたが、その偶然が起きることは無かった。
「……」
期待が空振りに終わったことによる残念さはルイスの表情に表れた。
だが、ルイスはいまのアイディアをあきらめてはいなかった。
弾丸と火薬を一つのパッケージにしてそのまま銃身内に装填する、このアイディアはなんとかして採用したいと思っていた。
それに、この銃そのものが失敗作になったわけでは無い。
従来の丸い弾丸による装填方法であれば問題無く使える。
すでにフリントロック式の銃の生産が始まっているが、これも量産して問題無いだろう、ルイスはそう思っていた。
◆◆◆
一方、ヘルハルトは拠点の建築と同時に、ある「草」の栽培に着手していた。
といっても、ヘルハルト自体が注力することは特に何も無かった。生育速度が早く、環境順応性も高いからだ。ほうっておいても勝手に育った。ヘルハルトは暖かいところでなければダメだろうと勝手に思い込んでいたが、実はその草は寒冷地程度の環境でも問題無いものであった。
しかしヘルハルトの移動は無駄では無かった。深い森の中に拠点を構えたことはやはり正解であった。商売敵の偵察がくる気配すら無かった。ヘルハルトは好き放題に農地を開拓することができた。
この「草」がヘルハルトの商売の原材料。
摂取すると快楽を得ることが出来る草。要は麻薬である。
もともとは宗教的儀式に使われていたものであった。
それが民間に流通し始め、悪人はそこにつけこんだ。
規制がまったく無かったため草は爆発的に流通。
前の魔王はこれを排除するどころか、組織から賄賂を受け取り、互いに甘い汁を吸う有様であった。
キーラが言った腐敗とはこれのことだ。
そしてその腐敗を排除すると公言したキーラから遠く離れたことで、ヘルハルトの商売を邪魔する障害はすべて無くなったかと思われた。
実際、滑り出しは順調であった。
近くの街への商品の発送は次々と成功し、順調に利益を積み上げていった。
同業者による妨害の気配も、魔王軍の影響も感じ取れない。
だが、ヘルハルトの障害となりえるものはそれだけでは無い。
正義心を持つ者や、単純にヘルハルトのような者を嫌う人間も障害になりえる。
今回は後者に属する人間がヘルハルトの近くにいた。
その者は最初は様子を見ていた。ヘルハルト達の商売を無視していた。
だが、そのせいでヘルハルト達は逆に調子に乗った。商売を大きくした。
それはその者にとって許されない行為だった。
ゆえに、その者はついにヘルハルト達に対して重い腰を上げたのであった。
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