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第二章 アリスは不思議の国にて待つ
第八話 もっと力を(9)
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明らかに助からない傷。
だからレイラは意識をユリアンから外し、自分の身を守ることだけに集中した。
そしてレイラは即座に距離を取るように雪を蹴り、サイラスに背を向けて走り始めた。
レイラは知っていた。これは精神汚染と呼ばれる攻撃であることを。
波を発して味方を鼓舞するものとは逆。敵の意識を萎縮させるために負の感情を利用する攻撃だ。
さらにレイラは自身がその攻撃に対処する技を持っていないことを分かっていた。
そしてこいつのことをオレグ様に報告しなくてはならない。
ゆえの逃げであったが、
「!?」
その足は鈍かった。
恐怖で足がすくんでしまっている。膝がガタガタと震えている。
ならば無理矢理にでも足を動かせばいい、足の中で星を強く爆発させればいい、レイラはそう思ったのだが、
「……っ!」
レイラにはそれが出来る自信がなくなっていた。
これまでに数え切れないほどに修練を積んだ技。回数は軽く万を超えている。
なのに、だ。
出来ない。出来る気がしないのだ。
「!」
そして真後ろにまで気配が迫ったのを感じ取ったレイラは、やむを得ず振り返った。
サイラスは既に攻撃態勢に、突進突きの動作に入っていた。
そしてその動きはユリアンの時と同じく、レイラにとっても対処が容易な一撃であったが、
「くっ!」
レイラは受けようとはせず、大きく移動して避けた。
その動きを見たサイラスは攻撃を変えることにした。
逃げに集中している相手を突きで、点の攻撃で捕まえるのは難しい。
そしてサイラスが次に選んだ攻撃、それは、
「破ッ!」
斜め上から逆側の斜め下へと振り下ろす、袈裟斬りであった。
反撃はこない、サイラスはそう踏んでいた。
ゆえに、その踏み込みはまるで体当たりするかのようにレイラを追尾したものであった。
避けられない、そう判断したレイラはその刃を叩き払おうとしたが、
「ぐっ!?」
手は思うように動かず、両手の平で刃を受け止める形になった。
刃が手の平に食い込み、鮮血が流れ出す。
このままだと切り裂かれる、そう思ったレイラは刃を両手で挟み込む、いわゆる白刃取りの形に変えた。
怪我のせいでサイラスは力を込められないためか、両者はその形で拮抗した。
が、
「……っ」
その拮抗は瞬く間に崩れ始めた。
身の毛もよだつ恐怖が、レイラの心をあきらめの念で埋め尽くし始めていた。
きっといつか押し切られる、抵抗しても無駄だ、そんな思いがどんどん強まる。
このまま力を抜けば楽になれる、この恐怖から開放される、そんな言葉が繰り返し脳内に響き始めた。
踏ん張る両足と腕から勝手に力が抜けていく。
理性が必死に叫ぶ。
これは精神汚染、本当に相手を恐れているわけじゃないと、相手はただの怪我人だと。
そうわかっていても抵抗出来ない。
そしてその理性の声すらも遠く離れるように恐怖の中に消えていった。
最後に残ったのは「それでも死にたくない」、それだけ。
本能が発する最後の防衛線。
しかしその最後の一線すらも――
「っ!」
ここまでか、そんなあきらめの言葉が浮かんだ瞬間、レイラの体を激痛がなぞっていった。
即死じゃない。まだ動ける。相手を道連れに出来る可能性は残っている。
なのに、
「……」
レイラはその可能性を放棄し、雪原の上に伏した。
このままじっとしていれば出血多量で終われる、この苦痛と恐怖から開放される、そんな言葉が脳内にこだましていた。
が、それは間違いであった。
「っ!」
びくり、と、レイラはその身を雪の上で震わせた。
それは突然の頭痛。
精神汚染の原因であったサイラスの死神達がその脳内に直接乗り込んでいた。
目的は食事のため。
魂の養分を生み出している食堂を乗っ取り、むさぼり食らう。
普通の死神はこんなことは出来ない。
その辺にいる野良の死神はみな栄養失調だ。生きている人間を襲う力など無い。反撃で殺されるのがオチだ。
この世界の人間の脳は強固なハチの巣のようなものだ。うかつにつつけば一斉に虫が飛び出し、襲い掛かる。
虫を使えない、反撃能力の弱い者であってもその防御は鉄壁だ。攻撃を仕掛けた死神が疲れるだけである。
しかしサイラスの死神達は違う。
サイラスの脳から十分な栄養が与えられている。
それだけでは無い。効率良く人間の脳を破壊するための武器まで持たされている。
そうだ。こいつらは死神というよりは兵士である。恐怖による精神汚染と脳の破壊に特化した戦士なのだ。
だからもう一人の自分は『使えそうなやつを選んでおいた』のだ。
もう一人の自分がやったことは魂の改造だ。しかし今回はその時間が少なかった。
だから簡単な改造だけで戦えそうなやつを選んだのだ。
もう一人のサイラスにとってユリアンとレイラは実験台であった。試運転には手ごろな相手、そう判断したのだ。
そして結果は上々であった。
これならば、そう判断したもう一人のサイラスは「『あれ』も試してみろ」と、本能を介してサイラスに伝えた。
だからレイラは意識をユリアンから外し、自分の身を守ることだけに集中した。
そしてレイラは即座に距離を取るように雪を蹴り、サイラスに背を向けて走り始めた。
レイラは知っていた。これは精神汚染と呼ばれる攻撃であることを。
波を発して味方を鼓舞するものとは逆。敵の意識を萎縮させるために負の感情を利用する攻撃だ。
さらにレイラは自身がその攻撃に対処する技を持っていないことを分かっていた。
そしてこいつのことをオレグ様に報告しなくてはならない。
ゆえの逃げであったが、
「!?」
その足は鈍かった。
恐怖で足がすくんでしまっている。膝がガタガタと震えている。
ならば無理矢理にでも足を動かせばいい、足の中で星を強く爆発させればいい、レイラはそう思ったのだが、
「……っ!」
レイラにはそれが出来る自信がなくなっていた。
これまでに数え切れないほどに修練を積んだ技。回数は軽く万を超えている。
なのに、だ。
出来ない。出来る気がしないのだ。
「!」
そして真後ろにまで気配が迫ったのを感じ取ったレイラは、やむを得ず振り返った。
サイラスは既に攻撃態勢に、突進突きの動作に入っていた。
そしてその動きはユリアンの時と同じく、レイラにとっても対処が容易な一撃であったが、
「くっ!」
レイラは受けようとはせず、大きく移動して避けた。
その動きを見たサイラスは攻撃を変えることにした。
逃げに集中している相手を突きで、点の攻撃で捕まえるのは難しい。
そしてサイラスが次に選んだ攻撃、それは、
「破ッ!」
斜め上から逆側の斜め下へと振り下ろす、袈裟斬りであった。
反撃はこない、サイラスはそう踏んでいた。
ゆえに、その踏み込みはまるで体当たりするかのようにレイラを追尾したものであった。
避けられない、そう判断したレイラはその刃を叩き払おうとしたが、
「ぐっ!?」
手は思うように動かず、両手の平で刃を受け止める形になった。
刃が手の平に食い込み、鮮血が流れ出す。
このままだと切り裂かれる、そう思ったレイラは刃を両手で挟み込む、いわゆる白刃取りの形に変えた。
怪我のせいでサイラスは力を込められないためか、両者はその形で拮抗した。
が、
「……っ」
その拮抗は瞬く間に崩れ始めた。
身の毛もよだつ恐怖が、レイラの心をあきらめの念で埋め尽くし始めていた。
きっといつか押し切られる、抵抗しても無駄だ、そんな思いがどんどん強まる。
このまま力を抜けば楽になれる、この恐怖から開放される、そんな言葉が繰り返し脳内に響き始めた。
踏ん張る両足と腕から勝手に力が抜けていく。
理性が必死に叫ぶ。
これは精神汚染、本当に相手を恐れているわけじゃないと、相手はただの怪我人だと。
そうわかっていても抵抗出来ない。
そしてその理性の声すらも遠く離れるように恐怖の中に消えていった。
最後に残ったのは「それでも死にたくない」、それだけ。
本能が発する最後の防衛線。
しかしその最後の一線すらも――
「っ!」
ここまでか、そんなあきらめの言葉が浮かんだ瞬間、レイラの体を激痛がなぞっていった。
即死じゃない。まだ動ける。相手を道連れに出来る可能性は残っている。
なのに、
「……」
レイラはその可能性を放棄し、雪原の上に伏した。
このままじっとしていれば出血多量で終われる、この苦痛と恐怖から開放される、そんな言葉が脳内にこだましていた。
が、それは間違いであった。
「っ!」
びくり、と、レイラはその身を雪の上で震わせた。
それは突然の頭痛。
精神汚染の原因であったサイラスの死神達がその脳内に直接乗り込んでいた。
目的は食事のため。
魂の養分を生み出している食堂を乗っ取り、むさぼり食らう。
普通の死神はこんなことは出来ない。
その辺にいる野良の死神はみな栄養失調だ。生きている人間を襲う力など無い。反撃で殺されるのがオチだ。
この世界の人間の脳は強固なハチの巣のようなものだ。うかつにつつけば一斉に虫が飛び出し、襲い掛かる。
虫を使えない、反撃能力の弱い者であってもその防御は鉄壁だ。攻撃を仕掛けた死神が疲れるだけである。
しかしサイラスの死神達は違う。
サイラスの脳から十分な栄養が与えられている。
それだけでは無い。効率良く人間の脳を破壊するための武器まで持たされている。
そうだ。こいつらは死神というよりは兵士である。恐怖による精神汚染と脳の破壊に特化した戦士なのだ。
だからもう一人の自分は『使えそうなやつを選んでおいた』のだ。
もう一人の自分がやったことは魂の改造だ。しかし今回はその時間が少なかった。
だから簡単な改造だけで戦えそうなやつを選んだのだ。
もう一人のサイラスにとってユリアンとレイラは実験台であった。試運転には手ごろな相手、そう判断したのだ。
そして結果は上々であった。
これならば、そう判断したもう一人のサイラスは「『あれ』も試してみろ」と、本能を介してサイラスに伝えた。
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